人間の限界というものは、我々が普通に考えているようなものじゃあないはずだ。
かつて、科学的には、人間が1マイル(約1609m)を4分以内で走ると即死すると断定していたが、1人のランナーがその記録を超えると、続々とそれを達成するランナーが現れた。かといって、いつか1分以内で走れるなどと考える者は誰もいないだろう。

もし、誰かが、100mを3秒で走ったとしたらどうなるだろう?
きっと、誰も、それが「見えない」のだ。あるいは、それを見て、一瞬は驚愕しても、すぐに忘れてしまうのだ。
1492年にコロンブスの船がアメリカ海域の島にたどり着いた時、その島にいた文明化されていない原住民には、コロンブス達が乗ってきた巨大船が見えなかったという話がある。彼らは、そのような巨大な船を見たことがなく、船だと認識できなかった。そんな彼らには、船が本当に見えなかったのだ。この話が事実かどうかは知らないし、実際はややニュアンスは違うことだったかもしれないが、あり得ることと思う。
「トーチェ氏の心の法則」という本に、脚が折れているのに走り回る、未開の民族の話がある。彼らは、脚が折れたら走れなくなることを「知らなかった」のだという。

夢を憶えていないというのも、似たような理由かもしれない。
あまりに非現実的な夢は、多少は現実的に変換した断片を憶えていることもあるが、ほとんど憶えていないのだ。
だから、子供ほどよく夢を憶えていて、それを大人に話すが、大人はまともに聞かず、他愛もないものとしてあしらうので、子供も話さなくなり、そして、不思議な夢のことを信じなくなり、憶えていないようになるのだ。

武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」に面白い話がある。
主人公の、セーラームーンこと、高校1年生の月野うさぎは、外国に留学した恋人の地場護に何度も手紙を書くが(電子メールがあまり普及していない時代だった)、返信が全くない。元々が、当面は忙しくてそうなるかもしれないと護に言われていたうさぎは健気に耐えるが、実は、護はこの世にいなかった。実は、護がうさぎの目の前で肉体が崩れて消滅するのを、うさぎははっきり見ていたのだ。しかし、うさぎには、その記憶が消えてしまっていたのだ。あまりに悲惨で、信じたくないという意識が、うさぎから記憶を消し去ったのである。

L.ロン.ハバートの小説「フィアー」に、そんなテーマを扱った小説があるが、レイ・ブラッドベリ、アイザック・アシモフ、スティーブン・キングらが絶賛する天才ハバートのこの作品はとにかく凄い。是非、読んでみて欲しい。
ハバートは、トム・クルーズやジョン・トラボルタらが熱心に信仰する宗教団体サイエントロジーの教祖としては、一部非難も多いが、教育分野での信奉者も多く、稲盛和夫氏も、ハバートの教育の本に推薦の言葉を載せている。
私は、ハバートの書いた自己啓発書で、世界で1800万部が出版されたという「ダイアネティックス」を一頃、熱心に読んだことがある。1950年頃に、コンピュータモデルを参考にしながら、人間の仕組みを解き明かし、どうやればその能力を向上させることが出来るかについてのハバートの論は実に面白かった。

人間の限界というのは、人々が共同で持つ認識で決まるが、それは幻想であり、催眠術のようなものだ。
それを、吉本隆明氏の言い方を借りて共同幻想と呼ぶなら、その幻想を作るのは世間の信念や教義だ。その幻想の中にいない者は、人々にとって神か仙人か、あるいは、狂人だ。

人間は、思考の制限が外れた世界である夢の内容を憶えていられるようになれば、制限の少ない存在になっているかもしれない。
思いのまま、全てを、冷静さと誠実さを保ったまま信じることが出来るなら、不可能は無いに違いない。
もしそうであれば、それを阻害しているものを除けば良いのだろう。だが、その方法を教えても、あなたは信じないかもしれないのだ。いや、信じたくはないと感じるのだと思う。







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