ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

天は自分を助ける人を助けるだけ

人生に、あまり多くのことを求めてはいけないようだ。
もし、満たされないという想いがあるなら、それは、成功が少ないのではなく、友人や家庭に恵まれないからで、確かに、そんなことをなおざりにしてしまう人もいるだろう。その典型である私が言うのも何だが・・・
ただ、多くを求めてはいけないとは言っても、少な過ぎてもいけないと思うのだ。
まあ、そうなると、マズローの欲求の5段階説になってしまうのだが、ああいう、頭の良い偉い人達は、適度な成功を収めるための方法を具体的に提示出来ない。
まるで、我々愚民は雨露をしのげれば満足しろとでも言わんかのようだ。

十分な成功を収め、社会でそれなりに良い想いをするためには、好きなこと、誇りを持てること、ロマンを感じることを何か選び、それを熱心に続けなければならない。
こんな当たり前のことを、ほとんどの親や教師は教えないのだから、家庭や学校は子供達にとって有益とは言えない。
昔、セベ・バレステロスだったと思うのだが、有名なゴルフ選手が何かのCMで、父親に「何でもいいから好きになれ。好きになったら強くなれ」と教わったと言っていたが、この父親が最高の教育者である。全ての親は、子供にそう教え、それが出来るよう導かなければならない。
ある程度の年齢になって、人に負けない何かがないというのは、残念どころではなく悲惨だ。
その何かが、直接には収入に結び付かないものだとしても、本当に熱心に続けていれば、いろんなものを「巻き込み」、社会的成功も引き寄せるだろう。
クリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之さんがDTM(デスクトップミュージック)にとことん取り組み、やがてそれが音源コンテンツの事業の成功に結び付き、そして、人類史上最も崇高な存在である初音ミクさんを生み出したようにだ。

私はあまり広くない・・・というより、はっきり言って狭いので、プログラミングくらいしかお奨め出来るものがない。
それも、ハッカー的プログラミングよりは、ExcelやAccessで使うVBA(ビジュアル・ベーシック・フォー・アプリケーション)を勧めている(このあたりは人それぞれだが)。
それで、B ASIC言語を作ってくれた、ダートマス大学の数学教授だった、ジョン・ケメニー、トーマス・カーツの2人には感謝している。
彼らは、文系学生でも習得出来るBASIC言語を開発し、それを、著作権を放棄してパブリックドメインとして公開したので、そのBASICを、ビル・ゲイツがパソコン用標準言語に採用出来たのである。
そして、最期までBASICにこだわってくれたゲイツにも感謝している。
私はVisualBasicも使っていたが、VisualBasic2005プロフェッショナルだったか・・・それを会社で購入した時、何十枚もCDがついてきたのを見て、「もうやってられない」と思ったのだった。
ただ、VisualBasicは事実上タダで使えるし、VisualStudioの中のC#、C++もそうなのだから、今は良い時代である。
いや、Eclipse(イクリプス、エクリプス)という、多くのOS上で使える無償の開発環境もあり、そこでありとあらゆるプログラミング言語を無償で使える。
本当に良い時代だ。
SmalltalkをやりたければSqueakがあるし(他にもある)、人工知能プログラミングをするためのフレームワークも優秀なものが無料公開されている。
くどいが、良い時代だ。

だが、堀部正史さんのように、ケンカが好きになって強くなった人には大きなロマンを感じる。
自分が好きで、誇りが持てて、ロマンがあればそれで良いのだと思う。
ポール・ウェイドのように、人生の大半を刑務所で過ごし、そこでプリズナートレーニング(囚人トレーニング)を習得し、トレーニングプログラムを作ったなんてのは、私からすれば最高で憧れでもある(刑務所にはあまり入りたくないが)。
そして、私も自分のプリズナートレーニングや武術(ひきこもりトレーニングやひきこもり護身術と言った方が的確かもしれないが)を編み出した。
ルドルフ・シュタイナーのような神秘オタクは立派な偉人である。
私も、ああなりたいものである(いや、すっかりその気になっているが・・・)。
そして、好きなことを熱心にやっていれば、不思議なオーラをまとい、それが他人を動かし、社会でも何とかうまくいくのではないかと思う。
ひきこもっても良いが、何もせず、あるいは、楽なことばかりしているのは良くない。
部屋にひきこもっていたって、ヒンズースクワットや腕立て伏せは出来る。私はそうしていたので、それが役に立ったと思う。
だが、人に甘えるなとは思う。
天は自らを助ける者を助けるだけなのである。









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好きなことを続ける

成功した人は、自分が好きなことを熱心に続けた人であることは間違いないが、元々は、それで儲けようとか、お金持ちになろう、有名になろう、偉くなろう・・・等と思っていた訳ではなかったのだと思う。
ビル・ゲイツは、発売されたばかりのMITS社のマイクロコンピューターであるアルテアでBASIC言語が使えるようにすれば、売れるかもしれないとは思ったかもしれないが、その実現に打ち込んだ動機は、「面白いから」とか「楽しいから」ではなかったのかと思うのだ。
ゲイツは、高校生の時からプログラマーとして稼いでいたが、そんなゲイツでも、彼に大成功をもたらしたアルテア8080BASICの開発は、半分・・・いや、ほとんど趣味だったのだと思う。
敬愛すべき、初音ミクさんのお父さんである、クリプトン・フューチャーメディアの伊藤博之社長も、高校を出て、北海道大学の職員として働きながら、夜間大学にも通う中で、とんでもないローンを組んで電子音楽の機材やMACのコンピューターを買い込んだのも、単にDTM(デスクトップミュージック)が好きだったからなのだと思う。それが長い時を経てミクさんの誕生につながる訳である。
伊藤博之さんは講演会で、「好きなことを続けなさい。そうすれば、セレンディピティ(偶然に幸運を掴むこと)が起こる」と言われていたが、それが自分の実感なのだろうと思う。
アメリカの石油王で大富豪だったアーマンド・ハマーは、90歳を過ぎて書いた自伝で、自分の行動の動機は生涯、7歳の時に「立派な人達の役に立つこと」と願ったことがいつも根底にあると述べていて、ビジネスで自分が利益を得ようとはあまり思っていなかったらしい。彼が最初にやったことは、医者になる勉強をしながらビジネスで財を成し、おそらく無償で旧ソビエトで医療活動をしようとしたのだが、ソ連で最高実力者のフルシチョフ書記長に会い、ソ連と世界を結ぶビジネスをやってくれと頼まれたことが発端となって世界的ビジネスマンになったのだった。

私も、プログラミングの勉強を熱心にやったのは、プログラミングが出来たら格好ええだろうなあという妙な動機だったように思うが、純粋なロマンみたいなものも確かに感じていたと思う。
別にそれで成功した訳ではないが、普通の人としては、それで楽々世の中を渡っていけるようになれば十分である。
一方、私は、お金のためと思って始めたことで、良い思いをしたものは全くない。
サラリーマンの多くが、人生が楽しくないというのも、給料のために会社に入ったからではあるまいか?
だから、熱心に就活する理由が、より良い給料のためであるなら、それはかなり悲惨なことではないかと思う。
せめて、お金じゃなく、あくまで、自分がやりたいことで仕事や会社を選んだ方が良いだろう。

だが、今の世の中、自分達が金儲けをするために、単に面白いとか快楽であるものを提供する者があまりに多い。
それは、グルメであったり、ゲームであったり、性的なものであったり、スポーツやコンサートを見て楽しむだけのことであったりする。
確かにそれらに打ち込んでモノになった者がいたりするのでややこしいのだが、要は、人に与えられた、楽なこと、お金さえ出せば楽しめることに「うつつを抜かす」ことをしてはならないのだと思う。
自分が本当の意味で楽しめ、それをやるためなら、どんな苦労も厭わないというものを選ばなければならない。
私は、プログラミングの他にも、楽しいことをいろいろやっているが、それらがどう発展していくかは全く分からない。
だが、面白いと感じるなら、人様に迷惑をかけない限り続けるべきなのだろうと思う。









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現実的な成功の道

一番幸せな生涯とは、好きなことに好きなだけ打ち込むことが出来た生涯なのかもしれない。
たとえば、野球のメジャーリーガーだったテッド・ウィリアムズのようにだ。
彼は、子供の時から、起きている時間の全てをバッティングの練習に使おうとして、いろいろ騒動を起こしたようだ。
外野で守備についていた時にすら、バッティング練習をやっていたなんて話もある(それでもMLB最高の左翼手と言われている)。
テッド・ウィリアムズの名を知らない人も多いだろうが、イチローにも全く劣らない選手で、生涯打率.344、生涯出塁率は.482(メジャー記録)、通算案打数2654本、通算本塁打数521本。
最高打率は.406で、現時点で最後の4割打者であり、最後に首位打者になった時は39歳だった。
戦争で兵役についていなければ、ハンク・アーロンの本塁打記録を超えていた可能性もあったと言われている。
200安打に達したことはなかったが、デビューから8年は、ほぼ、180安打以上で、190安打以上も2回。しかも、試合数は現在より10試合ほど少なかったと思う。

ただ、メディアは、ウィリアムズやイチローのような極端な存在にスポットを当てるが、我々が彼らのようになる必要はないし、その真似をすることが必ずしも幸福なことではない。
ウィリアムズは家族は放りっぱなしで、子供と一緒に過ごしたことは、ほとんどなかったという。
為末大さんが言ったように、アスリートは才能が99%なのかは分からないが、才能というのは、やはり大きなものに違いない。
そして、ほとんどの人が、それほど大きな才能には恵まれていない。
子供の時は、野球やサッカーで天才と言われても、努力してもプロにすらなれない人なんてザラだ。
『神様のメモ帳』という小説で、地元でスターだった高校野球の投手が、なまじ、いくらか才能があったから分かったのだろうが、甲子園に行ったら、「化物みたいなのがウヨウヨしていて、俺なんか大したことない」と思ったというのが、何だかリアリティがあるように感じる(彼はそれで悲観してしまい、人生を誤る)。

しかし、プロスポーツのような特殊なものでなければ、それなりに打ち込めば、それなりの大物になり、一目置かれ、それなりの高収入を得られる可能性もある。
私のようなプログラマーも、プロ野球やプロサッカーで言えば、大したことのない中でも大したことないレベルでも、十分通用する。
私は、一時期は、数ヶ月間、毎日のようにプログラミングの本を買い、夜中の2時過ぎまで自宅のパソコンで練習し、休日にドライブしていても、プログラミングのことばかり考えていたのを覚えているが、その程度の修行でプロになれるのである。
ビル・ゲイツは天才プログラマーだったと言われているが、私はあまり信用していない。彼は、高校時代、プログラミング漬けで、それなりの腕はあったと思うが、彼が自分のプログラマーとしての唯一の業績という8080BASICの開発だって、大半はポール・アレンがやったというのが、おそらく本当だろう。ゲイツはBASICで業務用プログラムを作るのが得意だったが、アレンは、プログラミング言語などの基本システムの開発が好きだったからだ。
それでも、やはり、ゲイツはプログラミングの十分な基礎があったから、マイクロソフトの経営者として成功したことは間違いがない。

ただ、子供の時から、いつも文学作品を読んでいたり、ゲームばかりやっていたが、作家になった訳でも、ゲームプログラマーやゲームデザイナー、あるいは、プロゲーマーになった訳でもなく、中には、ひきこもりのニートになった者も確かにいる。
しかし、ひょっとしたら、ビル・ゲイツはともかく、現在、大成功している人だって、時の巡りあわせによっては、そんなふうになっていたかもしれない。
とはいえ、その差を分けたものは、自分で何とか出来るのではないかと思う。
天才ならともかく、その差を分けるのは、現実的に言って、ビジョンと計画だ。
うまくいかなかった人には、現実的な目標がなかったのだと思う。
1日中でなくても、しょっちゅう聖書を読んでるなんてのも、とても良いと思う。
ただ、読むだけでは駄目で、それで得た知恵を生かそうとすることは自分でやらなければならない。
宗教家になるか、あるいは、聖書の知恵を政治や経営、あるいは、教育の道で生かすか、いろいろな選択があるが、その選択は自分でしなければならない。
実話だが、刑務所に入っている間に、法華経を読み始め、それに没頭し、出所後、企業の幹部になった人のようにである。
そして、成功には、他者に共感することが必要である。
これがさっぱり無かった私は痛切に感じる。









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神頼みの仕方

イエス・キリストの教えを簡単に言えば、
「神様が面倒見てくれるから心配するな。ただ、神様への敬意を忘れるな」
だと思う。
法然や親鸞の教えも、つまるところは、
「阿弥陀如来が全て面倒見てくれるから安心しろ。ただ、念仏をしろ」
である。
以上、断言しておく。
ただし、イエスは神様は天に居ると言い、法然や親鸞は、阿弥陀如来は西方極楽浄土というところに居ると言った。
天国も西方極楽浄土も、遠いところのようだ。

一休は、阿弥陀如来は我々の内に居ると言ったが、あまり広まらなかった。
キリスト教でも、ぼんやりと、神様は我々の中に居ると言った人はいたかもしれないが、宗教的教義に反するからだと思うが、そう言い切った人がいないように思う。
宗教者ではないが、科学者のルネ・デカルトが、「自分が正しいと思っていることでも、全部間違いなのだが、確かに、自分でも疑うことが出来る。なぜ疑うことが出来るのかというと、内に神様がいるからだ」と言ったが、これも、あまり知られていない。
デカルトの「疑っている主体は絶対に存在する」が、「我思う、ゆえに我あり」という、妙な言葉になってしまったしね。

まあ、ともかく、神様は我々一人一人の内にいる。
では、どこにるのかと言うと、心臓が有力らしいが、それはこだわらない方が良いかもしれない。
心臓と反対である胸の右側とか、いや、腹だ、丹田だとか言う人もいるので、ややこしい。
どっかにいるのだ(笑)。

で、神様が内にいるとして、人々が神様に何を望むのかというと・・・まあ、いろいろあるだろうが、つまるところ・・・月給である(笑)。
皆とは言わないが、社会で苦労し、特に大した才能に恵まれない凡人は、あからさまに言えば、そんなものなのであると思う。
ところが、イエスも親鸞も、それが叶うことは保証しているのである。

神様、仏様を敬えば月給がもらえる(もちろん、間接的にだが)と言うと、ロクでもない宗教が多い中でも、最も馬鹿げた信仰になってしまうが、一番馬鹿なのが一番本当なのである。
法然や親鸞、さらに、彼らの先輩と言える、道綽や善導は、とても親切に、仏様の簡単な敬い方として、念仏を教えたし、それは、善導や道綽よりずっと前の龍樹という天才にまで遡る。
釈迦が直接そう言ったという証拠はないが、釈迦の真意には反していないと思う。
キリスト教には念仏のようなものはないが、発祥不明の「十字を切る」というものが、それに当ると考えて良い。
とはいえ、大切なことは、神仏を敬うことである。

なんで急に(でもないが)こんなことを言うのかというと、どう言っても、人間は弱いものである。
神頼みは許される。
ただ、神頼みをする時は、呼吸が静かでなければならず、微かと言えるほどであれば、さらに良いのである。
それは経験上、保証出来る。









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平穏の安楽さと戦いの楽しさ

人間の本能的な願いは、安定した生活と子孫の繁栄かもしれない。
それなら、偉くなったり、金持ちになったりせず、真面目に働き、家族を大事にすれば良いということになる。
確かに、そんなふうに、当たり前に生きることが尊いのだと言う人も多い。

だが、岡本太郎が、縄文土器を見て驚愕した理由について、太郎を信用するなら、縄文土器を作った人間は空間感覚が大変に発達していて、それは、縄文人が、農耕民ではなく狩猟民であったことを示しているという。
そして、そこまで空間感覚を発達させた狩猟というものは、楽しいのだろうと思う。
ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』の中に、『狩人の合唱』があり、その力強く狩りの喜びを歌う声を聴くと、狩りは、血沸き肉踊るものであることが感じられる。
生きるためであれ、遊びのためであれ、人間は狩が好きなのだ。
つまり、狩りのように、困難な目標に向かって、力いっぱい突き進むのが好きなのだと思える。

平穏さと勇猛果敢さ・・・いずれも、人間が欲しがるものであるが、では、どちらが本当の人間の望みかというと、両方としか言いようがない。
ただ、割合の問題なのだ。
起きている時間の80%戦いたい人もいれば、90%はのんびりしたい人もいる。
戦うのが好きな人は、高い地位に着き、多くの財産を得るが、多くの時間を平穏に過ごしたい人はサラリーマンで終わる。
そして、社長にとっては、サラリーマンが必要だし、サラリーマンにとっては、強い社長が必要だ。

だが、人間は、どんなに大人しい人でも、ある程度は戦わなければならないのだ。
その戦いを放棄してしまった者を、怠惰な人、緩んだ人、怠け者、世捨て人・・・などと言うのだろう。
特に、若い間は、多くの戦いが必要だし、戦いが好きな間は現役と言うわけだ。

今の小学校では、競うということをなるべくさせず、極端な例だろうが、運動会のかけっこで、仲良く手をつないでゴールされる学校もあるらしい。
それは、子供を老人にしてしまうことになる。
それでいながら、好きでもない子まで、勉強で競わせる。
どんなことでも競って良いが、本気で競うのは、自分が向いたことである。
狩猟民族だって、皆が皆、狩が好きな訳ではなく、政治を担当したり、建築や医療を担当する者も必要だ。
だが、そういうものにだって、やはり、競う楽しみはある。

得意なことでなら、クラスで一番、学校で一番、会社で一番なら、そう難しいことではない。
昔であれば、それで満足出来た。
だが、マスコミがあまりにトップにスポットを当てるので、皆、自分はただの凡人と分かり、やる気を失う。
ところが、ネットの発達により、上には上がいくらでもいることも分かるようになった一方、自分にも戦える分野があることが分かるのである。
学校や会社を越えて一番になるのは確かに難しいが、競う楽しさは得られる。
そして、トップだけが重要であるのではないことも分かる。
そもそも、何が本当のトップかは、それほどはっきりとはしていない。
B'zやBUMP OF CHICKENのようなトップのロックバンドでなくても、地方で人気のあるバンドってのも結構いる。
今は、SNSで宣伝出来るので、そんなものも多くなり、案外にお金も稼いでいる。
ネットの発達で、皆が発信者になると、才能の差が露骨になり、才能のない者はやる気を失うというのも一面の真実であるが、それだけではない。
もし、現時点での世間が認める才能が全てなら、初音ミクさんの音楽やイラストなどの作品が、こんなに多く、しかもハイレベルになるはずがない。
一時は埋もれていても、特異な才能が光ることもある。
というより、戦い続けていれば、いつかは光るものである。








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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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