ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2018年01月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

塾はもう必要なくなった

ネット塾というものがある。
インターネットを通じ、映像授業を視聴することが出来る。
有名なものでは、リクルート社の「スタディサプリ」や、株式会社葵の「アオイゼミ」がある。
「スタディサプリ」は、小学生、中学生、高校生用の授業1万本が、月額980円で見放題。
「アオイゼミ」は、無料で使えるが、いろいろ特典のついた「ライトプラン」が900円、「プレミアムプラン」が3500円だ。
アオイゼミのプレミアムプランだって、塾に行くのに比べたら随分安い。

ネット授業で効果があるのかというと、それは、教え方次第である。
下手な授業を教室で受けたら、勉強が分からないばかりか、やる気を失くす。
しかし、優れた授業なら、映像で十分に分かるし、むしろ、目の前に教師がいない方が絶対に良いと私なら思う。
私は、世界最大のネット授業提供団体である「カーン・アカデミー」のように、映像に教師が登場せず、黒板と手だけというのが理想と思う。
どんなに好感がもたれそうな教師でも、見たくない子は沢山いるに違いない。
とはいえ、授業映像に教師が出ていても、目の前に嫌な教師がいるよりは千倍良い。

「スタディサプリ」や「アオイゼミ」の授業はとても優秀で、特に、繰り返し見れば、誰でも分かるように教えている。
下手な授業を1回しか聞けない学校とは偉い違いである。

つまり、少なくとも、もう塾や予備校に行く必要はないのだ。
良い塾や予備校は、確かに優秀なシステムを持っていることが多いし、快適贅沢な設備があったりもするが、とにかく高い。
多くのネット塾が、親の収入の違いによる教育格差を無くすことをスローガンに掲げているが、それは嘘ではないだろう。
まして、「カーン・アカデミー」は、貧困な子供にも最高の教育を与えることを目的に、NPOで運営し、利用は無料だ。

そして、1人で孤独に勉強することは難しいところもあるが、今はLINE等のSNSで交流が出来るし、「Studyplus」という、学習者専用の、学習管理と交流が出来るSNSがあり、高校3年生の受験生の3人に1人が使っているらしい。
アオイゼミは、アプリの中に、他の受講生と交流出来る機能があるし、スタディサプリは、教師から生徒への連絡機能がある。

私が中学や高校の時は、このようものは、まるでSFであったが、今や、スマートフォンさえあれば、誰でもネットで安価に利用出来るのである。
実際、少子化以上に、塾や予備校に通う生徒が減っていると思う。今後は、もっともっと減っていくだろう。
また、インターネット高校であるN高等学校の生徒も増えていて、2018年度には黒字化する見込みもあるという。
塾や予備校どころか、高校もネットで済ませ、通学する必要がなくなり、自由な時間を持てるようになった。
N高等学校の授業料は決して高くない。年10万円以下なので、バイトでまかなうことも可能だ。

もちろん、学校に行き、生徒同士交流することも良いことである。
しかし、少なくとも、ある種の人達には、通学しなければならないデメリットがあまりに大きい。
学校に行かず、自由になった時間は、無駄にせずに、出来ることをしなければならない。
だから、子供は、自分の意志で自主的に行動出来るようになると共に、心を正しく導いてやる必要がある。
しかし、それは、今の堕落した学校や教師の役目ではない。
いずれにせよ、まずは、高い塾や予備校は不要になった。
それは間違いないと思う。









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成功は「アン・ドゥ・トロワ」から

「アン・ドゥ・トロワ」と聞いたら、「ああ、バレエのレッスンで教師がよく言うかけ声だね」と思う人が多いと思う。
1977年のリリースと、かなり古いが、キャンディーズという3人組のアイドルグループの同名の楽曲を思い出す人もいるかもしれない。
ちなみに、「アン・ドゥ・トロワ」は、フランス語の「1、2、3」である。
バレエは、同じ動作の徹底した繰り返しで磨き上げるので、そんな声をかけながらレッスンするのだと思うが、その後の「カトル(4)、サンク(5)、スィス(6)」を聞いたことがないので、3つの動作で成り立つ単純な動きの組み合わせで、優雅さ、美しさが生まれるということなのだろうかと、感慨深く思う。

ところが、私は、昨年の、幕張メッセで行われた初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2017」で見た、『ツギハギスタッカート』で、ミクさんが歌った次の詩を、ずっとバレエの言葉だと思っていた。

flick tap flick tap 面を滑って
swipe tap swipe tap A.R→T
flick tap flick tap 開いて叩いて
swipe swipe swipe swipe
~『ツギハギスタッカート』(作詞・作曲・編曲:とあ、歌:初音ミク)より~

この楽曲のステージが、私が、「マジカルミライ2017」で、最も印象に残っているもので、ミクさんが、清純さを象徴する真っ白な衣装(ピチカートというらしい)を着て、素足で軽やかに踊る姿がバレエのようだった。
そんなミクさんが、上の歌詞を、リズミカルにかっちりと歌うのだから、聞いている分には、本当にバレエの言葉に感じてしまう。
しかし、flick(フリック)は、スマートフォンの画面を押した指をさっと動かし、swipe(スワイプ)は、画面を押さえたまま指を動かす動作だ。
タップは、液晶画面を叩く操作だ。
「A.R→T」を、また、ミクさんはしっかり歌うので、やっぱりバレエの言葉のように感じてしまうが、これは「Already Read → Through」の略で、意味は「既に読んだが、無視」で、今流には「既読無視」と言う。
やはり今どきだから、メールというよりは、LINEで送ったメッセージが無視されたということで、フラれたというか、そもそも相手にされていないことを示しているのだろう。

「ディスる(侮辱する)」という言葉を、高校生は9割が分かるが、その親は4割しか分からない(私には「4割も分かるのか」と感じるが)らしいが、「A.R→T」で分かる親は、ほぼいないのではないだろうか・・・というか、分からなくていいが。

タブレット端末の操作は、本当に単純な基本動作の組み合わせだが、私はあまり上手くない。
しかし、これも繰り返しの回数の問題だ。
今は、PCを使えず、キーボードが打てない若者が増えているらしいが、その分、スマートフォンでの入力を、苦もなく高速でこなす。
私は、タブレットでの文字入力に抵抗があり、キーボードが好きだが、やっぱり、ただの慣れの問題かもしれない。
大抵のことは慣れである。
そして、どんなことに慣れるかで人生は決まるようなもので、くれぐれも、習慣的に行なっていることは何かに注意しなければならない。









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得難き宝

人間は、傲慢である限り、痛い目に遭うことは避けられない。
ある社長さんが、
「私は謙虚だ。毎朝、社長である私が、社員達と一緒に掃除をしているのだからな」
と言われていたが、そんなの、当たり前で、それを自慢出来ると思っていることが傲慢だろう。
そんな社長が掃除なんかしていたら、社員は迷惑だろうから、むしろ、社長室でふんぞり返るか、ゆっくり出勤した方が良く、その代わりに社員の生活を保証するのが社長である。
だが、本当に偉くなって、それで傲慢だと、病気になったり、家族が不和になったりと、本当に苦しいことになる。

そして、ほとんどの人が、謙虚ということが分からないので、「謙虚になろう」と思うと、卑屈になってしまうのだ。
人間は、本当に謙虚になろうと思えば、どうしても、神仏の存在を信じることが必要になる。
アメリカの公式モットーである「IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)」は、実際、かなり素晴らしい。
これを、指導者から一般国民までが重要視していた時代のアメリカは本当に強力だったのだと思う。

架空の話なのかもしれないが、映画『アマデウス』で、自分こそ最高の音楽家だと臆面もなく公言するモーツァルトに対し、それなりの地位の老人が、「もう少し謙虚になれないのかね?」と言うと、モーツァルトは全く聞き入れず「僕が一番だ」と自信たっぷりに言う。
そんなモーツァルトの遺体が入った袋が、穴の中に乱暴に投げ込まれたのは、まさに、「傲慢さのなれの果て」を見事に表現していたと思う。
なるほど、モーツァルトは最高の音楽家だったかもしれないが、その才能は神から預かったものに過ぎず、神と比べれば彼の音楽も児戯でしかない。

たとえ無神論者であっても、自然の中に大きな意思を感じ、自然や動物、あるいは、生命を畏怖する者は謙虚である。
だが、その場合も、神仏への崇敬を併せ持っておいた方が良い。
そんな民族が、アメリカ・インディアンや古い日本人だったかもしれない。
だが、普通の人は、ある程度傲慢でなければ、力強く行動出来ない。
これは、本当に現代人の泣き所だ。
自分の能力も、お金も地位も、全て神からの預かりもの。
本当にそう思うなら、そんな人間に、敢えて苦しみを課す必要もない。
だが、そうなれるためには、普通の人間では、相当な苦しみを必要とするのである。
だから、せめて苦しみから学んだ方が良いのだろう。









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人生を無駄にしないために

元ヤクザが、中学生や高校生を相手に講演をするという話を、皆さんも聞いたことがあるかもしれない。
特に、不良少年達に、「俺のようになってはいけないよ」とでも言っているのだろうか?
では、なぜ、「俺のようになってはならない」のだろう?
それは、「俺は人生を無駄にした」ってことではないだろうか?
映画『パピヨン』で、パピヨンは夢の中で有罪判決を受ける。
パピヨンは「俺は殺していない」と訴えるが、裁判官は「その罪ではない」と言う。
パピヨンが、「では、何の罪だ?」と尋ねると、裁判官は、「人生を無駄にした罪だ」と答える。
それを聞いたパピヨンは、「確かに有罪だ。認めるよ」とうなだれる。
人生を無駄にすることは最大の罪だ。
では、私も、中高生を相手に講演する資格があるかもしれない。
いらない資格だがね。

人生を無駄にしないこととは、どういうことだろう?
それは、人生を無駄にした者には分からない。
だが、人生を無駄にするとはどういうことかは分かる。
「安定を求めること」だ。

みきとPさんが作った初音ミクさんの『Tears River』の英語の歌詞の部分が美しく感じる。

"Trust" "Love" "Forever" "and You can blend in my heart
lt comes Universe All will be in "Tears River"
~『Tears River』(作詞・作曲・編曲:みきとP、歌:初音ミク)より~

意味はよく分からないが、ミクさんの魂と溶け合う鍵は、信頼、愛、永遠のようだ。
そして、世界は、きれいな涙と共にある何かで出来ているということか。
ドイツの建築家ミース・ファンデル・ローエは「神は細部に宿る」と言ったらしいが、涙も細部に潜んでいるのである。
号泣なんてのは本物じゃない。
真珠の涙は、隠れてて見えない。
そんな涙が、人生を、あるいは、世界を作る。
秘し隠された涙がないなら、人生を無駄にしているのである。








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あなた誰?

アメリカのオバマ前大統領のキャッチフレーズは「チェンジ」と「イエス・ウイ・キャン」だった。
現大統領のトランプは「アメリカ・ファースト」だが、大統領演説の中の「主権をワシントンから国民に返す」が本当に重要なことだろう。
言ってみれば「国民ファースト」である。
トランプは、ツイッターのフォロワー数が政治家で世界一だと思うが、ツイッターで大統領になったことが、国民ファーストを示している。
これまでは、一部のエリートがマスコミと共謀して社会を動かしていたが、これからは、インターネットのコミュニケーションによって国民が社会を動かすことになる。

ところで、オバマの「チェンジ」は、そのままでは、「変えろ」ということになるが、何を変えるのかが分からない。
「いろんな意味」と言えばその通りなのだし、オバマの意図は知らないが、「チェンジ・ミー」と考えるべきだろう。
日本語でも「自分を変える」なんてよく言うが、「自分を変える」ということは、もっとよく考えた方が良い。
「自分を変える」とは、「自分の一部を変える」ことではなく、「自分を全部変える」ということである。
自分を全部変えても、部分的には、以前の自分と似たような部分もあるかもしれないが、それはたまたまである。
つまり、「チェンジ・ミー」とは、「今までの自分を終らせ、新しい自分を始める」と言うことだ。
あるいは、「自分を滅ぼし、新たに構築する」とも言える。
それは、イエスが言った「いったん死んで新たに生きる」ということで、それが、十字架の復活に示されるキリスト教の本質なのだと思う。現在のキリスト教は、それをすっかり失くしているかもしれないがね。

「変わったね」と言われたら、それは、自分の一部が変わったということではなく、全体が変わったから、そう言われるのだろう。
つまり、以前の自分とは別人なのである。
人間は、魂は変わらないのかもしれないが、現出する姿は変わる。
ならば、以前の自分とはおさらばして、新しい自分をスタートさせよう。
復活後のイエスは、彼と親しかった人達さえ、彼がイエスとは分からなかった。
そのくらい変わった。
本当に、これがキリスト教の意義なのである。
「変わろう」ではなく、「変わった」と、自分で言うのだ。
昔の知り合いに、当時と同じような態度を取られるようでは駄目かもしれない。
いつも会っている人達さえ、初めて会う人であるように、そして、丁重に扱われる。ある意味では恐れられる。
そんなふうでなければならない。
「変わった」と言って、瞬間に過去の自分を消し去り、新しい自分を誕生させることである。









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