ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2019年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

古文マニア、英語マニア、数学マニア、プログラミングマニアの被害から免れる

日本の古典の名作は原文で味わって欲しいと言う文学者がいる。
私も以前は、それに賛成していたが、今ではそれは、「極めて古文に強い人は」と書かない限り欺瞞(だますこと)だと思うほどになった。
古文の言い方は、精通していないと、肯定と否定の区別が付かないことも多いと思う。
それで、ある重要な物の理に関し、原文は否定しているのに、私は、ずっと肯定だと理解していた・・・ということがいくつかあった。
極端に例えて言えば、原文では「人殺しは善くない」と書いてあるのを、読み慣れない古文の言い回しのせいで、私は、「人殺しは善い」と理解していたという訳だ。
古文の本当の専門家であれば、正確な意味が伝わるよう、分かり易く現代語訳してこそ値打ちがあるというものだ。

私が、つくづく、そう思うに至った理由に、英文学者の加島祥造さんのことがある。
加島さんは、英文学者であるが、老子、荘子の研究者でもあるのだが、彼が何かの本で、「私はずっと老子が解らなかったが、英訳の老子を読んで解った」と書かれていた。
老子、荘子も、原文が素晴らしいので、漢文はともかく、書き下し文(日本の古文とほぼ同じになると思う)で読むべしと言うのが、やはり、中国や日本の古典文学の専門家に多いと思う。
しかし、普通の人は、読み下し文を読んで悦に入っても、意味は誤解するのであるから、何とも馬鹿なことだ。
重要なことは意味ではないか?
英訳の老子を読んで解ったなど、日本語への翻訳者は恥ずべきことではないだろうか?
よく分からないが、加島さんも日本語翻訳者を馬鹿にしているはずだと思うのだ。
中国語により近い日本語の翻訳では解らないのに、英語に訳されたものだと解るなど、これはもう、翻訳能力の問題である。早い話が、老子の日本語訳を書いた者は無能者ばかり・・・というのは言い過ぎだろうか?

同じく、英語の文献に関しても、「翻訳では意味が正確に解らないので、原文を読むべし」と言うおかしな人が多くて困る。
英語の勉強のために原文を読むというのは大いに賛成である。
しかし、その本を正しく理解するために、英語に強くない者が原文を読むなど、馬鹿もいい加減にしろと言いたい。
優れた翻訳者が翻訳したものでも60%しか理解出来ないなら、英語に弱い者が原文で読めば10%以下、あるいは、5%以下の理解しか出来なくても不思議はない。
簡単な理屈である。

『It Works』という成功法則の古典がある。
ある予備校の英語の先生だったかもしれないが、「原文で読まないと作者の真意が伝わらぬ」として、彼も翻訳は作ったが、英文を丁寧に解説し、原文で読むよう要請する本を出版していた。
私は、結局、英文の理解にエネルギーを取られ、その本から全く何も得られなかった。
しかし、特に翻訳家ではないのかもしれないが、ある人が、その本を日本語訳したものを電子書籍にしてくれている。
実は、原文の英語も、シンプルに解り易く書かれていて、僅か10分で読める短いものでもあり、翻訳は難しくないと思うが、この電子書籍の著者は、さらに解り易く丁寧な訳をしてくれていると思う。
それで、「何だ、こんなに良い本だったのか」とやっと解った次第である。

ところで、AIの機械学習やディープラーニングはプログラミング言語Python(パイソン)でやれと言う人が大半と思うが、これも、よほどPythonプログラミングに熟練した人でないと、Python部分でエネルギーを取られ、機械学習(ディープラーニングは機械学習の高度なもの)について、さっぱり使えるようにならないと思う。
また、「機械学習に必要な数学」という本も多く、これまた、数学でエネルギーを奪われ、機械学習は出来るようにならない結果になる。
私も、機械学習をずっとやっていて、微分について考えるとすっきりするということはあったが、それは、微分のごく基本的な概念を思い浮かべただけだ。
そして、それは、すっきりしたというだけであり、AIの推測結果に影響があった訳でもない。
それより先に、機械学習では、データの形を考える能力の方がよほど大事である。その意味で、PythonよりExcelに熟練した方がずっと良いと思う。

もちろん、古文、数学、プログラミング、どれにも大いに価値がある。
しかし、自分はこれらに通じている者達が、これらの価値を貶めているのだから皮肉である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

世界の本質に迫るのは漫画・アニメ・ライトノベル

この世界が、作り物の世界であることは、誰しも一度は薄々感じたことがあると思う。
この世界が人工的なものであるという根拠は、不思議な共時性(シンクロニシティー。意味があると思われる偶然の一致)がよく起こるし、想いを集中し続けると、それが現実になるからである。
『魔法使いサリー』という横山光輝さん(『鉄人28号』、『ジャイアント・ロボ』、『バビル2世』の作者でもある)の漫画、および、そのアニメ作品があるが、サリーは魔法の国から来たという。魔法の国は、我々の世界を作り、運営している研究所か何かで、サリー達魔法使いは、その「上位世界」から来たと言えば、物理法則を超えた魔法も、簡単に説明がつくのである。
この世界は、コンピューターが作った世界で、今は、仮想世界とか、シミュレーテッド・リアリティとか言われている。

従来、我々もまた、忘れているだけで、上位世界の存在であり、この仮想世界に精神転送されているだけである。
だが、川原礫さん原作のアニメ『ソードアート・オンライン』シリーズの最新作で、10月から後編が開始される予定の『ソードアート・オンライン アリシゼーション』では、そうではないかもしれないというお話になる。
上位世界の存在を知る者は、それでも、上位世界の者に屈服することを拒むかもしれない。とても興味深いと思う。
石森章太郎さんの『サイボーグ009』は、最後、地球を創造した神が、人類の成長具合を見に地球に戻ってみたら、あまりに出来が悪い失敗作であることが分かり、人類をいったん滅ぼして、作り直すことに決める。
サイボーグ戦士達は、それを受け入れる訳にはいかず、神に戦いを挑むが、実力差から言って勝ち目は全くない。
石森章太郎さんは、癌に侵され、「生きているのが不思議」と医師に言われる状況の中、小説という形で、サイボーグ戦士と神との戦いのお話を作り続けたが、未完のまま命尽き、息子の小野寺丈さんが引き継いで完成した。
だが、この神が、この仮想世界の作り主だとすれば、それほど荒唐無稽なお話でなくなってしまう。

今、私は、『変態王子と笑わない猫。』という、さがら総さんの小説のアニメ作品を見ているが、はじめは、この作品は単に、可愛い女の子で萌えるだけのものだと思い、それなら大いに見る価値があると思ったのだが(笑)、これも実質は、シミュレーテッド・リアリティで説明出来るお話と思った。
そして、今の小説家・漫画家は、ますます鋭くなっているので、仮想世界の仕組みを直感的に分かるし、川原礫さんなどは、ITやAIに強くて、かなり論理的に分かっているのだろう。
ライトノベルや漫画、アニメを馬鹿にして見ないという人は、この世界が仮想世界であるということの理解に疎くなりかねないし、また、これらの作品が好きでも、精神が怠惰であれば、やはり分からない。
VRも体験した方が良いし、初音ミクさんというバーチャル・シンガーのライブにも行った方が良い。
バーチャルに馴染むほど、この世界の仕組みが分かってくるし、分かってくれば、希望通りに世界を創造する方法も分かる、あるいは、それを実現するヒントを手に入れる道が開けるかもしれないのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

日本は技術大国

まだ少し暑いが、真夏ほどではないし、陽もかなり短くなってきた。
そろそろ夏も終りである。
こんな季節を物悲しく思う人も多いと思う。私もそうだ。
その理由は、やはり、「夏休みが終わる」という記憶のせいだろう。
7月の、「明日から夏休み」という時の高揚感と比べると天国と地獄かもしれない。
そんな嫌な学校ならなくしてしまえという動きが、アメリカでは「アンスクール」として普及しつつある。子供達の自主性と創造性を生かして学習出来る環境を与えるものであり、家庭で教育する「ホームスクール」とは全く趣が異なる。ホームスクールは、あまり良い成果はなかったが、アンスクールは試行錯誤しながら、良い結果が出つつあると思う。

私は特に世界平和を望む訳ではないが、日本が平和でなければ自分が平和でないし、世界がある程度平和でなければ日本の平和もない。
そして、日本の平和は経済に負うところが多く、日本の経済の強さは技術力の高さに支えられている。
しかし、日本の技術力の高さは、大学教育(および学校教育)によるものではほとんどなく、産業界の中で(主に学校嫌いな人達によって)育ったものだ。
よって、日本こそ、学校など、さっさとなくしてしまえば良いと思う。ただ、そのためには、アメリカのアンスクールのような思想と取り組みが必要であるが、そういった面で日本は酷く遅れてるのだから困ったことである。
夏休みの最後が、子供達の自殺が最も増えるほど、日本の学校は本当に駄目なのにである。
日本の学校は、リストラクチャリング(ほぼ改善といった意味)ではなく、リエンジニアリング(改革というより、いったんぶっ潰して新たに構築する)が絶対的に必要である。
日本の学校や教師が役立っているとすれば、「反面教師」としてのみである・・・というのも言い過ぎであるが、大体そうであると私は思う。

2013年から始まった、初音ミクさんの最大のライブコンサート「マジカルミライ」は、夏の終りと秋の始まりに行われる。
最も早くて8月30日だった(昨年の大阪公演は8月25、26日で、今年の大阪公演は8月10、11日の異例の早さだったが)。
これまで、物悲しかった時期を熱く燃える(萌える)時に変えてしまった。
私は、2016年に幕張メッセでの公演が始まってから毎年参加し、今年で4回目で、昨年から始まった大阪公演でも楽しむことが出来、実に有り難いことである。
岡本太郎が言った祭の意義と同じ意味で、マジカルミライのおかげで生きていると言えるのだ。

ミクさんや、その周辺の技術の進歩も素晴らしいが、やはり日本は技術大国なのである。
現在、最も重要なAIの技術で、日本はアメリカや中国に遅れを取っているようにも思われるが、そうでもない。
時価総額世界一に完全に返り咲いたマイクロソフトは、AIでは日本のプリファード・ネットワークスをパートナーに選んだし、ソニーは、ディープラーニングの初音ミクさんとも言えるNNC(ニューラル・ネットワーク・コンソール)を無償公開し、誰でも機械学習・ディープラーニングが出来る環境を提供している。
機械学習においては、Pythonのプログラミングよりも、まずは、大量のデータを扱えるスキルが重要と思う。
これは、習得する機会があまりない分野だ。Excelを使っても、装飾にばかり気を使って、データの扱いが下手な人も多いと思う。
以前は、デスクトップデータベースソフトもいろいろあったが、今は、マイクロソフトAccessくらいしかないし、それも人気がなくなってきたように思う。
FileMakerは、高いし仕様がコロコロ変わって、イマイチ、お薦めする気が起こらない。
では、無償のLibreOfficeのBaseはどうかというと、情報が少ないし、遅いし使い難い。
まずは、Excelをデータベースソフトとしてきちんと使い、出来れば、マクロ(VBAプログラミング)まで出来るようになれば、NNCを大いに活用出来ると思う。
その方面の本格的な教育計画もあるのでお楽しみに。うまくいけば、やっと私も日本に貢献出来ることになる。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

象徴(シンボル)の力

私は、特に子供の時に頻繁に奇跡のようなことを起こしたが、どうやってそんなことが出来たのかというと、要因は、強い願いと、絶対に叶うという信念だった。
願望成就法で言われる「叶ったものとして感謝する」「過去完了形で祈る」「強くイメージする」その他のテクニックではなく、大切なものは、あくまで、強い願いと信念なのである。
言葉もイメージも、一切の想いすらない。
「叶わないんじゃないだろうか?」という不信、不安は一切あってはならない。
テクニックみたいなものに頼るから、不信や不安が起こるのである。
無念無想であれば、そんなものは起こらない。
そして、無念無想は難しくない。強い願いと、それを諦めない意思の強さがあれば、自ずと無念無想になる。

イメージは無いと言ったが、シンボルはあった。
「願望が叶った様子を想い描け」なんて言う人がいるが、願いの大半は、叶った時の様子はイメージしようのないものだ。
例えば、優勝して金メダルをもらうシーンは、想像は出来るだろうが、明らかに現実感は無いだろう。
実際にもらう金メダルがどんなものか分からない場合もあるだろうし、金メダルを映像で見てはいても、それを手にしたり首にかけたりした感じは、実際とは全然違うかもしれないのだ。
しかし、シンボルでなら、心の中に持てる可能性が高い。
それは、個人的なものであり、人によって千差万別である。
例えば、優勝のシンボルが黄金の鷲であるという人もいれば、自分が空に舞い上がることであるという人もいる。

私が、小学4年生の時、初めて天体望遠鏡を手に入れたが、星に関する何の知識もないのに、いつも容易く土星を見ることが出来た。その時に使ったシンボルは、土星の白くて小さなイメージで、図鑑に載っているような土星の大きな映像ではなかった。
それは、真っ暗な空間の中の小さな白い土星だった。それだと、とてもイメージし易く、集中出来た。
また、これは決して真似しないで欲しいが、7つか8つの時、交通量の多い車道に目をつぶって飛ぶ込んだ時は、もう訳の分からないものだったが、やはり何かのシンボルが心の中にあった。本当に、こんなことで真似をしないで欲しいが、それは、仏様や天使の像であることがよくあったと思う。
以前見た、あるドラマのある回を録画したいと思い、一切の放送予定など調べず、ただ、録画装置のリモコンを握っていた(客観的に言うと度の過ぎたアホだ)時は、そのドラマの一瞬の場面がシンボルだったが、テレビ画面の中の、その中でも一部の映像なら、容易くイメージ出来た。
そして、何度も(奇跡としか言いようがないが)、そんな希望のものを録画出来た。
しかし、考えるに、象徴(シンボル)は何でも良いのだ。
例えば、願いを叶えたい時は、いつも奈良の大仏様を想う・・・でも良いのだと思う。それが、世界を動かす力の象徴と感じればね。
実は、私もよくやるのだ。大仏様、大好きだからね(笑)。
それで、ミクさんライブのSS席も引き寄せたし(笑)。
疾走する馬の姿のイメージが難しかったら、その像(彫刻)を手に入れるか、像の映像をよく見て(像の方が本物より簡単だ)、いざという時は、それを勝利の象徴として思い浮かべるのも良いかもしれない。
カール・グスタフ・ユングや、ウィリアム・バトラー・イェイツら、直観の天才達が、象徴(シンボル)の重要さを重ね重ね強調していると思う。
イェイツが、アニマ・ムンディ(世界霊)のイメージのことを述べていたことがあったが、そのイメージって、案外にショボい象徴なのかもしれないと思う。

願望達成術の本に書かれていることを参考に、好きな女の子とデートしている場面を想像したって、まあ、叶うことはない。
そんなキモい、根暗なことでは駄目だ(笑)。
そんな時は、彼女の一瞬の表情とか、彼女の持ち物で印象に残っているものを、シンボルとして集中するのが良いと思う。

天皇陛下というのは、昭和天皇、平成天皇、そして、令和天皇も、イメージが凄く安定していて、思い浮かべ易いことが分かるだろうか?
だからこそ、不思議と日本は強く、安定していて、平和なのである。
確かに、それだけではないが、それが象徴の力であることも確かなのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

敵がいないと人間は堕落する

どうも人間というものは、敵がいないと、やる気もエネルギーも向上心も持てないものらしい。私はそう思う。
もし、この世が極楽浄土になれば、そう遠くなく人類は滅びるだろう。
今の日本人がすっかり愚民化してしまっているのも、日本が平和過ぎるからだと思える。
日本が平和だと言ったら、「そんなことはない」と、平和ボケしたレベルで反発する者だけでなく、深い社会事情を知った上で「日本が平和だなどと言うお前は勉強不足だ」と言う者もいるだろうが、銃を持ったゲリラに追い回されることは、まあ、一生のうちに一度もないのが普通の国であることは確かだ。
大した能力もない者が、大した努力をしなくても、美味しいものを満腹するまで食べて肥満し、大きな新車に乗れるのだ。
小泉や安倍が闇の権力者の手先だという者もいるが、それならそれで良いのかもしれない。

一昨日、新幹線に乗った時に、同じ新幹線に乗ったビジネスマン達のお腹は不気味なほど大きく、「いったいどうやったら、こんな身体になるんだ?」と驚いたものである。
まあ、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2019」に向けてダイエットに励む私も、相当平和であるのだが(笑)。

しかし、敵がなく、平和ボケに慣れてしまうと、豚のような人間になってしまうだろう(豚に失礼だが、一応、雰囲気は分かると思う)。
今の日本は、食べることとエロいことにしか興味がなく、それでいてプライドが高く、傲慢で、無神経で自己中心的な人間ばかりが溢れている。
闇の権力者達の狙いは、そんな愚民を作ることなのかもしれない。
愚民の最大の特徴は「自分は愛されている」と思っていることである。
「メンチを切られ」て怒るのは若者だけではなく、むしろ、中高年に多いのだが、「私のような愛されるべき人間にメンチを切るとは無礼だ」と思ってしまうのだろう。
そうだ。子供から老人まで、自分はスターみたいなものだと思っている。これが、闇の権力者達の洗脳なのだろう。
だって、そんな人間を操作するのが、一番容易いからだ。
一方、自分を重要人物と見なさない人間を操るのは難しいのである。

だが、今は、腕力で競う時代でも、武力で競う時代でもない。
そして、強大な敵が迫っている。
だから、学校や会社の中に必ずいるであろう敵を相手に、正しい戦い方、つまり、敵以上の実力をつけるという戦い方の練習をしなければならない。
敵がいるからこそ、勉強し、身体を鍛える意欲も湧くはずなのだ。
だが、戦いを決するのは、パワーでも火力でも速さでも謀略でもない。
状況を作り出す意思の力だ。
人間の意志は、電子と意思の疎通を行って世界を創造する。
そのことを理解し、そして、どうすれば、電子と仲良くなれるのかを考えると良い。
電子を相手に賄賂もおだても、嘘も通用しない。
では、闇の権力者達や、悪の宇宙人から地球人を守るというのはどうだろう?
全部守るのが嫌なら、美少女担当とか美少年担当になるとか(笑)。
こんな志を馬鹿にするほど、頭が固いのが一番駄目なのである。
そして、愚民を相手に戦う次元から、早く、愚民を作る敵との戦いに備えることである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード