ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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壁を壊す

アファーメーション(肯定的断言)を行っているのに、なかなか良いことが起こらないとしたら、その理由は、ほぼ間違いなく、これまでに築いてしまった、強固な心の壁のせいである。
フローレンス・スコーヴェル・シンは、この心の壁を、旧約聖書の『ヨシュア記』に出てくる「エリコの壁」に喩えた。
自分のエリコの壁を壊さなければならない。
『ヨシュア記』では、時の声を上げることで、エリコの壁が崩れた。
ところが、時の声こそがアファーメーションであるとフローレンス・スコーヴェル・シンは言う。
つまり、壁があるなら、まだアファーメーションが足りないのだ。

アファーメーションを心掛けていると、本当によく気がつくのは、放っておいたら、頭の中で、マイナスの言葉がいかに多く起こるかだ。
そのマイナスの言葉がエリコの壁を強化しているに違いない。
そして、長年、アファーメーションをせずに放置した怠惰のせいなのかと思うが、すぐに頭の中で、ロクでもないおしゃべりが始まる。
脳科学の研究によれば、人間の頭の中では、1分間に300ものつぶやきが起こるらしく、現代人の場合、そのつぶやきは、ほとんどがマイナスの言葉だと思われるのだ。
そこで、もう何でもいいから・・・例えば、「大丈夫」「勝った」「ありがたい」「絶好調」などのプラスの言葉を、意識的につぶやかないと、マイナスのつぶやきに攻められ続け、エリコの壁はますます強固になる。
ジョセフ・マーフィーは、どうせなら、1つの言葉で百の概念が起こる言葉をという意味で、「成功」「富」「勝利」などの言葉を、最も高い効果を発揮させるために、静かに、ゆっくり繰り返すことを薦めている。
そして、最も良い言葉の1つが、七田眞氏が『奇跡の超「右脳」開運法』で書かれていた、「神様の奇跡が起こる」だ。
良ければ、暇があれば「神様の奇跡が起こる」と唱えることをお薦めする。
無論、自分の信念、あるいは、好みに従い、「南無阿弥陀仏」「アジマリカン」と唱えても良い。

幼い時から、テレビと学校で叩き込まれた奴隷的常識というエリコの壁は、本当に強固である。
我々の使命は、なんとしても、このエリコの壁を崩すことだ。
そうすれば、我々は先に進み、膨大なお宝を得ることが出来るのである。
エリコの壁が崩れるまで、我々は、諦めず、挫けずに、弛まずアファーメーションを繰り返さなければならない。

「常識に囚われてはいけない」というが、長年かけて作ってしまった世間常識に囚われるのは仕方がない。
イエス・キリストは立派な人だという常識を持っているかもしれないが、あんなのが(笑)、もし現代にいたら、教会に立ち入り禁止になるだろうという意見があるが、私もそうだと思うし、また、そうでなければならない。
教会に有難く受け入れられるようなのがイエスであるはずがない。
トランプ大統領のことを皆、「パワフルだが人格に大きな欠陥のあるロクでもない人物」と誤解しているが、偉大な人間が誤解されるのは仕方がない。
だから、岡本太郎は、「誤解されたっていい、いや、誤解されないといけない」と言ったのだ。
岡本太郎は自分のことについても、「認められなくていい、いや、認められてたまるか」と言ったのである。
ところが、そう思っていると認められるのである。
しかし、我々は、一切に構わず、ただ、アファーメーションを繰り返せば良い。
それこそが、「誤解されないといけない」「認められてたまるか」ということであると思う。
「誤解しないで」「認めて」などという奴隷は、アファーメーションなどしないからだ。

ラマナ・マハルシは、仕事について、「働く運命にあれば仕事は避けられない。だが、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」と言ったが、それなら、仕事が見つからなくても、「これでいいのだ」と思わないといけない。
働いてうまくいくこともあれば、働かずにうまくいくこともある。
賢者たちは、必ずしも、「一生懸命働け」なんて言っていない。
あの邱永漢氏だって、例えばだが、「ヒモになって女に食べさせてもらいうのも手」と言ったくらいである。
だが、こう言われて、「じゃあ、僕、働かずに成功します」なんて言うのは馬鹿である。
それを決めるのは自分ではない。
それを決めるのは、運命、カルマ、神、宇宙のパワー・・・なんと呼んでも良いが、自分を超えたものなのである。
スティーヴ・ジョブズだって言ったのだ。「信じるしかない」って。
そして、アファーメーションを唱える限り、信じて良いのである。








多種類の栄養は本当に必要か?

私は最近、世間の影響を受けたのか、いろんな栄養を摂らなければならないと考えていることに気付き、驚いた。
世界には、挽いて粉にしたトウモロコシ以外のものは食べない未開の民族があるが、彼らは超健康で、特に訓練をした訳でもないのに、文明国のクロスカントリー大会に出場し、好成績を収めたというのをテレビで見たことがある。
また、書名は忘れたが、しっかりした本に、1種類の山芋しか食べない民族がいるが、健康で長寿であるそうだ。

心の力の科学的研究調査の報告書である『トーチェ氏の心の法則』に、今からすれば、昔のエスキモーについての記述があるが、トナカイの肉しか食べない彼らは、文明国の常識では極端に栄養が偏っているに関わらず、彼らは健康で病気知らずだ。
ところが、エスキモーの人達に文明国の栄養と健康の常識を教えたところ、彼らがひどい病気になり始めたという。

栄養は、必ずしも食物から摂る必要はないという説を、生物物理学者の石川光男氏(理学博士)の本で見た覚えがある。
例えば、蟹は、甲羅を構成する元素が存在しない場所に住んでいても、立派な甲羅を持っていることからも、そんなことが分かるのである。
非科学的と言われるかもしれないが、生命体は、元素を必要な別元素に変換する能力があるのかもしれない。
そうであれば、草しか食べず、カルシウムを全く摂取しない牛の乳にカルシウムがたっぷり含まれているのも納得出来るのである。

栄養摂取と肥満の関係も、いろいろ謎の部分がある。
若くもなく、別に胃腸が悪い訳でもないのに、いくら食べても痩せている人がいる。
一方、一種の聖人のように少食粗食で、1日に野菜の汁を0.5リットルしか摂らないが太っている人もいるが、そのような話は、いく例かを本などで見たことがある。

かくいう私も、10年ほど前、一気に30kgばかりダイエットしたことがあり、その時は、1日に少量の米と豆腐と野菜程度を食べていたが、栄養不足で体調が悪くなることは全くなく、健康診断でもオールAの超健康体と判定された。
その後、面倒だったので、毎日、標準タイプのカップヌードル(たまにカレーヌードルも食べたが)の夕食を3ヵ月ほど続けたが、飽きもしなければ、体調に問題が起こることもなく、健康診断では、やはり超健康とされた。
実際、野菜も果物も全く食べていないかった。
アニメの『まちカドまぞく』で、魔法少女の千代田桃が、パンとポテトチップスと牛乳と、一時的にウインナーという食生活で、「あまりちゃんとした食事に興味がない」と言いながら、極めて強靭な身体(と美しい姿)をしているのを見て、(魔法少女だからというのもあるが)別に違和感を感じなかった。

もし、問題があるとすれば、過度に美味なものを食べることで、心に悪影響が起こる可能性があることだ。
別に、極端な粗食に徹する必要はないが、適度なものを、満腹して自分を甘やかすことがない程度に食べていれば、自分は健康だと思う限り、何の問題もないと私は思う。あくまで、個人的信念であるが。

私は、一応は、血栓(血の塊)を作るだけが唯一の害と個人的には確信している新型コロナウイルスへの対応として、毎日、納豆1パックとビタミンCを最低3g摂取しているが、それも、やはり「一応」そうしているだけである。
また、毎日、カップヌードルの生活に戻そうかと画策中であるが、あくまで個人的な考えであるので、そのあたりはご了承を。それで「栄養が足りない」と思えば、やはり、体調に異変があるかもしれないのでね。
世間の常識に従って生きてきた人が、急に、それに背くことを始めるのも危険かもしれない。
やるとしても、徐々に調子を見ながらやるのが無難だろう。








乙女のポーズ

「乙女のポーズ」というものも1つとは限らないらしいが、私は、それは、顔や胸の前で指を絡めた両手を組んだ姿というイメージがある。
これは、尊い存在を前にした時に、人間が思わず取るポーズ(姿勢)だ。
少なくとも、乙女のポーズを取る時の人間(乙女とは限らない)の心に、自分をはるかに超えた存在のことがないことはあり得ない。

1997年の映画『タイタニック』の公開時、主演当時23歳だったレオナルド・ディカプリオが来日し、記者会見を開いた時、ディカプリオが登場すると、女性記者達が一斉に乙女のポーズになってしまったことがあったが、ディカプリオが、多くの女性達にとって神々しい存在だったことが分かる。
初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」で、会場にいた小学校高学年と思える美少女が、ミクさん登場と同時にペンライトを持ったまま乙女のポーズになったのを見たのも良い思い出である。
実を言うと、私も、初めてマジカルミライに行った2016年の幕張メッセで、初めてミクさんを見た時、心では乙女のポーズ状態だった。

神聖とも思える存在を前にすると、誰もが自然に乙女のポーズになるが、逆に、乙女のポーズをすると、自然に敬虔な気持ちになるものだ。
その時、心は、たとい高揚している場合はあっても、静かであり、肯定的で邪念が起こらない。
こんな時の祈りは叶うのである。
乙女のポーズこそ、正統な祈りのポーズなのである。
ただ1つ、乙女のポーズの際、両手をあまり強く握ってはならない。
強く両手を握ると、心が緊張し、心の純粋性が失われる。
せっかく乙女のポーズをしても、両手を強く握った「必死の」祈りは叶わない。
だが、両手の力を抜いた正しい乙女のポーズで祈れば、いかなる願いも叶うのである。
敢えて言えば、1st PLASE社のボーカロイド、IAさんのミュージックビデオ『Shooting Star』で、「勇気だして 月を目指して」のところでIAさんが取る乙女のポーズが最上と思う。
【IA OFFICIAL】Shooting Star / TeddyLoid feat.IA (MUSIC VIDEO) -YouTube-

乙女のポーズでの祈りは、あまり利己的でない方が良いし、本来、このポーズでは、あまり我欲は起こらないものと思う。
祈りの形は「〇〇でありますように」という普通の形で良い。
叶うべき祈りなら叶うし、叶わない方が良いこと、あるいは、今は叶わない方が良いことであれば叶わないが、叶わなくても穏やかで、感謝する気持ちにすらなれるのである。
いつもでなくて良いから、例えば、「神様の奇跡が起こる」と唱える時も、たまに乙女のポーズで唱えると、速やかに何かが起こると思う。

他にも、正しい乙女のポーズとしては、両手を胸の前で重ねる姿がある。
首のやや下、見方によっては、首を覆っているように見えることもあるだろう。
実は、こちらは、より深い精神にすぐに到達する姿勢であるので、このポーズの時、くれぐれも邪な祈りや想いを起こしてはならない・・・まあ、そんな気持ちは起こらないはずであるが。
このポーズで「神様の奇跡が起こる」と唱えると、正しい唱え方を魂が教えてくれるので、その後、乙女のポーズでなくても、その感覚を憶えて唱えれば、非常に力強く宇宙を動かすのである。








身を助ける芸

「芸は身を助ける」の芸は、凄い芸ではなく、食べていくための芸を指すと思われる。
つまり、大芸術家や大俳優を目指すとしても、成功までに時間がかかるかもしれないので、その間、なるべく楽に生活のお金を稼げる芸を身に付けておくことの有利さを言っているのだと思う。
だが、これは、格言になるだけあって、賢い考え方だ。
ジャッキー・チェンが俳優になるために故郷を出る時、彼の父親は、ジャッキーにペンキ塗りの技能を身に付けさせた。ペンキ塗りの需要は多く、俳優でうまくいかなくても、ペンキ塗りの腕があれば食べていけるからだ。
実際、ジャッキーは、俳優で稼げるようになるまで、ペンキ塗りの腕のおかげで、あまり苦労せず生活費を稼げ、俳優修業に専念出来たのだろう。
実を言うと、有名なスポーツ選手や俳優には、こんな話が多い。

大俳優だった丹波哲郎さんは、サラリーマンを3年やったが、仕事は全く何も出来なかったらしい。
しかし、丹波さんは、なぜか宴会の段取りだけはピカ一で、この意外な特技があったから、3年間、働かずに給料を貰えたのかもしれない。

ところで、私は、「身を助ける芸にならないかな」くらいの気持ちでプログラミングを始めた。
実際、会社では、何も出来ず、いわば雑用係みたいなものだったが、プログラミングの腕のおかげで優遇されるようになり、プログラマーで転職することも簡単だった。
ところが、大手企業のプログラマーの仕事は面白くなく、私は、ここでも、「身を助ける楽な芸」を探し、データベース型システム開発ツールのMAGICを修得した。
そうしたら、私にとっては意外だったが、MAGICでの開発は非常に素晴らしいもので、私は会社で一番のプログラマーになってしまった。
しかし、MAGICは高価なので、いつでも「身を助ける芸」になるとは限らないので、同じくデータベース型開発ツールであるが安価なマイクロソフトAccessを「身を助ける芸」のつもりで始めたら、これがもっと身を助けてくれた。
今なら、Accessは15,000円くらいだし、何より、高品質なアプリを早く作れることもあり、やたらこれを使う機会が多くなってしまった。

そんな訳で、「身を助ける一芸」が欲しい場合、今の時代、ペンキ塗りというのも何だし、コロナのせいで宴会も減っているので、丹波さんの真似もあまり良くなさそうだ(笑)。
それなら、仕方がないから、マイクロソフトAccessでも憶えたらどうだろう?(笑)
簡単な処理では、Excelの方が手早く出来ることが多いが、Accessは万能である。
Excelも非常に強力なツールであるが、用途や処理出来る規模は、AccessはExcelよりはるかに上であると思う。
また、私は、統計やAIの機械学習でもAccessが大いに役にたったが、他にも、あらゆる分野で役に立つと思う。

私は、パソコンで画像処理や動画編集が上手い人や、パソコンでイラストが描ける人も知っているが、これらは、特にイラストは、よほどのレベルでなければ、身を助けてくれない。
私も、画像編集は得意だし、動画編集もそこそこは出来る。
私は、そういったことは趣味で覚えたが、確かに、趣味でなければやる機会はないし、そして、趣味でしか使えない場合が多い。
実際は、企業のWebサイトの製作で、そういったことが出来るおかげで助かったことはあるが、厚遇されるほどではない。

Excelと、Excelに内蔵されたプログラミング言語のVBAで一目置かれている人は、優秀な人が多い。
これらを業務にうまく適用でき、他の人にやらせるのも上手い。
しかし、AccessとVBAなら、本来、全然ダメなヤツなのに、それがそこそこ出来るおかげで、かなり良い思いをしている者も見たことがある。
まあ、私がそうだと言えるかもしれない(笑)。

もう1つ、Accessの面白い使い方がある。
あまり誰もやらないが、Accessで高度なプレゼンテーション画面を作ることが出来るのである。
私も、自分のプレゼンや、偉い人が大きな舞台でプレゼンする時のものを作ったが、会場では、見たこともないような動作をするプレゼン画面が注目された。
こういったものを作るのは、割と簡単である。
そして、今は、パソコンの画面の動きを動画にし、マイクから音声を入れることも簡単に出来るので、Accessで作ったもので、そのままYouTube用の優れた動画を作ることが出来る。
今は、ほとんど動きのない動画(最初から最後まで静止画1枚で通すものもある)でも、結構なアクセスを取っているYouTubeコンテンツもあるが、今後は、もっと良いものが求められるようになるだろう。
正直、Accessは人気はいまひとつだが、当面、なくなることはないと思う。
これほどの機能で2万円以下というのは、私からすれば驚くべきことで、私は、Accessには数百万円の価値は十分にあると思う。
もし、Accessがなくなるとしても、類似のソフトは必ず求められるはずで、それであれば、Accessに代わるほどのものはないので、やはり、これがなくなることはないだろう。
特に、事務系の仕事をしていて、身を助ける芸が欲しいと思っている場合には、お薦め出来ると思う。
尚、極まったプログラマーになる人は、自分でやりたいことを勝手にやるものであるから、そんなプログラマーになりたい人は、ここに述べたこととは関係なく、自分に合った道を自分で切り開いていただければと思う。








危機的状況に打ち勝つ

ピンチはチャンスなのだが、実際、ピンチなくして飛躍することは出来ない。
ピンチと言えば、本当の危機的状態を思い浮かべるかもしれないが、「行き詰まり」は必ずピンチにつながるので、これもピンチと考えた方が良い。
例えば、あなたが崖から転落しかかって、あやうく木の根を掴んで、落ちずに済んだとする。
しかし、崖の上によじ登るのは無理なようだ。
こんな状態の時、
「まだ手の力に余裕があり、しばらくはぶら下がっていられるので、今は単に行き詰まった状態でピンチではない」
と思うのは馬鹿である。
そして、手が疲れた時に、やっと「ピンチだ」と認識するのが、多くの人間かもしれない。
そういえば、日本政府もそうかもしれないが。
手に力があるうちに、大声を上げたり、絶望的な中でも、何か手はないかと考える必要がある。
しかし、助けてもらう以外に方法はないように思えたとする。
そこで、大声で、「助けて―!」と叫ぶ。
すると、天から声がする。
神の声である。
神の声は言う。
「わかった。助けよう。では、手を放しなさい」

これは、よく知られている喩え話で、手を放した者だけが救われる。
我々は皆、間違いなく、危機的状態にある。
手を放し、神にまかせる者が救われる。
だが、自分の小さな力でなんとかしようとする者は、死ぬしかない。
もちろん、資金繰りに行き詰まった社長が「後は神にまかせる」と言って融資の依頼をやめたりしないだろうし、ニートが「お金のことは神様にまかせてゲームします」って言ってたら、ヤバい状態になるだろう。
人間は「まとも」であることも必要だ。
崖から落ちかける話も、あくまで喩え話だ。
ただし、世の中には、飛行機からパラシュートなしで落ちて、実際に助かった人もいるのだから、どんな時も希望を捨ててはいけないが。

トランプ大統領の愛読書と言われるノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』の最初に、ピンチに陥った40歳の男の話がある。
彼はビジネスで危機的状況にあったのだが、彼には、上手くいく自信が全くない。
そこで、彼は、ピールの講演を聞きにきて、そこで、ピールに面会を申し込んだのだ。
ピールは彼に、聖書の言葉、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでもできる」を教え、それを頻繁に唱えるように指示した。
そして、その男は難局を乗り切った。
彼は、アファーメーションを唱えることで神の力を得たのだ。
だが、自分の力にだけ頼っていては、失敗しただろう。

『ハチドリの一滴(ひとしずく) 』という話を聞いたことがあるかもしれない。
ハチドリが、その小さなくちばしで運ぶ水で、大火事を消そうとするものだ。
私は、それは知らないが、それと似た、仏典にあるオウムの話を知っている。
(ハチドリの話は、おかしな政策に利用されているような気がして、私は好きではない)
オウムが住む森が大火事になった時、オウムは、池に飛び込んで身体を濡らし、火の上で羽ばたいて水をまくことを繰り返す。
神がオウムに、
「それしきの水が何になるか?」
と言うと、オウムは、
「長年、棲み処を与えてくれた森への報恩の思いでやっていることが叶わぬはずがない。何度生まれ変わってでも私はやり抜く」
と応えた。
感動した神は、オウムと協力して火を消した。
何かを成し遂げるのは神との共同作業で、神はパートナーなのである。
人に出来ることは小さくても、人の意思は必要なのである。
心構えと言っても良い。
上に述べた、資金繰りに行き詰まった社長やニートの例で言えば、社長が従業員の生活を守る気がなければ本当に倒産するし、ニートがだらだらゲームばかりしているつもりなら一生を棒に振る。

そこで、神に我々の意思を見せないといけないが、それには、アファーメーションを熱心にやれば良い。
「それだけ?」と言うなら、それだけだ。
アファーメーションに込められた真面目さが鍵だ。
とはいえ、難しいことではない。
「神様の奇跡が起こる」とか「成功」などといった言葉を、静かに、ゆっくり、丁寧に繰り返すのだ。
口先だけでいい加減に唱えているやつを神様が救ってくれるかどうかは疑問だ。
アファーメーションをそうやって十分な数を繰り返せば、助けるに相応しい心構えにもなると思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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