ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2018年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

一流打者は毎日夜中に素振りする

本当のところは、ダイエットをするのに、運動をする必要もなければ、食事制限をする必要もない。
ただ、すらりと痩せた自分をイメージすれば良い。
だが、実際はなかなかそうはならないのは、意思の力が弱いからである。
意思の力が弱いので、満足なイメージが出来ないのだ。

純粋な子供の願いが叶わないのも、子供は意思の力が弱いからだ。
だが、子供が何かのきっかけで、強烈な願いを持てば奇跡が起こる。大人のように心の中にガラクタの山がないので、思いつめたりしたら強い意思を働かせることが出来るのである。
イエスが「幼子のようになれ」と言ったのは、余計な偏見や固定観念を捨てろと言ったのであり、甘ったれた意思の弱い馬鹿な子供の真似をしろと言ったのではない。

人間は、どんな願いでも叶える力を秘めている。
イエスは「すでに叶ったと思え。そうすれば叶う」と言い、それは本当なのだが、意思の力が弱いと、叶ったと思うことが出来ない。
意思とは、つまるところ、自分を支配する力だ。
だから、意思が強ければ、自分を簡単にコントロール出来る。
早朝、もっと寝ていたいが、起きることが出来るのは意思が強く、自分をコントロール出来るからで、意思が弱いと、そのまま寝てしまう。
だから、必ず早朝に起きることが出来る者は成功する。別に、早起きそのものに何か効用がある訳ではない。意思が強いから成功するのだ。
逆に、「朝5時に必ず起きるぞ」と決意し、それを必ず実行すれば意思が強くなり、やはり成功する。

そして、意思を鍛え強くするために、一番シンプルで確実な方法は、やはり修行なのだ。
エゴガー・ケイシーのように、9歳の時から、毎朝必ず、それなりの時間聖書を読めば、そりゃ、超能力者にだってなれる。
数学者の岡潔氏のように、毎朝1時間念仏を上げれば、思想の方でも名を上げることも出来るのである。
聖書を読むとか、念仏を上げるなら誰でも出来る。
しかし、それを1年365日、1日も欠かさず、それなりの時間行うとなれば、続けようとする人はほとんどいない。
そして、普通の人にとって、最もやり易く、続けやすいのは、やはり身体で行う運動なのだと思う。
スクワットとか、腕立て伏せとか、腹筋運動とか。あるいは、数千回に及ぶ腕振り運動などである。
ただ、スポーツ選手の場合は、コーチなどの指導でやらされているトレーニングは、自分の意志でないので、やって普通である。
コーチの指示以外に、自分の意志で何かをやっている選手が成功するのだし、それがない選手は決して成功しない。
プロでもアマでも、突出した野球選手は、他の選手が酒を飲んだり、遊んでいる時に、たとえば、素振りのようなことを必ずやっている。これは、バッティングを磨くという面もあるが、それよりも、自分をコントロールすることで意思を鍛えているのである。
だから、あなたも、スクワットでも腕立て伏せでも良いし、野球のバットや木刀の素振り、それなりにしんどいだけのジョギングやウォーキング、空手の練習・・・何でも良いからやることをお奨めする。
よほどのことがない限り、1年365日、1日も欠かさず。
それで意思が強くなり、願いが叶うなら安いものだと思う。
ああそれと、マスターベーションがなぜ悪いかというと、意思を極端に弱くするからだ。
なぜなら、マスターベーションは自分の意志でするのではなく、身体にコントロールされてするのだからだが、習慣になると、簡単に自分の支配権を奪われ、自分の意志を使うことが出来なくなる。
マスターベーションをやめたら、ようやく普通になれるのであり、それ以上ではない。だから、禁欲程度でいばっているやつはキモいだろう?
修行すれば、そんなもの、簡単にやめられるはずである。
まあ、実際は、マスターベーションをやめるにもそれなりの意思が要るが、やはり、修行をしなければそれほどの意思の力は持てず、大したことは出来ないだろう。









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世界の王になる

世界は想念で出来ているなどという、ぼやかした、曖昧な、小奇麗な言い方では、はっきりと分からない。
ちゃんと分かり易く言うなら、世界は思い込みで出来ているのである。
そして、個人の思い込みと、集団の思い込みがあるのだが、それに関する重要なことを覚えておいて欲しい。
それは、個人の中にもいろんな思い込みがあり、集団の思い込みは、その総体なのであるから、バラバラであまり強くないということだ。
1人の人間が、統一された強い思い込みを持てば、集団はそれに従うのである。
だから、この世の王になりたければ、統一された強い思い込みを持つことだ。
そのためには、まず何より、強い意思を持たなければならない。
狂信者の思い込みなんて実に脆い。意思の力が弱いからだ。だから、連中が口先で言う世界なんて全く実現しないのだ。
そして、意思は使うことで強くなる。
では、どうやって意思を使うかだが、難しくはない。
例えば、ケーキが3つある時、意志を使わなければ3つとも食べてしまうが、1つ残すために意思を使う・・・というふうにやるのである。
毎晩、スクワットをやると決め、1年365日、本当に欠かさずに続ければ、かなり強い意思が持て、支配力が高まる。
そして、同じくらいの体力の3人が、1人はスクワット20回、1人は100回、もう1人が200回なら、日が経つにつれ、全員、意思の力が高まるとはいえ、その強さには大きな差が出る。
20回が続かない者が、まるで駄目男として、惨めな人生を送る。

それなりの修行を、1年365日欠かさず続けていれば、やがて、「私はこれをやっているから大丈夫だ」という自信が出来、実際、何でも大丈夫になる。
意思が強くなっていけば、それにつれて、世界の支配力が高まり、人生は思うがままになっていく。
世の中を自由自在に闊歩している人間というのは、隠れたところでかもしれないが、必ず、何かの修行を毎日やっているのである。
意思の弱い者が何かを念じたって実現しない。そもそも、念じることが続けられない。
だが、意思の強い者が、その意思を向ければただちに現象界に現れるのである。
だから、修行をすることだ。
どんな修行をするかは、何でもいいけれども、必ず自分で決めることだ。









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皆が本音で欲しいもの

私は、学校では全くうまくやれなかった。
学校に従うのが嫌だったのだが、そんな人は少なくはないだろう。
ところが、セールスマンをやってみたら、これは、権威的なものに従う必要は一切ないが、お客さんに従わなくてはならず、その辛さ厳しさは学校どころではないと分かった。
誰もが会社に従うのは嫌なはずだが、独立して世間やお客さんに従うのは、それどころではないほど大変なので、それぞれが、会社に完全降伏して、あるいは、微妙なバランスで会社と付き合う訳である。

だが、能力が高いほど、学校や会社に従う必要はなくなる。
スポーツで優秀な若者が、他の学生なら従うべき義務を免除されるようにだ。
それは、会社や、プロスポーツの団体の中でも言える。
スーパースターである野球選手が、実力と人気があるうちは、かなり好き勝手やれるようなものだ。
会社でも、たとえば、会社に大きな利益をもたらすセールスマンや研究者には特権が与えられるのは当たり前である。

アインシュタインは、学生の時は優秀でなかったので、学校から押し付けられる義務から逃れる術がなく、すっかり学校が嫌になり、それは、大学を卒業してからも、世間の中でしばらくは続いたが、物理学で天才的能力を発揮し、それが認められた後は、ようやく自由を手に入れた。

自由とは、世間のしがらみを無視してやっていける特権だ。
その特権を得るには、お金を生み出す能力が必要なのである。
「いや、金があるほどしがらみも増える」と言う人もいるだろうが、それは、得るお金に見合った能力がないからだ。
学生でも、スポーツのスターに特権があるのは、そのスポーツ選手が、なんらかの形でお金を生むのだが、本人はそれほど、あるいは、全くもらってないので、特権という形で彼は利益を得ているのである。
ところで、東大を出ていると言っても、東大出の中でも上位の実力がなければ特権は得られず、むしろ、能力がないのに東大卒にこだわれば、より大きなしがらみを持ってしまう。
だが、東大を出るくらいなら、そこそこ地頭は良いだろうから、それに見合った場所に行けば、それなりの特権が得られる可能性がある。

本音で言えば、皆、特権が欲しいのだろう?
そして、特権を得るには、それに見合った高い能力が必要なのだ。
とはいえ、優秀なスポーツ選手や研究者、あるいは、セールスマンになれる能力が全くない者はどうすれば良いだろう?
・・・と、こんな話の後は、99%が怪しいものだ。
引き寄せの法則だとか、潜在意識による成功法則とかね。
そんなものに頼りたがるのは、普通に特権を得る能力がない者に決まっているので、自己啓発本で成功する人がほとんどいないのは、特に不思議なことではない。
ところが、能力もないのに、うまくいってしまう人もいるのである。おそらく、極めて少数だが。
そんな者達は、世間的には、確かに大した能力はないが、世間を超えた力、あるいは、人間を超えた力とでもいうものを持っているのだ。
そのやり方は、決して生ぬるいものではない。
だが、得られる特権を考えれば、耐える価値がある。
そして、そのやり方をぽろっと言ったのが、法然やゲーテだ。
法然は、起きている限り念仏を唱えよと言ったし、ゲーテは地球の真似をしろ・・・つまり、やっぱり、何かを無限に繰り返せと言ったのだ。
法然やゲーテ自体は、特権的能力があったのに、彼らは我々凡人に優しかった、あるいは、憐れみを持っていたのである。









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たった1つの冴えたやり方

人間には、いろんな悩みがある。
悩みがあるから生きているのだけれど、それは、悩みに対抗するからであり、悩みに対抗出来なければ、生命力が減っていく。
そして、賢い人、強い人、偉大な人ほど、悩みへの対抗策は単純だ。

給料が安い? なら○○だ。
モテない? なら○○だ。
体調が悪い? なら○○だ。
自信がない? なら○○だ。
仕事がうまくいかない? なら○○だ。
人間関係がうまくいかない? なら○○だ。
美しくなりたい? なら○○だ。
金持ちになりたい? なら○○だ。
出世したい? なら○○だ。
芸術家になりたい? なら○○だ。
就職したい? なら○○だ。
ひきこもり脱出したい? なら○○だ。

その他、いかなる悩みに対しても、凄い人の○○は、いつも1つなのだ。
1つだ。2つではないし、まして、3つ以上でもない。
○○は、
「筋トレ」「腹に力を込める」「肛門を締める」「指を1本立てる」「少食」「“私は誰か?”と問う」「聖書を読む」「バガヴァッド・ギーターを読む」「パワーポーズ(ガッツポーズ)」「腕振り運動」「念仏」「呪文」「カポエラ」
などだが、法然なら「念仏せよ」だし、岡田虎二郎なら「腹に力を入れろ」で、Testosterone(テストステロン)さんというちょっと変だが立派な方は「筋トレ」だ。
1つに決められなかったり、何もせずに悩みに翻弄されるのが凡人だ。
いや、凡人だったのが、1つの方法に決め、実践するのが偉人なのだ。
1つの方法を採用する人の力が1000とすれば、2つの人が3で、3つの人は1、4つの人は0.1だ。

なぜ、そうなのかというと、いかなる悩み・・・というか問題も、根本原因は1つだからだ。
それは、状況を作り出す力、つまり、現実を創造する能力が弱いことだ。
そして、現実を作り出すのは意思の力だ。
1つのことを思い出し、そして、それをやれば、意思の力はどこまでも大きくなる。
なら、問題が解決しないはずがない。
だが、悩みを解決する流れは神に任せることだ。
憧れのあの子に全く相手にされないのが悩みだとしても、1つを続ければ、その千倍可愛い子がやって来るようなものだ(神様は、「手を出せるなら出してみい、ホレ」と言ってるようだ)。
つまらない付けたし(蛇足という)だが、2つのことをしちゃいけないと言うのではない。
1つをやらなければならないと言っているだけで、2つ目以降は単なる趣味である。趣味を百やったって強くはなれないのだし、趣味と修行を混同すれば、修行がおろそかになる。
側室が百人いても良いが、正妻に「昨夜はどこへ?」と聞かれたら、「覚えておらぬ」と言えば良いのである。
側室も大切なものではあるが、正妻の前では「俺はお前が全てだ」と言っても嘘にはならない。
まあ、側室にかまけるのが没落の原因であるのだから、無い方が良いかもしれないが。









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結局、イエスの1つの教えに帰る

Amazonで成功するための本を1冊選択すると、類書を山ほど紹介される。
書店の自己啓発コーナーに行けば、もう壮観というほど、沢山の成功のための本がある。
いろんな人が、次々に本を出すし、斎藤一人さんのように、一人で際限なくそんな成功本を出す人もいるから、こんな馬鹿みたいなことになるのだろう。
もうはっきり言える。
こんなもん読んでちゃ駄目だ!
そりゃ、どの本にもいいことは書いてあるが、読むことの弊害の方がずっと大きい。
それに、読むまでもない。
知っておくべきは1つ。
イエスが言った、「求めよ、そうすれば与えられる」だけだ。
真面目に、熱心に求めれば、どんな願いでも叶う。
願う必要もない。想い続ければ「出現する」のである。
私が子供の時、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大きな森の小さな家』という本で、ローラ達の父親のチャールズがローラ達に、自分が夜の森の中に居ると、「誰だ?」「誰だ?」という沢山の声を聴いて、恐くて逃げ出した話をするのを読んだ。
要は、フクロウが「フー」と鳴くのが、英語のWho(誰だ?)に聴こえるのだが、私はそれが印象的で、その場面をずっと想像していた。
すると、次の日曜の昼、テレビを見ていたら、海外ドキュメンタリーで、西洋のおじいさんが、夜の森の中で、
「フー、フー、フーアーユー(Who? Who? Who are You?)」
と鳴くフクロウの話をした。
こんな偶然を、私は山ほど上げられるが、子供の時は、世界はそんなものだと思っていて、世界のことを気に入っていたが、なんで学校は嫌なことが多いのだろうと疑問を持っていた。
しかし、学校も嫌なりに面白い遊び場所だった。ただ、教師の意地悪さにうんざりしていたのだ。
まあ、親に権威者だと教え込まれた教師が、実は大したものでも強いものでもないということを見抜けばゲームは終わっていたのだが、それが難しかったのだ。
そう教えた親自体が、実に弱いということが分かったのは、随分後のことだった。

松下幸之助さんに誰かが、会社が蓄えを持つにはどうすれば良いか尋ねると、松下さんは「蓄えが欲しいと願うこと」と答えたそうだが、こんな馬鹿みたいに簡単なことが真理なのだ。
その答を大抵の人は笑ったが、稲盛和夫さんだけは笑わなかったので成功したのだ。

ただ、今の日本では、子供の時から欲しいものが何でも手に入るので、過剰に刺激的なものばかり求めるという不幸はあると思う。
親に経済的余裕があって、ひきこもりのニートを続けることが出来ても、それでは、自分の力で得る楽しさや、自分の力を知る喜びが得られないのだから、これほど不幸なことはない。
親の援助が一生続く訳ではないし、50歳や60歳で1人放り出されたら・・・もちろん、50歳でも60歳でも70歳でも、願いを叶えるパワーは自分の中にあるのだが、心が腐ってしまったら、その力を使おうとはしないのである。
だから、若い時から「気高く求める」ことをするべきなのだ。
「卑しく盗ろうと」してはならない。
意気揚々と、ロマンに満ちながら求めてこそ、得た時の喜びが大きいのである。
あえて余計なことを言えば、世界は自分のためにあるのだから、王のようでなければならないはずだ。








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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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