「このまま終わりたくない」
誰でも、人生の中で必ずそう思う。
それは、人生に失望した時のはずだ。

「パピヨン」という映画で、絶海の孤島にある刑務所に、終身刑で送られたパピヨンという男は、独房の中でゴキブリを捕まえて食べてまで、生への執念を捨てない。
彼は冤罪であったが、夢の中で裁判官に有罪を言い渡される。彼が「俺は無実だ。殺してない」と言うと、裁判官は、「その罪ではない。お前は、人が犯しうる、最も恐ろしい罪を犯したことで裁かれる」と言う。その、人が犯しうる最も恐ろしい罪とは、人生を無駄にすることだった。パピヨンはうな垂れて自分の罪を認めた。
「パピヨン」は実話に基く映画で、映画には、彼の本当の妻が出演している。パピヨンは、「このまま終わらなかった」のだ。

3年間アメリカのベストセラー最上位にあり、300万部を出版した「積極的考え方の力」(1952)の中で、全てを失ったと信じている52歳の男に、著者ノーマン・ピールは、彼にはまだ、いくらかのもの(家族、健康、信仰、自由の国アメリカに住んでいること等)が残っていることを指摘し、男は勇気を取り戻し、再出発を誓う。彼だって、やはり本当は、「このまま終わりたくない」と思っていたのだろう。

「バルディッシュ、お前も、このまま終わりたくないよね」
幼い頃から共にあった、ポールウェポン(長い棒の先端に刃物が付いた武器)の形をした魔法の道具を抱きしめ、涙を流しながらフェイトが言う。
フェイトは、唯一の生きる支えだった母親に捨てられた9歳の少女だった。
バルディッシュは傷付いていたが、短く、しかし、毅然と、「イエス・サー」と答える。
~アニメ「魔法少女リリカルなのは」(12話:宿命が閉じるときなの)より~

では、どうやれば、新しい自分を始めることができるのか?
夏目志郎という著名なセールスマンは「祈った」と言う。彼が34歳の時だった。
これまでの人生の失敗の責任は自分にある。しかし、これからの責任はあなたが負うべきだと神に訴えた。すると、翌日、不思議なことが起こり、彼は新しい人生を始めることになる。
ノーマン・ピールも「なぜ、神の力を求めないのか」と言う。

だが、祈るって意味をほとんどの人が知らない。
祈るってのは、取り込まれるってことだ。
社会で成功することを祈ったら、社会に取り込まれる。社会の部品になるってことだ。
お金持ちになることを祈ったら、叶うかどうかには関係なく、経済の一部分として取り込まれる。
受験合格を祈ったら、合否に関わらず、学歴制度に取り込まれる。別に、それが良いかどうかの問題ではない。

上の夏目志郎さんは、神の責任を祈ったのだ。だが、具体的なことは何も言っていない。
神に「責任取ってよ」なんて、なんて怠慢、生意気、身の程知らずと思うかも知れないが、夏目さんはキリスト教の牧師のお手伝いのボランティアを1年やって、神というものを多少は分かっていたのだ。
そして、神に求めたのは責任だけだ。
つまり、ここが重要なのだが、結果は全て神に任せた。それは、命を神の手に預けたってことなのだ。
どう転んでも文句を言う気は無い。いい思いをさせろなんて言ってない。

事情はいくらか想像が付くかもしれないが、女の子が男に「責任取ってよ!」と言ったら、男はこう言えば良い。
「分かったよ。だけど、お前が働いて俺の面倒を見ろよ。俺は寝て暮らすからな」
そう言われて怒るなら、最初から言わないことだ。

だが、心配無用だ。いや、心配してはならない。
神の責任とは、あなたに代わって心配することだ。あなたが心配したって、何の役にも立たない。
そして、神は万能だ。適切な配慮をしてくれる。
駅のホームでも電車の中でも、どこでも食べている者は病気にして、食べられないようにしてくれる。
人ごみで携帯を見ながら歩いている者は階段から転落させて脚を折り、歩けなくしてくれる。
恨んだり、妬んだりする気持ちを消そうと努力する者は、無敵にしてくれる(結果、恨んだり、妬んだりする必要はなくなる)。

パピヨンは、ココナッツが入った袋と共に海に飛び込み、後の責任は神に取らせた。
言い換えれば、神の意志に身を任せた。
そして、神は、彼を偉大な作家にしたのだ。







↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ