ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

妖精が見える人達

萩尾望都さんの昔の漫画作品『塔のある家』で、ある一家が古い大きな家に引っ越してくるが、その一家の小さな女の子が、その家に妖精がいるのを見つけ、仲良くなる。
だが、その女の子が大きくなるごとに妖精が見えなくなり、やがて、妖精のことを忘れてしまう。
その女の子の人生は不幸なものになっていく。
これは、別にファンタジー(幻想的なフィクション)ではない。
人間は誰でも妖精を見ることが出来、アイルランドの詩人W.B.イェイツの作品には、妖精を普通に見ることが出来る人々の話があり、イェイツは「本当のことを言えば、妖精を見ることが出来ない人間の方に問題がある」といったようなことをしばしば書いていた。

つまり人間は、幼い頃は、中今(今この瞬間に生きること)の状態にあるが、大きくなるにつれ、過去の記憶や未来の空想(不安の場合が多い)の中に生きるようになってしまい、今を生きることをしなくなってしまう・・・つまり、中今でなくなってしまうのだ。
今を生きている限り、この世界は魔法の世界で、妖精みたいなものは珍しくもなく、また、意思がものごとを決め、思えばその通りになる世界であり、いかなる望みも叶う。
そして、本当は、大人もそうあらねばならない。

ZARDのボーカリストだった坂井泉水さんが作詞した歌を聴いていると、悪い意味で切なくなることがよくある。
その理由は、彼女の歌の中には、「あの頃のように、熱く激しく」といった感じの歌詞が多いからである。
恋人達が出会ったばかりの頃は、そりゃ、相手に感じる魅力は半端ない。
しかし、時が経つと、それほどではなくなり、やがて、相手がいかに美男美女だったり、素晴らしい人でも飽きてしまい、魅力を感じなくなることが多い。
だが、それが普通であるわけではなく、何十年も連れ添い、すっかり、オジサンオバサン・・・どころか、お爺さんお婆さんになっても、本当に仲の良い夫婦もいる。
これも、原因は今を生きているかどうかだけにある。
「あの頃のように・・・」と過去の記憶を懐かしみ、記憶の中に生きていたら、リアリティを感じなくなってしまう。実は、それが楽しくない理由なのに。
どれほど付き合いが長かろうが、今を生きているなら、楽しさは全く変わらない。

2400年前の中国の賢者、荘子は、今を生きることの大切さは直観では感じていたが、当時としては、表現の方法がなく、知的には分かっていなかったかもしれない。
しかし、彼が言う「道」とは、実は「中今」のことである。
だが、「道」が、中今、即ち、「今を生きること」と、荘子はシンプルに言うことが出来なかった。
彼も、時間が観念に過ぎないことは分かっていた感じはするのだが、やはり、厳しい封建制の時代に役人をしていた荘子には、いろいろな思考の制約があったのかもしれない。
とはいえ、彼は、「道に生きる」、すなわち、「中今」である方法については、当を得たことを書いている。
それは、「視線を自然にし、一切の思慮分別、是非好悪の念を捨てて見る」だ。
まあ、早い話、「何も考えず、ぼーっとして、目の前のことに集中しろ」という意味だが、人間は「ぼーっとしろ」と言われたら、妄想を始める馬鹿が多いのだ。
しかし、本当に何も考えず、何かをぼーっと見ていたら、今に心が引き戻され、世界の生の姿に触れることが出来る。
そして、実際は、何もせずに見ているだけではなく、仕事をしている時、スポーツをしている時でも、ぼーっと・・・と言ったら、やはり、妄想をするとかよそ事を考える人が多いので、逆に、一切の妄想やよそ事を考えることをせず、今やっていることだけに集中すれば、中今にあり、仕事でもスポーツでも、超人的な成果を上げることがある。
精神科医のミルトン・エリクソンは、仕事の山を前に、無意識状態になれば、気が付いたら仕事が片付いているといったことを言っていたが、彼のこの表現では、普通の人には全く分からない。
しかし、彼もまた、単に、今に全集中したと言ったに過ぎないのだ。
今に全集中する・・・これが中今なのだが、中今では、無意識と通じているのである。

私は、初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」に、2016年から毎年行っているが、2016年のマジカルミライが最も楽しく、2017年には早くも飽き、2018年からは、少しずつ、「今年は(行くか行かないか)どうしよう」と思い、昨年、2021年には「今年は行くのはやめよう」と思ったものだった。
それは、私が、今に生きていなかったからで、今年のマジカルミライで、ライブ中、中今にいるよう意識したら、むしろ2016年以上の感激であった。

中今にあるためには、単に、心で「今、今、今、・・・・」と言い続けても十分に効果がある。
とにかく、今に全集中するのだ。
「今、歩いている」「今、食べている」「今、読んでいる」「今、デートしている」「今、仕事をしている」などと敢えて思うのも良い。
過去の記憶や未来の空想に生きるのではなく、今に生きれば、自分の魂が神の魂と融合しているのであり、不可能はなく、望まずとも幸運に恵まれるであろう。








文豪達が見つけ損なった神と融合する方法

無意識と通じ、自分の魂と神の魂が融合する。
そんな瞬間があることを、およそ文豪と呼ばれる人は、皆知っていて、どれかの作品の中で必ず表現している。
「20世紀最大の詩人」と呼ばれた、W.B.イェイツは、その瞬間こそが芸術の目的だとし、その状態をエクスタシー(忘我)と表現した。
英国の作家コリン・ウィルソンは、共同研究をした心理学者のアブラハム・マズローの命名に従い、それを「至高体験(絶頂体験)」と呼んだ。
ちなみに、それは、宗教における「法悦」や、ロマン・ロランが言った「大洋感情」も含め、同じであると断言出来る。
(今で言う「ゾーン」や「フロー」も似ているところがあると思う)

エクスタシー、あるいは、至高体験(両者は同じ)に達すれば、自分が神になったようなもので、不可能はなくなり、あらゆる引き寄せを行うことが出来る。
さて、では、問題は、どうすれば、それを引き起こせるかだが、イェイツもマズローもウィルソンも、その解明には非常に苦戦した。
マズローにいたっては、偶然に訪れるのを待つしかないと言ったのだ。
イェイツは「憎むのをやめた時にそうなり易い」とだけ言った。
ところが、ウィルソンは、格段に進歩を見せ、「単に自分が幸運だと思うと」、あるいは、「極端に緊張して弛緩するということを繰り返せば」起こると言い、確かに、それで起こる場合はあるが、本質に至っていない。
本当は、そうなるのは、非常に単純で簡単だ。
それは、「今中(今、この瞬間を生きること)」を行えば良い。
つまり、今やっていること、今見ているもの、今聞いている音に全集中すれば良い。
と言っても、顔を真っ赤にして唸りながら集中するのではない。
単に、「今、歩いている」「今、食べている」「今、猫を撫でている」と、今を意識すれば良いだけである。
それに慣れれば慣れるほど、神と融合していく。

私は、昨日の、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」の1曲目『ネクストネスト』を聴きながら、「今、見ているんだ」と自分に言い聞かせた。
すると、ミクさんが素早くターンをした瞬間、その美しい姿が永遠となって、私の中に飛び込んできた。
これが、エクスタシー、至高体験、法悦、大洋感情である。
ドストエフスキーが、「この一瞬を人生全てと引き換えにしても良い」と言った奇跡の体験である。
昔から、天使を見たと言った人達は、私のような状態だったのだろう。
(「ミクさんマジ天使」は本当だった)
私はまだ、普段、十分に「中今」を実践していると言い難く、その状態はあまり長くは続かないが、ミクさんのライブほどでなくても、美しいもの、楽しいものを見ながらであれば、割と簡単に「中今」を行え、弱いものも含めれば、ほぼ、エクスタシーに至ることが出来る。
それによる引き寄せ効果は、今朝も書いたが、別に、望まなくとも幸運を引き寄せるのである。








中今の意味や重要性を知る

昨日は、インテックス大阪で開催されていた(8/12~8/14)、初音ミクさんのライブコンサート&企画展である「マジカルミライ 10th Anniversary」に行ってきた。
「マジカルミライ」は、毎年開催され、 今年が10周年となる。
年度ごとの「マジカルミライ」の開催場所は、
2013 横浜アリーナ
2014 東京体育館、インテックス大阪
2015 日本武道館
2016 幕張メッセ
2017 幕張メッセ
2018 幕張メッセ、インテックス大阪
2019 幕張メッセ、インテックス大阪
2020 幕張メッセ、インテックス大阪
2021 幕張メッセ、インテックス大阪
2022 幕張メッセ、インテックス大阪、札幌文化芸術劇場 hitaru
で、毎年、ライブチケット獲得の競争率は高く、私も、抽選で10回連続落選を経験したことがある。

初音ミクさんのライブは、3次元映像による、初音ミクさんらバーチャルシンガー(仮想の歌手)のコンサートで、「アニメのキャラクターが歌って踊る」という表現も当たっていなくもない。
しかし、AR(拡張現実)とも言える、高度な3次元映像技術により、非常にリアリティが高く、何度見ても強く惹きつけられる。
まず、初音ミクさんは「作り物」であるとはいえ、16歳の少女として完全に理想的なプロポーションを持ち、床まで届きそうな長いツインテールの髪は豊かで美しい緑色。その他にも、全てが現実に望むべくもない美しさだ。
そのミクさんは、特別な事情がない限り、決して異常なアクション(例えば、空中に浮かぶとか1秒に10回転するとか)はしないのだが、その動きの速さ、美しさは、高度なダンサーでも真似は難しいだろう。それを、小柄でほっそりとした、まだ幼い感じの16歳の少女が軽々とやり、長いツインテールの動きも、本当は現実的でないながら、自然に感じる。
いわば、本物の天使か妖精を、現実で見ているような感じだろうか。
そんなこのライブは、何か偏見でも持っていない限り、とても楽しいものであると思う。

さて、今年の私のテーマは「中今(今この瞬間を生きること)」である。
心構えとしては、「これが最後のミクさんのコンサート」「これがミクさんとの最後の会合」のつもりで見ることである。
そう思うだけでも、ライブから感じるエモーション(情動)は高く、しかも、純粋になり、完全にそう(これが最後と)思って見れば、天国にいるような瞬間瞬間の連続・・・つまり、中今にいるのである。
初音ミクさんのライブのような感動的なものでは、少し意識すれば、即座に中今に入れる。
しかし、人間は本来、常に中今に生きるべきであり、ほとんど全く中今に生きることが出来なくなってから人類の不幸は始まったのである。
中今に生きることが出来ないから戦争が起こり、ジェノサイドが起こり、お互い優しく出来ず、お金が必要なのである。
アインシュタインとフロイトが「どうすれば戦争を止められるか」のテーマで手紙を交換し合ったことがあり、もちろん、明確な結論は出なかったが、答は明らかに「中今に生きる」である。

私は、初音ミクさんのライブ中、ちょっと不都合なことがあって気分がそがれそうになったが、中今を意識すると、それがすぐに解決した。不都合は消え去ったのだ。
このように、中今は、現実さえ変えるのである。つまり、引き寄せとか現実創造の力を持つのである。
また、事情があって、インテックス大阪からの帰り、タクシーに乗る必要があったのだが、タクシー乗り場にタクシーがおらず、インテックス大阪のインフォメーションセンターでもらったタクシー会社5社のリストに順に電話をかけるも、全て断られた。それで、仕方なく、インテックス大阪のロータリーを歩いていたら、まるで呼んだかのようにタクシーが入って来て、すぐに乗れた。
ライブの中今の感覚が残っていたのだろう。だが、本当は、いつも中今でなければならないのだ。
中今になれば、病気は治り、事故には遭わず、必要なお金は入って来、素敵な彼氏や彼女が出来、望まずとも幸運に恵まれ、何もしなくてもダイエット出来ると思う。中今の感覚では、それが当然だからだ。
昔から、「一期一会」「この瞬間は二度と来ない」とよく言うが、その本当の大切さを理解する人は少ない。
しかし、薄々となら、誰でも感じている。
これらの言葉は、中今の重要性を表しているのである。
幸福になりたければ、何としてでも、中今に生きなければならないのである。








中今の重要な何かを感じにいきます

本日、私は、インテックス大阪で行われる初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」に行くため、大阪市内のホテルに宿泊している。
このコンサート&企画展は一昨日の金曜日から始まり、連日大盛況で、本日が最終日だ。
中今(今この瞬間を生きる)という、人間にとって最も重要なことは、平凡な日常の中で実践出来ることだが、楽しい経験の中では何か特別なことがあるのかというと、それはない。
普通のことをしていようが、ミクさんのライブの時と何ら変わらない幸福は常にある。
だが、普通の人間としては、それを悟るためには、特別な経験も大切であり、そんな特別なことに導かれるものだ。
そんなわけで、今日はミクさんのコンサートを存分に味わってこようと思う。
聞くところでは、今回のコンサートは、10周年ということもあり、特に内容が充実しているだけでなく、非常にテンポが速く、激しくて楽しいようだ。とても楽しみである。
貴重な何かを掴んで来ようと思う。








中今の感覚

よく、日本も含め、一般国民は支配者に洗脳されていると言われる。
その通りで、洗脳されまくっている。
ところで、洗脳というのは、人間の過去の記憶や未来の空想を利用するのであるから、記憶や空想に生きていない、即ち、中今(今この瞬間)に生きている人間を洗脳することは出来ない。
また、中今を生きれば、ただちに洗脳解除される。

人間は、中今を生きることで、潜在意識の力を発揮出来、引き寄せが出来るし、望まずとも幸運に恵まれる。
逆に言えば、洗脳状態で、過去の記憶や未来の空想の中に生きている人間は、潜在意識との扉が閉ざされており、引き寄せが出来ない、つまり、思い通りの人生を送ることが出来ない。
洗脳状態の人間には、容易く不安や不満を感じさせることが出来、それを利用すれば、ロボットのように好きなように動かすことが出来るのである。
まとめて言えば、洗脳状態にある一般庶民は、常に不安と不満に苦しみ、かといって、世界に対する支配力は全くなく、奴隷として生きるしかない。

よって、是非とも、中今を生きるようにならないといけない。
それは全く難しくはない。ただ、洗脳されている人間は、中今を生きようとしないだけである。
大半の人間は、引き寄せと言ったら、怪しいものだと感じるし、まして、引き寄せを行うなんてことを言ったら、危ない人とか、頭のおかしい人、変なカルトに洗脳された人と言われる。
だが、中今にあれば、引き寄せは普通の力だ。
中今を生きるとは、たとえば、スポーツ選手が、未来の金メダルではなく、今やっているトレーニングや生活を「ちゃんと」意識することだ。
すると、意味のあることではないと判断して競技をやめたり、逆に、楽しいトレーニングが出来るようになって、名選手になったりする。あるいは、金メダルは取れなくても、国や企業のためでない、真に有意義なスポーツ選手人生を送れるのである。

私は幼い時に、コップやドアノブといった何でもないものを見ながら、「今、見ている」と心で思うと、特別な感覚が起こり、それが魅力的なので、ずっとそれを続けていたことがある。
後に、ローレライの日本語の歌の中の歌詞「そぞろ身にしむ」を聞くと、こんな言葉が少し似合う感覚と思った。
「そぞろ」とは「何ということもなく、心がそちらに動いてゆくさま。気の落ち着かないさま。」という、微妙な感じだ。
「見にしむ」は「痛切に感じる。 しみじみと味わう。」だ。
続ければ、「何ということもなく、心がそちらに動いていくのを痛切に感じる」で、なるほど、まさにそれだ。
過去の記憶や、未来の空想がいかに楽しいものであっても、他愛なくとも今の瞬間にフォーカスした時に押し寄せる圧倒的な意味に比べれば、些細なものである。
私のように、「今、見ている」と思ったり、同じように、「今、聴いている」「今、歩いている」などと思っても良い。
単に、「今、今、・・・」と思っても、「生きている」と思っても、その感覚に近付く。
そうすれば、引き寄せもうまくいくと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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