テレビをつけていると、頻繁に「がんばれ日本」の声と文字が出てくる。しかし、いったい、何をがんばるのだ?
運動競技場の近くを歩いていたら、選手かコーチが何人か飛び出してきて、あなたにゲームに加われと言う。あなたはルールも知らないと言って断るが、彼らは、何でもいいからボールを持って走れ、点数を稼げ、とにかくがんばれと怒鳴り散らすばかりだ。
「がんばれ日本」なんて、それと同じだ。それが、子供の時から、我々がやらされてきたことだ。そして、なぜがんばらないといけないのかと尋ねると、問題児の烙印を押されるのだ。
がんばっていい点を取れ、がんばっていい学校に入れ、がんばって焼肉をたくさん食べろ、がんばっていい車を買え、がんばって売りつけて来いといった具合だ。
我々にとって、「がんばる」とは、世間の価値観に合ったことを何も考えずに熱心にやるということで、言い換えれば、世間の教義や信念にひれ伏せということだ。

よく我々は「自分の頭で考えろ」と言う。いったい、何を考えるのだ?
いい点を取る方法、いい学校に入る方法、焼肉をたくさん食べられる方法、いい車を買える方法、買ってもメリットの無い相手に売りつける方法なのか?
自分の頭で考えるとは、本能の支配をかわして、内なる声を聞くということだ。それは、世間の教義や信念を打ち壊すことである。

我々を無知に追い込み、動物と区別とつかないものにする本能の支配に打ち勝つ最も易しい方法は、食を慎むことだ。しかし、別に断食や極端な少食といった苦行をする必要は全くない。食は楽しめばいい。
ゲーテ、カント、ヘレン・ケラーらが崇敬し、エマーソンをして人類の5人の偉人の一人と言わせたエマニュエル・スウェーデンボルグに天使が囁いたように、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」というだけで良いのである。
食べるべきでない時に食べない。余計なものを食べない。それだけのことである。
食の慎みは、人を天使に近付ける。そうすれば、性欲や物欲もたやすく克服できる。敬う心や、思いやる心も起こってくる。高貴な勤勉さも得られる。愚かなことをがんばれば国を滅ぼすが、食の慎みは世界を平和にすることになるのだ。
真の勤勉さは熱狂してがんばったりしない。種が芽吹き、茎が伸び、葉が茂り、咲く花は無心だ。だが、それは無知ではなく、英知に導かれているのだ。自然を真摯に観察すれば、その英知に驚愕するはずだ。
我々だって、自然の内にあり、やはり無限の英知に導かれるはずなのだ。人が拒否しない限りね。







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