ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2018年05月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

騙さないと生きられない現実

合気道の達人、植芝盛平や、道術という武道を創始したMRT(仙骨無痛良法)の内海康満さんの礼が見事であると書かれているのを見ただけで、私は心が爽やかになるのを感じたことがある。
その見事な礼の姿を想像するだけでも楽しいものだ。
ところが、最近、私の愛読書になった『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』の著者、林悦道さんは、長く土建業に従事していたが、今は道場を開いて、子供達も含め、武道の指導をしているというが、彼の説く「礼」の意味に深い感銘を受けた。
それは、私の長年の心の中の疑問を解消するものだった。
それは、こんなものである。
日常では、暴力や人を騙すことは悪いこととされる。
しかし、武道では、人を殴り、蹴り、投げるし、騙しのテクニックも重要だ。
そんなものを日常に持ち出して暴力を振るったり、騙したりしたら・・・そんな者もよくいるのだが、それは悪になる。
だから、道場の出入りで礼をして、日常と非日常を切り替え、きちんとけじめを付けさせるために礼をするのだと言う。
はっきり言って、林さんは、あの神のごとき植芝盛平を超えていると思う。

だが、現実世界は、暴力はともかく、騙さなければ生きていけないことも林さんは説いていて、私も目が覚めた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で、ハルヒが、アマチュアながら訓練された野球チーム相手にピッチャーとして対戦するお話がある。
見た目は高校1年生の美少女で、顔もスタイルも抜群で、特に大柄でもないが、ハルヒの速球は凄く、最初のバッターを三球三振に討ち取る。
しかし、二人目からは打たれまくる。
その理由は、野球にはド素人のキョン(主人公。高1男子)にだって分かる。
ストライクゾーンの真ん中に直球しか投げないのだから、それが分かってしまえば打たれるに決まっている。
正々堂々のスポ根の王道である『巨人の星』でも、少年時代の星飛雄馬に対し、心理誘導をして、まともなストライクしか投げられないようにしたら、素晴らしい速球を投げる飛雄馬が打たれまくるというお話があった。
いかに大谷翔平の球が速くても、ストレートばかり投げたら、打たれまくるだろう。
そもそも、いかに剛速球ピッチャーでも、直球勝負だけというのは、体力的に無理なのだそうだ。

野球のピッチャーの投法に「チェンジ・アップ」というものがある。
いかにも速球を投げそうなフリをしてスローボールを投げ、バッターのタイミングを狂わせるというものだ。
ポーズも腕の振りも、さらに、表情まで「全力で投げるぞ」と見せて、ゆるい球を投げてバッターの意表を突くのである。
真面目な人なら、「それって卑怯じゃないのか」と思うだろうし、私はいまだそう思う。
しかし、もちろん、卑怯ではない。
素晴らしいフォークボール(直球のように来る球が急に落ちる)だって、考えようによっては卑怯だが、やはりまっとうなテクニックだ。
野球だけでなく、バレーボールのフェイント攻撃や時間差攻撃も、騙しと言えば騙しだし、卑怯と言えば卑怯と言えるかもしれない。
だが、騙しの全くない力勝負だけのスポーツなんて存在しない。
陸上競技の跳躍競技ともなれば、さすがに、ほとんど力勝負だが、ここでも精神的駆け引きは行われる。
そして、スポーツが人間を磨き、知恵を与えるのは、騙しの部分も少なくはないのだ。

私が社会人になって初めてやった仕事は家庭向けセールスだったが、上司や先輩に、「お前のトークはまとも過ぎる。工夫しろ」とよく言われた。
その「工夫」の実例は、私にはやはり「騙し」にしか思えない。
上司達は、やや苦しげな顔をして、「いや、騙しとは違う。騙しは良くない」などと言うを不審に思ったりもした。
だいたい、「キャンペーン中です」なんて騙しであることがほとんどだ。だって、年がら年中キャンペーン中なのだから。
「あなたに特別なお知らせです」ってのを、誰にでも行っているのだから、特別でも何でもない。
私は、そういったことがいちいち気に入らないが、ひきこもり等、社会不適合者には、そういった潔癖症と言うか「ガキ」が多いのだと思う。

実に、社会は嘘で成り立っている。
吉本隆明が、「国家は幻想で出来ている」と言ったが、国家も社会も会社も学校も、嘘、嘘、嘘だらけなのである。

宮本武蔵の『五輪書』を、外国のビジネスマンが「この書は騙しの指南書だ。そうか、日本のビジネスが強いのは、こんな思想があるからだ」と言うのをテレビで見たことがある。
確かに、『五輪書』には。「不意をつけ」「むかつかせろ」など、清純な頭には卑怯としか思えないことが書かれているが、この本は殺し合いに勝つ究極の秘訣を説いたものなのだから、卑怯でない方がおかしい。
それに、『五輪書』を批判したあの外国のビジネスマンだって、卑怯なことはいっぱいしているはずだし、何より彼は「俺もこれでいく」と宣言したのだ。

私は、嘘をまとって、一時、セールスで好成績を上げたが、耐えられずに駄目になった。
こういうのを本当の「社会不適合者」と言うのだ。
私はビジネスでは成功出来ない。
本宮ひろ志さんの漫画『俺の空』で、武尊コンツェルンの御曹司、武尊善行は、主人公の安田一平に、「男が女に本当のことを言うことなんて、一生に何度ある?」と言い、一平が激怒する場面があるが、少々極端な表現ではあるが、武尊善行の言うことにも一理ある。
少なくとも、嘘も言えない男に女は落とせない。
普通の女にモテる秘訣は、誰でも受け入れそうな雰囲気を出すことだが、それも騙しで、本当は相手を選んでいるのである。

まともな頭はおめでたい頭だ。
それでは生きられない。
そういうことで悩むのが青春で、そんな時期も必要だが、人は大人にならないといけない。
大人になれない者に世間は厳し過ぎる。
だけど、嘘にも限度がある。それを見極められるのが本当の大人なのだろう。









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最大の罪を犯すな

デジタル・ネイティブと言われる若い世代は、1日中スマホをいじり、LINEで連絡を取り合い、Instagramで写真を公開し、YouTubeの動画を楽しみ、映像配信を行っているが、そんな彼らが「ITに強い」なんてことはほとんど全くない。
MITメディアラボのミッチェル・レズニック教授は、2012年のTED講演で、彼らは、単に新しいテクノロジーに慣れているだけと言っていたが、そんな新しいテクノロジーや、それらを使ったサービスは、「馬鹿でも使えるくらい易しい」のだから、使えること自体は、全く大したことがないのは、彼らのLINEやインスタの中身の無さを見ても分かることだ。
それに、別に、デジタル・ネイティブ世代でなくても、おじさん・おばさん世代も、やれば全く同じように出来ることが分かってきて、やっぱり、ITに強いことと、新しいデジタル機器を使えることとは何の関係もないことははっきりしている。
宮崎駿監督も以前、iPadを使う若者を見て、「紙と鉛筆使う俺の方がずっとクリエイティブだ」と言い、単にiPadを使わされているだけの若者の指の動きは、マスターベーションみたいで気持ち悪いと言われていたように思うが、まあ、それはそうだろう。

では、クリエイティブ(創造的)とは、どういうことだろう?
それは、自律しており、ある意味、自分勝手に何かをすることだ。
そして、インターネットなどのITテクノロジのおかげで、事業を立ち上げるコストはほとんどゼロになってるのだから、クリエイティブでなければならない。
GoogleもFacebookも、学生が、誰の許可も得ずに勝手に始めたものだ。
とはいえ、いつの時代だって、人類を前に進めたものは、誰の許可も取らずに(権威に従わず)、勝手にやったものだけだった。
まあ、「自分勝手」といった時、単に放埓(身勝手)なのと、革新的であることの違いは、明確でありながら混同され易いし、また、権威はそれらを無理矢理混同させ、革新的な行動を身勝手としたがるのは、いちいち説明するまでもないが、クリエイティブなことをやろうとすると、権威にすがって保身を計る者(決して老人だけでなく、若い世代の多くもそうだ)には非難される。
だから、岡本太郎は、「馬鹿にされていい。いや、馬鹿にされないといけない。馬鹿にされないものが大したものであるはずがない」と言ったが、クリエイティブであることには覚悟もいるってことだろう。

上に挙げたレズニック教授によると、だから創造的であるためにはプログラミングをやりましょうということなのだが、プログラミングをやることは良いことではあるが、「創造性にはプログラミング」などと言ったらややこしいのだ。
プログラミングは、創造的であることの助けにはなるが、プログラミングと創造性そのものには何の関係もない。
プログラミングがなかった時代にも創造性は当然あったのだし、プログラミングは出来ないが創造的な人間も沢山いる。スティーブ・ジョブズだって、実はプログラミングは出来なかった。
それよりも、MITメディアラボの伊藤穣一さんが2010年のTED講演で言ったことの方が重要である。
今は、インターネットにより、必要なものは無料で全部揃う。仲間はすぐに見つかるし、知りたいことはすぐに調べられる。
だから、「つながることに力を注ぎ、常に学び、アンテナを高くして今に集中する」ことが大切だと伊藤穣一さんは言われたのだと思うが、まあ、好きなことを力いっぱいやりなさいってことだ。
ただ、初音ミクさんの偉大なるお父さん、伊藤博之さんが講演で言われていたが、「好きなことをするシステムは自分で作らないといけない」、つまり、誰もあんたのためにやりたいことが出来る環境は作ってくれないので、そこらは自分でやんないといけないということだろう。
子供だって、親に与えられた、いろんなことをやる環境の中でやっているだけでは才能は発揮されない。
創造的な子供は、やっぱり、身勝手で変わっているものである。
それは大人も同じで、周囲とちゃらちゃらやっているだけの者は、人生を無駄使いしている。
映画『パピヨン』で、パピヨンが悟ったことは、人生を無駄使いすることが最大の罪だということだ。

Don't Give Up 誓う夢に賭ける
届かないなんて言われても
みんな自分勝手でしょ
~『アイドルを咲かせ』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~









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沈黙の力

「事実は小説よりも奇なり」と言う。
イギリスの詩人・作家ジョージ・ゴードン・バイロンの傑作小説『ドン・ジュアン』にある言葉で、英語でそのまま“Fact is stranger than fiction”だ。
逆に言えば、小説はそれほど奇ではない・・・と言えるかどうかは分からないが、笹沢佐保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』で、主人公の流れ者の渡世人、紋次郎がやった「願望成就法」は、非常に印象的で、ただの作り話とは思えない。
だいたいで、こんな内容である。

上州長脇差(じょうしゅうながどす)と称される凄腕の紋次郎だったが、ある時、身に降りかかる火の粉を払うように、やむなくヤクザ者を1人刺し殺したが、その際、刀を折ってしまう。
紋次郎は、刀は良いものを持つことにしているが、日本刀は、硬いが折れ易いという面はあると思う。
紋次郎は、殺したヤクザの大勢の仲間に追われるハメになったが、いかに紋次郎でも刀がなくては襲われたら最後だ。
早く新しい刀を手に入れなければならないが、そう簡単にはいかない。
そんな時、紋次郎は、近くの山の中に、名鍛冶師がいると聞き、早速訪ねてみた。
そこにいたのは、江戸で刀鍛冶師として名を上げるも、今は山にひきこもり、農民の鍬や鎌を作って生計を立ててるという、まだ若い鍛冶師だった。
名鍛冶師は、刀は無いが、紋次郎に家に泊まっていくように言う。
紋次郎が翌朝、いつもの通り早くに起き、外に出ると、名鍛冶師も仕事を始めていた。
見ると、一本の刀を作っているところだった。
長い日数、丹精を込めて鍛え上げていった逸品だった。
紋次郎に気付いた名鍛冶師は、紋次郎に、この刀はその鞘にぴったりのようだが、これは売らないと言い、仕事を続ける。
刀は完成間近だった。
名鍛冶師が淡々と休息もせず仕事を続けるのを、紋次郎は少し離れて静かに見ていた。
そして、日も暮れる頃、ついに刀は完成する。
紋次郎はやはり、微動だにせずそこにいた。
名鍛冶師が紋次郎に近付き、黙って手を出すと、紋次郎も黙って自分の刀を差し出す。
それを受け取った名鍛冶師は、紋次郎の刀を鞘から抜き、折れた刀を柄から外すと、完成したばかりの刀をそれに丁寧に取り付ける。
刀を紋次郎に渡すと、名鍛冶師は「御代は要りませんよ」と言う。

解説はしないが、これほどの成功哲学はないと直感的に感じる。
もう随分前に読んだので、『木枯し紋次郎』のどの巻にあった何という話かは忘れた。
ところで、紋次郎は同じ手を別のところでも使い、やはり奇跡を起こしている。
ポイントは沈黙だろうか。
そして、きっと、紋次郎の呼吸は微かだったに違いない。
だから昔から、「息を忘れた者を鬼神すら敬う」と秘されているのである。









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ひきこもりに根本的に欠けるもの

以前、少し立ち読みして感銘を受けた本があったが、紙の本しかなかったので買わずにいた。
しかし、結局買って、初めから読んだら、あまりに面白く、昨日1日で、ほとんど読み終えた。
その本は、『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』だ。
同じく、ケンカ(喧嘩)を主題にした本には、骨法の堀部正史さんのものがあり、こちらも昔、非常に面白く読んだが、堀部さんは格闘技のプロである。
しかし、『完全「ケンカ」マニュアル』は、1947年生まれで高校卒業と同時に土建業の世界に入った真面目な人柄の著者が、昔のその業界にあった、日常的な暴力での争いの中での緊迫した実戦経験から見出したケンカ術は、人生哲学の域に達している。
それも、極めて実用性の高い人生哲学で、何の役にも立たないばかりか、人間を弱体化させる学校のつまらない指導理念とは真逆のものであると言って良いだろう。

著者は、かなりの格闘技もやっていたが、世間の人からみれば虫けらのような、流れ者の土木作業員の中にいるケンカの達人達に素直に頭を下げて教えを請い、ケンカの腕を上げる。
何と言っても、空手や少林寺拳法、古流柔術をウェイトトレーニングと共にかなりやっていた著者が、こと実戦のケンカでは、武術においては素人の、小柄であったり年寄りであったりするケンカ名人に全く敵わないのであるから、元々が真面目そうな著者が、いっそう謙虚になろうというものだ。

あまり読後の気分の良いものでなかったが、梶原一騎さん原作の漫画『カラテ地獄変牙』で、「最強の格闘技は喧嘩」と書かれていたのを見て、私は共感を感じたが、その真実味が増す本だった。
そして、殴り合い、刺し合いではなくても、世の中にケンカはあるどころではなく、結局は、ケンカでものごとが決まっている部分が、控え目に言っても「ある程度はある」し、ひょっとしたら「かなりある」かもしれない。
ケンカと思っていなくても、実際はケンカである場合も多いはずだ。
そして、学校でも会社でも、不遇な目に遭う者というのは、ケンカに弱い者なのである。
支配的な立場にある者というのは、もしかしたら、ケンカに強い人間なのかもしれない。
そして、ひきこもりというのは、ケンカが弱いから、実際はケンカだらけの世の中が恐くて、外に出られないのである。

別に、ものごと全てケンカ力でカタがつくと言っているのではないし、本当に賢い人間は争いを避けるものであるが、世の中にはケンカでしか交渉出来ない相手はいくらでもいるし、そんな人間は、かなり多いのかもしれない。
大きな力量のある人間なら、そんな知性のない人間も包み込み、自在に誘導出来るのかもしれないが、実は、そんな大きな人間こそケンカが強い、あるいは、少なくとも、ケンカ修行をしてきたのだと思う。
真面目に一生懸命、仕事や勉強に励んできたのにうだつが上がらないのは、ケンカが弱いからである。
この本は、そんなケンカの弱い人達にケンカの極意を教え、自由に世の中を闊歩してもらおうという意図も明かしている。

格闘技として見た、この本に書かれたケンカも、合理的そのもので、格闘技の常識とは全く異なるところも多い。
実戦ケンカであるからには、当然、金蹴りを多用するが、金的は伸ばした脚のスネで蹴るなど、なるほどと思うことが多い。
とはいえ、身体で戦うケンカすら、半分は「頭の勝負」であり、それは実社会で通用するどころか、実社会に必須である。

だが、読んで感心しているだけでは駄目だ。
ある意味、この本の著者、林悦道さんは師匠である。
林さんを超える究極のケンカ道を目指すのも良いかもしれない。
それは、全く争いとは無縁のものかもしれないが、ケンカに弱い者が、そこに辿り着くことはないであろう。
おそらく確かだが、釈迦やキリストは、恐ろしくケンカが強いに違いない。
学歴が高く、形の上では地位の高いエリートがナメられるのも、ケンカが弱いとバレバレだからだ。
逆に言えば、ケンカが強いと、どことなく威圧感を感じさせるものだ。
そして、ケンカに限界はない。上には上がいる。
ギリシャ神話の軍神アーレスも、どこかケンカに強い「ごんた」な雰囲気がある。
映画ではアーレスを倒したワンダーウーマンも、ケンカが強いから魅力があるのだと思う。









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やっと魔法が使える

最近、つくづく思うことが、「必要のない願いは叶わない」だ。
一億円なら誰でも欲しいが、それが手に入ったら、貯金するだの、贅沢して浪費するなどでは、何の必要性も無いのであるから、そんな願いは叶わない。
願いを叶えるには、エネルギーが必要であるが、どうしてもそれが必要だという理由が無ければ、エネルギーは出てこない。

大発明家・能力開発指導者として知られた中山正和さんの本で見たことがあるが、潜在意識が願いを叶えるために動くのは、「命がピンチに陥った時」だ。
それが得られないと、生命力が低下する場合、潜在意識は、それを防ぐために、どうやっても願いを叶えるのである。
例えば、職場でいじめられて、本当に苦しいなら、生命力が低下し、命がピンチに陥っているのである。
そんな時、「良い職場」とか「独立起業」を願えば叶うだろう。
だが、多くの人は、そんな状況になっても、具体的に何かを求めないので、状況が良くならないのである。

だから、悪い状況は喜ばなくてはならない。
願いを叶えるエネルギーを得るチャンスであり、願いを叶えることで成長し、大きな生命力の持ち主にもなれ、さらに大きな願いを叶えられるようになるからだ。
だが、悪い状況になるのだって、自分で何かやってこそだ。
事業で成功した人というのは、好きなことを始め、それをやっているうちに危機的状況になったが、それを積極的な気持ちで打破すると決めたから、潜在能力を発揮し、結果、成功したのだ。
簡単に言えば「命をかけてやれば成功する」のである。
ただし、ここでも必要性の問題がある。
昔の時代劇映画で、こんな話があったのを覚えている。
ヤクザの一家に脅されている商家を見て、ヒーロー気取りの若い渡世人が、「あっしに任せなさい」と言って、1人でヤクザ一家と対決し、当然のことながら串刺しにされて殺される。
自分が本当にそれをやる必要があるか、少しは考えないといけない。

「可愛い彼女が欲しい」と言っても、「お前のどこに彼女の必要がある」と言われて仕方がない男なら、そんな妄想の願いは叶わないし、叶ったとしたら悲惨なことになる。
まずは、可愛い彼女とやらに相応しい男になるか、少なくとも、なろうとすることだ。そうしたら神様も、修行のためという目的込みで彼女を与えてくれることは、割とよくあることである。

私がプログラミングをマスター出来たのも、昔、「俺、このままじゃ、ひきこもりなのに何も出来ないのだから、人生真っ暗だ」と思ったからである。
昨今、「全ての人がプログラミングを習得すべき」なんて言われることがあるが、やはり、本人が必要を感じなければ駄目なのである。

だから、問題は大歓迎すべきだ。
私は、悪い状況になれば、本気で小躍りして喜ぶ。
やっと魔法が使える・・・ってね。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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