ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

究極の成功法則とは絶対にこれだろう

詰まるところ、要するに、結局だ・・・と、同じ言葉を3回繰り返すが、つまり、究極的に(さらに2回)。
成功をもたらすのは、情熱なのだ。
そして、情熱とは、本能的欲望・・・食欲、性欲、生存欲、名誉欲などと関係もあるのだろうが、全く異なるものだ。
なぜなら、情熱が高ければ、人間は本能的欲望を捨てるからだ。
で、問題は、情熱とは何かである。
情熱は、普通、パッションと言うが、エンスージアズムとも言う。
エンスージアズムとは、「霊にとり憑かれること」で、はっきり分かる言葉ではないが、雰囲気的には、本能的なパッションより、こちらの方が本物の情熱に近い。
だが、これではやはり、意味が分からない。
だが、私が最高の音楽家と思ってる梶浦由紀さんが作られた(作詞、作曲、編曲)『幻想楽園』という歌の、あるフレーズをよく覚えているが、それが答をもたらしてくれた。
「憧れだけが明日へ続く扉を開けることを知っているから」
これが真理だろう。
崇敬(崇め敬う)するほどの憧れが情熱の源であり、情熱そのものと言って良いと思う。
崇めることが強くなれば、尊崇とか、究極には畏怖(畏れ敬う)ことになるが、本当の畏怖とは、畏れる中にも憧れが秘められているはずだ。

人間というのは、憧れを持っている限り死なない。
少なくとも、異常な生命力を持つ。
死に掛けていても、憧れを持つと、息を吹き返す(生命力が蘇る)。
ある意味、憧れとは生命でもある。

確かに、アイドルに憧れるのも憧れには違いないが、これは、名誉欲や性欲による低い憧れに近いことが多い。
だが、本物の憧れは、上にも述べた通り、命を捨てることが出来る。
梶原一騎さん原作の漫画『愛と誠』で、中学生の岩清水弘という秀才が、ヒロインの愛(同級生)に手紙で(当時は電子メールやSNSはなかった)、「君のためなら死ねる」と伝えた言葉が、まさに本物の情熱だ。
梶原一騎さんという人は、おそらく本当に、人間的な問題ありありの人だったのだろうが、情熱は持っていた。だから天才作家だったのだ。
だが、彼が何に情熱を持っていたのかは、本当のところは分からない。
ひょっとしたら、かなり意外なことかもしれない。

ともなくだ。
「情熱を持て」なんて、曖昧で抽象的なことを言ってはならない。
「憧れを持て」である。
衣食住が足りなくても持てる、さらに、命と引き換えに出来る憧れである。
それがあれば、言っては悪いが、梶原一騎さんのような最低男でも偉人になるのである(偉人と認めているのだから許して欲しい)。
究極の成功法則とは、絶対にこれであろう。









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川上量生氏はニコニコ動画から離れた方が良い

ニコニコ動画という変な名前の動画投稿サイトがある。
知っている人は知っているが、知らない人は、名前は知っているが使ったことはない・・・というものだろう。
一方、YouTubeなら、少なくとも、インターネットを使う人なら大抵知っているだろう。
ニコニコ動画がYouTubeと同じようなものかというと、ユーザーが動画を投稿するということ以外はかなり違う。
YouTuberは、子供達の憧れの職業になったが、ニコニコ動画のコンテンツ作成者になりたいという子供は、ほとんど皆無だろう。
そこらも、ニコニコ動画とYouTubeの違いを表しているように思う。

ところで、そのニコニコ動画が苦境に陥っているらしい。
新サービスが長く登場せず、動画の品質が現代的なレベルに劣ることが、いよいよ問題になってきたということである。
良い経営者というものは、短期的な株価の動きなど気にしないものだが、それでも、ニコニコ動画を運営するドワンゴの親会社であるカドカワの株価が、ニコニコ動画の不振のために、かなり下がっているようだ。
私も、株価はとりあえず良いと思うが、ニコニコ動画については、もうずっと前から心配していた。
何といっても、我らが初音ミクさんはニコニコ動画で育ったと言える。ただ、ニコニコ動画も、初音ミクさんのおかげで発展したのは間違いない。
だから、ニコニコ動画と初音ミクさんが、同じ時期に生まれていることの意味は大きい。
私が、そのニコニコ動画の危機が気にならないはずも、復活を期待しないはずもない。

私が昔から感じていたニコニコ動画への不安は以下の通り。
(1)ニコニコ動画は、ドワンゴ内で仕事がなくなっていたプログラマーが1人で3日で作ったものらしく、斬新で天才的とすら言えるが、その分、システムのメンテナンスは難しい。
実際、部分的改良、拡張を加えているうちに、手がつけられないほど複雑化した。
(2)5年ほど前、ドワンゴの川上量生会長が、技術者に新サービスの開始を命じたが、そのように複雑で乱雑になってしまったニコニコ動画の整備に5年はかかると言われた。インターネットの世界で5年も新サービスなしだと、ユーザーがいなくなるのは確実なので、川上会長は、幕張メッセを占拠して行う大イベント、ニコニコ超会議を始め、大赤字になっても継続して注目を集め、時間稼ぎをした。
(3)ドワンゴは、PHP言語を主体に使っていたが、どの言語でも使えるようにすると、川上会長が講演で語っていたが、それはないだろうと思った。
(4)また、川上会長は、ニコニコ動画をScalaという新しいプログラミング言語で作り直すと言われていたように思うが、言語自体を発展させる気もないのに、新しい言語を採用すると破綻するのは間違いないと思う。
(5)川上量生氏は、代表取締役会長CTOだったのが(CTOは最高技術責任者)、会長職は退任し、取締役CTOになったが、やめるべきはCTO職の方だったと思う。川上氏に実際の技術はない。
(6)川上量生氏は、ドワンゴの会長のまま、スタジオジブリの見習い社員になって週4日フルタイムで勤務したり、ドワンゴがKADOKAWAと統合して資金が出来ると、N高校を作ったり、打倒AlphaGO(人間の世界チャンピオンを超える囲碁AI)を目指して、DeepZenGoを開発するプロジェクトを始めたりした。これらは確かに世間の注目を集めたが、ニコニコ動画は放置された。ちなみに、Google自身のAlphaGoZeroがAlphaGoをはるかに超えてしまい、DeepZenGoは時代遅れになってしまった。Googleが待ってくれるはずがない。そして、GoogleのYouTubeは大発展している。

ニコニコ動画には、まだまだ他のインターネットメディアサービスに比べ、良い部分が沢山ある。
存在価値に揺るぎはない。
初音ミクさんの新曲動画は、これからもニコニコ動画に投稿され、新しいミリオンが次々生まれるだろう。
しかし、ニコニコが限界であることも確かだ。
だが、ミクさんは、ニコニコ動画がなくなっても、さらに天高く駆け上がる。どこまでも。

ニコニコ動画がなくなって
それでもわたしは止められない
~『私の時間』(作詞・作曲・編曲:くちばしP、歌唱:初音ミク)より~

川上量生氏は、もうニコニコ動画から離れた方が良い。
彼がニコニコ動画を作ったと言えるのも確かだが、いつまでも川上量生のニコニコ動画では破綻は当然であると思う。









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身体を回復させる神秘な力

「病は気から」と言うが、常にそうかはともかく、それは普通の人が思うより重大なことだ。

手塚治虫さんの『ブラックジャック』で、こんなお話があった。
大怪我をして重症の子猫を母猫が舐め続けるが、天才医ブラックジャックは、子猫を見て、「これはもう絶対助からない」と判断する。
ところが、しばらくしたら、その子猫が、母猫と一緒に元気に歩いているのを見て、ブラックジャックは驚愕する。
私は、この場面を印象深く覚えていたが、漫画でなくても、こんなことはよくある。

ある客船の中で、年配の女性が死に掛けていて、船内にいた医師は、助かる見込みはないと判断した。
医者の診断は絶対ではないが、「死ぬ」なんて診断を伊達や酔狂で出すはずがない。
ところが、この船に、大変な偶然だったが、この女性の数十年生き別れになっていた息子が乗っていて、息子がそのことに気付いて、瀕死の母親を励ましたところ、なんと母親は回復し、その後も長く生きたという実話がある。

このブログでも何度かご紹介した、帝国ホテルの有名なシェフであった村上信夫さんの戦争中のお話も忘れられない。
村上さんがシベリアで捕虜になっていた時、ある夜、ロシア兵に呼び出され、大怪我をして瀕死の状態になっている日本人兵のところに連れて行かれる。
村上さんがコックだと知っていたロシア兵は、「最後に何か食べさせてやれ」と言う。
村上さんが、その日本人兵に、「何を食べたい?」と聞くと、彼は「パイナップル」と言うが、そんなものはなく、あるのはリンゴだけだった。
そこで、村上さんは、リンゴを、砂糖を使ってフライパンでパイナップルのように料理し、日本人兵に食べさせると、彼は全部食べた。
そして、村上さんは、「もう二度と会うことはないだろう」と確信して部屋を出た。
ところが、しばらく経って、村上さんが収容所内を歩いていると、誰かに声をかけられ、振り向くと、何と、あの死にかけていた日本人兵だった。
彼は、「あんな美味いものが食べられるなら、もう一度生きてみようという気になった」と言った。

そうだ。自分が生きようと思えば生きられるし、病気も怪我もいくらでも治る。
私がそう実感したことがある。
昨年2016年9月11日の日曜日、午前4時過ぎに千葉県のホテルニューオータニで目覚めた私は、ゾクっとする寒気を感じた。
ひどい風邪だった。
兆候は昨夜からあったが、夜中に冷やしてしまい、最悪の状態だった。
本当に気分が悪く、頭は痛いのを通り超し、クラクラする。
しかし、昨夜に続く、2度目の初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2016」をキャンセルしようという気はさらさらなかった。
ライブの前の企画展は諦め(幸い、昨日見ていた)、時間ギリギリまで回復に努めたが、ほとんど効果はなかった。
ライブ中に1人倒れたくらいでは、ライブは中止にならないと思うが、回りに迷惑をかけるのは嫌だ。
いや、もし死んだら、本当にライブは中止になりかねない。
よし、死にかけたら、最後の力を振り絞って会場の外に出てから死のう・・・なんてマジで思いながら、一応の座席であるパイプ椅子に座っていた。
やがて、バンドが演奏を始めたのが分かった。
何かのスイッチが入るのを感じる。
立ち上がる。
第1曲目の『39ミュージック』の勇壮な前奏と共に聖霊が降りて来る。
ミクさん登場!
聖霊が私に入り込む。
身体は確かに苦しい。
しかし、もう楽しいだけで、2時間が一瞬で終わる。
私はエネルギーに満ち溢れ、世界征服に出かけようと思った。
これが熱情の力である。









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クリスマスの空気

昨日がクリスマス・イブだと気付いたのは、昨日の夕方だった。
それでも、早く気付いた方で、近年では、私は、クリスマスを知らずに過ごすことが多かった。
と言うのも、不況のせいか、昔と違い、百貨店や商店街等でもクリスマスの飾りつけをしたり、クリスマスの音楽を流すこともなくなったからだと思う。
テレビもあまり見ないが、いかにもクリスマスらしい番組というのも、そうはないような気がする。
確かに、イエス・キリストの誕生日は本当は12月25日ではなく、それは6世紀頃に会議で決めたのだという話を見た覚えがあるが、それでも、長い間、この日をイエスの誕生日として祝ってきたのであるから、人類にとって特別な日であることは間違いない。
イエスの生年も西暦元年ではなく、それより数年早いらしい。学者の計算違いで現在の西暦になってしまったが、間違いに気付いた時、既に数世紀になっていて、「いまさら変えられない」ので、誤差があると分かったまま、A.D.(アンノドミニ=ラテン語で「主イエスの年に」。西暦紀元。キリスト紀元)をそのまま継続しているということだ。

私は、昨日、クリスマス・イブには気付いていなかったのだが、朝から、『新約聖書』の福音書と、『観無量寿経』をよく読んでいた。
イエスの語り口と釈迦の語り口が、なんだか響き合う感じがして、両方がよく分かるような気がした。
私は昔は、イブには、ディケンズの『クリスマス・キャロル』や、アンデルセンの『マッチ売りの少女』を読むのが好きだったが、やはり、クリスマスというのは特別な空気があるのかもしれない。

それで結局・・・いや、あまり脈絡はないが、誓ったことは、昨夜も書いた通り、何か1つの必殺の武器を磨き上げることだ。
高原由紀のナイフ投げ、堀辺正史さんが見たヤクザのオッサンの脚折りキック、そして、これらには劣るが、昔の私のプログラミングのようなものだ。
ただ、私はいまや多次元に生きているので、1つのつもりで、いくつか並行するだろう。
私なりのプリズナートレーニング(囚人のように狭い部屋の中で肉体を鍛え上げるトレーニング)や、プログラミングを極めることもあるが、真に求めるものは他にある。

昨日は、初音ミクさんの『Last Night, Good Night』を5回くらい聴いた。
私の聖歌のようなものだ。
また、『FREELY TOMORROW』も、やはり5回ほど聴いた。
こちらは、私のエメラルドタブレットであろうか。
そして、『マジカルミライ2014』のブルーレイで、これらの歌を歌うミクさんを、それぞれ2回崇めていた。
その後、トレーニングをしたが、ヒンズースクワットを久々に393回(ミクさん回)やり(普段は休日は300回、平日は200回)、武術の訓練も十分にやった。
これらは全部、部屋の中で出来るし、部屋の中でやることに意味がある。
やはり、クリスマスは空気が違うのだ。特にイブの夜は。

そんな訳で、私のように地を這うしかない皆さん、共に、自分のエクスカリバー(アーサー王の聖剣の名)を磨こう。
そうすれば、イエスの言う、天に富を積むことも出来るようになれるだろう。









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さあ、ご一緒に。地を這う君達。

今朝の朝日新聞の一面は、右上に、兵庫県加古川市の中学2年生の女子生徒がいじめを訴えながら学校が相手にせず、女子生徒が自殺したという記事が。
その下に、女子フィギュアスケート全日本選手権で優勝した宮原知子さんがオリンピック代表に決定したという記事があった。
この2つを同じ面で取り上げる朝日新聞の感覚も何だが、同じ人間でありながら、こうも違いがあるという現実に私は呆然としていた。

仲間であるべきクラスメイトや、頼りにすべき教師に虐げられ、遠ざけられて排除され、孤独と無力感の中で無念を道連れに自死した少女と、喝采を送る大観衆に笑顔で手を振る宮原さん。
もちろん、私には、いずれも分からないが、断然親近感を感じるのは前者だ。
栄光とか称賛には縁がないが、世界の隅っこにしか居場所がないというのは、分からないでもない。
この少女は、世界の隅っこも与えられなかったのだろうが。
私の栄光らしきものを探せば、昔、セールスコンテンストで新人の身で奇跡の逆転優勝をしたことがあるが、所詮、押し売りのチャンピオンになっただけのことで、世界の中央近くに居場所のある立派な人なら決してやらないことだ。
考えてみれば、思い出せば首が縮み、恥ずかしい思い出だというのが本当だ。

それはともかくだが、新聞では、教師や学校が、女子生徒のいじめの訴えを無視し、何もしなかったことを問題視していたが、確かにそれは良いことではないが、問題はそこではないのだ。
教師や学校に、問題を解決する能力なんてハナからない。
必要なことは、問題を解決する能力のある者が、女子生徒の要請に応じて出動出来ることなのだ。
黄金バットのようにね。
例えば、それがこの私でも良い。
だが、校長以上の権限は必ずいただく。私は校長より優れているのだから当たり前である。

まあ、何の問題解決にもならない仮定の話はやめるが、私が望むことは、弱い者が自力で力を得ることである。
それはきっと、全然きれいな力ではないし、醜悪で邪悪かもしれない。
それでも、力を持たねばならない。
宮原で何となく思い出したが、昔、梶原一騎さん原作の漫画『愛と誠』に登場した、高原由紀といういわくのある美少女女子高生がいた。
捨て子で、孤児院で育つが、反抗的なこともあり、孤児院の運営者にいじめられ、殺されかけたこともある。
さらに、その中で大きな裏切りに遭い、すっかり心がねじれ、やがて女子少年院に入れられるザマとなるが、そこでも、なまじ可愛いのでいじめられ、酷い目に遭う毎日だった。
だが、由紀は闘志を燃やし、ナイフ投げの修行を始める。
きっと、とり憑かれたように、狂気となって練習したのだろう。
その様は、練習の鬼で屈指のメジャーリーガーであったテッド・ウィリアムズ並か、それ以上かもしれない。
そして、由紀のナイフ投げが達人級になった時、彼女をいじめていた者達は、皆、彼女に平伏した。嗚呼、愉快だ!
原作者の梶原一騎さんは、おそらく、伝え聞く通り、人間的にいろいろ問題はあったかもしれないが(実際に逮捕、投獄されている)、酷い屈辱とか人間の深い恨みについてはよく知っていたのだと思う。自身も少年院に入っていたようだ。そんな暗い経験や、世間に対する復讐心がエネルギーになり、才能を発揮して大作家になったのだろう。
まあ、ナイフ投げというのは漫画の世界のお話だし、仮に本当にそんな技芸があったとしても、今の時代には合わないだろうが、やるべきことは、高原由紀と同じである。

堀辺正史さんという格闘家は、喧嘩の修行のために、ヤクザの出入り(集団の決闘)を見学させてもらっていたというから、大したものだと思う。
そんな中、堀辺さんが見た、小柄で歳を取った、少しも強そうでないが、名の知られた喧嘩の名人のオッサンの技とは、突っ込んでくる相手の足元にスライディングしてキックを放ち、相手の脚を折るというものだった。
なんと馬鹿な、ダサい、最低の技だが、そのオッサンは、この技を磨き抜き、恐れられていたのだ。
私は、こんなクズ野郎が大好きだ。
私には、そんな技もないのだから、敬意すら感じる。
そのヤクザのオッサン、そう遠くなく、殺されるか、不具者になるまで叩きのめされ、いずれにしても野垂れ死ににしたのだと思う。
それで、満足したとは言わないが、まあ、やるだけやったとは、ちょっとは思えたのではないだろうか?
自分に与えられた才能や居場所はその程度で、それだけは使ったのだから。
私は、一応はプログラミングの能力を磨いたが、そのヤクザのオッサンや高原由紀ほどではない。
死ぬ時に後悔したくなくば、何か、死ぬ気で磨かねばならない。
さあ、ご一緒に。世界の隅っこの、ちっとも立派でない方々よ。










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