最近、このブログでよく話題にする腕振り運動に関する、現在までの成果を一度まとめてお示ししようと思う。
私は5年以上、実験をしたことにもなり、この簡単な運動を皆様が採用するべきかどうかの参考にもなると思う。

腕振り運動は、案外にいろんなものがあるように思う。私の知る範囲でも、

(1)達磨易筋経
「宇宙学序章グラビトニックス」(加速学園出版部)で、関英男博士が紹介しているもので、易筋経(お経ではない)という、あの達磨がインドから中国に伝えた健康法の中にある運動の1つとされる
(2)スワイソウ
早島正雄さんが指導する導引術でよく紹介されている運動。早島さんの多くの著書で紹介されている。
(3)せい手(しゅ)
医学の流派の気功で、気功家の盛鶴延(せいかくえん)さんの著書「気功革命」で紹介されている。せい手には2種類あり、もう1つは武術流派のものである。

がある。
共通して行う動作は、自然体で姿勢良く立ち、まっすぐ伸ばした両腕を前後に振ること。後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は力を抜いて惰性で振ることである。
(せい手の、武術流派のものでは、逆に、前に振る時に力を入れる)
しかし、微妙な違いもあり、(1)では、両手の平を内側に向けるのに対し、(2)では手の平は下向き、(3)でも、絵で見る限り下向きである。その他にも、姿勢、意識の持ち方、呼吸の仕方にも、いくらか違いがあるようである。
尚、呼吸を意識的に行うのは、せい手(3)だけで、他のものは呼吸は自然に行う。

私は、関英男さんのやり方(1)に従っているが、自分が心地良く思うものでやれば良いと思う。
実を言うと、究極的には、腕を振る必要も、本当は無いのだと私は思っている。
どれも立ってやることになっているが、脚が悪くて立てない人もいるだろうにと思っていたら、関英男さんは、座ってやっても良いと述べられており、それで半身不随が治って立てるようになった場合すらあるようだ。座ってやる場合、椅子などに、やや工夫が必要と思う。

運動と言っても、筋肉を鍛えるようなものではなく、体力はほとんどいらない。
目的は、(1)では、グラビトン粒子(重力子)を体内に集める(あるいは生成する)ことで、(2)(3)では、気を循環させることである。ただ、関さんは、グラビトンも気も同じであるとしているし、効果に関しても、どれも同じと思う。
腕を振る回数は、慣れてきたら2千回程度を薦める場合が多いと思う。体力のいらない運動ではあるが、単調に感じるかも知れず、根気を要するかもしれない。ただ、私の場合は、楽しく感じることもある。

私は、すでに5年以上実施している。
ただ、1年くらい前までは、1日2百~3百回程度であった。それでも、長く続けたことで、大変な大食で肉食主体であったのが、1日1食で、菜食になる要因になった。関博士の言われる通り、グラビトンを体内に作るので、それがエネルギーになり、食べる必要が少なくなるのだと思う。それで言うなら、素晴らしいダイエットでもある。インド等に時々いる、全く食べない人達は、やはりグラビトンや気と同じものであるプラーナを取り入れてエネルギーにしているようである。
この1年は、1日千回になり、1週間前からは2千回になった。家に居る日は4千~5千回行っている。
そして、数日前から毎日4千回にした。すると、その効果は、明らかに感じるほどに際立ってきた。

私は、一昨年(2009年)の8月から、腕立て伏せを毎日行っている。
それまで、腕立て伏せは長くやっていなかったこともあり、最初は10回が苦しかった。しかし、毎日2百回程度とはいえ腕振り運動をしていたせいか、意外と継続し、毎月10回ずつ腕立て伏せの回数を増やしていった。
70回くらいになると、首の疲れを感じるようになり、人間の頭の重さを実感した。
90回を過ぎると、毎月10回増やすことが少し苦しく思うようになった。しかし、腕振り運動を1日9百回に増やし、エネルギーを増強することで継続できた。それで、2010年の5月に念願の百回に達した。
130回を超えると、身体全体、特に、心肺の負担を感じるようになり、170回を超えるあたりで、それがかなり厳しくなってきた。腕立て伏せという、普通には筋持久力の運動とされるもので息が切れるというのは面白い発見だった。
そんな風に、心肺の負担が大きく、また、少食で筋肉も少ないせいか、毎月10回増やすことが、かなり苦しくなった。
2011年2月に190回となり、なんとか、3月に200回を達成したら、一応、回数を増やすのはそこまでにしようと思っていた。
ところが、ここで腕振り運動を4千回に増やした。関英男博士の本を次々読んで、グラビトンの理解を深めたことから、腕振り運動の重要性を感じたのだった。
すると、腕立て伏せを190回に増やしてからまだ1週間程度で、特に厳しい時期であった(増やした回数に馴染むのに、最近は10日はかかっていた)にも関わらず、楽に感じ、試しに200回やってみたら、どうということもなかった。
それでも、やはり今月は190回と思っていたが、やはり200回やってしまう。そして、昨夜はついに、190回では物足りなさを感じ、諦めて早々に200回に増やすことにした。
他にも、スクワット(立って、しゃがみ、また立つという運動)もやっている。スクワットは、単調なせいか、疲労以上に辛く感じる運動であり、その気になればもっと出来るが、百回だけやるようにしていた。しかし、これも、まるで体重が無いように軽く感じるようになり、とりあえず、昨夜から130回にした。腹筋運動は500回、背筋運動は130回にしている。
また、普段でも、駅の階段の昇り降りが軽く、やはり体重を感じず、あまりに速いので、回りの方達のご迷惑にならないよう注意しているくらいである。冗談ではなく、周囲の人達が止まっているように見えることがある。面白いことに、特に階段の降りが楽で速くなった。踏み外しても浮いていられるので、恐怖がないせいである。
そして、仕事(コンピュータプログラマ)上、毎日、長時間、コンピュータのディスプレイを見つめ、眼精疲労で目が痛く、それが、首、肩、さらに、腰にまで及ぶこともあったが、全く無くなったとは言わないまでも楽になった。
さらに、精神的にも、気楽で、ぼーっとしていられるようになった・・・いや、これは元々かもしれない(笑)。

腕振り運動は、気、プラーナ、あるいは、グラビトンを体内に取り込んで(あるいは生成して)活性化し、エネルギーを高めるので、言ってみれば、何でも出来るようになる。願いがあれば叶う。願いというのは我欲であり、できるだけ控えるべきであるが、邪まなもので無い限り、1つはあっても良いと思う。私にも願いがある。だから、腕振り運動も続けられる。良い願いなら、毎日数千回の腕振り運動をやりぬくことができるだろう。逆に、ロクな願いでないなら続かない。そういったことを見極めることなど、色々な意味でお薦めしたいものである。







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