私が、アインシュタインは本当に天才だと信じることが出来る、彼の素晴らしい言葉がある。
それは、
「出来るだけ単純に。ただし、度を超えないように」
だ。
まあ、後半の「度を超えない」も大切ではあるが、まずは、「出来るだけ単純に」であり、その重要さは、いくら強調しても足りない。
この言葉には、もっと深い意味もあるのかもしれないが、今回は、それこそ「ごく単純」に捉える。
『あしたのジョー』というボクシング漫画・アニメは、1968年に連載開始されたものながら、いまだ人気は衰えず、数年前に、昔の漫画の再連載を始めたという話もあった。
原作者は、人間的にはいろいろ問題がありながらも天才作家だった梶原一騎(かじわらいっき。この作品では高森朝雄名義)だ。
梶原一騎には、『巨人の星』や『タイガーマスク』はじめ、歴史的とも言える人気作品が数多くあり、マジな天才なのだと思う。
梶原一騎は、本当に、人間のツボを知っていた。
彼の作品には、美学と言えるほどの「ど単純」の法則がある。
『あしたのジョー』で言えば、多くのファンが、この作品から離れられなくなったエピソードは「明日のためのその1」だろう。
これは、落ちぶれたボクシングトレーナーの丹下団平が、主人公の少年、ジョーこと矢吹丈に、ハガキで、左ジャブ(軽く打つストレートパンチ)の打ち方を教えたものだ。一種の通信教育である。
私は、子供の時に読んだが、書いてあったことを憶えている。
「脇を締め、やや内角を狙い、えぐり込むようにして打つべし」
それを丈がやるのを見て、すぐに自分でやる。子供でも出来る簡単さ、単純さだ。
それでもう、自分は、ボクシングの奥義をマスターした気になり、強くなったように感じるのだ。
『巨人の星』で言えば、ひたすら直球を投げる練習をして、剛速球が投げられるようになればいいのだし、『タイガーマスク』であれば、ブリッジさえすれば、気持ちはタイガーだ(笑)。
もし、これらの漫画を読んだ子供が、本当に、野球やボクシングを習いに行けば、面食らうか、少なくとも、戸惑うであろう。
実際は、梶原漫画のように単純ではないからだ。
しかし・・・一面の真理もあるから、梶原一騎は天才なのである。
梶原一騎自身、こつこつとスポーツをやるような真面目な人間ではなかった。
しかし、喧嘩は本当に強かった。
戦い方のコツを知っていたのだ。
普通、喧嘩に強くなりたくて、格闘技を習いに行くと、(言い過ぎかもしれないが)確実に弱くなる。
昔の極真空手や(今はどうか知らないのでこう言うが)、護身術を専門に教えるようなところではそうではないが、武道というのは、実戦というか、喧嘩の道具ではない。
どういうことかというと、ある喧嘩の達人の本に、見事な指摘があった。
だいたい、こんな感じだ。
「本当の戦いになったら、頭なんて絶対に回らない。多彩な技の練習をしてたって、そんなもの出て来ない。だから、一番単純で効果的な技1つを徹底して練習してるやつが強い。キックなんてやってる余裕はない。複数の敵が相手なら、走り回るのに必死だし、ハイキックなんてもっての他。脚を上げたところを倒されたら、相手が複数なら殺されるだけだ」
実戦武道や護身術では、単純な1つか2つの攻撃を徹底的に鍛え、それが完全にならないと次のことを教えてもらえない。
そして、技にはパワーがないと威力がないが、そのためにも、同じ技を何千回、何万回と繰り返す必要がある。
梶原一騎は、そんなことをよく知っていたし、漫画の読者も、それを直観的に解るので、梶原作品に惹かれるのだ。
人間は、馬鹿なのである。
超単純なことしか、うまくやれないのだ。
そして、我々は別に喧嘩術を修得する必要はないが、引き寄せも同じなのだ。
よく、『なぜあなたの引き寄せはうまくいかないのか』なんて本があるが、その答を言ってしまえば、「やり方が難しいから」の一言だ。
単純なことを、1日中やれば良いだけなのだ。
もう1つ重要な、うまくいかない理由を挙げれば、「やる時間が少ない」だ。
(優秀な人の場合は別かもしれないが、それは私には分からないので、置いておく)
引き寄せの、1つのきれいな模範は、何度も取り上げるが、教育学者、七田眞氏の『奇跡の「右脳」超開運法』にある、ホームレスの男性の話だろう。
彼は、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱えた。
ネット上で、これと同じことをやったが駄目だったという話も多いが、それは単に、やった時間が足りないのだ。
このホームレスは、起きている時間は、ずっと唱えていた。
そして、2週間ほどしたら、不意に頭の中に数字が浮かび、その番号でロト6を買ったら一億円当たり、その後、再度やったら、また一億円が当たった。
高名な著者は、これは絶対に実話だと保証している。
やさしい引き寄せの本を1つ選び、全体を読まなくていいから、その中の、単純な方法を愚直にやり続ければうまくいくだろう。
それは、
「出来るだけ単純に。ただし、度を超えないように」
だ。
まあ、後半の「度を超えない」も大切ではあるが、まずは、「出来るだけ単純に」であり、その重要さは、いくら強調しても足りない。
この言葉には、もっと深い意味もあるのかもしれないが、今回は、それこそ「ごく単純」に捉える。
『あしたのジョー』というボクシング漫画・アニメは、1968年に連載開始されたものながら、いまだ人気は衰えず、数年前に、昔の漫画の再連載を始めたという話もあった。
原作者は、人間的にはいろいろ問題がありながらも天才作家だった梶原一騎(かじわらいっき。この作品では高森朝雄名義)だ。
梶原一騎には、『巨人の星』や『タイガーマスク』はじめ、歴史的とも言える人気作品が数多くあり、マジな天才なのだと思う。
梶原一騎は、本当に、人間のツボを知っていた。
彼の作品には、美学と言えるほどの「ど単純」の法則がある。
『あしたのジョー』で言えば、多くのファンが、この作品から離れられなくなったエピソードは「明日のためのその1」だろう。
これは、落ちぶれたボクシングトレーナーの丹下団平が、主人公の少年、ジョーこと矢吹丈に、ハガキで、左ジャブ(軽く打つストレートパンチ)の打ち方を教えたものだ。一種の通信教育である。
私は、子供の時に読んだが、書いてあったことを憶えている。
「脇を締め、やや内角を狙い、えぐり込むようにして打つべし」
それを丈がやるのを見て、すぐに自分でやる。子供でも出来る簡単さ、単純さだ。
それでもう、自分は、ボクシングの奥義をマスターした気になり、強くなったように感じるのだ。
『巨人の星』で言えば、ひたすら直球を投げる練習をして、剛速球が投げられるようになればいいのだし、『タイガーマスク』であれば、ブリッジさえすれば、気持ちはタイガーだ(笑)。
もし、これらの漫画を読んだ子供が、本当に、野球やボクシングを習いに行けば、面食らうか、少なくとも、戸惑うであろう。
実際は、梶原漫画のように単純ではないからだ。
しかし・・・一面の真理もあるから、梶原一騎は天才なのである。
梶原一騎自身、こつこつとスポーツをやるような真面目な人間ではなかった。
しかし、喧嘩は本当に強かった。
戦い方のコツを知っていたのだ。
普通、喧嘩に強くなりたくて、格闘技を習いに行くと、(言い過ぎかもしれないが)確実に弱くなる。
昔の極真空手や(今はどうか知らないのでこう言うが)、護身術を専門に教えるようなところではそうではないが、武道というのは、実戦というか、喧嘩の道具ではない。
どういうことかというと、ある喧嘩の達人の本に、見事な指摘があった。
だいたい、こんな感じだ。
「本当の戦いになったら、頭なんて絶対に回らない。多彩な技の練習をしてたって、そんなもの出て来ない。だから、一番単純で効果的な技1つを徹底して練習してるやつが強い。キックなんてやってる余裕はない。複数の敵が相手なら、走り回るのに必死だし、ハイキックなんてもっての他。脚を上げたところを倒されたら、相手が複数なら殺されるだけだ」
実戦武道や護身術では、単純な1つか2つの攻撃を徹底的に鍛え、それが完全にならないと次のことを教えてもらえない。
そして、技にはパワーがないと威力がないが、そのためにも、同じ技を何千回、何万回と繰り返す必要がある。
梶原一騎は、そんなことをよく知っていたし、漫画の読者も、それを直観的に解るので、梶原作品に惹かれるのだ。
人間は、馬鹿なのである。
超単純なことしか、うまくやれないのだ。
そして、我々は別に喧嘩術を修得する必要はないが、引き寄せも同じなのだ。
よく、『なぜあなたの引き寄せはうまくいかないのか』なんて本があるが、その答を言ってしまえば、「やり方が難しいから」の一言だ。
単純なことを、1日中やれば良いだけなのだ。
もう1つ重要な、うまくいかない理由を挙げれば、「やる時間が少ない」だ。
(優秀な人の場合は別かもしれないが、それは私には分からないので、置いておく)
引き寄せの、1つのきれいな模範は、何度も取り上げるが、教育学者、七田眞氏の『奇跡の「右脳」超開運法』にある、ホームレスの男性の話だろう。
彼は、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱えた。
ネット上で、これと同じことをやったが駄目だったという話も多いが、それは単に、やった時間が足りないのだ。
このホームレスは、起きている時間は、ずっと唱えていた。
そして、2週間ほどしたら、不意に頭の中に数字が浮かび、その番号でロト6を買ったら一億円当たり、その後、再度やったら、また一億円が当たった。
高名な著者は、これは絶対に実話だと保証している。
やさしい引き寄せの本を1つ選び、全体を読まなくていいから、その中の、単純な方法を愚直にやり続ければうまくいくだろう。