これまで、なんて差し障りのない書き方をしてきたのだろうと思う。
これでは、ろくに誤解もされないじゃないか。
岡本太郎に「卑しい」って言われそうだ。

岡本太郎は、「誤解されたっていい、いや、誤解されないといけない」と言った。
エマーソンも、「本当の自分でいる人は誤解されるもの」と言ったのだ。
イエスもスウェーデンボルグもアダムスキーも、壮大に誤解されたじゃないか。
橋本健博士も、政木和三博士も、関英男博士もそうだった。

私は超能力者である。実際のエピソードは、このブログにも随分書いたはずだ。
ただ、自我ってのは馬鹿だから、超能力を使っても自分では気付かない。後で誰かから教えてもらうか、客観的証拠からやっと気付いて自分で驚くのだ。ぼーっとしてたら、気付くのに10年くらいはかかる。
だから、超能力を見世物にすることは不可能だ。しかし、超能力を見たいという人がいるものおかしなものだ。自分でやればいい。
ジョセフ・マーフィーの本を1冊読めば、その直後に誰でも超能力を発揮する。しかし、やっぱり気付いていないのだ。
土台、自分のために超能力を役立てようなんて根性が間違っている。自分に必要なものは、通常の能力の範囲内で十分に手に入るからだ。
だが、人々のため、人類のためと思うなら、そして、その心に偽りがなければ、いかなる超能力も発揮することができるだろう。ただ、敢えてそれをやる者は、まあ、滅多にはいないのだ。







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