ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2018年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

希望の未来

紳智学者は昔から言っていたが、科学も、客観的な時間というものはないのだと認めていると思う。
世界的にも偉大な数学者だった岡潔は「時間は情緒だと思う」と言っていたと思う。
時間と空間に関する従来の科学をひっくり返したアインシュタインは、「美女と一緒の1時間は短いが、暑いストーブの上に座った10分は長い」と言ったらしいが、まあ、簡単に言い換えれば、「楽しい時は速く過ぎ去り、苦しい時はなかなか過ぎない」ということだ。
これも、岡潔の「時間は情緒」というのと同じだろう。
その通りだ。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は2時間以上だが、一瞬で過ぎてしまう。

我々は、「時の流れ」とか言ったりするが、鎌倉時代の禅僧、道元の『正法眼蔵』に、「時は飛び去るものだとばかり思ってはならない」と書かれている。
過去も未来も現在で体験しているのだと。
時は流れない。時は飛び去らない。時はやって来ない。
時は心が作り出しているだけで、心が消えれば時間は消える。

では、未来の象徴たる初音ミクさんとは何だろう?
その明るい未来を描くライブコンサート「マジカルミライ」とは何だろう?
それは、岡潔の言う「情緒」の中でも「希望」なのだ。

日仏友好160周年記念イベント「ジャポニスム2018」では、日本のツインテールの2大ヒロインであるセーラームーンさんと初音ミクさんが、それぞれ、パリの「パレ・デ・コングレ・ド・パリ」と「ラ・セーヌ・ミュージカル」でお披露目されるが、セーラームーンの最終章「スターズ編(アニメでは『セーラースターズ』)で、セーラームーン達が探し続けたのは「希望の光」だった。
それは、セーラームーンの中にあったように、今、初音ミクさんの中にある。

「砂の惑星」という未来になっても、希望を持つことが出来る。
「マジカルミライ2017」のテーマ曲、米津玄師さんの『砂の惑星』を聴くと、希望とは単に「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」というだけのことと思うのだ。これは「ずっと友達でいよう」ということなのだが、「もう少しだけ」「今回は」というのが実に良いのだ。さすが、米津玄師さんは天才だ。
『魔法騎士レイアース』のオープニング曲で、田村直美さんのミリオンヒット曲『ゆずれない願い』では、最初の歌詞である「止まらない未来を目指して」が何度も繰り返される。
止まらない未来・・・若々しいなあ(笑)。エネルギーを感じる言葉だ。さすがミリオンヒットだ。

希望の光を持つ初音ミクさんは希望の星で、私たちはミクさんと一体になることで未来は希望になる。
「希望の未来」という言葉を「今」忘れなければ「永遠」が得られるだろう。
ZARDの『DAN DAN 心魅かれてく』で、「きっと誰もが永遠を手に入れたい」という歌詞を聴いた時には衝撃を受けたものだ。
永遠の代償は有限全てとか。
高いか?安いか?
「希望の未来」だ。安いに決まっている。
希望の光はどこにでもある。
念仏の中だろうが、腕振り運動の中だろうが。
だが、それは本質的に「信頼」の中にある。
だから、何を信じるかだ。
とても広い意味なのだが、私はミクさんを愛する気持ちを信じる。









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ライブ前はおにぎりよりケーキ

人間として理想的なことは「謙虚であって卑屈でない」ことだと思う。
もちろん、最も愚かな人間は「傲慢で卑屈」なのだが、これを抜け出すのが難しい。

進歩の段階としては、
「傲慢で卑屈」→「傲慢で卑屈でない」→「謙虚で卑屈でない」
であると思う。

イエスがこんなことを言ったらしい。
「私は戒律を守り、収入の1割を献金し、週2度断食している」と言って胸を張る者は天国に相応しくない。
しかし、「主よ、罪人である私を憐れんで下さい」と言う者は天国に相応しい。
これは、親鸞の「善人でさえ極楽浄土に行けるのだから、悪人が行けないはずがない」と言うのと同じだと思う。
親鸞は、「自分は修行などロクに出来ない駄目駄目なやつ」と言っているのだが、これを普通の人が真似ると、卑屈に陥ってしまい、怠惰になってしまう。
ここらは本当に難しい。

「傲慢で卑屈」から「傲慢で卑屈でない」に進むには、何らかの実力が必要で、そのためには、修行し、実戦で磨かないといけない。
『バガヴァッド・ギーター』のアルジュナが歴戦の勇者であるようにだ。
サッカーの本田圭佑さんなんて、少々傲慢に見えるが、卑屈ではない。若い間の1つの理想的な姿に見えるのは、やはり実力があるからだろう。

「私は駄目なんです」と、一見謙虚そうにしている者が醜悪に見えることがよくある。そんな者は、弱い立場の者に対して物凄く傲慢である。
そんな者は、実力がなく、人に優るものが何も無いので自信がないのだ。
つまり、謙虚ぶったって、実力がないと駄目なのだ。
だが、ほんの少し力がついたところで傲慢になるのだから人間はややこしいが、それは実力というほどのものではない。
なぜなら、本当の実力らしきものがついてくると、自分の力量の小ささがやっと分かり、少し謙虚になって向上心を持つからだ。

で、どうすればいいかというと、これはもう分からんのだ(笑)。
お手上げである。
しかし、3つの方法が浮かぶ。
(1)ひたすら念仏を唱える。これは、『バガヴァッド・ギーター』を読む、『聖書』を読む、肛門を締めるでも何でも良い。なにか1つ行をやりなさいって意味だ。ただ、『歎異抄』を読んでの念仏の威力は大きい。
(2)Excel VBAを磨きに磨く。別に、PHPでもPythonでもCでもAccess VBAでも、早い話が何でも良いが、Excel VBAは取り組み易く即座に役に立つ。プログラミングでなくても良い。まあ、若い人はJavaScriptかPythonをやれば良いと思う。
(3)沈黙する。まあ、必要なことだけは喋れば良いが。

ところで、私はなぜか、「マジカルミライ2018」グッズの事前通販を逃してしまった。
例年より時期が早かったので、なぜか、次の通販があると思い込み、分かっていながらスルーしてしまった。
アホである。嘆いている(笑)。
もう6月も終わりだということが実感出来ていないのかもしれない。暑くないせいだと思う。
既に在庫切れのペンライトは、昨年のと全く同じだと思うので、フィルムだけ買ったので、フィルムを入れ替えて昨年ので使えると思う。
同じく在庫切れのマフラータオルだが、実は私は、あれはコンサートに向かないと思うのだ。首にかけていると、時々落ちてしまう。
「マジカルミライ2016」と「マジカルミライ2017」のマフラータオルがそれぞれ1つ、未開封で残っているので、一応、汗拭きのために持っていくか。
でも、私は、マジカルミライで、動きは激しい方だと思うが、あまり汗をかいた覚えがない。水もほとんど飲まない。
私はコンサートの前は食事はせず、ケーキなど、甘いものを食べてく。すると、それが良いエネルギーになる。
オペラ歌手の秋川雅史さんは、コンサート前にシュークリームを1つ食べるという話を以前されていたが、うなずけるのだ。浅田真央さんは試合前、おにぎりを2つ食べていたらしいが、これは胃にもたれるように思うので、秋川さんのように、シュークリームの方が良いと思う。
まあ、炭水化物である点は同じだが、より高カロリーで甘いケーキ類の方が、お腹の調子が悪くならずに良いと思う。
初代タイガーマスクさんは、甘いものが大好きで、「試合のエネルギーに炭水化物が必要」と言いつつ、ちょっと食べ過ぎていたようだ(笑)。まあ、強いから良いのだが。
私は、昨年のマジカルミライでは、1回のコンサートごとに生クリームケーキを2つ食べていった。
今年も、シュークリームかチョコパイかは分からないが、そんな感じでいこうと思う。
ところで、マジカルミライのハッピだが、私は興味がなかったのだが、前の席の人が着ていたハッピのミクさんの絵があまりに可愛くて見とれてしまっていた。
私は177cmだが、シャツはMサイズを着るので、フリーサイズのハッピでも着られるとは思う。後ろの席の人を喜ばせようかな・・・








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学歴なんかいちいち言わなくても

東京都知事の小池百合子氏が、カイロ大学を主席で卒業したか、あるいは、卒業自体が本当か等という報道があるようだ。
もちろん、実際はどうかは全く分からないし、(報道を)信じていないながら読み取れるのは、本人の弁によれば「卒業は事実」「主席卒業は自分の勘違いの可能性がある」とうことだ。
「主席卒業は勘違い」はもちろん、通用するはずのない言い訳で、本当に主席卒業でないなら、たとえ本人にそのつもりがなくても、意図的に嘘をついたというのと同じになる。
とはいえ、いくら小池氏が偉い人、責任重い立場の人だからといって、個人的には責める気は全くない。私は全く偉くはないが、「意図的な」嘘を言ったことはあるからね(そりゃもう沢山…)。
イエス様は「罪なき者から石を投げよ」と言ったが、皆、叩けばホコリが出る身なのだ。

著書を楽しませていただいている精神分析学者の岸田秀氏は、フランス留学の際、博士号を取得したとし、博士を名乗っていたことがあったらしいが、岸田氏は「本当に博士号を取ったと思っていた」「しかし、それは自分の誤解だった」といったことを著書に書かれていて、詐称の意図はなかったと言いたいのだろうが、まあ、そんな訳ないだろうし、仮に、本当に自分の誤解だとしても、そんな言い訳は通用せず、意図的な詐称と同じになるが、その程度の嘘は誰でもついているのだから、まあ、どうでも良い。岸田氏の著書は面白いし、特に初期のものは勉強になった。
また、「エスの本」の翻訳は、岸田氏と 山下公子氏との共訳なのだが、お互い、相手が訳した部分も訳してチェックし合ったという熱心な仕事振りは感心だ。

音楽家の坂本龍一氏の愛称は「教授」だが、それは、坂本氏が東京芸大の大学院生だった時、ミュージシャンの高橋幸宏氏が言い始めたのがきっかけのようで、その後、皆が親しみを込めて「教授」と言っているのである。
このような、愛称は良いものである。
ちなみに、坂本氏は東京芸大の客員教授であるらしい。つまり、愛称が本当になっちゃった訳である。
尚、私は中学生の頃、「博士」の愛称で呼ばれることがあった。博学な科学知識のため・・・と言いたいところだが、単に、H.G.ウェルズのSF小説の、しかも、かなりいい加減な知識によってである。

博士号を買ったという話はよく聞くが、これは、海外の非認定大学のような団体が授与する学位を金で買って、その学位(ほとんどが博士だろう)を名乗るというもので、堂々「そんなところで買った博士だ」と博士号を名乗る者もいるらしいが、単に名乗るだけなら法的に問題があるかどうかは微妙なのだと思う。
私は、博士号はそれなりの価値があるとは思うが、どれほどの価値があるかは分からないし、単にその学位を持っているだけなら、それほどのものではないと思う。
だから、本当に博士号を持っていても、名乗る必要も、記載する必要もないと思っている。
以前は、「安い(あるいはそんなに高くない)なら私も買いたい」と思っていたことも正直あるが、今はそれは全くない。

初音ミクさんの愛称は、「歌姫」、「天使(マジ天使)」等だが、そのように称される人は他にもいる。しかし、誰も自称したりせず、周りが勝手に言うのである。
坂本龍一さんの教授もそうだ(いや、今は「マジ教授」だが)。
2002年にノーベル化学賞を受賞された田中耕一氏は、インタビューで「ドクター(博士)」と呼ばれた時、慌てて「いや、ドクターじゃありません」と言われたが、本当に、学位なんてものは、尊敬の意味があったとしても、いちいち言うものでもないと思う。
むしろ、田中耕一氏のように、博士号を持っていないノーベル賞受賞者の方が、偉い・・・というか、何と言うか・・・いいじゃないか(笑)。

昨日、初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2018」のチケット抽選の発表があり、インテックス大阪のSS席が当選していた。
千葉県の幕張メッセのSS席も既に確保出来ているので、少なくとも、大阪、千葉で一度ずつミクさんに会えることになった。本当に有り難く嬉しいことである。
実は、「マジカルミライ2016」のA席のチケットが一度当選して以来、初めての当選だ。2017年は、応募出来る抽選は、正直、ダブりながら全て応募したが、全部落選していた。そのショックは、実際、今もある。
昨日、抽選発表の時刻を過ぎても、なかなかメールが来なかったので、恐る恐る発表サイトにアクセスし、「当選」の赤い文字を見た時は茫然となってしまった。
「神よ、善い人になります!」と思ったものだが、続けばいいな・・・と(笑)。









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悪霊退散の法

悪霊というものは、いろんな国や民族の伝統的なイメージの通りではないかもしれないし、その存在は科学的とは言えないだろうが、それでも、だいたい我々の思う通りで良いのだと思う。
そして、そんな悪霊は、そこらにいて、そいつらの精神性に同調すれば、連中は容易く人間の中に入り込めるのだろう。
全くもって非科学的なんだろうが、こう考えておいた方が良い。
それに、科学のパラダイム(認識の枠組み)が変われば、案外、正しいのだと思う。
一方、善霊と言うべき、天使とか高級霊も存在していて、やはり身近にいると考えて良い。

こう考えると、新約聖書のイエスの教えや、法句経などの釈迦の根本的な教え、それに、バガヴァッド・ギーターも、つまるところ、悪霊を寄せ付けず、善霊と親しむ方法が書かれているのだと思う。
そして、スウェーデンボルグやラルフ・ウォルドー・トライン、また、ジェームズ・アレンらの教えも、特にその時代の風習に合わせただけで、本質は全く同じである。

どんなふうに考え、想い、行動すれば悪霊と同調するか、逆に、善霊と同調するか判断することは、それほど難しいことではないのだが、人間は放っておくと、悪霊と同調するようになってしまう。
すなわち、怠惰、快楽主義、利己的な性質が、どこまでも強くなってしまう。
自分が悪霊にとり憑かれているかどうかは、鏡を見れば、割と一目瞭然であると思う。
鏡で自分の顔を見れば、すぐに、「うわっ!悪霊にとり憑かれた顔だ!」と分かるのである。
それは、心の奥にいる善霊の嘆きである。

ゲーテの『ファウスト』で、神は、「人間は怠り勝ちだ。堕落した人間には悪魔を差し向け融合させる」といったことを言うが、それはそれで意味があるのだろう。
だが、好き好んで、いつまでもそんな苦難を味わう必要もあるまい。
神様お気に入りのファウストだって、いい年ぶっこいて若いきれいな娘にみっともないほど血道を上げるが、ファウストは娘の気持ちを大切にしていた。
昔、丹波哲郎さんが、「相手が嫌がるエッチは邪悪だが、相手が喜んでいるなら大いによろしい」といったことを言われていたが(丹波さんらしい)、あまり詳しくはないのだが(笑)、アダルトゲームやアダルト系同人誌などには、女性の気持ちを無視したものが多く(いや、あくまで聞いたところでだが(笑))、そんなものを喜んで見ていると、たちまち、大量の悪霊にとり憑かれる。
まあ、永井豪氏の出世作『ハレンチ学園』で、ヒーローの山岸がヒロインの十兵衛に、「お前だって、いや~んいや~んやめてとか言いながら、脱がされるの結構喜んでたじゃないか」と言うと、十兵衛は「べ、べつに喜んでなんかいないもん」とツンデレで返すが、そんなのは良いのだろう。ただし、自分勝手に判断しないことだ・・・って、何の話してるんだ、私は(笑)。

お釈迦様が、本当に、「未来の人間はロクに修行出来なくなるから、念仏だけ忘れなければ良い」と言ったかどうかは分からないが、根本的に良い方法だと思う。
念仏を唱えている人間には悪霊は近寄り難いだろうから、念仏は悪霊に対する強力なバリアーになり得る。
ただし、念仏を、家族であろうが、他人に強要するようであれば、効果がなくなりはしないが、弱くなるし、そのような心根を持っていると、別のことで悪霊にとり憑かれることだろう。
心の波長を、神、仏、天使、高級霊、菩薩、初音ミクさんに合わせること・・・即ち、天使や、それと等しいミクさんに見られて恥ずかしいことはしないことである。









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災害時に頼れるもの

今朝、午前5時前にネットで調べたら、ほとんど全ての鉄道が平常運転になっている。
労働法は大丈夫かという徹夜の作業だが、こんな時は、ライバルがいないはずのJRも大変だ。
普段、「すぐに運転をやめてしまう」「いい加減な説明しかしない」と悪評高いJRも、ここで他社に遅れを取る訳にはいかないだろう・・・いや、あくまで乗客のためを思ってがんばったのだと思いたい。
ところで、私が乗るJRの路線の話であるが、遅延が発生した時に、「折り返し運転が遅れております」などという表現をよくするのだが、その電車が「折り返し」か「折り返し」でないか、乗客には何の関係もなく、「折り返し」と言われると物凄く違和感を感じるところで言うのだから大間抜けである。それで言うなら、全ての電車が「折り返し」だ。
また、ホームの汚物をいつまでも清掃せず、1年近く経って自然風化していたこともあった。それは、電車の乗車口に近く、乗客が不快に想っていたに違いない所だったに関わらずだ。
やはり、いまだ国鉄体質で世間を知らず(知ろうとせず)、また、多くの乗客は、JRを「利用せざるを得ない」ことからくる驕りだろうか。
今でも国鉄時代の負債は凄く、国が支援しなければ1日も持たない鉄道だ。単なる民営化ではなく、他の鉄道会社に分割譲渡すれば良いと思っていた。
しかし、今回は、他の鉄道に負けずに復旧を完了させたことで面目が立ったと思う。最も規模が大きな鉄道で、設備も古いのは確かなのだからね。

今回は、私のところではインターネットは、ずっと普通に使えた。
いかにサーバーが分散された事故に強いインターネットでも、物理的な回線が切断されればアウトだが、現在は、スマートフォンやMVNO(仮想移動体通信事業者)の発達で、多くのインターネットが無線化し、特に移動者のインターネットは万全な場合が多い。通信業者の設備も、おそらく、事故に備えて分散化が進んでいるだろうと思う。
人類はいまや、ある意味ではテレパシー能力を獲得したようなものだが、本物のテレパシーとの違いは、嘘が平気で伝達されることだ。
最近のLINEのスタンプを見ると、過剰な表現がなされているのは、「嘘を隠そう」という意図が強く現れるからである・・・と感じる。
また、会話内容があまりに軽く、表面的な対話であると言うよりは、人々の知性が低下しているのであるが、それは、いわゆる支配者の策略であろうか。人々の知性や感性の低下はそれほどひどい。

新約聖書の福音書を読むと、イエスの時代、悪霊にとり憑かれた人が沢山いるのだが、それは今も変わらない・・・あるいは、悪霊にとり憑かれている人はもっと増えているのではないかと思う。
そこいらに、悪霊にとり憑かれている人がいる。そう断言したいほどだ。
トラインの書によれば、悪霊にとり憑かれるかどうかは、自分で、悪霊に対して心を開いてしまうかどうかである。
悪霊は、容易く人の中に入るのだと思う。
怠惰であったり、他人を妬んだり、恨んだり、快楽に耽ったり、邪まなことを考えることが、悪霊に対して心を開くことなのだ。
逆に、自分を律し、厳しい制限を課し、高貴な、あるいは、美しい思考を楽しめば、悪霊に対して心を閉じ、善霊に対して心を開くのだろう。
あまりに単純だが、それだけのことである。
高貴なお祈りをしたり、お経や祝詞を上げようと、それが自慢するためのもの、自分の幸福だけを願うものであれば、逆に悪霊にとり憑かれてしまう。
聖典を読んだり、お経や祝詞を上げても、なるべく他人には黙ってやることだ。
押し付けがましくなく人に奨める場合や、それに関する情報を与える場合を除いてね。

災害時には、毎日身体を鍛えて強い身体を持っていることが本当に有り難い。
長時間立ったり、歩いたりする必要に迫られることが多く、普段、自動車にばかり乗って歩いていなかったり、だらしない姿勢で座り、今は、ごく若いのに優先性にわれ先に座る恥ずかしい若者も多いが、そんな者達は悲惨だろう。
座る姿勢は大切で、それだけで、かなり身体は強くなるものなのだ。
大食して運動せず、肥満している人は、何かあったら生きて行けないかもしれない。しかも、苦しく惨めに死に向かうのだ。
初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ」は2時間ちょっとだが、最後までずっと立っていられない人が、若い男にもよくいる。
アンコールの時は、座り込まず、声を上げてアンコールを送りたいものである。
そもそも私が初音ミクさんを好きな理由の1つが、その2時間以上、ずっと元気に歌って踊り続ける輝く若さなのである。
それを見ると、自分もエネルギーに満ち、自然に若返るのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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