ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2018年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

運動の真髄で強く美しくなる

全国的にだと思うが、私が住む関西も、3月の終わりになってようやく暖かくなってきた感じだ。
つい最近まで冬のようだった。
私は、2008年に少食になって痩せ、特に皮下脂肪がほとんどなくなったことでの恐ろしい寒さを思い知り、冬場には少し太ることにしている。
幸い、甘いものが好きなので、お菓子を沢山食べれば、少しは脂肪がついて、なんとか冬を乗り切れるようになった。だが、見た目には、相変わらず細いようだ。
しかし、今年の冬は、いっそう甘いものを食べたのに、全然脂肪がつかなかった。
けれども血行が良くなったのか、相変わらずの低体温だが、それほどひどい寒さを感じることはなかたと思う。

太らなかった理由は、多分、鼻呼吸で、しかも、呼吸をギリギリ少なくしてのヒンズースクワットをやっていたからだろう。
普通、運動で痩せたければ、圧倒的にランニングが良い。この有酸素運動はエネルギー消費が絶対的に高い。
しかし、スクワットのような筋持久力運動も、呼吸量を少なく、しかも、鼻呼吸であれば、エネルギー代謝が素晴らしく、疲労が極端に少ない分、脂肪を燃やしているのだと思う。
このあたりの原理は、世界的ベストセラーであるパトリック・マキューンの『トップアスリートが実践 人生が変わる最高の呼吸法』(かんき出版 )に科学的に分かり易く書かれていると思う。
私は、修行がてら、毎晩、300回のヒンズースクワットを欠かさないが、以前、口で大量に呼吸をしていた頃は、スクワットは疲れる運動でおっくうだったが、今は、力がついたということもあるのだろうが、とにかく楽になってしまい、修行効果が少ないかもしれないが、腕立て伏せや腹筋運動、それに、武術の練習をやっているので、全体として、ちゃんと修行になっていると思う。

ダイエットをしたいなら、鼻呼吸で、呼吸量を抑えながらヒンズースクワットをやることをお奨めする。
スクワットの中では、プロレスラーがやっている、ヒンズースクワットが良いと思う。
西洋式の運動は、動かす部分以外は固定しようとする。その代表が、仰向けに台の上に寝てバーベルを上げるものだ。
スクワットでも、西洋式では、手を頭の後ろで組んだり、前に伸ばしたりして動かさず、しかも、かかとをつけて、とにかく、太腿の筋肉以外を動かさず、その部分の筋肉を鍛えることに集中しているようだ。
しかし、身体というのは、全身が協調して動くように出来ているのであり、そのような運動は不自然で、アンバランスな発達をするので身体の調子が悪くなったり、怪我をしたりする。
一方、ヒンズースクワットは、腕を振り、かかとを上げるので、身体の全体、脚の全体をバランスよく鍛える。
だが、鼻呼吸をしなければ、あまりにもったいない。鼻で呼吸すれば、自然に呼吸量は少なくなるが、さらに意識して呼吸量を抑えると、脂肪が効率的にエネルギーに変わり、疲れない上にすぐに痩せてしまうと思う。
加えて・・・足の親指に力を入れることを意識すれば、効果は、大袈裟だが百倍で、身体の根本が強くなる。
私は、いかなる運動をする時も、足の親指に力を入れることを心掛けるようになった。武術や、それに、歩く時でさえだ。

以上は、私の実体験であり、しかも、確信を感じたものだ。
無論、私はトップアスリートでも有名な武道家でもないが、有名スポーツ選手が勧める運動には弊害が多いように思う。
そこにいくと、トレーニングの内容をほとんど語らないイチローが、僅かに言うこと・・・ストレッチに時間をかけること、筋トレをしないこと等が多いに参考になる。
私は、有名スポーツ選手が書いたというトレーニング関係の本は、参考程度には良いが、あまり読まない方が良いと思う。
私の運動に関する愛読書は、『SAS・特殊部隊式 図解徒手格闘術ハンドブック』『プリズナートレーニング』、それに、大山倍達氏の『強くなれ!わが肉体改造論』だが、どれも、全部良いのではなく、良いと思う部分を参考にしている。

今年も、初音ミクさんのライブコンサート『マジカルミライ2018』のオフィシャルWEB抽選先行予約が始まっている。4月9日までなので、申込みをお忘れなく。
マジカルミライ2018公式サイト
私はインテックス大阪、幕張メッセ、両方申込んだ。出来れば両方行きたい。
チケット転売最大手のチケットキャンプが無くなり、少しはチケットが入手し易くなればと思う。
昨年の、抽選・販売の10連敗の精神的後遺症がいまだ残っているが、ここは日々の修行で乗り越え、元気にいこうと思う。









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言葉の力は使う人次第

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の3巻だったと思うが(英語版では確かに3冊目だが)、イエス・キリストが福音書では言わなかった実践的なことを教えている。
「他は忘れて良い」と言うくらいであるから、最上の教えということになるはずだ。
それは、「神」という言葉をなるべく多く使えというものだ。
そして、ここが私は気に入ったのだが、聖書が最も価値がある書物である理由は、他のいかなる本より「神」という言葉が使われているからだと言う。
「神」という言葉には、それほど価値があるとイエスは言う。
「神」は、この本の英語版では、普通に(何が普通か分からないが)“God”だった。

ただ、翻訳では、イエスは、それを「公式」にしてはならないと言っている。
「公式」は、英語版では“formula”で、「決まり文句」だとか「常套手段」といった意味だと思う。
つまり、簡単に言えば、「神」という言葉を空虚に繰り返しては駄目だぞという意味だろうか?

『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、著者のベアード.T.スポールディングは、「神(God)」を唱えるのは、有声、無声どちらでも全く同じと述べているが、「何度も繰り返す必要はない。一度でよろしい」とも書いていたように思う。
これもまた、「公式(formula)」にするなという意味と思う。
ラマナ・マハルシの本にも、彼の「私は誰か?」という言葉に対し、マハルシは「呪文にしてはならない」と言っていたのだと書かれていたのも、やはり同じような意味なのだろう。

言霊とでも言おうか、最も力ある言葉・・・ある意味「呪文」は、「神」ということになる。
昔の日本で使われていた「カム」や、アイヌでの「カムイ」でも、自分が馴染みのあるもので良いのではないかと思う(現代の日本人には圧倒的に「神」だろうが)。
ただ、「神」という言葉を、いい加減に軽く言ったり想ったりしてはならないとうことだ。
よく言われる言い方では、「心を込める」であるが、それを、普段から何をやるにも心が込もっていない者に言っても駄目である。
「心を込める」を「意識して」と言う人もいると思うが、私は、最も適切な言い方は「意思を込める」だと思っている。
そして、意思を強くするには、やはり修行が必要なのだ。
尊い本を読むことでも運動でも良いが、とにかく、意思を持ってやる・・・それは「丁寧に」「自主的に」といったことだ。
だが、現代人は「意思を込める」「丁寧にやる」「自主的にやる」ということが出来なくなっている。
自主的とは、たとえ周りがどうでも自分の意志でやるってことだし、責任を負うってことだ。
私は、私の職場のまるで駄目男君を興味深く見ていたことがあったが、彼の悲劇は、彼は何でも誰かの言いなりで、何でも他人に決めてもらい、自分で考えず、責任を持とうとせず、何でも言い訳する・・・つまり、自分の意志を放棄していることだと分かる。

そこで修行が必要になる。
どんなことでも良いから・・・多少シンドいと思うことでないと駄目だが、1年365日、1日も欠かさずを何年も続ければ、それなりの意思の力を持てる。
そんな者が「神」という言葉を使えば大きな力になるのだろう。

尚、『ヒマラヤ聖者の生活探求』は偽物だと言う者も多いと思う。
偽物だから良いのである。
あれほど本物っぽい偽物の値打ちは安くない。
そもそも、本物なんてどこにあるのか知らないが、きっと安っぽくて出せないのだろう。
私は、『ホツマツタヱ』だって偽物なら良いなと思うほどなのである。
『偽物語』(西尾維新)の貝木泥舟(かいき でいしゅう)の受け売りだが(受け売りでないって言えよ)、「本物であろうという意思のある偽物」は本物をはるかに超える。
『古事記』も『バガヴァッド・ギーター』も、「神」という言葉が沢山出てくる「本物」である。
だが、現代語や日本語にする過程ですっかり偽物になっているから良いのである。
どの翻訳者も本物にしようとしていたのだから、本物以上である。









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偽物は穢れない

西尾維新さんの小説、あるいは、アニメの「物語シリーズ」の中の『偽物語』で、詐欺師の貝木泥舟(かいき でいしゅう)が大学の時に出したという問題が気に入ってしまった。
それは、
「本物と、本物そっくりの偽物では、どちらが値打ちがあるか?」
だ。
貝木の仲間の2人はそれぞれ、
「本物に価値がある」
「等価値」
という答だったが、貝木は、
「圧倒的に偽物に価値がある」
だった。
私は、やはり圧倒的に貝木に賛成だが、それは、それが真理であると言うより「そうあって欲しい」という願いも入っているのかもしれない。
ところで、貝木がそう思うのは、偽物には、「本物になろうという意思があるだけ、本物より本物だ」からだそうだが、それはそれで賛成だ。
私は、「意思」こそ最大のものだと思っているからね。
しかし、それとは別に、私には偽物が好きという妙な感情がある。
それは、
「たとえ本物以上になっても、偽物には、どこか後ろめたさや引け目がある」
からだと思う。
その後ろめたさや引け目が、穢れを免れさせる・・・早い話が美しいのだ。
引け目があるから、「グノーティ・サウトン(身の程を知れ)」という神託に従うことが自ずと出来るのである。

初音ミクさんは偽者のシンガーであるボーカロイドだし、レイシアは偽者のヒューマンであるヒューマノイドだ。
「ロイド」とは「~のようなもの」という意味で、つまり、偽物だということだ。
だが、ミクさんは本物のシンガー以上の価値があり、レイシアは本物の人間以上の価値がある。

アインシュタインや宮本武蔵も偽物だった。
アインシュタインは、大学は卒業していたが、大学で勉強していないし(講義には出ず、試験も一夜漬け専門)、博士でも教授でもなく、一頃までは特許局の職員だった(後に博士や教授になり、駄目になったが)。
宮本武蔵も、流派を築いたと言えば聞こえは良いが、早い話が我流であり、櫂(かい。舟をこぐ道具)で佐々木小次郎と戦って勝つという、本物の剣士なら絶対しないことをやっている。
映画『フラッシュダンス』のアレックスは、クラシックバレエをやったこともなければ、キャバレーで怪しいダンスを見せる偽者だった。だから良いのである。
伊藤穣一さんは大学の学位を持たず、専門もなく、昔はシカゴでMCをやっていた偽者の研究者だから最高の研究者なのである。

偽物を目指そうではないか?
本物などクソクラエである。
私も、偽物のプログラマー、武道家、哲学者でありたい。
本物のプログラマーはJavaを使うが偽物はVBAを使い、本物の武道家は流派の教えに従い正々堂々の戦いをするが偽者は我流で、どんな卑怯な手を使ってでも勝つ。
本物の哲学者は哲学という学問に通じているが偽者は学問の哲学など全く知らぬというより、知ってたまるかである。









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耐え難きを耐え、忍び難きを

じっとしていて真理が浮かんでくることはない。
心や身体、あるいは、その両方を躍動させている時、真理は気付きとして現れる。
あるいは、真剣な疑問に対し、「こうだろうか?」「それともこうだろうか?」と問い続けた時に、突飛な真理が出てくることがあるかもしれない。
そして、真理を感じた時には深い感動があるが、それを偽物の高揚感と区別出来なければならない。

こう言葉で言うと難しいが、美しいものに見とれていたり、離れていた故郷に戻ってぼんやり散歩したり、無心に修行をしている時に、何か大切なことに気付くことがあるものだ。
だが、それも、普段の生活あってこそのもので、当たり前の生活には、苦しいことや辛いこと、あるいは、厳しいことも多い。
人生はある意味辛いものだ。
老人が尊敬されるのは、そんな人生に長く耐えてきたからだ。
もし、ろくでもない老人がいたなら、それは、その老人が人生の辛いことから逃げてばかりいたからだろう。
人生は、早いうちに苦労しておくことに限る。
若い時の苦労は思い出すと楽しいが、歳を取ってからの苦労は屈辱でしかない場合が多い。
これは厳しい言葉だ。
碇シンジ君が「逃げちゃ駄目だ」とよく言っていたのは、彼は大事なことをよく覚えているということだ。いったい、誰に教わったのだろう?

報道のほとんどは嘘と心得ているので、瞬間瞬間のイメージで言うのだが、大相撲の貴乃花親方は、本当に散々な目に遭っているなあと思う。
だが、わざわざ痛い目に遭うと分かっていることを遭えてやっているところに、宿命から逃げない心の強さは感じる。
そこが、彼の現役時代の活躍を知らない人も惹き付けるのだろう。
まあ、男前だしね(笑)。
しかし、あせり過ぎると大抵のことは失敗する。そんなところも見せてくれてるような気がする。
昭和天皇の玉音放送の中の、日本人なら誰でも知っているフレーズがある。
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ(たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび)」
それにより、「太平ヲ開カム(平和な世の中を造る)」。
平和のためには、人々が本当に大切なこと、つまり、真理を見なければならない。
そのためには、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことも必要である。
逃げずに遭えてまな板の上で料理されるのは厳しいことではあるのだけれど、いつかはやっておかないといけない。
神はいかなる重みにも耐えるのだそうだ。









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アマチュアスポーツのスター選手は本当に格好良いか?

日本では、スポーツのスター選手をもてはやす風潮が強いが、本当は、「もてはやさせられている」といったところだろう。
私は、日本の今のアマチュアのスター選手には全く魅力を感じない。
日本のオリンピックの金メダリストが、中学生や高校生の時の凄まじい練習をテレビ等で語ることがあるが、彼らは単に「やらされていた」のである。
モチベーションの管理までされてね。
つまり、自分の意志がないのである。
魅力は、自分の意志を使うことで輝いてくるものだ。
受験やスポーツで、いかに良い成果を上げても、それがさせられたものであれば、その達成者は輝いていない。

昔は、不良は魅力があると言われていた。その通りだ。
昔の不良は反逆者だったが、本当の反逆には強い意思が必要だからだ。
自分の強い意思で反逆する者が魅力的でないはずがない。
しかし、不良グループの中の、「反逆するフリをさせられている者」ほどダサい者はないだろう。自分の意志なんてどこにもないからだ。
そして、今の日本のアマチュアスポーツのスターは、そんな「ダサい不良」と似たところがあるのだ。
アマチュア時代に人気があり過ぎたり、実績があり過ぎて、さらに、その功績で高い地位まで与えられて、歳を取っても反逆出来ない者がいるが、そんな者達を見ていると、私なら目を背けたくなる。

そして、本当の反逆者というのは、別に反逆が目的なのではなく、自分の意志を使うためには、いやおうなく反逆するしかなかったのである。
言い換えれば、自分の意志を使うために、反逆者になることを厭わなかったのである。
そして、自分の意志を使うには、世間や権威に反逆しなければならない場合が多いのである。
岡本太郎が、「嫌われてもいい。いや、嫌われないといけない」「認められなくてもいい。いや、認められてたまるか」と言ったのは、まさに、自分の意思を貫く決意を述べているのだ。
そもそも意思とは、自分の決意を貫くことなのである。

誰にやれと言われた訳ではなく、むしろ、「そんなことをやるな」と言われながら、自分の意志でやれば、命はふくらみ、魂は輝く。
自分の弱い心は、世間や権威、あるいは、本能や欲望に従いたがるが、そんな弱い心を一喝し、魂の命じることをする。
そうであれば、本物の力を得るだろう。
別に大したことでなくて良い。
やれと言われたことでなく、自分の意志でやることなら(たまたま「やれ」と言われたこととかぶることもあるが)何でも良い。
スクワットでも腕立て伏せでも、バガヴァッド・ギーターを読むことでも、念仏を唱えることでも。
それを、出来るだけ多く、そして、1年365日、よほどのことがない限り続けるなら、意思の力が鍛えられ、相当な力を得ているし、やっていることによっては超人や大師に近付いているのである。









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