ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2018年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

バレてんだってそんなの

医者とか科学者とかいった立派な人達が、「現代医学、科学は間違いです」と言い、利他的に生きればDNAのスイッチが入りますとか、他者のために祈れば世界も自分も良くなるとか、この世は魂を磨く場であるとか、果ては、我々のテーマは愛を出すことですとか・・・
「言ってるあなた方、本当に出来てるの?」
と言いたくなる。
いや、出来てるのかもしれないので、失礼かもしれないが、私に出来るとは想像も出来ないのでね。
それに、法然、親鸞は、「私にはさっぱり」と言ったのである。
一休も、老人になっても、酒、女、肉食、止めなかった(止められなかった)。まあ、弟子には禁止したが、若いモンには修行が必要だ(笑)。

戦争中、日本のスローガンは「欲しがりません、勝つまでは」だったと思う。
しかし、終戦73年、鏡音リン・レン10周年記念ソング『劣等上等』で、「欲しがります死ぬまでは」と歌い上げた。
「バレてんだってそんなのって」と言ってね。

『ルーツ』という映画で、アフリカに奴隷用の黒人を捕らえに来た白人は、自分達は単にビジネスをしているのであり、悪いことをしているのではないから、船にはちゃんと神父も乗せていた。善良なるキリスト教徒は日曜ごとにミサに出る必要があるからね。
捕らえた黒人の若い娘は、早速その場で手を出した。
そして、神父のところにも娘を連れていき、「神父様も、枕代わりにどうぞ」と言う。
神父は「おお神よ、なんと罪深い」と口では言うが、誘惑に負けて娘を受け取る。
「バレてんだってそんなのって」である。

自由奔放にしていい訳でもない。
この世には、上には上がいる。
大統領になったところで、対抗してくる敵はいる。
そして、最強の敵である運命には勝てない(まあ、本当は敵ではないが)。
偉大なる存在「サムシング・グレート」に祈れなんて「ご立派な」ことを言う者がいる。
いや、単に運命には逆らえないってことだけなのにね。
そんな偉そうなことを言う者ほど、利己的で我のかたまりである。経験者は語るだ(笑)。
ギリシャのアポロン神殿に書かれているように「身の程を知れ」ば良いだけである。
しかし、おそらく、神は慈悲深い。
我々に必要なことは、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
だけである。
お釈迦様も、「女好きで良いが、奥さんや娘さんを拉致してはならん」と言ったのであるし、それを守れば、仏様もアンタを守ってくれると教えたのだと思う。
涅槃経で説かれていることは、そういうことだ。
そうじゃないと言われても、それ以上は私には無理である。
まさか、法然、親鸞、一休に優るはずがないからね。

土曜まで仕事なので、「マジカルミライ2018」のブルーレイは日曜到着で注文した。
WOWOWで雪ミクさんも観たし、フランスでの「HATSUNE MIKU EXPO2018 EUROPE」も観れたし、良い年だった・・・リッピング複製なんてしてないよ、本当だよ(笑)。
レコーダーの録画をブルーレイにコピーしたら、レコーダーのHDDから消えちゃう、つまり、コピーでなく移動だからって、違法なことなんてしたくないから、せめて10回コピー出来るようにしてくれたらねえ・・・
結局、デジタルはコピーされる。それは止められないのだよ。早く諦めなさいって・・・時代遅れで滅ぶ前に。









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博打の真髄がわかった

書名は挙げないが、ある本の最初の方に、「祈りとは諦めないことだ」と書かれているのを見て納得し、半分まで読んだが、正直、後は読まない方が良いと思った。
正確には、「必要な唯一のことは諦めないこと」と書かれていたのであり、「祈りとは諦めないこと」と書かれていたのではない。
だが、イエスはじめ、多くの、確かに立派な人達が、祈りが最も大切と言うが、皆、なぜか、祈りとは何かを言わない。
有名な宗教家の五井昌久さんが、世界平和の祈りという具体的なものを示したのは素晴らしいことだが、私には、世界平和の祈りは無理だった。
イエスの「主の祈り」も、今の時代、難しいのではないかと思う。

そして、これまで、諦めないことが一番大切だと、何度も聞いたはずなのに、これも、どうもぴったりこなかった。
『美少女戦士セーラームーン』のエンディング曲『乙女のポリシー』で、「どんなピンチの時も絶対あきらめない そうよそれがカレンな乙女のポリシー」って、芹沢類さんという偉大な作詞家の歌詞は心に残りながらも、どこか曖昧なのだ。
『魔法少女リリカルなのは』のなのはの呪文「風は空に、星は天に、不屈の心はこの胸に」の素晴らしさには感動するが、やはり、「不屈の心」がピンと来ない。抽象的過ぎるのだ。

つまりね、確かに、諦めないこと、不屈であること、恐れずに求めること、勇気を出して前に進むこと。
初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』や、IAさんの『Shoting Star』が心を打つのも、そんなことを歌っているからなのだが、これには、難しい、ダークな面もある。
例えば、「アイドルになるのを諦めない」といったところで、正直、「アンタには無理だよ」という場合もあるし、そもそも、アイドルにならない方が良いかもしれない。
「東大を諦めない」といったところで、無理なものは無理だ。
つまり、諦めるべきことは絶対にある。
いくら好きでも、その人が他の人と結ばれて幸せなら、すっぱり諦めるべきだが、「諦めきれない」なんて言うと不幸へ一直線だ。
かといって、大事業家の稲盛和夫さんのように、「私心ありかなきか」なんて高尚な教えを聞いても、「私心?大有りだが文句あるか?」と言いたい場合も多い・・・凡人だからね。

いかに願っても、自分の力では、どうにもならないことが大半なのだ。
プロ野球選手やプロサッカー選手になりたくても、実際になれるのは天才級の素質のある者だけだ。
それが不都合な真実ってやつだ。
だから、人間に出来ることは、ただ、黙々と練習することだけだ。
後は、運任せというか、天に任せるしかない。
だが、諦めてしまっては、可能性はゼロになる。

青池保子さんの超長編漫画『エロイカより愛をこめて』の、少佐とミーシャのこんな会話が忘れられない。
少佐「諦めは愚か者の結論だ」
ミーシャ「お前達のは愚か者の悪あがきだ」
どちらも正しいのだ。
人生で大切なことは、「悪あがきをする価値があるかどうか」なのだ。
そして、実際は、価値があるかどうかは分からない。分からないが賭けるしかないのだよ、人間は。

人生は博打である。
しかし、博打ほど奥が深いものはない。
それも、賢い人は、皆気付いたことだ。
博打の真髄とは、
「ただ賭けるしかない。後は運任せ」
である。
文句を言うやつに、博打をする値打ちはない。
賭けに負けるなら、何かが間違っていたのだ。
それが、スーフィーの格言「神を信用しろ。だがラクダはつないでおけ」である。
ラクダを自分でつなぐ者は、まあ、負けることはない。

まとまっていなくてすまないが、まとめられたら大したやつだ。
いずれ、短くまとめよう。
いや、もうまとまっているかもしれないがね。









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大海原で1本の針を探す

偉大な漫画家である水野英子さんの作品『ファイヤー!』の中で、若い黒人バンドが歌っていた歌に、こんな歌詞があったと思う。
「俺が卒業する時、教師が言った。お前はよく出来る___(忘れたが、外交官とか弁護士といったエリートの職業)になりなさい。俺は立派に採用されたが、仕事は床掃除だったよ」
半世紀前のアメリカ・・・法律や建前に反し、人種差別が平然と行われていた時代だ。
後に私も学歴差別は露骨に味わったが、小学生の時に読んだその話は、非常に強烈に印象に残っている。
差別はまだまだ、なくなりそうにない。
『火星人地球大襲撃』という映画で、地球人よりずっと進歩していた火星人が滅びた理由が、火星人の「異物の排斥」指向だったが、これも差別思想だ。
我々の社会も、異物(変わり者)を排斥することは変わらない。

では、世の中を敵に回した変わり者はどうすれば良いか?
ウィンストン・チャーチルの名言を思い出す。
「決して屈服するな。決して、決して、決して」
チャーチルは、ナチスに対して屈するなと言ったのかもしれないが、一般的に、「屈服するな」を「諦めるな」と言った方が良い。
つまり、
「決して諦めるな。決して、決して、決して」
だ。

『キャプテンフューチャー』という昔のNHKアニメ(原作はエドモント・ハミルトンの歴史的傑作)で、キャプテンフューチャーことカーティス・ニュートンは、魂を醜い半漁人の中に入れられても、あるいは、魂を抜かれ身体を失っても、決して諦めずに、最後は勝利するという、おそるべき粘りを見せた。
ある時、原始的な惑星に囚人達と共に放置され、しかも、その惑星が1年後には崩壊するという危機の中では、囚人達と仲良くし、金属を採集し、溶鉱炉を作るといった、ゼロから始めて宇宙船を作るという離れ業をやった。
「生きている脳」サイモン・ライトに、誰かが、「それは大海原で1本の針を探すようなものです」と言うと、人類最高の頭脳サイモンは、「では、探そうではないか」と力強く即答し、そして、彼らは見つけた。1本の針を。
「決して諦めるな。決して、決して、決して」
どんなに状況が不利でも、ギリギリまで粘ることを忘れてはならない。









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クリスマス・イヴに気付かず過ごす

クリスマス・イヴであることに気付かずに過ごしたのは、物心ついてから初めてのような気がする。
スーパーに買い物に行っても、「なんで、こんなにチキンが売られてるんだ」といぶかりはしたが、それでも思いつかなかった。
まあ、本来、キリスト教徒でもない人達に、イエスの誕生日は何の意味もないだろうし、私も、イエスは嫌いではないが、キリスト教徒ではない。
そもそも、イエスの誕生日が本当はいつかは分かっていないはずだし、イエスの誕生日が12月25日となったのは、6世紀頃、キリスト教の権威者達が会議で決めたことらしいし、なぜその日を誕生日にしたかというと、マニ教の太陽神であるミトラ神の生誕日を当てた・・・等々という夢のない話を沢山思い出す(以上、私の記憶にあるもので、正確ではないと思う)。
クリスマスにしたって、ユダヤ人の生活習慣(午前0時が一日の始まりではない)に従えば、26日が本当のクリスマスだとか、そんな話も見た気がする。

マッチ売りの少女の命日は大晦日であったはずだが、物語の描写がクリスマスのような雰囲気で、私には、クリスマスと大晦日の区別がなくなってしまった。
あのお話がトラウマになってしまい、私はクリスマスというものが、あまり好きでない。
むしろ、クリスマスを忘れてしまったのは自然なことだったのかもしれない。
小学生の時は、合同のクリスマス・パーティー(当時はクリパなんて言わなかった・・・今も言わないか)に無理矢理参加させられたり、本当に散々な思い出しかない。
だが、17歳の時のクリスマス・イブにディケンズの『クリスマス・キャロル』を読んでいたことを覚えている。
好きな話だったが、考えてみれば、いろいろおかしい。
スクルージは、自分の遺体がぞんざいに扱われるのを見てショックを受けたことが、改心の決め手だったように思うが、それって、脅しで心を入れ替えたってことではないだろうか?「悪い人間だと、こんな悲惨なことになるぞ」っていう。
しかし、善い人間でありながら、死体を丁重に扱ってもらえなかった人は沢山いるわけで、いまだアウシュビッツの処刑場には、ユダヤ人達の人骨が転がっているという話を見た覚えがある。
そして、私が気になるのは、スクルージを救った彼の唯一の友人だったマーレイは、スクルージを救ったことで、ちょっとは地獄での待遇が良くなったかということだが、それには触れられていない。
しかも、スクルージは、「自分が死んだ時は、マーレイよ、お前よりずっといい身分であることを見せてやる」なんて、自分のことしか考えていなかったみたいだし。
彼は、友人の恩を忘れた罪でギルティ(有罪)だ。

昨日は、WOWOW(「わうわう」と読むとは知らずに、ずっと「をうをう」と言っていた)で録画した、Snow Miku2018 Liveのアンコールの雪ミクさんの3曲、つまり、『好き!雪!本気マジック』、『Snow Fairy Story』、『四角い地球を丸くする』を、合わせて3回観た。
凄くきれいで、可愛かった。
しかし、なんで、ブルーレイディスクにコピーしたら、コピーでなく移動になってしまい、レコーダーのハードディスクから消えてしまうんだ?
ガチガチの権利主義にすっかり嫌気が差し、リッピングしてやろうかと思った(誰でも簡単に出来るけど)。
地球は、やっぱり、まだまだ四角い。丸く出来るのはミクさんだけなのだ。

クリスマスも大晦日もお正月も、あまり良い思い出はないが、それほど嫌いでもない。
むしろ好きな部分もある。
黒住宗忠によれば、神様にまるごとまかせきれば、年の暮れも穏かでいられるのらしい。
だが、ラクダはつないでおくように。
神様にやらせるようなことでないことまで怠けてはいけない。









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変な目標で「素振り」に匹敵すること

昨夜も今朝も書いた通り、野球の素振りに匹敵することを、自分のやりたいことで数多くやれば勝てる。
これまで、野球選手のテッド・ウィリアムズや、ピカソやベートヴェンでそうであったと書いたが、ビートルズのデビュー前の酒場での演奏や、ビル・ゲイツの高校時代のプログラミングがまさにそうだった。
アメリカでもゴッド・ハンドと呼ばれた超人空手家は、
「空手に強くなるのに秘訣などない。千回、万回の繰り返しのみ」
と言ったらしいが、彼は自分は大嘘つきだと認めていても、真理もいっぱい言っているのである。

では、変な話だが、魔法使いになるとか、超能力者になるとかの場合はどうだろう?
その方面の本を読んだり、本に書いてある修行をすれば良いのかというと、そういった本に書かれていることが本当のことかどうかは分からないし、おそらく、ほとんどが嘘だろう。
別に、本当に魔法や超能力でなくてもいいが、要は、全く世間的でなく、やり方が分からないことだ。
有名な科学技術者の中にも、案外に超能力のようなものの研究を熱心にやってた人がいるが、それに関する「素振り」の量が多ければ、やはり力になっているはずなのだ。
私なんて、本当に魔法使いになりたいしね(笑)。
では、どうすれば良いかというと、「そのことについて考える」ことだ。
最近、度々、プロレスのジャイアント馬場さんの話をするが、あの人は、本当に良い感性をしていたと思うのだ。
彼が憧れてやまなかったレスラーは、アメリカのバディ・ロジャースだったが、馬場さんは、やはりロジャースをよく観察していた。
すると、ロジャースは、他のレスラーが、遊んだり、酒を飲んだり、雑談している間も、ずっと考えていたのだそうだ。
ロジャースが考えていたことは、間違いなくプロレスのことで、どうやればお客さんが喜び、会場に足を運んでくれるかについてだった。
馬場さんは、「そりゃ、ずっと考えている人と、そうでない人では、長い間に差がつきますよ」と言ったようだが、全くその通りだ。

私は最近、AI(人工知能)の機械学習プログラミングをマスターしようとしているが、書籍は沢山出ていても、今は本当に良い書籍はない。
しかし、ずっと機械学習のことを考えていたら、良い情報が来たり、アイデアが閃いて、なんとか進歩している。
振り返って考えれば、どんなこともそうであった。
好きな女の子(男の子)でもいるなら、ずっとその子のことを考えると、嫌でも縁が出来てしまう。
ただし、余計なことはせず、ただ淡々と考えることだ。
野球の素振りのように。
考えるというよりは、「意識を向ける」に近い。
そして、それは、「紙に書いて忘れると叶う」と矛盾しない。
紙に書いたのは目標。
意識を向けるというのは、目的のない思考の運動なのだ。
例えば、上に述べた、ジャイアント馬場さんの憧れのバディ・ロジャースで言えば、世界一の人気レスラーになることが彼の目標であるが、考えるのは、お客さんを喜ばせることなのだ。
好きな子を恋人にすることが目標でも、普段、素振りとして考えることは、どうやればその人を楽しませるか、あるいは、その人のどこがそんなに良いかといったことなのだ。

野球の素振りってのは、「ホームラン王になってやろう」とか、それ以前に「プロになってやろう」と思ってやっても、あまり効果はない。
好きだから振るのだ。
まさに、テッド・ウィリアムズが子供の時からそうだったように。










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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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