昨夜の「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ」で、カズ(三浦知良)がJ選抜唯一のゴールを決め、多くの人を喜ばせましたが、彼ほど愛されるスポーツ選手は少ないと思います。私は、以前から、いかなる状況でも決して悪意(恨み、妬みなど)を持たない彼の精神力は素晴らしいものだと思っていました。
ところで、サッカーで、敵ゴールに向かってボールを蹴ることをシュート(Shoot)と言いますが、ファイア(Fire)とは言わないようですね。
しかし、シュート、ファイアは共に、目標に向けて、弾丸や矢等を撃つ、あるいは、射るという意味があり、英語の映画を見ていても、両方が使われているようです。
ニュアンス(微妙な意味合い。フランス語)としては、なんとなく、シュートが目標を狙うことに重点があり、ファイアは撃つことに重点があるような感じはあります。あるいは、大き目の武器の時は、炎を表すファイアが合っているのだろうかとも思います。しかし、必ずしもそうではないかもしれません。
「魔法少女リリカルなのは」というアニメで、ヒロインである2人の魔導師の少女が、魔力で砲撃を行う際、なのはは「シュート」、フェイトは「ファイア」と言うのを思い出して、そんなことを考えました。

ところで、人生なんて、的に狙いをつけて、それを撃ち抜くようなものではないかと思います。
目標という言葉は、「得たいと願う何か」とか、「達成したい状態」という意味であると同時に、射撃の的という意味ですが、英語のTargetもそれは同じというのは、考えてみれば面白いことで、願望の達成というものは、やはり攻撃的な面があるということなのだと思います。
そして、英語で罪のことをSinと言いますが、この言葉の元々の意味は「的を外す」という意味です。的を外す、つまり、目標を達成しないことが罪なわけです。

願望達成の秘訣は、射撃や弓矢のそれと同じではないかと思います。共に、基本は、的をよく見ることです。目標をよく見ないので、的を外す(罪を犯す)人は多いのです。
ただ、射的の世界は実に深遠で果てが無く、弓道では、その究極においては弓を引かないとされます。世界には見えざる本当の真理があり、射的は、そこに至るための1つの門でもあると思います。
中国の古典「列子」の「湯問篇」に、興味深い弓のお話があります。「列子」は、「老子」「荘子」とならぶ、道教の知恵の書ですが、お伽噺のようで面白いものです。
紀昌(きしょう)という男が、弓の名人を志し、天下一と言われる飛衛(ひえい)の教えを受け、飛衛にひけを取らぬほどになります。しかし、飛衛は、我々の腕は、甘蠅(かんよう)という仙人に比べれば児戯に等しいと言います。それで、紀昌は弟子入りをしようと甘蠅を訪ねますが、甘蠅の技は想像をはるかに超えていて、紀昌は驚愕します。
甘蠅は、紀昌に、「お前は、射の射は知っていても、不射の射は知らぬ」と言います。
長い修行の後、紀昌はついに「不射の射」を得て、家に戻りますが、彼は驚くべき変貌を遂げていたのでした。
紀昌がどんな修行をしたかは述べられていませんが、それは、後の紀昌について書かれたことを見れば分かるような気がします。
尚、この列子のものと大体同じお話が、中島敦の「名人伝」です。ごく短いお話ですが、貴い宝のような名作と思います。
是非、これを読まれ、無敵の「不射の射」を得られてはと思います。







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