ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

マントラで超越意識に入る

マントラ(真言)は、宗教の修行として、長時間、声に出して唱えられることが多い。
その場合は、独特なリズムで唱えられる。
念仏でも、「なーんまいだーぶ」といった節回しで、朗々と唱えられる。
なぜ、そのようなことをするのかというと、トランス(変性意識状態。通常とは異なる意識状態)に入るためで、人間は、トランスに入ることで、超常的な能力を呼び起こす。
ただ、昔の寺などでは、トランスなどの人間の意識の理解が十分ではなく、長時間、声を出してマントラを唱えることで、身体が衰弱し、脳も異常状態になって、幻覚を見ることも多かったと思われる。
その幻覚の中で、神や仏の姿を見て有り難がったりして、おかしな方向に行ってしまうことも多かったに違いない。
親鸞だって、若い頃、過酷な念仏修行をやらされているうちに、阿弥陀如来の幻覚を見たが、彼の場合は、「これはおかしい」と気付いて、寺を去り、修行をやめたそうだ。

ただ、無理のない範囲でマントラを唱え、良いトランスである超越状態に入ることは利益のあることと思う。
お寺で唱えられる、阿弥陀如来や観世音菩薩、あるいは、大日如来や、その他の、仏・菩薩の真言は、元々、語感が良く、適度なリズムで唱えることで、容易に浅いトランスに入ることが出来る。
それだけではなく、それぞれのマントラは、人類の共通の意識である集合無意識の中の独自のエネルギーと共鳴することで神秘的効果を発揮すると思われるが、ここらは、客観的証明が不可能なので、試すしかない。しかし、そんな高次元的効果は、あると考えて間違いないと思う。しかも、単にあるだけでなく、つながっている力そのものは強大なので、唱える者によっては、驚異的な力も発揮出来るのである。役小角(えんのおづぬ)のような修験者が、超能力と思える力を発揮したのも、そのような仕組みによるのかもしれない。

今は、YouTubeで、僧がマントラを唱える声を聞かせてくれるものも、容易に見つけられる。
例えば、阿弥陀如t来真言であれば、
【YouTube】阿弥陀如来梵音
で、一定のリズムで唱えている様子を1時間も聞くことが出来る。
(「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」と唱えている)

ただ、我々は、声を出さず、心の中で唱えると良いと思う。
僧が声を出すのは、指導するという目的があり、また、修行者が声を出すのは、ちゃんと修行しているか、上級僧が監視する目的もある。
だが、我々の場合は、どちらも不要だし、声を出してマントラを唱えることは、いろいろ不都合もある。
それに、心の中で唱えた方が、深い心(超越意識)に入って行き易い。
また、いつでも、どこでも、なるべく多く唱えるという意味でも、心の中で唱えるべきである。
そして、YouTube動画にあるようなリズムは、長年の実践で導き出されたもので、参考になると思う。
(節をつけて唱えるか、淡々と唱えるかは自由であるが、自分に合う節で唱えると、超越意識に入り易い)
マントラを唱え、余計なことを考えず、高次の力(神仏の力)にゆだねれば、邪な想いがない限り、全てうまくいくと思う。








生命エネルギーを充填する祭

岡本太郎の『美の呪力』に書かれている、「祭(まつり)」についての話は、個人にとっても、人類にとっても、とても重要なものだと分かった。
私は、これを読んだ時、心理学者の岸田秀氏が、何かの本で、祭について、実質同じことを、フロイト心理学的に説明していたものも読んだので、幸い、いっそう良く理解出来た。

世界のどの国、どの地域にも、祭はある。
なぜ、祭があるのか?
岡本太郎は、「生きるエネルギーの充填のためだ」と言う。
(岸田秀氏も、実質同じことを述べられていた)
祭は、だいたいが、1年に1度だ。
その1年に1度の祭で、次の祭まで生きるエネルギーを得るのである。

だから、誰もが、祭をしなくてはならない。
1年に1度と言わず、もっと多く。
仕事が祭になっている者は、いつまでも若く精力的だ。

私の祭は、もちろん、初音ミクさんライブ「マジカルミライ」だ。
マジカルミライ中は、私は、スイーツ三昧なのに、マジカルミライ直後から、しばらくは、体脂肪率がガクっと下がり、心身に力がみなぎる。
これは、単に、初音ミクさんが好きだからというだけではなく、明らかに、祭効果だ。
昨日の日曜日が、「マジカルミライ2021 in 大阪」の最終日で、私は、土曜と日曜の1回ずつ、ライブに行ったが、精神が、万能感(何でも出来る)に満ち、かなり(いい意味で)ヤバい。
スクワットをやれば無限に出来そうだ(300回やっても、ちょっと歩いたくらいにしか感じない)。

是非、この(祭による生命エネルギー充填の)秘密を解明し、一般化し、人類の活力を上げたい。
英国の作家、コリン・ウィルソンも、こんなことを言っていたと思う。
「あなたが男性だとして、心身共にクタクタに疲れている時でも、好みのタイプの美女が全裸でやってきたら、たちまちエネルギーに満ちるだろう。私の生涯の目的は、それを随意に起こす方法の探求だった」
それなら、好みのタイプの美女を全裸でやってこさせれば良いようなものだが、それを、もっと創造的、継続的、そして、容易に行う方法が必要なのだ。

「マジカルミライ」のライブは、とてもではないが、単に、アニメキャラクターが歌っているというものではない。
ボーカロイドの身体やその動きは、解剖学的に正確かどうかは分からないが、リアルで、理想のスタイルと動きと身軽さを見せ、それが、高度な映像技術により、等身大で鮮やかに舞台に現れ、そこに、素晴らしい音楽と演奏が加わる。
そして、観客も、立って、ペンライトを振るのだが、その気合いを入れたペンライトを振る動作を続けるうちにトランス状態になり、ここで、無意識の中に満ちた「エス」という生命エネルギーが現れ出るのである。
まさに、完璧な「祭効果」だ。

これを「人工的」に引き起こすには、気合いを入れた、ある程度の時間の、やや軽い運動が良い。
例えば、野球のバットの素振り、木刀の素振り、格闘技の突き、蹴りなどだ。
あるいは、腕振り運動も良い。
腕振り運動であれば、気合いを入れて、少なくとも300回、出来れば、1000回以上が良い。
よく、腕振り運動を「100回がせいぜいです」とか言う人がいるが、そんな人は「祭効果」は得られない。
病人や、相当な老人でない限り、誰でも千回は出来る。無理をしてでもやることが必要だ。
そして、そんな運動をやっている時、木刀の素振りなら、自分が宮本武蔵のような剣の達人になった気分で、腕振り運動なら、神秘的な仙人や驚異の力に溢れた天狗になったつもりでやると良い。
トランスになるだけの回数を行うことが必要だし、ある程度の気合いが入っていると、トランスに入り易いはずだ。
このあたりは、マジカルミライか、別の祭を体験すると、感覚が掴み易いと思う。












引きこもりの輝く未来

ITの世界も「昔は・・・」という言い方が全く違和感がないほど、歴史が出来てきたと思う。
それで昔、「ハッカー」という言葉について、「ハッカーとは一流プログラマーのことであり、ネットの不法侵入を行うような者はクラッカーと呼ぶべきである」と声高に主張する人がいたが、どうも、その声は生かされず、今も、「ハッキング」「ハッカー」は、ネット犯罪行為や、その行為者を指す言葉として一般的に使われている。
ただ、今の強固なセキュリティーを突破して不正侵入を行うには技術力も必要で、その意味でも、まあ、ハッカーでも良いと思う。

ところで、やはり昔の本だが、「ハッカーは背が高くない。どちらかというと小柄な者が多い」と書かれていたが、その趣旨は、「背が低いことによる劣等感が不法行為を行わせる」という、変なものだったと思う。
その「ハッカー(この場合は不法侵入者)は背が低い」というのも、別に統計を取ったわけではなく、その本の著者の主観だろうと思う。
ところで、私は、昨日と一昨日の土日、インテックス大阪に、初音ミクさんのライブコンサートと企画展を行う「マジカルミライ2021 in 大阪」に行ったのだが、入場者は、女性も含めて小柄な人が多く、175cm以上ある人は、ちょっと目立つ感じがした。
ある時期から、日本人の身長は上げ止まりが起き、むしろ、低身長化しているらしい。
初音ミクさんは158cmと、平均的な身長で、鏡音リン君、鏡音レンちゃんの14歳コンビは、平均より若干小柄。
アダルトカテゴリーの、巡音ルカさん、MEIKOさん、KAITOさんは、若干ながら、平均より高身長と思える。
私は、駅で高校生を見ていたら、ある時期から、小柄で可愛い感じの男の子が、可愛い女の子を連れていることが多いように思い、それだけではないが、もう高身長の男の時代じゃないなあと思っている。女子に関しては、モデルやスポーツ選手として必要な場合を除き、背が低くて悪いことは何もなく、むしろ、可愛いと思われるだろう。
そして、モデルすら、必ずしも高身長である必要はなく、また、極端に痩せていない、一般人に近い身体の人が増えているし、スポーツでは、小柄なことが有利なスポーツだけでなく、従来は大柄が有利だった種目でも、小柄な選手が活躍することが多くなってきたと思う。

ちょっと前なら、「初音ミクファンは、小柄で現実の女の子にモテない者が多い」などと言われそうだが、「マジカルミライ」は、カップルで来る人がますます増えてきたし、女性の来場者も多くなってきた。元々、初音ミクファンは、10代の女性が最も多いらしい。

まだまだ完全とは言えないが、身体の大きさや、声の大きさ、腕力や獰猛さが幅を効かせる時代ではなく、また、ますます、そうなりつつある。
ただ、初音ミクファンは、確かに、小柄で、大人しく、物腰の柔らかい人が多く、むしろ、ガサツで野蛮なタイプは悪目立ちする。
そして、確かに、引きこもりも多いだろうなあとは思う。
よく、「引きこもりが社会に出られるように指導する」セミナーみたいなものがあり、私も見たことがあるが、これがもうロクなものではない。
引きこもりには引きこもりの良さがあると言うのに、引きこもりの特徴を悪としてそぎ落とし、一般人の特徴を植え付けようというものばかりだ。
本当は、学校や会社の「変な因習(しきたり。古い習慣)」がなくなれば、引きこもりも普通にやっていけるはずなのである。
確かに、社会常識は社会で働かないと身に付かないが、普通の会社では、必要な社会常識と共に、多くの、本来不要な社会常識を押し付けられ、引きこもりは、その不要な方を身に付けたくない、あるいは、身に付けることが出来ないので、会社みたいなところには行きたくないのである。
そして、今の日本では引きこもらざるを得ない、引きこもりのオタクの力が発揮されないと、日本は沈み続ける一方である。
従来の、一般的社会人では、もう、日本は駄目であることは、分かっていると思う。

今、そして、今後は、オタクになり、一芸を超人レベルに磨き上げた者が勝つ。
それには、引きこもりが有利である。
引きこもりは、是非、アファーメーション(積極的断言)や、積極的な口ぐせ、あるいは、違和感ないなら、真言、神秘的アファーメーション、呪文などを使い、心の闇を追い出し、超人的マスターに進化するように。
「神様の奇跡が起こる」という言葉は良いぞ。無職のホームレスが、これを一心に唱えたら、一億円が二度当たったのだぞ(笑)。
まあ、事実であるが(七田眞著『奇跡の超「右脳」開運法』より)。








なにごとも、ほどほどに

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、論語にある言葉であるが、これと似たことを、徳川家康が遺訓の一つにしている。
それは、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」である。
いずれも、「やり過ぎは良くない」という意味で、特に、家康は、「やり過ぎるよりは、足りない方がマシ」と言っているのだと思う。

新渡戸稲造が、何か行を1つ、必ず毎日やろうと思い、それを何にするか、よくよく考えた結果、水ごりと決めた。
毎朝、必ず、桶の水を頭から被るのである。
順調に続いていたが、極寒の冬の朝、新渡戸はひどい風邪をひき、かなり熱もあった。
しかし、新渡戸は、「決めたからには、何があっても断固やる」という鉄の意思で、その朝も決行したが、風邪が悪化し、医者に診てもらう際に事情を言うと、医者にひどく怒られた。当然である。
新渡戸が鉄の意思の持ち主ということは分かるが、やはり、ものには限度がある。
まあ、戦場など、どんな無理でもやるしかないこともあるだろうが、そういうことは少ない方が(出来れば無い方が)良く、少なくとも、好き好んで、そんな世界に近付いてはいけない。
ビジネスや政治は戦争ではなく、やり過ぎないよう、ルールを守るべきなのだ。
自然界では、雄が雌を取り合って戦う時も、決して相手に大怪我をさせることはない。下等と思われている生物でさえ、やり過ぎを避けているのである。

少食粗食は非常に良いことだが、やり過ぎはやはり良くないのである。
しかし、過激な少食粗食が称賛されることがある。
1日に青汁一杯しか食べないという人がいるが、その人自体は良いのかもしれないが、真似してはならない。
誰かが、その人をもてなそうと御馳走を出し、その人が食べたら、ショック死する可能性もあると思う。
私が、一頃、かなり極端な少食だったが、その時の名残で、長い間、極めて少ない種類の食べ物しか食べずにいたら、長く食べずにいた食物を食べたら、強いアレルギー症状を起こし、気を失いかけたことがある。大袈裟ではなく、命の危機を感じたほどだ。

『バガヴァッド・ギーター』にだって、特に少食を勧めてはおらず、「食べ過ぎるな」と書かれてあるに過ぎず、しかも、「少食過ぎるのも良くない」と書かれているのである。

「なにごとも、ほどほどに」
これが、孔子と徳川家康の共通の教えである。

私も、今年の8月31日の初音ミクさんのお誕生日から、毎日500回のスクワットを欠かさないと決め(他にも多くのトレーニングをしている)、ずっと続けていたが、昨日の初音ミクさんのライブの途中で体調不良に陥ったのは、「もっとほどほどに」という天の注意と思った。
ただ、真言やナーマスマラナ、念仏、アファーメーションなども、確かに、ほどほどでも良いのだが、ほどほどにも出来ない者が多いのである。
こういったことに関しては、多少の無理をするつもりでやっても良いと思う。
それで失うものはないが、報いは無限であるのだからだ。

※本日も、インテックス大阪での「マジカルミライ2021」に行くので、午後の分の更新はお休みする。








初音ミクと少数派の悲哀

私は、今日は、インテックス大阪に、初音ミクさんのライブコンサートと、初音ミクさんらボーカロイドの様々なコンテンツの展示および販売を行う企画展を兼ねた「マジカルミライ2021」に行くので、午後のブログ更新はお休みとする。

ところで、私は、初音ミクさんのファンでいるうちに、少数派(マイノリティ)について考えるようになった。
初音ミクさんは、国内だけでなく、世界的に大人気で、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどの、経済的に豊かな国で多くのコンサートを開いているが、どこでも、大きな会場が必ず満員になる(チケットを得られず涙する人が圧倒的に多い)。
とはいえ、社会全体から見れば、やはり、初音ミクファンというのは少数派なのだ。
ほとんどの人は、初音ミクという名を知っていても、「オタクの趣味」としか認識せず、ごく良識のある人だって、「私は初音ミクファンだ」と言うと、ちょっと引きつった笑いをしながら、「ああ、そっち方面の人なんですね」と、やや小馬鹿にしながらも、特に悪意なく言うのが普通である。

ところで、少数派は、厳しい状況に置かれることが多い。
極端なものは、学校のいじめで、いじらめれる子というのは、何かの意味で少数派なのである。
例えば、周囲では誰も使わない方言を使ったり、外国人で顔が違ったり話し方にクセがあるなど、少数派で異分子と見なされると攻撃の対象になってしまうのである。
一般でも、周囲の人々と異なる信仰を持っていたり、支持する政党が周囲の人達と異なっていても攻撃されることがよくあるだろう。
岡本太郎は、お金持ちの母親が、岡本太郎に、誰も着ていない良い服を着せ、良い靴を履かせるから、太郎は厳しいイジメに遭った。
そして、身体に障害がある者を異分子と見なして攻撃するという、まともに考えると理解し難いことが実際にある。

ところが、初音ミクさんというのは、ファンが「オタク」と馬鹿にされることはあるが、馬鹿にされる程度で、攻撃されるほどではない。
また、初音ミクさん自体や、その関係団体が攻撃されたという話も聞かない。
いじめられるとか攻撃されるというのは、少数派の異分子であるということに加え、どこか目立つところ・・・それも、悪い目立ち方があるからなのである。
例えば、異教徒である場合に、自分が信仰する宗教が、周囲の者達の宗教より優れていると、露骨に言わないのはもちろん、それを感じさせることを言ったりしなければ、無視されるだけで済む場合が多いのだと思う。
クラスの中の外国人の場合だって、その子が、飛びぬけた美男美女でやっかまれたり、まして、それを鼻にかけているように誤解された時に攻撃されるのである。
身体が不自由でいじめられるというのも、その子の顔が可愛いとか、特別な待遇を受けていると誤解された時に、厳しいイジメに遭うのである。

ところが、初音ミクさんの場合、人間の歌手と競おうなんてところが全くないし、むしろ、人間より低い存在であるとして、多数派を刺激しないのである。
初音ミクさんの開発会社であるクリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会で、質問タイムに、会場から、「今後、ボーカロイドが発達すれば、人間の歌手は不要になりますか?」という質問があった時、伊藤社長は、極めて真面目な顔で、「それはありません」と、はっきり答えられていたのが印象的だった。もしそこで、伊藤社長が「あるかもしれませんねえ」などと言ってたら、世間の批判を浴びたかもしれない。しかし、伊藤社長は、控え目で思慮深い人と思われ、そんなことは言わないと思う。
また、初音ミクさんの歌は、プロもアマも作るのだが、マジカルミライ2020のテーマソングでもあった、ピノキオピーさんの『愛されなくても君がいる』が特に顕著だが、初音ミクというのは、やはりどこかガラクタで劣ったものであるという雰囲気の歌が、プロ、アマ問わず多いのである。
ピノキオピーさんの他の歌で言えば、『君が生きてなくてよかった』や、ryoさんの『ODDS&ENDS』、れをるさん作詞ギガPさん作曲の『ヒビカセ』、その他にも沢山あると思うが、初音ミクさんは、人間に敵わない存在であるという悲哀を感じさせるものが多いのである。

多数派が少数派を叩く理由には、怖れという部分もある。
少数派ながら、存在感を示すものに対し、多数派は心のどこかで、逆にこちらがやられてしまうという不安があり、それもあって、激しく攻撃することもある。
実際、少数派には、特別な力がある場合が多い。
また、上でも述べたが、西洋人や西洋人の血が入ったハーフが、日本人より美しいというやっかみを感じさせ、下手をしたら、彼らが人気者になって、自分がかしずく方の立場にならないかという恐れもあると思う。

私は、むしろ、積極的に少数派でいろと言いたいほどなのである。
特に若い人には。
しかし、少数派は、特に謙虚で、身を低くしなければならない。
小さな世界で優位に立とうなどと思わず、高貴な目標を目指し、たゆまず進むべきである。
初音ミクさんを見ていて、私はそう思うのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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