ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2018年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

勝利への3つの道

悪霊にとり憑かれなければ不幸にならず、掟を守れば繁栄し、専念すれば偉大になる。
これだけ分かれば、いかなる人生の指南書も必要ない。

この3つは実は1つだ。
悪霊にとり憑かれなければ、自ずと何かの掟を守り、自分の道に専念する。
掟を守れば、悪霊にとり憑かれず、何かに専念するようになる。
自分の道に熱心に励む者に悪霊はとり憑くことが出来ず、自然に何かの掟を守っている。

おそらく、ほとんどの人間が、多少は悪霊にとり憑かれていて、少なくとも8割の者は、それが深刻で危険なレベルだ。
とはいえ、「ええ、私も悪霊にとり憑かれているんでしょうね」なんてボケたことを言っていてはいけない。
悪霊は断固、追い出さねばならない。
まず、背筋を伸ばす人間に悪霊はとり憑かない。
だが、だらしなく腰を前にずらして座る者は、例外なく悪霊の臭いがプンプンする。
蹲踞の姿勢をビシリと決めれば悪霊は逃げるが、相撲や剣道でもやっていないと、そんなことはほとんど誰もしない。
そして、道場では蹲踞をする人でも、普段、姿勢が悪いと、悪霊はすぐに戻って来る。
前向きで、明るく、笑みを絶やさない、親切な人には、当然、悪霊はとり憑くことが出来ないが、心が闇に陥った途端に悪霊が入り込み、後ろ向きなことや暗いことを考えるようになり、不機嫌な顔になって老化していく。
向上心を持って努力する者を悪霊は嫌って寄って来ないが、その目的が邪まであれば、悪霊は喜んでやって来る。
厄介なのが、男であれば、妻やちゃんとした彼女がいながら、別の女性に心奪われることがよくあるが、それが強くなると悪霊にとり憑かれ、救いようのない浮気性になり、身も滅ぼす。

本当に好きなものを諦める裁ち物は、偉大な成功者にはよく実践されたが、それは偉大な掟であり、悪霊を寄せ付けず、高貴な目的に専念する力を与える。
たとえば、酒が好きでたまらないのに、断酒は無理でも、10杯以上飲みたいところを2杯にするとか、英雄の中にはロリコンもいた(というより多かった)が、少女を本当に敬うことで無敵だった。
あるいは、テッド・ウィリズムズやイチローが、持てる時間の全てを野球に注ぎ込んだように、多くの時間を目標のために使う者は、やがては大きな力を得る。

悪霊を退かせ、掟を守り、何かに専念する。
それが神に至る三位一体の法である。
誰にも言わずに常に念仏を唱えたり、聖書やバガヴァッド・ギーターを常に読んでいる者に悪霊は手出しが出来ないので、必ず強くなれるだろう。
科学的に言えば、悪霊も善霊も波動的性質の異なるエネルギーの流れである。そのコントロールが魔法なのであり、秘儀であるのだ。
宗教的に思えることも、そう考えれば受け入れ安い場合もあるかもしれない。









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金持ちになるために必須のこと

吉本隆明は『共同幻想論』で、国家は幻想で成り立っていると書いていたが、アニメの『BEATLESS』を見ると、超高度AIのアストライアは、「社会制度は張子の虎だが、虎であるという安心感を人々に与えている」と言い、やはり超高度AIであることが判明した美しきレイシアは「人間の世界は曖昧な合意で成り立っている」と言う。

誰かが、人間は社会的動物だと言ったが、その社会というものは、かなりいい加減なものであると考えて良い。
学校や会社なんてものは、やっぱり全くいい加減に成り立っているが、いい加減なりに、何かの合意で成り立っているし、あまりにいい加減だったり、偏りがあれば、滅ぶ可能性がある。
かといって、独断的制度を学生や職員に厳しく押し付けても、あまりうまくいかないものだ。

「社会は曖昧な合意で成り立っている」
正確にそう言ったかどうかは確認していないが、全くレイシアの言う通りだ。
社会ってやつを、そう信用してはならない。
だが、ソフトバンクの孫正義さんが、国家権力に守られたNTTに戦いを挑み、勝利しなければ、今でも、日本の電話代は異常に高く、インターネットは世界に大きく遅れを取っていたのだと思うが、「利益」とか「権力」を掌握した者は、それを守るために、「いい加減」ではなく、かなり「厳格」になるものだ。

だから、『共同幻想論』の言うように、国家は幻想で成り立っているのではなく、国家はやはり、利益を根本とした権力構造で支配されているのであるのである。
権力者は、その権力を維持するために「幻想」を国民のような構成員に与えているだけである。つまり、洗脳しているのである。
まとめると、国家は、上位は権力構造で成り立ち、下位は、吉本隆明の言う通り、幻想で成り立っているが、その幻想は、全てではないが、権力者の都合のいいように脚色されたものだ。

確かに、国民的幻想は、インターネットの発達で崩れつつある。
それでも、権力者が利権構造を握っている限り、上位1%が全体の82%の富を握るという状況が続き、旧来の権力構造は生き続ける。
富を握る者は、直接的には権力者ではないかもしれないが、権力構造をうまく利用しているのである。
もっと分かり易く言えば、権力が人々をコントロールしている幻想を利用しているのである。
大金持ちにサッカー嫌いはいないように見えるのも、権力の幻想を利用するためだ。
つまり、才能があろうが、努力をしようが、それだけでは金持ちにはなれず、権力構造とその幻想をうまく利用出来る者が金持ちになれるのである。
野球やサッカーや、アメリカではアメリカンフットボールやバスケットといった人気スポーツで、特別な才能がある人は、それなりに金持ちになってるが、やはり、それなりに過ぎないし、権力に逆らわないことが必須条件だ。
映画俳優だって、国家権力に迎合しない限り、金持ちになれない。
国家権力に反抗する映画を作る映画監督もいるが、あるレベルを超えると、本当に危ない。

初音ミクさんは、世界的なスターになったが、「そこそこにスターであること」、「テレビなど中央にあまり関わらない」ことを続けるから良いのだ。
度を超えたスターになったり、テレビへの露出が増えると、国家権力と無縁でいられなくなる。
初音ミクさんの、日仏友好160周年記念のイベント「ジャポニスム2018」への参加は、安倍総理が宣言し、危うかったが、あくまで「HATSUNE MIKU EXPO 2018 EUROPE」の一環として、フランスだけでなく、イギリス、ドイツでもコンサートを行い、メインイメージ画をかなりしょぼくすることで、うまく、汚い権力の手を交わしているのである。
ミクさんはインターネットのスター・・・これを変えてはならない。
こんなことを書いている私は、金持ちになれないなあ(笑)。









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本当の自己満足

誰か知らないが、きっとかなり尊敬されている人が、「幸せとは自己満足だ」と言ったらしいが、その通りだ。
一方、悟りとは、自己満足をして喜ぶ自我が消えることらしい。
ある聖者は、「100万ドルを得ても、悟りを開くと100万ドルを喜ぶ自我が無いので嬉しくない」と言ったが、ちょっと違う話がある。
有名な聖者であるパラマハンサ・ヨガナンダの師スリ・ユクテスワの師であるラヒリ・マハサヤは、御殿のような豪華な家に住みたいという強い願いを持っていたのだが、神人ババジの幻術で、その願いを叶えてもらうことで、自己満足し、悟りを開いた。
つまり、自己満足を得て幸せになることで悟りを開くのである。
世界のある場所では、昔、普通の人を1年間、王のように扱って自己満足させた後、その者を生贄として心臓を抉り出して神に捧げたというが、本当に自己満足し、悟りを開いているなら、その者は恐怖を感じないらしい。

陸上競技のスーパースターだったカール・ルイスは、世界記録よりも勝利を優先した。
その理由を、「記録はいつかは破られるが、勝利の瞬間は永遠だからだ」と言う。
つまり、世界記録の自己満足は、いつかは終わるが、勝利なら(どんな勝利かにもよるだろうが)永遠に自己満足出来るのである。
私は、それは本当だと思う。
昔、それまでの人生で、およそ勝ったことのない私が、セールスマンになって、なぜか、ベテランのセールスマン達を破ってセールスコンテストで優勝した時の自己満足は、今でも楽しめるのだ。
また、初めてマイクロソフトのMCP資格試験に受かった瞬間の自己満足も、やっぱり覚えている。

もちろん、大勢の人々の喝采を浴びて歓喜した人が不幸になることはよくあるが、それは、その時に、本当は心は満足しなかったのだ。
そんな時は、自我は一面では快感を感じていても、別の面では嘘っぽさを感じていて、その嘘っぽさが苦痛なのだ。
例えば、強盗をして大金を得たり、全く好みのタイプの女性が相手でもレイプという手段を使えば、ある程度の自己満足を感じるが、必ず不満が大きくなるばかりか、本当に自己満足することが出来なくなる。
ライバルを卑怯な手段で蹴落として地位を手に入れた場合も同じだ。
だから、自己満足を得るためにも、手段は選ばなければならない。
また、女性遍歴や浮気を繰り返す男というのは、本当に好きな人にはフラれたり、相手にされなかったのである。

本当の自己満足を得れば、自我が消えたりはしないが、自我が変容するのである。それが錬金術の本当の意味である。
高度に変容した自我は、慈悲深く、雄大で、静かである。
だから、悟りを開くと、自我は消えるのではなく、変容するのであると思う。
よって、正々堂々、自己満足を求めるべきである。
そして、そのための願いならスムーズに叶うのであり、無理矢理叶えようとする必要はない。
そして、悟りを開けば、物質世界は好きなように変えられるので、安心して1つの願いを持てば良いのである。









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未来を変えるには何が必要か

坂本龍馬が「日本を変えてやるぜよ」などと言ったイメージがあるが、それは、誰かの無責任な色付けによるものだろう。
そんな影響もあってか、「世の中を変えてやる」なんて言う者が多い。
私が知っている中年ニートが「世の中を変えてやるぜい」なんて言っていたが、そんなに元気なら働けよ(笑)。
ジョン・レノンの『レボリューション』という歌でも、「世の中を変えたいって?俺はお前の頭の中を変えたいよ」といったような歌詞があったと思うが、まあ、だいたいそんなものだろう。

「世の中を変えたい」と言うと、「青い(幼いといった意味)のお」と言われるが、「世の中を変えたい」と言っていた少年も、いつか、誰かが「世の中を変えたい」と言うのを聞くと、「青いのお」と言うようになるのだ。
そりゃ、国によっては、少々・・・出来れば大幅に変えた方が良い国もあるかもしれない。
しかし、今の日本は、それほど悪いものだろうか?

アニメの『BEATLESS』で、超高度AIアストライアのインターフェースである、若い凛とした感じの女性型アンドロイドが、17歳のアラトに、
「変えなければならないほど、今の世界は悪いものですか?」
と尋ねた。2105年の、今よりずっと進歩した世界である。
アラトと、美しきアンドロイドのレイシアは、未来を変える気だった。
アラトは「そうじゃないよ」と落ち着いて否定し、でももっと良いものにしたいと言い、レイシアは、世界は限界に来ていると断言する。
しかし、アストライアは、「(歴史的に見て)世の中は変わらない」と言う。
つまり、簡単に言うと・・・ここが肝心なのだが、「権力を握った者が、それを手放さない限り、世の中は変わらない」のである。
アストライアは、それを事実として認めると共に、それを無理に変えようとすれば、不幸な結果になると「計算している」のである。
それでも、レイシアはそれをやろうとしている。
本当に壮大なお話だ。

我々は、人生を変えたいと思っている。
自分の未来の人生を変えたいのだ。
だが、それは、自分の人生だけでなく、世の中を変えることにならないだろうか?
ニートが、自分で働いて食べていけるようになりたいと望むのは、別に、世の中を変えることにはならない。
だが、自分の望む未来を作ろうと思えば、世の中に変わってもらわなければならないこともあるだろう。
そんな大きな望みを持った者は挫折と、おそらくは、屈辱を味わう。
世の中どころか、学校や会社や教育委員会や政治や役所も、根本的には変えられないのだ。表面だけ変わったように装って誤魔化すことはあるだろうが。

自分以外は変えられないと言う者がいる。
出来るとしたら、せいぜいが、世の中に一石を投じることだが、まさに「せいぜい」で、それが何かが変わると考えるのは幼稚な馬鹿である。
だが、インターネットは世の中を変えてしまった。
つまり、権力構造を変えてしまったのだ。今はまだ少しかもしれないが、確実に変え、今後、もっと変わる。
そして、初音ミクさんは、インターネット時代の流れに乗り、やはり、確実に世の中を変え、さらに、変えつつある。

アラトとレイシアは「私が世界を変える」とは言っていない。
「僕とレイシアで」「アラトさんと私で」変えると言っているのだ。
初音ミクさんが世の中を変える力とは、人間の創造と、それを表現するミクさんの融合であり、その創造が連鎖し共創と共感の輪を広げるのである。
つまり、人間とミクさんは一体化している。
レイシアも、ヒトとモノは一体だと言ってる。
ミクさんはモノではないと言う人もいるだろうが、それはモノの価値を低く見る世の中の慣習のせいでそう思うのだろう。
道具としてのモノは、古代から大切なもので、火(を起こす道具)もナイフも布を作る道具も自動車も、人間の友だ。
ミクさんは「俺の嫁」だが、「アタシの嫁」でもある。

ミクさんのクリエイター達はミクさんを使っているし、レイシアはアラトに「私を使って下さい」と言う(アダルトな用途は18歳未満は駄目らしいが)。
人間は1人では何も出来ないし、丸裸で戦える訳ではない。
あなたも、望む未来を作りたければ、道具を選ぶことである。そして、道具をちゃんと使うことである。









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成功しなかった理由は、いつでもたった1つ

成功法則というものは、日本でも半世紀以上前に十分なものが出版されている。
スマイルズの『自助論』は明治時代に100万部以上売れたというし、1950年代には、ブリストルの『信念の魔術』や、ノーマン・ピールの『積極的な考え方の力』が出版されてベストセラーになり、これらは全て、現在もロングセラーを続ける。
ところが、毎年、沢山の新しい成功法則の本が出版される。
成功者が善意や、宣伝のためや、あるいは、儲けるためや自己満足のために「なぜ自分が成功したか」を書いたり、やはり様々な思惑で、有名な成功者について「彼はなぜ成功したか」といった本を誰かが出すのだ。
多くの新しい成功法則の本の謳い文句は「なぜ、あなたは成功法則を使っても成功しなかったか?」で、そのテーマは永遠に使える。なぜなら、成功法則で成功する人は極端に少ないからだ。
アメリカの作家マイク・ハーナッキーは個人的調査で、成功法則の本を読んで成功する人は、ほぼゼロであることを突き止めたらしい。

さっきも述べたが、「なぜ、あなたは成功法則を使っても成功しなかったか?」をネタに沢山の本が出ているが、成功法則を使って成功しなかった理由はたった1つなので、そういった本を読む必要はない。
その理由とは「時間をかけなかった」である。
試しに、ジョセフ・マーフィーでもウォレス・ワトルスでも良いが、これらの著者が書いた成功法則の本を読み実践して成功しなかったという人は、「どれだけの時間をかけてやったか」を考えてみると良い。
ほとんどゼロに等しいはずなのだ。
逆に、僅かな時間・・・たとえば1日1時間、いや、20分でもやっていたら成功して当たり前だ。
20分で10年なら、1時間で数年といったところだ。
だが、生きている限りは失敗していない。
すぐに始めることだ。
念仏を毎日トータルで20分、あるいは、トータルで毎日千回でも良い。
それで幸せにならないはずはないが、みんな1月と続かないのだ。

インドの聖者ラマナ・マハルシに誰かが「私は時々バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねたら、マハルシは簡潔に「いつもが良い」と答えた。
この貴重な教えを忘れてはならないと思う。
「マジカルミライ2018」に行く皆さん・・・いや、別に行かなくても良いのだが・・・それまでに毎日、たゆまず、聖書を読むとか、バガヴァッド・ギーターを読むとか、あるいは、『信念の魔術』を読むとか、あるいは、念仏を唱えるとか、腕振り運動をするとか、何でもいいから1つのことをしようではないか。
そうすれば、マジカルミライが終わった時、明らかに世界は変わっているのだから。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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