ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2020年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

スポ根式の運動はやめて本当に身体に良い楽な運動を

今は、「スポ根(スポーツ根性物語)」なんてものがあるのかどうか分からないが、昔は非常に人気があった。
「スポ根」の中で大前提になっていたのは、「人間の身体は鍛えれば鍛えるほど強くなる」だった。
日本のスポ根史上に燦然と輝くアニメ『巨人の星』(1968~1971)では、花形満というイケメンバッターが、鉄のバットで鉄のボールを打つという過激な特訓でぶっ倒れて、息も絶え絶えに悶える・・・という場面があったが、そんな姿を、当時の人は格好良い・・・と思ったのではないかと思う(今見たら笑えるが・・・)。

ところで、最新の人気漫画・アニメ『まちカドまぞく』は、可愛い女の子が沢山登場するが、萌え要素はほぼなく、良い子(特に女の子)が読んでも安心で、内容も、私は素晴らしいと思う。特に、「愛とは何か?」を、この漫画・アニメで初めて知ったと思うほどだ。
そして、『まちカドまぞく』で、ヒロインの優子が、
「あたし鍛えます!鉄のバットも振ります。重いゴロゴロしたのも引っ張ります!」
と叫ぶ場面があるが、この鉄のバットは、上の花形満のエピソードから来ていると言って良いと思う。
また、その回のタイトルが「あすへの決意!!重いコンダラ止まらない」だが、このコンダラとは整地ローラーのことで、先程の優子が言った「重いゴロゴロしたもの」とは整地ローラーのことだ。
ところが、整地ローラーのことを「コンダラ」と呼ぶことは本来一切ないはずだが、実は、『巨人の星』の主題歌『ゆけゆけ飛雄馬』の出だしが、「思い込んだら試練の道を」で、その「思い込んだら」を、視聴者の誰かが、「重いコンダラ」と聞き間違え、星飛雄馬(主人公)が整地ローラーを重そうに引っ張るシーンがあったことから、整地ローラーのことを「コンダラ」と呼ぶのだと誤解したという話がある。もちろん、都市伝説とは思うが、有名な話だ。
つまり、『まちカドまぞく』は、今の人が知るはずがない、伝説の『巨人の星』のお話を取り込み、それを、高校1年生の優子(本人曰く「どこにでもいる普通の15歳」)がさりげなく引用したのだ。
そして、それを聞いた、優子の宿敵である魔法少女の桃が「修行のイメージ、古くない?」と呆れるが、同じ高校1年生の桃が、そんな修行が昔あったことを知っているとは思えない。
けれども、とにかく、高校1年生の女の子にも馬鹿にされるおかしな特訓を、半世紀前の人達は、キラキラした目で見ていたに違いない(無論、当時から馬鹿にしていた人もいたはずだ)。

とはいえ、今だ、スポ根式のトレーニングを良いものだと思っている人は多いのではないかと思う・・・いや、確信する。
私などまさにそうで、腕立て伏せは100回より200回、200回より300回と多いほど良く、それを鬼の形相でやるのが修行である・・・と、以前は思っていたようだ(笑)。
ある有名な空手家が書いた本で、その空手家が若い弟子にこんなことを言う。
「腕立て伏せは楽にやっているうちは力がつかない。『もうダメだ』と思った時に、力を振り絞ってもう1回やるから力がつくんだ」
嘘である。そんなことしたら身体を痛める。
尚、その本は、その空手家が著者となっており、また、この空手家は沢山の本を出しているが、全部ゴーストライターが書いたもので、本人は1冊も書いていない。
そして、この空手家と関わりが深かったのが、『巨人の星』の原作者、梶原一騎氏(故人)で、この梶原氏が、沢山のスポ根漫画の原作を書き、スポ根の肯定的イメージを日本人に叩き込んだのだと思う。
ただ、少し前に『巨人の星』のKIndle版が無料になっていたので読んでみたら、特訓以外の地味な部分では案外素晴らしかった。

ちなみに私は、10年近く前だが、毎日、200回以上の連続腕立て伏せをやって肩や上腕を痛め、それでも続けたので、やや深刻化した。
それで、さほど腕が強くなることはなく、むしろ、故障した分だけ弱体化した。まあ、生まれつき身体の強い人の場合は別かもしれないが・・・

腕立て伏せをやるなら、楽に出来る範囲でやるべきと思う。
それが3回なら、3回で良い。
「ちょっとシンドイかな」程度にやると、鍛えられて強くなる。
少なくとも、全くしないのと、3回でもいいからやるのとでは大変な違いになる。
実際のところ、高校生や大学生の男子でも、しっかりしたやり方だと、10回出来る人は多くないはずだ。
楽なやり方で良いということに関しては、こんなことがあった。
私が中学生の時、たびたび腕立て伏せを10回やった。10回が楽になっても、それ以上はやらなかった。
すると、半月も経った頃、試しにやってみたら、30回が割と楽にやれた。当時は30回と言えば、高根の花だったが、あっさり出来たのだ。
私が腕立て伏せを200回以上出来るようになった時も、最初は、10回を楽にやれるところまで来てから、1ヶ月で10回ずつ増やしていったのだが、これで100回くらいは楽にやれるようになった。
(100回でやめておけば良かったと思う)
このように、身体は、快適な運動を長く続けると、不意にブレークスルーが起こって力を大きく伸ばすのである。
つまり、徐々に力がついていくのではない。

腕立て伏せに関しては、私は今は、ゆっくりと、大きく、美しいフォームで、一度に7回とし、それを1日に何度かやっているが、これだと身体を痛めないし、結局、最も効果的と思う。
そして、いずれ、予期せぬブレークスルーも起こるだろう。

私が今やっているメインの運動は、腕振り運動と、大東流合気柔術式の四股で、共に1日千回以上やっているが、いずれも、楽な運動で、そのくらいの数、老人でも出来る。
それを続けさえすれば、おそらく、いかなるスポーツトレーニングより優れた効果があると思う。
ただし、楽な運動と言っても、毎日、よほどのことがない限り続けるのは、根気が要る。
私は、四股は、昨年6月23日から始め、1日も欠かしていない。1日千回を超えたのは昨年11月からだ。
この四股は素晴らしく、身体が半端なく軽く感じるようになった。
一番強く効果を感じるのは、腰が強くなったことだ。以前は、時には腰痛を感じることがあったが、良い調整がされるようで、最高の腰になった。
また、私は甘いものが大好きだが、いくら食事量が少なくても、甘いものを沢山食べると太るので注意していたが、良いか悪いかは置いておいて、最近はかなり甘いものを食べるが、以前と違って、全然脂肪がつかなくなった。腰が強くなったこと関連し、代謝が良くなったのかもしれない。
昨今流行の、身体に悪い運動によるダイエットではなく、根本的に身体に良い楽な運動でのダイエットである。大東流合気柔術式の四股は、どうも、門外の人には教えないもののようだが、『大東流合気武術 佐川幸義 神業の合気』に、佐川幸義氏から直接教わった弟子が行う四股が、写真入りで解説されている。
腕振り運動は、私は 早島正雄氏の『洗心術入門』から始めた。だが、本が手元にないので、はっきりとは分からないが、この本の腕振り運動(スワイソウ)の説明に、「肛門を引き下げる」とあったのは、おそらく「引き上げる」の間違いと思う。腕振り運動と四股は、単なる肉体トレーニングではなく、生命力を強化する、英知から生まれた運動と思う。私はこれでウイルスにも対抗出来ると思っている。








ウイルスは人の意思に反応するか

H.G.ウェルズの1898年のSF『宇宙戦争』では、火星人が地球侵略にやって来る。
火星人の科学技術は地球人のものと比較にならないほど進んでいて、火星人の武力攻撃の前に、地球人は全く抵抗が出来ないまま最後を迎えようとしていた。
ところが、不意に火星人の攻撃が止まる。
火星人は地球のウイルスに感染し、死に絶えてしまったのだ。
19世紀に、今も読まれる作品を書いたウェルズの知識や想像力は大変なものであるが、実際、彼の『タイムマシン』『堀についたドア』『世界はこうなる』その他数多くの作品は、これからもずっと読み続けられるに違いない。

ところで、『宇宙戦争』で、地球のウイルスにやられてしまった火星人であるが、あれほどの科学力を持った火星人が、ウイルス対策をしないはずはない。
1969年に、アメリカのアポロ11号が月に人間を初めて送った時でさえ、月に未知のウイルスが存在することが想定され、宇宙飛行士達は帰還後、長く隔離された。
小説とはいえ、ウェルズだって、火星人にウイルスの知識がないとは思っていなかったと思う。
つまり・・・
火星人は、ちゃんとウイルス対策をしていたのだ。
だが、ウイルスは、火星人の想定を超えて突然変異をして、火星人を短時間で滅ぼしてしまったのだ。
そして、それは偶然ではない。
武力で弱い相手を滅ぼすという、神の摂理(意思)に反する意思を持ったがために、ウイルスが、そんな火星人の意思に反応して、火星人の敵になったのだ。

遺伝子情報は、人間の意志に反応して変化し、結果、細胞の性質や働きを変えることがあるという。
人間の意志が素粒子に影響を与えることは知られているが、万物は素粒子から出来ているのだから、結局のところ、人間の意思は世界に影響を与える。
そして、小さいものであるほど明確な影響を与えるのかもしれない。
ウイルスは原子の100~1000倍くらいの大きさだと思うが、そのくらいの大きさだと、即時とはいかないまでも、かなりはっきりとした影響を与えるのだと思う。
これまでに、地球規模で猛威を振るったウイルスは、人類全体の意思に反応して変化したものではないかと思えるのである。
それは、ウェルズの『宇宙戦争』で、火星人の邪まな意思によって地球のウイルスが変化したと思われるようにである。
最近の映画では、進歩した宇宙人にとって、地球人があまりに下等なので、宇宙人は悪意なく地球人類を消そうとしたという考え方も示された。
丁度、我々が家やガレージを作る際、そこにあるアリの巣を排除することに対して、何も考えないようなものだ。
また、我々はビーフステーキを美味しく食べても、牛が「美味しいステーキ」用に飼育される地獄のような環境や屠殺(とさつ)現場を知っている人はほとんどいない。
そして、今の人類は、やはり、神の摂理に反することをやり過ぎているのだと思う。
自分が儲けて贅沢をするためなら、他人がどうなっても全く構わないというところは、ちょっと周りを見てもいくらでもある。

人間の意志の作用というものを考えれば、単に宗教的というだけでなく、ウイルスや天災といったものも、人類の在り様に対する反作用、あるいは、自然の逆襲であるという考え方をしても良いのではと思う。
人間は、心穏かでなくては健康を損なうことが多い。
心穏かであるためには、1つには経済的な安定も必要であるが、つまるところ、他人、他の生き物、さらには、無生物を含むあらゆるもの、自然、惑星に対する心の持ち様が大切と思える。まず、他人に対して優しいということが最低レベルであるが、我々はそれすら失っていることが多い。それは、親切な人が際立ってしまうことからも実感するのである。
カート・ヴォネガットが知り合いの若者に言ったらしい。
「私の知る限り、この星の決まりごとは1つだ。人に優しくしろ」
それでウイルスが収まるかどうかは不明であるが、少なくとも、今よりはマシになることは容易に想像出来るのである。








ビートルズ『Yesterday』彼女はなぜ消えたかの答

ビートルズの最も有名な曲の1つ『Yesterday』の、特にこの部分を覚えている人は多いのではないかと思う。

Why she had to go?
I don't know, she wouldn't say
I said something wrong
Now I long for yesterday.

つまり、愛する彼女は消えてしまったのだが、その理由が分からないということだ。
30年後に聞いたら、案外につまらない理由だったり、あるいは、彼女の大誤解のせいだったのかもしれない(嫌な話だ)。
普段、この男が、もっと注意深ければ、先に予兆を感じることが出来たかもしれない。しかし、そうではなかった。
まあ、女は星の数なんだから、そう悔やむことはないかもしれないし、後になれば、自分でもそう思うかもしれない。

で、なぜ彼女が言ってしまったか?
それはこういうことだ。つまり、避けられぬ運命だったのだ。言うなれば、「仕方がなかった」のだ。

しかし、もっと本質的なことがある。
そのための正しい問いは、
「なぜ私は、彼女を行かせてしまったのだろう?」
だ。
彼女が消えたのは、この「私」の意思なのだ。

たとえば、ある父親に、不登校の息子がいるとする。
その父親は、評判の良い心理カウンセラーがいたら、「息子はなぜ学校に行かないのでしょう?」と尋ねるかもしれない。
いや、そんなことは聞かず、「どうすれば息子は学校に行きますか?」と聞く父親が多いような気がする。
つまり、「息子が学校に行くスイッチがどこにあるか教えて下さい」と言うようなものだ。
しかしねえ。息子さんが学校に行かないのは、父親であるあなたの意思なのだ。
そう言うと、その父親は断固否定するだろう。
そんな父親は、あまり人生が楽しくないことだろう。
壁に初音ミクさんのタペストリー(織物のポスター)が飾られているのは自分の意志であることは分かっても、テレビからトヨタ自動車のCMが流れてきたり、ビスケットを床に落としたことが自分の意志であることは分からない。
だが、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、そんなことが分かっていたので、
I am the owner of the sphere.(私は世界の所有者)
だと述べたのだろう。

あるアラブ人は、愛する家族を皆殺しにされた時、不意に、それが自分の意志であると気付き、悲しくはあったが、恍惚とした高揚を覚えた(W.B.イェイツの手記より)。
あなたは、なぜ新型コロナウイルスの感染を拡散させ始めたのだろう?
それは、人間としての知識や観念から考えても分からない。
ただ、揺らぎを起こしたかったのである。あなたの意識がね。
あなたは、学校でよく勉強が出来た頭の固い人の決まりきった話を聴いていたら、苦痛になって、そいつを一発蹴っ飛ばすとかして、場に揺らぎを起こしたいと思うだろう。
我々の意識は、世界に揺らぎを起こして変化させたいのだ。
そのために必要だから、新型コロナウイルスを作ったが、不要になれば、それは消える。

まあ、いきなり壮大なもので考えると、戸惑うばかりだ。
ならば、周囲で起こることの全てを自分の意志と思うと良い。
あまりに揺らぎのない生活を送っていると、多くの場合、自分の身体に悪い揺らぎが起こる。それが病気だ。
だから、なるべく冒険をした方が良い。
冒険の中で起こることは、自分の活力ある意思で、そのことを自覚すると、本当の意思と自分が一致してくる。
すると、世界は意のままになってくるだろう。

最初の話(ビートルズのYeaterday)に戻る。彼女はなぜ行ってしまったのか?2人の間が安定し過ぎ、揺らぎが起こらなくなったからだ。そのままでいれば、意識は揺らぎを起こすために、別の男か女を登場させたり、自分か彼女が病気になったりするだろう。
それでも良かったが、意識は別のやり方を選んだのである。








大物言葉を唱えよ

「大丈夫」という言葉を頭の中で唱える習慣のある者は、実力を発揮しやすく、粘り強く、困難に打ち勝てるという研究調査報告があるそうだ。
また、あるテレビ番組の調査では、「大丈夫」は、受験生が一番言われたい言葉だったが、受験生は不安を持っているだろうから、それを低減させてくれるのだと思う。
だが、「大丈夫」よりもっと雄大な、大物の言葉がある。
それは、「何とかなる」だ。

現在の、新型コロナウイルスの感染拡大について、「大丈夫」と言える者はいない。
「大丈夫」は、「根拠」を要求するところがある。
だから、例えば総理大臣が「大丈夫」と、根拠なしに言えば、「無責任」ということになる。
受験生が「大丈夫」という言葉を好むのは、「一生懸命勉強したから」という根拠があるからだ。
勉強を怠けた者が「大丈夫」と言ったら、それは駄目なやつだし、受験をナメていることになる。あるいは、馬鹿である。
このように「大丈夫」という言葉には、ある程度の努力が伴っていることが必要だ。

ところが、「何とかなる」はどうだろう?
ある意味、いい加減であり、脳天気だ。
ロクに勉強していない受験生は、「大丈夫」とは言い難いが、「なんとかなるさ」と言って受験したら、試験前にたまたま見た問題集の問題が出て合格してしまうことがある。(『神と人をつなぐ宇宙の大法則』に、物理学者と元裁判官の僧侶のそんな話がある)

新型コロナウイルスについて、総理大臣が「なんとかなります」と言ったら、即アウト(総理失格)だろう。
しかし、小泉元総理あたりがもし「なんとかなるでしょ」と言ったら、とても良いと思う。それを言えるほど大物であればだが。
そうだ、「なんとかなる」は大物言葉なのだ。

「大丈夫」は、人間の努力を、少なくとも、ある程度は要求する。
しかし、「何とかなる」は、そんなことはどうでも良いどころか、むしろ、人間のちっぽけな力を笑うような感じがある。

音楽を小室哲哉さんが担当した2001年のアニメ『サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER』で、こんな話があった。
004ことアルベルト・ハインリヒは、ドイツに戻り、元の仕事であったトラック運転手をしていた。
中年男のパートナーと一緒に、雪の山道を走っていたら吹雪に見舞われ、危険な状態になり、ついに走行不能に陥るが、2人はなんとか近くの無人の建物の中に避難出来た。
だが、中年のパートナーは仕事を失うことになると思って絶望し、しかも、どこにも行けない状況の中、食料もなく、死の危機である。
自暴自棄(じぼうじき。やけくそになること)になるパートナーに対し、ハインリヒは「なんとかなるさ」と微笑む。
すると、パートナーは「不思議だな。お前がそう言うと、本当になんとかなるような気がする」と言う。
そして、本当になんとかなる。

「なんとかなる」は、仏教で言う絶対他力で、人の浅はかな知恵や、ちっぽけな力を放棄し、流れに身をまかせるような感じであると思う。
そういうのを嫌う人もいるかもしれないが、世の中には、なるようにしかならないこともある。
そんな中、「なんとかなる」と言えば不思議と落ち着き、なんとかなるような気がしてくる。
新型コロナウイルスについても、なんとかなるものである。多分ね。








新型コロナウイルスはこれまでのウイルス感染流行とやや異なる

もちろん、ウイルスの世界的流行はこれまで何度もあったし、今回の新型コロナウイルスも、それらと同様、いずれは終焉するはずという期待もある。
が、「これまでのものとは違う」ということも感じられるのではないかと思う。
まず、いまだ感染源が解らないことや、陽性→陰性→陽性という変異を起こすところも不気味だ。
普通は、陰性になったところで免疫が出来ているので、むしろ、軽症で済むなら、一度感染した方が安全といったところもあり、そして、感染が広がるほど免疫のある人間も増えるから、感染が縮小していくわけだ。
新型コロナウイルスは、ヒト免疫不全ウイルス(免疫を破壊するウイルス)ではないと思うが、抗HIV薬が新型コロナウイルスに効果があるという報告もある。
現在は、新型コロナウイルスに対するワクチンはないし、いつ出来るかも不明で、そもそも、本当に有効なワクチンが作ることが出来るかどうかも解らない。

花粉症対策もだが、特に、2009年の新型インフルエンザの流行の時から、日本人はマスクを使う人が多くなり、会社や公共施設の入り口に消毒薬を置いてきた。
しかし、ジェームズ・キャメロンだったか、そんなマスクをしている日本人に対し、「駄目だ!ウイルスはどんどん身体に入れて、免疫生成能力を高めないといけない」と言っていた。
B'zの昔の曲『さまよえる蒼い弾丸』の、「無菌状態に慣れすぎ、みんな、あちこち弱っている」という歌詞を、私は妙に覚えている。
探検家の中には、世界中で、とんでもない数の、とんでもないウイルスに感染した人もいて、そんな人は、やはり、免疫の生成能力が高いのかもしれない。

まあ、不安がってばかりでは駄目だ。
このようなことを言っている私が全然不安がっていない。単に馬鹿だからだが(笑)。
吉本隆明氏の「共同幻想論」や岸田秀氏の「唯幻論」などは、かなり意味が違うのだろうが、古代インド哲学では、世界は心が作った幻想で、量子力学も、その可能性を示唆する部分があるのだと思う。(「共同幻想論」と「唯幻論」も別のものだ)
楳図かずお氏の『洗礼』という漫画で、小学4年生の美少女の心が驚くべき幻想の世界を作るが、楳図氏の壮大な想像力は、どこか無視出来ないものを感じるのである。
つまり、世界は心が作るのである。

もっと穏やかな言い方をすると、思い込みには力がある。
私はセールスマン時代、「売れると思い込めば売れる」という不可思議さ、その中でも、(偶然かもしれないが)あり得ない奇跡的なセールス成功の体験があり、心の魔法が世界を作るというのは、嘘ではないと思う。

ビタミンCは、思い込みでなく、実際にウイルスに効果があることは調べれば解ると思う。
一例として、コロナウイルスについて|大阪 田中クリニックを上げておく(私はそのクリニックとは無関係)。

今朝も、個人的な新型コロナウイルス対策はいろいろ書いた。
そして、最近よく書いているように、自己暗示というか、言葉の力は偉大だと思う。
その典型的なものでは、何度も書いたが、教育学者の七田眞氏の本にある話で、ホームレスの男性が頻繁に「神様の奇跡が起こる」と唱え、一億円の宝くじを2度当てたというものがある(七田博士は、これは事実であると明記している)。
まあ、邪な思いだけでは、こんな言葉を長く唱え続けることは出来ないので、本当に数多く唱えれば、何かは起こると思う。
また、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の第1巻の「神癒の廟」にある「生命、愛、平和」という言葉を数多く唱えれば、その中でこの言葉しか使われない廟を通り抜けるだけで、あらゆる病気が癒される力が、いくらかは備わるかもしれない。
ちょっと前なら、非科学的この上ないお話になるが、最近では、そうでもないように思う。
無論、私に解ることではないので、誰も説得するつもりはないが。
また、私の場合、医療に何度か(大袈裟ではないと思うが)殺されかけたことがあり、医療以外のものを求める傾向はあるだろうから、そのあたりはお断りしておく。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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