ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年11月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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「ワクワク」の本当の意味

スピリチュアル界隈に限らないが、「ワクワクする」ことが重要だとか、好ましいと言われることがよくある。
それはそうだと思う。
「いや、ワクワクじゃない。ウキウキだ」と言う変な太ったオッサンもいたと思うが(結構、有名な医者らしいが)、ワクワクの意味をちゃんと掴んでいないと、そんなのに騙される。
案外というか、どんな時にワクワクするか知らない人が多いのである。
ワクワクというのは、肯定的な意味で「ドキドキする」ということだ。
そして、どんな時にドキドキするかというと、「心地良い緊張」が高まっている時だ。
たとえば、対面、電話、メール、LINE・・・何でもいいが、好きな人に告白する時なんて、最高にドキドキすると思うが、これがまさにワクワクである。
ただし、その告白が適切なものでない場合は、それは「心地良くない緊張」で、ドキドキではなく、単に、胸が圧迫されている感じがして、ワクワクもしない。そんな告白は止めておくに限る。
良い告白・・・ドキドキし、ワクワクする時の告白というのは、結果など全く気にしていない。

ワクワクと等しいドキドキの状態の時・・・つまり、心地良い緊張が高まっている時、何が起こっているのだろう?
それは、「今、この瞬間」に強く集中しているのである。
「今、この瞬間」に意識を向ければ、潜在意識(宇宙意識、神、大いなる自分)と一体化していく。
つまり、ドキドキ、ワクワクは、それを強く行っているのだから、実に貴いことで、引き寄せの力も最高潮になる。
結局、確かに、ワクワクが良いものであることが分かる。
ワクワクする時の告白はうまくいくし、もし、うまくいかないなら、もっと良いことがある。

何のことはない。
ワクワクしなさいというのは、「今、この瞬間」に意識を向けなさいということだ。
それで何でもうまくいく・・・引き寄せもうまく出来る。

ワクワクする、面白い実験がある。
つまり、ドキドキする実験、心地よい緊張感を高める実験だ。
手っ取り早くはあっても、お札で行うのは、いろんな意味で良くないが、例えば、上手に描き上げて気に入った絵を破くとする。
絵でなくても、大事なコンサートチケットなど、他の重要な紙でも良い。
大事なものなので、簡単には破けない。
しかし、それを手に持って、「さあ、破くぞ」と思って、実際に破こうとすると、緊張が高まり、ドキドキする。すると、最高にワクワクする。
ただし、自分ではなく、他の人にとって大事なものなら、嫌な感じがして、ドキドキしないし、ワクワクもしない。
ところが、実を言うと、ドキドキ、ワクワクするなら、それは、大事なものに思えても、破った方が良いものである。
そして、そんなふうに、大事だと思っていても、それを破いたり、捨てようとすると、ドキドキ、ワクワクするものって、案外に多いのである。
いわゆる「後生大事」にしながら、実は必要ないもの、害悪ですらあるものだ。
たとえば、お気に入りで、決定版と思っているスピリチュアルな本を、燃え盛っている炎の中に投げ入れようとしたら、ドキドキする時、それは燃やした方が良い本なのだ。そんな本、いっぱいあるはずだ(笑)。
もっと良い絵を描くために、良く描けたと思っている絵を燃やすというのは、ドキドキするなら非常に良いことで、それが、芸術の秘訣でもある。
私は、子供の時、大事に思っている紙を手に、
「今、破くぞ。今だ。今、破いたのだ」
などと思うと、ゾクゾクするような、ドキドキ、ワクワクを感じた。
強く、「今、この瞬間」に集中したからだ。
まあ、破れないことが多かったが(笑)。

アイザック・ニュートンや岡田虎二郎は、死の直前に、長年、書き溜めた紙を全部燃やしたという。
彼らの心境が分かるはずもないが、もしかしたら、素晴らしいドキドキやワクワクを感じたかもしれない。
それで、心置きなく死に、高次元の世界に移行したのであろう。

だが、特別なことをしなくても、「今、この瞬間」に意識を向ければ、熱狂的でないながら、ドキドキ、ワクワクの連続となる。
告白や、「後生大事」にしているものの破棄は、それに気付くためのイベントみたいなもので、味わっておくと良いが、いつも必要なものではない。まあ、楽しめる時には、やってみると良い。








「今、この瞬間」に在ると何が起こるか

今朝に続き、「今、この瞬間」を意識することで偉大な力の恩恵を受けられるよう、楽な話をする。
アニメ『カードキャプターさくら』のオープニング曲『扉をあけて』に、こんな歌詞がある。

なんでもない 小石でさえ 不思議だよね 宝石に変わる
一緒にね 見てるだけで…みんな光る
~『扉をあけて』(作詞:きくこ。作曲:広瀬香美。唄:ANZA)より~

神秘的な歌詞ではあるが、不思議とは思わないのではないだろうか?
では、なぜ、こんな現象(普通の小石が宝石に変わる)が起こるのだろう。
それは、見ている者の意識が、過去や未来には全くなく、「今、この瞬間」に完全にフォーカスしているからだ。
こんな時、思考は消え、真の自己と一体化し、宇宙の心が自分の心になり、生命エネルギーに満ちる。
不可能はなくなり、世界は楽園になる。小石が宝石に変わるとは、そういうことだろう。

だが、残念なことに多くの場合、人間はまた考えることを始め、思考は過去や未来に依存するので、「今、この瞬間」から離れてしまう。
そうすると、力を失うしかない。
それならば、なるべくいつも「今、この瞬間」を意識し、宇宙意識と共にあることに慣れるのが良い。
そうなれば、世界は思うがままになる。

もう1つ。
アニメ『まほろまてぃっく』の第2期『まほろまてぃっく~もっと美しいもの~』に、こんな場面がある。
人間の心を持つアンドロイドのまほろは、乗船している船から見える夕焼けの美しさに感激して喜ぶが、美里司令がまほろに言う。
「この世には、もっと美しいものがある」
まほろには、それが何か分からない。その後も、ずっと、この言葉を憶えていたが、いつまでたっても、その「もっと美しいもの」が見つからない。
だが、最後に、優と共に夕陽を見ている時にはっきり分かった。
「もっと美しいもの」、それは、「愛する人と一緒に見る夕陽」だった。
もちろん、愛する人と見る美しいものなら、何でも「もっと美しいもの」になるだろう。
これもまた、愛する人と見れば、意識が「今、この瞬間」にフォーカスするから起こることである。
全て、上の『扉をあけて』と同じだ。

重要なことは、「今、この瞬間」に在ることが自然なことであるということだ。
元々、人間は宇宙意識と一体であり、元々、生命力に溢れ、元々、神のような万能な存在なのである。
その黄金時代を取り戻すべく、出来る限り、「今、この瞬間」を意識することである。

歩いているなら、歩いていることをしっかりと意識し、食べているなら、食べていることをしっかり意識する。
目の前のものを「見えている」のではなく、「意識的に見る」のである。
確かに、ロシアンルーレットでもやれば、極端に今に集中出来るし、それによって超越意識を体験した話が、コリン・ウィルソンの本にもあるが、間違えてはならないのは、「今、この瞬間」にあるのが自然なのであり、そんな不自然な方法に頼る必要などないということだ。
もっと温和なスリルや冒険で「今、この瞬間」を味わうことは、もちろん良いことである。
しかし、何もしなくてさえ、「今、この瞬間」を感じることは出来るのだ。
そして、普段の生活の中でこそ、「今、この瞬間」を意識しなければならない。
料理を作る時、服を着る時、コーヒーを飲む時、猫を撫でる時・・・
そうすれば、楽しさ、充実感が限りなく拡大すると共に、神のようになっていくのである。








何でもないものが美しく見える時に起こっていること

鳥が飛ぶのを見て、美しいと感じて感動したことがあるだろうか?
私は、墓場で、カラスがかなり私の近くを飛行した際、不意にスローモーションのように見え、その羽や筋肉の動きまで、あまりに美しく感じ、呆然としたことがある。
ところが、ある人は、家の中でゴキブリが飛ぶのを見て、その美しさに見とれたと言う(別に、その人はゴキブリマニアではない 笑)。

そんなふうに、特に珍しくもないもの、あるいは、好んで見るようなものでもないものが美しく見え陶酔するような時、何が起こっているのだろうか?
2つのことが言える。
1つは、思考が止まっている、あるいは、消えている。つまり、無我、忘我の状態であるということだ。
もう1つは、今、この瞬間に意識が集中しているということだ。
この2つは、「常に同時に起こる」。
そして、この状態は非常に重要だ。
なぜなら、この状態の時、人間は、無限の知恵と力である潜在意識と一体化している。この潜在意識のことを、神とか、大いなる自分とか、宇宙意識とか、宇宙の活力などと言っても良い。

インドの聖者達も、この状態を重要視し、人間が到達する目標などとも言うが、彼らは、そうなるためには、欲望を捨てないといけないとか、また、この状態になっても、現実的には何の利益もないと言う。
もちろん、欲望まみれで、この状態を目指すことには弊害があるが、このインドの聖者のおかげで、この至福の状態に興味を持たない人が多くなってしまった。
また、中国の荘子などは、この状態になれば、「自由になれる」とは言っても、お金持ちになるとか、いい男、いい女が寄って来るとは言わなかった。まあ、当時の中国では、庶民に、そんな発想はなかったらしいが。
まあ、少し昔のインドでも、厳しいカースト制度(現代ですら根強く残っていると言われている)の下で庶民が得られるものには、あまりに制限が大きかったことも、インドの聖者達の教えに影響していたのだろう。

だが、どんな時代、どんな環境であろうが、その状態になれば、引き寄せは自在である。
つまり、今を意識すれば思考は消えていき、引き寄せの力が高まる・・・と言うよりも、万能の力を持つ存在と一体化するのである。このことは、悟りを開いた現代型の聖者の方々も保証している。
そして、今を意識することは、スピリチュアル界隈では「今今メソッド」と呼ばれ、これを行うことで、比較的簡単、かつ、短期間(その場ということもある)に、決して小さくない引き寄せを行うことが、かなり一般的に知られるようになっている。
何かのきっかけで、不意に今に強く意識を集中させた者が奇跡を起こしたという話もあるが、人類の歴史の中には、無数のそのような例があるはずだ。

思考が消えれば不可能はなくなるが、そのための簡単な方法の1つが、今を意識する「今今メソッド」であるというわけだ。
今を意識すれば思考が消えるメカニズムは割と簡単だ。
思考というものは、過去や未来に依存し、今しかなければ、思考は活動することが出来ないのである。

詩人たちは、「新たな目」で見れば、何でも、見慣れたものでも、非常に美しいのだとよく言う。
いつも見ているリンゴやミカンも、新たな目で見れば、驚くほど美しくて感動する。
そんな時、意識は今にあり、思考は消えている。
だが、詩人だって、普段の生活があり、いつも、そんな状態に陶酔していることは出来ない。
ところが、実は、「常に」そんな状態にいることこそが、普段の生活を楽に快適にするのである。それも、自動的に。
「常に」は難しいが、暇な時間だけでも、今を意識することで、万能の真の自分と一体化していき、やがて引き寄せ自在になるだろう。








最も自然な引き寄せ

「私はこれこれである」と宣言した瞬間、その通りになる。
いかなるロクデナシであろうが、「私は」で自己主張する時は、人間はそんな力を持つ。
どんな願いであろうが、それで必ず叶っている。
だが、成ったと同時に、エゴがそれを否定し、元の、願いが叶っていない状態に戻る。
なぜそうなるのかというと、別に、エゴに凄い力があるのではない。
単に、あなたがエゴの想いを受け入れるからだ。
そりゃ、エゴは、1分に300のつぶやき、1日で数万の思考をするのだが、現代人は、それらのつぶやきや思考は概ね否定的であると考えられる。
そして、普通の人は、エゴの想いに同調する習慣がある。
それで、あなたの願望は簡単に否定され、あなたはそれに従う。

だが、一瞬は願いが叶っていることを知らないといけない。
その願いがいかに大きなもの、奇跡的なものであろうが、実際に実現している。
だから、あなたは、イエスと同じように、
「汝敗れたり。わが後方に退けサタン(エゴのこと)」
と言わないといけない。

そのためにはどうすればいいかというと、まず、次のような事実に注目したい。
それは、否定的なエゴを黙らせることが出来る者は、精神の変容が起こっているということだ。
そのために、瞑想をしたり、マントラを唱えたりの修行をする者も確かにおり、長期間、毎日長時間念仏を唱えていたら、ある朝、精神が変容していることを感じたといった記録をいくつか見たことがある。
政木和三さんは、小学5年生の時、毎日、腹式呼吸の練習をして、それ(精神の変容)を起こし、確かに万能になった。
ところで、このような方法でうまくいった人にもまた特徴があり、それは、かなりの苦境にあったということだ。

それで、楽な・・・というか、自然な方法は、どうせ自己主張すれば、一瞬でも願いが叶うのだから、それを何度もやることだ。
そうすれば、願いが叶った感覚を少しずつでも覚えることが出来、その感覚が強くなれば、エゴが否定する力が弱くなっていくのだ。
そして、いずれは、願いが叶った状態が自然になる。
たとえば、「私は金持ちだ」と思えば、一瞬で、自分が思うような意味で実際に金持ちになる。
その一瞬の感覚を、少しでも掴むのである。
最初は、すぐに、元の状態に戻るかもしれない。
しかし、諦めずに何度もやるのだ。
無理に連続して行うより、思い出した時に、気楽に一度ずつやると良い。
その際、実際に金持ちになったかどうか、確認してはならない。
本当に金持ちなら、自分が金持ちであることの確認なんかしない。
確認なんかしなくても、確信が起こる。
中学生は、自分が中学生であることに確信があるので・・・つまり、それが自然であるので、決して「私は中学生か?」と確認しないようなものだ。
「自然(ナチュラル)な」ということほど、疑いを起こさせない、肯定的で間違いのないことはない。
そして、上のやり方が、最も自然な引き寄せの方法であると思うのである。








願いが叶ったパラレルワールドに定着する

叶いそうにないような願望が叶うというのは、昔であれば、くすしき(不思議な)神の力ということで納得しなければならなかった。
今でも、そう考えて良い・・・というよりは、基本はそう考えるしかない。
だが、神の力を、ほんの少し、理屈で納得する2つの考え方がある。
1つは、この世界が、コンピューターが作った三次元ゲームのような仮想世界(メタバースとかシミュレーテッドリアリティなどとも言う)であるのだから、コンピューターゲームが基本的にプログラム次第でどうにでも変わるように、この世界も、どのようにでも変えられるというもの。
もう1つは、無限の数の宇宙が存在し、想像出来る世界(宇宙)は全てあり、新しい世界を想像すれば、その新しい世界が即座に生まれるのだが、我々の魂は瞬時に別の宇宙(世界)に移動することが出来、実際に頻繁に移動しているので、願望が叶っている世界に行けば願望が叶ったことになるというものだ。
この同時に存在する無数の宇宙(世界)をパラレルワールド(並列宇宙、並行宇宙)と言う。

どちらが正しいのかというと、両方正しく、世界(宇宙)は人間の知性を超えたシステムなので、明確な仕組みは理解出来ないが、上の2つとも同時に成り立つのだと思われる。
だが、我々が引き寄せについて考える場合、いずれか一方に注視して考えた方が分かり易い。
そして、どちらで考えても、理解の及ぶ範囲で言えば、ほとんど変わらない。
つまり、「なぜか分からないがそうなる」のである。

パラレルワールドとして引き寄せを簡単に理解したいなら、私はいつも、筒井康隆さんの短編小説『果てしなき多元宇宙』をお奨めしている。
私は中学1年生の時にこれを読んだが、考えなくても直観的に理解出来た。
このお話の中で、主人公の暢子は、普通の美少女だったが、自分が一重瞼の世界から二重瞼の世界に移動して、より美少女になり、さらには、もっと超絶美少女になって、自分が超人気タレントの世界に移動する。
そして、こういったことは現実でも起こり得る。
『果てしなき多元宇宙』は、角川文庫の『時をかける少女』に同時収録されている。
この角川文庫の『時をかける少女』の本は、『果てしなき多元宇宙』もだが、他に収録されている2編を含め、同時収録作品の方が面白いと思う。

引き寄せに関しては、『果てしなき多元宇宙』のように、パラレルワールドで考えた方が分かり易い面があると思う。
パラレルワールド式の引き寄せを考える際、「どうすれば、望むパラレルワールドに移動出来るのか?」と考える。
しかし、そんなことを考える必要はない。
なぜなら、願った瞬間に、それが実現したパラレルワールドに「実際に」移動しているのだからだ。
高嶺の花である学園のマドンナを彼女にしたいと思ったら、その瞬間に、そうなっているパラレルワールドに移動している。
だが、多くの場合、願いが叶っているパラレルワールドに移動すると同時に、そうなっていないパラレルワールドに移動してしまうのだ。
なぜそうなるのかというと、願いが叶ったパラレルワールドが、よそよそしく感じる・・・とにかく、しっくりこないのだ。
この「よそよそしく感じる」「しっくりこない」のことを「波動が合わない」とか「周波数が合わない」と言う場合が多い。
では、どうすれば、願いが叶ったパラレルワールドに定着出来るのだろう?
それは、逆に考えれば良く、願いが叶ったパラレルワールドを、「よそよそしく」あるいは「しっくりこないと」感じない・・・つまり、自然に感じれば良いだけだ。
まあ、「波動を合わせる」「周波数を合わせる」とも言うのだが、それはすなわち、「自然に感じる」ということだ。
よく、「お金持ちになったと思い、気分が高揚すると、お金持ちになった世界と周波数が合う」みたいなことを言う人がいるが、それはおかしい。
なぜなら、お金持ちは、自分がお金持ちであることに気分が高揚するわけではないからだ。
お金持ちは、自分がお金持ちであることが自然であり、そのことでいちいちワクワクしたり興奮したりはしない。
だから、自分がお金持ちであることを自然に感じるよう、アファーメーションなどで、心を変化させるのも1つの方法であるが、これがなかなかうまくいかない。
ところが、アファーメーションでうまくいく場合がある。
それは、そのアファーメーションが、自分の心にとって自然であることだ。
だから、「お金がどんどん入ってくる」ではななく、「なぜか知らないが、お金がどんどん入ってくる」というアファーメーションを使えば良いと言う人がいて、それでうまくいく人も確かにいる。
しかし、単に、「お金がある」という、アファーメーションとも言えないような言葉の方が自然で、実際、この言葉を口ぐせにしていたら、低収入の状態から、全く苦労せず資産3憶円になったという女性もいて、彼女も、自分の成功は、この口ぐせのおかげとしか思えないと言っているようである。

だが、何度も願望が叶ったパラレルワールドに行くと、だんだんその世界に慣れ、自然に感じるようになるので、何度でも願い、そのパラレルワールドに行くのが良いと思う。
普通の人は、しつこく願わないので、自然に感じるまでになれないのだ。
ただ、あまり熱く願うのではなく、さらりと願うことが、願望が叶った世界を早く自然に感じるコツである。
願い方に関しては、これまで何度も書いたので省略するが、また書くだろう。
まあ、基本は「私は金持ちだ」「あの子は私の彼女だ」と宣言すれば良いのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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