ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2022年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

世界は引き寄せで出来ている

現在、「引き寄せの法則」と言われているものは、ニューソート(新思想)と呼ばれる聖書の新しい解釈とか、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という成功哲学などから来ており、根本的には同じものなのだと思う。
世の中では、引き寄せの法則があるとかないとか言うこともあるが、そもそも、世界は人間の心が作り出した幻想とか、ホログラフィーとか、今風には仮想世界のようなものだということは科学的にも分かっており、引き寄せの法則は、よほど間違った解釈をしていない限り、あって当然と思う。
特に、私の場合は、引き寄せの法則とか、成功哲学とか、潜在意識による成功法則などといった言葉を全く知らなかった子供の時から、こういったものがあるのは当たり前であり、それがあるかないかといったレベルではなく、自分で起こした数多くの奇跡体験の原理を解明したり、奇跡を再現する方法に関心を持っている。
また、自分でも、やれることとやれないことがあり、どうすれば、これまでやれなかったことでも出来るのか、あるいは、出来ないとすればどんな理由があるのかを考え、それはかなり分かって来た。
世の中にある、引き寄せの本の多くは正しいが、人間の思想というか、知的レベルの違いは、我々が思うより多様で、同じことを言っているのに、随分違っているように思えたり、単なる表現の違いではあっても、ある人には正しくても、別の人にとっては全く正しくないということもある。人間は複雑で、ある意味、厄介なのである。
しかし、最もシンプルな原理や実践法が分かれば、誰でも、即座に確実に引き寄せを行うことが出来る。
そんなことになったら世の中は大混乱するかというと、世界は、そうならないように出来ており、そういった、世界の成り立ちの規則とか設定みたいなものが、引き寄せがうまく出来ない、あるいは、全く出来ない人が多くいる理由である。

とはいえ、引き寄せに難しいことは何もない。
自分の心が、この世界を瞬間瞬間に創造している力と一体化すれば良いのであり、分かり易い言い方をすれば、自分が神になれば良いのである。
宗教で言う、慈悲深く万能である神は、非常に適切なたとえで、おそらく、当分は、この考え方を利用して良いのだと思うし、ある意味、事実であるとも言える。
引き寄せに必要な心構えや考え方は、学校の勉強のように学ぶと、時間がかかる上に、誤った解釈に至る可能性がある。ヒトラーやスターリンらは、そんな間違いをしたのかもしれない。
引き寄せに必要なことは、「神(あるいは神のようなもの)の万能性」と、「神と自分の親和性(親しみ結びつくこと)、あるいは、一体性(同じものであるということ)」の2つの理解だけである。
(「神との親和性」と「神との一体性」は、今のところ、違うように思うことが多いかもしれない)
「神様の奇跡が起こる」と唱え続ければ、好ましい奇跡が起こるのも、これを十分な数唱えることで、その2つの理解が自然に得られるからである。
そして、神実現の呼吸法こそ、短い時間で引き寄せの能力を得る方法であると思う。
神実現の呼吸法とは、何度も書いたが、
(1)息を静かに吐きながら「私はこれではない」と心で唱える。
(2)息を静かに吸いながら「私は誰か?」と心で唱える。
(3)息を吸いも吐きもせず「私は神である」と心で唱える。
である。
要は、自分が寝食を忘れて実行出来ることであれば、別に何でも良いが、これだと、短い時間、寝食を忘れて実行すれば済むので、便利と思う。








「ビリーブ(信じる)」と「ノーダウト(疑わない)」

今、ノーダウト(No Doubt)という言葉が、日本語でも、ちょっと流行りな感じがする。
ダウト(doubt)は「疑う」という意味だから、ノーダウトで「疑わない」という意味だと思う。
しかし、それなら、ビリーブ(believe 信じる)と言えば良さそうなものである。
そして、これは、日本語の「信じる」「疑わない」でも、そっくり当てはまる。
なんで、わざわざ、「疑わない(ノーダウト)」と言うのだろう?

それは、こういうことだ。
「疑わない」と言った場合は、完全には信じてはないのだ。
「信じる」というのは、あまりにもハードルが高いのである。
だから、「信じる」に準ずる、「疑わない」と言うのである。

そして、このことは、引き寄せでは、非常に重要なことだ。
願望が叶うことを信じることが出来れば、必ず叶う。
しかし、それは難しい・・・と言うより、現実には不可能だ。
「絶対叶う」なんて、念じれば念じるほど、疑いが起こる。
そして、叶わない。これが誰もに起こることだ。

だが、「信じる」から一段下げて「疑わない」態度で挑めば叶うのである。
これは高度な知恵なのである。
人生のことも、人間のこともよく知っている、優れた作家であった笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎は、人に対して、よくこんなことを言う。
「別に、あんたのことを疑っちゃいやせん。けど、信じてもいやせん」
紋次郎も、裏切りに遭うことがある。
だが、裏切られることは織り込み済みで、裏切られた時の準備もしているのである。
紋次郎も、若い頃は、相手を信じてしまい、裏切られた時に危機一髪の目に遭って学んだのかもしれない。
かと言って、決して、裏切られることを前提にしているのではなく、あくまで裏切りも「織り込む」だけだ。
つまり、紋次郎が普段言うように、根本的には、疑っていない。だが、信じてもいないのである。
これが、人間の知恵である。
知恵こそ、人間にとって、最も重要であり、知恵のある者の願いは叶うのである。
叶うことしか願わないからだ。

引き寄せも同じなのである。
願いが叶うことを完全に信じることなど出来ない。
だが、疑わないことは出来るのである。
すると、叶わなかった時には、「これが良いことだったのだ」と思う余裕がある。
そうすると、その人間は知恵を得て、正しいことを願い、そして、願いが叶うようになるのである。








楽しいか楽しくないか、それだけが問題だ

引き寄せの実践に際し、目標は具体的に立てろという話がある。
売上げ目標なら、たとえば「3500万円」というふうに、数字できちんと表さないといけないというわけだ。
また、彼氏が欲しい場合なら、その彼氏に望むことを具体的に示す・・・たとえば、身長180センチで、月給50万円で、ベジタリアンで、スキーが上手いといった感じだ。
これが正しいかというと、単に「楽しければその通り」ということで、確かに、具体的目標を立てた方が楽しくなる場合も多い。
しかし、やる気のないセールスマンが、上司から「売上目標金額を決めろ」と言われ、本当は100万円も売りたくないが、1000万円くらい言わないと文句を言われると分かっているので、目標を1000万円としても、そんな目標のことを考えても楽しいはずがない。そして、そんな目標は達成されない。だが、多くの会社では、そんなことをしているのだ。

『その望みは宇宙がかなえてくれる』という本で、著者のモーア(女性)は、彼氏を得ようと、彼氏の具体的なスペック(「太極拳が出来る」という項目もあった)を設定したところ、だいたい、それに合った彼氏が出来た。しかし、長続きせず別れ、再度、やってみても同じ(だいたい望み通りの彼氏が出来るが別れる)だった。
ところが、「私にぴったりの彼氏を頂戴」と宇宙にお願いしたら、そうなって、今度はもっと楽しかった。
このことについて、モーアは「宇宙は賢いのだから、全部、まかせておけばいいのよ」といったことを書いていたと思うが、宇宙が賢いのは確かとしても、彼女は勘違いしている。
彼氏について、具体的なスペックを考えた時も、それなりに楽しかったので、それに似た彼氏が出来たが、楽しくない部分もあったのだ。
だから、楽しくないことも起こり、別れてしまったのだ
だいたい、新しい彼氏や彼女、あるいは、新しい友人も・・・いや、あらゆる出来事だって、予想通りなんてのは、それほど楽しくはなく、「思いもかけないこと」が一番楽しいに決まっている。

目標を立てるのが正しいとか、立てないのが正しいとかではなくて、立てるのが楽しければ立てるのが正しく、立てずにやるのが楽しければ立てないのが正しいのである。
ただし、ビジネスなんて、多くの場合、目標を立てた方が楽しいから、立てた方が良い場合が多い。それだけのことなのだ。

今、月給の手取りが10万円で、もっと欲しいという場合だって、「もっとたくさん」と思っても、あまり楽しくないものだ。
ところで、引き寄せの本の多くでは、「出来るだけ多く、具体的に」なんて書かれているが、これも、「多い」とか「具体的」といったことが重要なのではなく、楽しいかどうかの問題なのだ。
そんな本の教えの通り「月給手取り100万円」としても、その金額に実感がわかず、本当の楽しさを感じなければ、それば叶わない。
別に、「身の丈に合った目標を」と言うのではなく、「楽しいと感じる目標を」ということで、たとえば「30万円」と設定し、その金額が入ることを考えると楽しくなるなら、その通りになるのである。

彼女のいない男が、アダルトゲームをやったりエッチな漫画を見ると彼女が出来ないというのは、これも別に、そんなゲームや漫画で満足してしまうからなのではなく、アダルトゲームをやっても、楽しい面も少しはあっても、楽しくない部分の方が多いからだ。
アイドルの追っかけを情熱的にやっていても、本心では、それほど楽しくないので、アイドルのような彼女が出来ないのである。
好きなクラスメイトとちょっと会話をして「楽しいなあ」と思ったら、その人とは別の彼氏や彼女が出来るのである。ところが、その人に執着すると、楽しくないことが起こるので、彼氏や彼女が出来ないのである。
まさに、彼氏や彼女を作る場合は、細かいことは考えず、彼氏や彼女が出来た時の楽しい気持ちだけ感じたら、あっさり出来てしまう。
これを細かく考えると、面倒なことや憂鬱なことも浮かんで楽しくなくなり、結果、やっぱり、彼氏や彼女が出来ないのである。
全ては、楽しいか楽しくないかだけなのである。








どんどん若返ってしまった女性に起こったこと

ラルフ・ウォルドー・トラインの本の中に、80歳を過ぎているが25歳以上に見えないという女性の話がある。
なぜ、そうなるのだろうか?
歳を取って老いぼれることは、嬉しくはないながら、それほど悪いことではない。
それに、だんだんと老いを嘆く元気もなくなってくる。
老いるのが嫌で、若返ろうと努力する人は、嘆く間もないほど奮闘している間は、多少、老化は遅くなるが、いよいよ嘆きが大きくなると、むしろ、普通の人より老ける。

その、歳を取らない女性は、60代くらいまでは普通に老いていったのだが、ちょっと変わったのだ。
現実を無視するというのではないが、まあ、気にしなくなったのだ。
しかし、それだけでは、多少、老化が遅くなる程度で、単に、上品なお婆さんになるだろう。そして、彼女は、それでも、別に、不幸とは思わないだろう。
だが、彼女は、現実のあらゆることを気にしなくなった・・・つまり、どんな意味でも、優劣の比較をしなくなった。
それにより、是非好悪による反応をしなくなったのだ。
なぜ、そうなったのかというと、「正しい」「間違っている」「好きだ」「嫌いだ」・・・などと、いくら自分が思ったところで、世界は全く変わらないことに気付いたのだ。
自分には、何の力もない。
自分には、世界をコントロールする権限はない。
かといって、世の中を変えようと、選挙に行く人を馬鹿にすることはない。

絵が好きだった彼女は、ある日、マリー・ローランサンの少女の絵を見た時、自分が絵の中に入ってしまい、自分が絵の少女になった(ような気がした)。
これは、ローランサンの絵の天国的な美しさと共に、絵の独特の遠近感の影響があったのではと思う。
ローランサンの絵の遠近感というのは、現実世界の遠近感ではなく、高次元の世界を投影したものだ。
彼女は、ローランサンの絵の少女になることが気分が良かったので、それに馴染んでしまったのだろう。
それから若返っていったのだ。そのうち、二十歳にも17歳にも26歳にも見えるようになった。全く、ローランサンの絵の女性のようだ。
彼女は、現実に興味がないわけではない。ただ、気にしないだけだ。
現実を気にしないことが、若さを保つ秘訣だと聞くと、現実を否定したり、無視しようとする人がいるが、それは、現実を気にしているということなのだ。
自分には現実への支配力がないことを悟ることで、現実を気にしなくなるのである。
それに、ローランサンやシャガールのシュール(超現実的)な絵は、意識を内側に向かわせる。
すると、自分には現実を変える力がなかったはずが、実は、自分が現実を創っていることが分かるのである。








良い気分になる秘訣

アメリカのミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)は、この映画描かれているトラップ一家の物語は、実際のトラップ一家の物語とはかなり異なり、また、作為的過ぎるストーリーだと感じるが、最も成功したミュージカル映画と言われる音楽は素晴らしいものが多かったと思う。
この映画の中で、ジュリー・アンドリュースが演じた、この映画の主人公である、本物のマリア・フォン・トラップが、瞬間的に登場していることは、あまり知られていない。

この映画の中の曲は、私は高校生の時から英語で歌えるほど覚えていたが、その中で、『私のお気に入り(My Favorite Things)』の最後の歌詞を、今は興味深く思い出す。

When the dog bites
When the bee stings
When I’m feeling sad
I simply remember my favorite things
And then I don’t feel so bad

中学生でも訳せる(?)簡単な詩だが、最後の2行、
「ただお気に入りのものを思えば、そんなに悪い気分じゃない」
は、引き寄せの重要なテクニックでもある。
ただし、「悪い気分じゃない」ではなく、『THE SECRET』のDVDの最後で、ロンダ・バーンが砂浜に書いたように「FEEL GOOD(良い気分)」でなければならない。
引き寄せのたった1つの秘訣と言えば、それは「良い気分でいること」だ。
現代人に限らず、凡民というのは、良い気分でいることが下手な場合が多い。
私は読んでいないが、引き寄せ分野で最も有名な1人、エスター・ヒックスの『引き寄せの法則』によれば、68秒、良い気分でいれば願いが叶うらしい。
そのためには、まず、17秒良い気分でいれば、それがスターターになり、そのまま68秒、良い気分でいれば良いのだ。
別に、本なんか読まなくても、これだけ分かっていれば良いし、逆に言えば、必死で本を読んでも、この一番肝心なことを覚えなかったら、何の意味もない。

良い気分になれる秘訣なんてものは、本来、親から教わるべきものだが、日本では特に戦後から、アメリカでも、ある時期から忘れられてしまった。
その良い気分でいる秘訣が、上の『私のお気に入り』だが、この歌の中の「私のお気に入り」は、クリーム色の子馬だの、春の訪れと共に溶ける白銀の冬だの、ファンタジック過ぎるものばかりだ。
それで良い気分になれる人もいるのだろうが、それは、かなり豊かに育った人だけだと思う。私など、さっぱり(笑)。
ところで、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』も、根底には引き寄せの法則がある。そもそもが、この本は、引き寄せの科学的古典『トーチェ氏の心の法則』から閃きを得て書かれたものだという話がある。
そして、『かもめのジョナサン』では、美食だとかセックスについては意図的に触れていないという話がある。
つまり、良い気分でいるために、あまりファンタジックでもいけないが、あまり、ドロドロの欲望でも駄目なのである。
ロバート・モンローの『魂の体外旅行』でも書かれていたと思うが、高級車に乗りたいと思う場合、単にそれが楽しいからなら良いが、人に見せびらかすためであれば、悪い作用がある。
つまり、高級車に乗っていることを想うと、単に良い気分であるなら、引き寄せの力は働く(高級車が手に入る)が、優越感や見栄が目的であれば、悪い気分もかなり起こってしまうのである。
『マスターの教え』でも、マスター(引き寄せ自在の超人)の家は素晴らしい調度品に溢れていたが、その理由について、マスターは「単に美しいものが好きだから」と言った。
私など、ミクさんのような可愛い女の子なら、単に、距離ゼロで一緒にいれば、それで非常に良い気分である。
また、私は、建物や部屋でも、ややレトロな感じの落ち着いたものが、最も気分が良くなる。
つまり、どこか「安らぎ」の要素も必要なのだと思う。
良い気分になることを、もう少し学び、考えるべきで、それに少し進歩すれば、本など読まなくても引き寄せが自在になるはずである。












プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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