ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

「世界を変えてやる」と言う馬鹿

テレビドラマの影響だと思うが、私は坂本龍馬といえば、「日本を変えてやるぜよ」という、鼻息の荒いセリフが思い浮かぶ。
映画のキャッチコピーなんかでも、「僕は世界を変える」なんて多そうな気がする。
しかし、もし、坂本龍馬が本当にそんなことを考えていたとしたら、彼はただの阿呆だろう。

私が昔知っていた人だが、公務員だったのが、パニック障害か何かで退職し、国か県か市かは知らないが、とにかくどこかから、ずっと援助を受けて生活しているらしい。
何年か振りで顔を見たところ、ぷくぷく太って、もう「のほほ~ん」とした平和な顔をしていた。
その彼が、暇だからだろう、ブログを始めたが、タイトルか副タイトルか忘れたが、「世界を変えてやるんだぜい!」という鼻息荒いものだった。
もう、とっくに消えているブログだとは思う。
言っては悪いが、彼は正真正銘の、救いようのない阿呆である。
それは、まるで駄目男君(私の職場にいる、派遣の雑用係。30をとおに過ぎた人生の落伍者)が、目標を聞いたら、「社長」、「理事長」、「高尚な仕事」と言うのと同じだ。

では、なぜ、彼らがとんでもない阿呆なのか?
それは、はっきりさせておいた方が良い。
自分がそうならないためにね。

1973年のノーマン・ジュイスン監督のアメリカのミュージカル映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』で、イエス・キリストが、ユダに、
「貧しい人を救うだと?我々にそんな力があるとお前は本当に思っているのか?」
と、ちょっとキリストらしくないと思われるかもしれないことを言うのを、私は印象深く覚えている。
自覚は出来なかったが、このセリフ(ミュージカルだから歌だったが)で私は、この映画の制作者は馬鹿でないと思ったのだ。
馬鹿が作ったキリスト映画なら、イエスは自由自在にあらゆる人を救うだろう。

武内直子さんの歴史的な漫画『美少女戦士セーラームーン』で、危機的な状況にある時、タキシード仮面こと地場衛は、こう言う。
「俺たちは出来ることをしよう」
昔、これを読んだ時、しびれたものだ。
今思えば、当時、20代前半の著者は本当に賢い人だ。
アニメの『美少女戦士セーラームーン SuperS』のエンディングソングは、1つ目のは、なんと秋元康さんが作詞した『私たちになりたくて』という歌で、これも良い歌だったが、2つ目のは、武内直子さん自身が作詞した『“らしく”いきましょう』という名曲だ。
その中で、「ピンときたの 理系カンカク」という歌詞があるが、武内さんは理系脳の持ち主だろう(別に、彼女が薬学部出身だからではない)。

『ウルトラマンティガ』でも、ダイゴがレナに、
「僕は人間だから、自分にやれることをする」
と言ったのを、やはり印象深く覚えている。
ダイゴは人間を超えたウルトラマンなのだが、それでも、やはり同じなのだ。

そして、元マイクロソフト(日本法人)社長だった、成毛眞さんの『理系脳で考える』に、こう書いてあるのを見て、ようやくまとまった。
「世界を変えようと鼻息の荒い人よりも、目の前の課題をクリアしようとしている人の方が、あっさりと世界を変える」
成毛さんは、頭の良い人は理系脳の持ち主で、頭の悪い人は文系脳の持ち主だと言う。
ただ、理系脳の持ち主か文系脳の持ち主であるかは、出身学部が理系か文系かとは一致しない。
たとえば、元総理の鳩山由紀夫さんは、東大工学部から、スタンフォード大学大学院の工学部の博士課程を出てPh.D.まで取った、世間で言えば理系中の理系の超エリートだが、
「友愛という極めて抽象的な言葉を多用し、普天間飛行場の移転先について、これといった具体策のないまま、『最低でも県外』と公言してしまっている。できないことについて、あたかもできるかのように言及するのは本書で述べていく文系脳の極みだ」
と、早い話が、「馬鹿」と断言しているようなものだった。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

食事と運動のまっとうな話

病気知らずの健康な身体、さらには、ヒーローのようなパワーとスタイルを得るための食事と運動について述べたいと思う。

「偉人」中村天風の本を見ると、
「肉、魚、絶対に食べるな。果物はいくら食べても良い」
と書かれている。
何でも彼は、実験のつもりで、豚肉ばかり長い間(1ヶ月以上だったと思うが忘れた)食べてみたら、心身に悪い影響があったから肉は駄目だと言う。
それは、肉が駄目なんじゃなく、食べ方の問題だ。
天風は、おそらく凄い人であり、素晴らしい点の多い人なのだろう。
だが、その神格化された虚像に洗脳されてはならない。
上の天風の言い分は、全くのデタラメ、阿呆と言い切って良いことは、まともな頭の持ち主なら分かるはずだ。

肉も魚も適度に食べれば良いのだ。
もちろん、嫌なら食べなければ良いのだが、それを他人に強要してはならない。
肉は消化が良いし、高齢で健康である人には愛食者が非常に多いらしい。
それが(健康な高齢者に肉食の愛好者が多いこと)が本当であれ間違いであれ、肉食で健康な人は間違いなく「いくらでもいる」。それは誰も否定出来ない。
確かに、食べ過ぎの者は多いので、それは是正しなければならないが、かといって「食べてはいけない」など、傲慢もいいところである。

中村天風も言う通り、果物が健康と美容に良いことは、私が賛同するまでもなく、分かっていることだ。
しかし、天風の言うように、「いくら食べても良い」訳ではない。
炭水化物否定派の医者が、「肉、魚、ナッツなどは無制限に食べて良い」などと本に書いているが、無制限に食べて良いものなどない。
そんな輩が医者で、本も沢山出しているのだから困ったものだ。
そもそも、節操もなく本を出す(出版社も、売れるものだから節操もなく出版する)時点で、変と気付かないといけない。「炭水化物を食べてはならない」という主張を1冊でまとめられないなら、単なる馬鹿だろう。
果物に戻るが、当然、無制限に食べて良い訳ではないが、多目に食べるのは構わないと思う。
多目とは、1日では、リンゴなら2個、バナナなら3本といったところと思う。
もちろん、個人差はあるので、この限りではないが、普通に食事をしながら1日にリンゴ10個を食べるといったら、まともに考えれば多過ぎるだろう。
尚、「天風は果物を無制限に食べて良いなどと言っていない」と言うなら、それは天風の言い方か、本の書き方が悪いのである。本は趣旨を誤解されないよう、簡潔に書かないといけない。

中村天風は、自分以上の教えが出来る人が出てきたら、天風財団の全財産を譲ると書かれていたが、私が是非戴きたいものである。
それで、初音ミクさんのコンサートを開催してもらい、女子小中学生の専用スペースを用意して無料招待し、しかも、地域ごとでまとまって安全に送り迎え出来る計画を立てたい。

次に運動である。
腕振り運動は、肩に良いのはもちろんだが、腰と背骨を調整する優れた働きがあるのだと思う。
大抵の病気は、腰と背骨で治るのだと思うし、腰と背骨が良好な状態になれば、強健になれると思う。
私が全くそうである。
腕振り運動には、後ろに振る時に力をいれるやり方と、逆に、前に振る時に力を入れるやり方がある。
私は両方やっている。
即効で効果が現れるかどうかは分からないが、根気良く続ければ効果は出てくる。自分では感じなくても、優れた効果が出ているはずだ。

スクワットは特にお勧めしたい運動だ。
たとえ1日10回でも、やるのとやらないのとでは大変な違いだ。
ただ、日によって、やったりやらなかったりでは効果が出ない。
出来れば、1年365日、よほどのことがない限り、休まず、出来るだけ同じ時刻にやれば、素晴らしい効果が出るだろう。
いきなり30回やると、数日、筋肉痛で悩まされると思う。つまり、それだけ、良い運動になっているということだ。
慣れれば、30回など楽々と出来る。
少し根気がいるが、毎日欠かさず100回以上やれば、すらりとして、なおかつ、素早く軽やかに動ける・・・アニメのヒーローのごとき身体になる。
それを1年以上続ければ、ライブの初音ミクさんの動きを見て、強い親しみを感じるだろう。ミクさんの身体に近付いているからだ。

腕立て伏せといったら苦しそうな印象があるが、これも、たとえ1日3回や5回でも、やるのとやらないのとでは大違いなのだ。
変な姿勢や動きで何十回もやるのは愚かである。
ゆっくりとした、優雅で、美しい動きでやれば、少ない数で十分である。
高校野球で、かなりのエース(主力ピッチャー)だった人から、「腕立て伏せは10回で十分」と言われたことがあるが、その通りであると思う。
ただし、あくまで、正しいやり方でやればだ。

腹筋運動は腰に悪いという話がある(正しい姿勢でやっても)。
それも、数が多過ぎるのだろう。
腹筋運動も、毎日10回でも、やるとやらないでは大違いである。
テレビで、ある欧州の名門クラブで活躍するサッカー選手が、腹筋運動が大好きだと言うので、司会者が「何回やるのですか?」と尋ねると、多くの人が、どこかの芸能人のように、千回とかいったレベルの回数を期待したと思うが、彼は「20回」と答えた。
トップレベルのプロスポーツ選手でもそうなのである。我々なら10回でも良い。
10回や20回なら、正しい姿勢で、ゆっくりやる限り害はないし、身体も強く美しくなるだろう。

食事や運動について書かれた本やWebサイトでの解説は多いが、こんな当たり前のことを教えてくれるものは少ない・・・いや、ほぼないと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

自信ほど大切なものはない

「私は対人恐怖症です」なんて馬鹿なことを絶対に認めてはならない。
医者に言われようが誰に言われようがだ。
人間の不幸の大半は、「他人が恐い」と感じることである。
ひきこもりの中には、「他人が嫌い」「他者と関わるのが煩わしい」「穢れた世の中が嫌い」などと言う者が多いだろうが、本当は、他人が恐いだけなのだ。
そして、他人が恐い理由は、自分が弱いと思っているからだ。
自分は弱い、自分は他人より劣っていると思うのを、普通、劣等感と言うのだと思う。
つまり、あらゆる不幸の根源は劣等感だ。

ソウルオリンピックの女子100m、200m、4×100mリレーで金メダルを獲得し、いまだ、100mと200mの世界記録保持者であるフローレンス・ジョイナーは、「走るクレオパトラ」などと呼ばれ、派手な化粧とマニキュアで競技を行ったが、インタビューで、「お化粧して綺麗になると自信がつく」と言っていたのが印象的だった。
案外、彼女は、本来は劣等感が物凄く強いのではないかと思う。だから、メイクアップの助けが必要だったのに違いない。
『美少女戦士セーラームーン』では、セーラー戦士達は、変身の際、あからさまに「メイクアップ」と称えるが、この作品が世界的に人気があり、今だ、初音ミクさん並にコスプレーヤーも多いのも、深い意味がある。
つまり、人間には自信が必要なのだ。

そして、残念ながら、メイクアップ一発で自信を持てる訳ではない。
自信は、自分で作らなければならない。
しかし、逆に言えば、自信さえ持てれば、世の中に勝ったも同然なのだ。
人類最高の書の1つと言える、エマーソンの『自己信頼』は、傲慢なまでに自信の重要性を説くが、やはりそれが正しいのである。
たとえば、いかなる世界的な美術品であろうが、「私の評価を待っている」、つまり、私が誉めなければ価値はないと、清々しいまでに言い切っている。そして、それは絶対に正しいのだ。

自信とは、とりもなおさず、「自分を信じる」ことである。
平原綾香さんの大ヒット曲『ジュピター』の中に、「夢を失うより悲しいことは、自分を信じてあげられないこと」という歌詞があるのを、私は一度聴いて覚えたが、まあ、その通りかもしれない。
自信とは、続けることでしか得られない。
しかし、続ければ、確実に得られる。
それこそ、ジョギングでも、聖書を読むことでも、1年365日、よほどのことがない限り1日も欠かさずに続ければ、光線銃を手にい入れたも同然だ。
1年で駄目でも3年やれば間違いないだろう。
腕振り運動も、500回なら一応の自信になるし、2000回なら無敵だ。
微かな呼吸は、身につきさえすれば、これには時間圧縮効果があるので、1秒で1万年分の効果があるが、自分のものになるまでは、やはり、毎日続けることである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

本当に自慢出来ること

あなたには、自慢出来ることが何かあるだろうか?
ただし、「本当に自慢出来ること」だ。
私には何もないなあ。

ジャイアント馬場さんというプロレスラーがいたが、全盛期は、野球のON(王貞治、長嶋茂雄)と並ぶ国民的スターだった。
馬場さんは、アメリカでも大スターで、力道山が生きている間はアメリカで転戦していたが、全米のプロモーターが馬場さんを呼ぶのに高額のギャラを用意し、さらに馬場さんの機嫌を取ったようだ。
その場場さんは、全日本プロレスという団体の社長でもあったのだが、著書で、
「経営はずっと赤字で苦しかったが、選手へのギャラの支払いの遅延は一度も起こさなかったことが俺の唯一の自慢だ」
と書かれていた。
あれほど凄い人でも、そんなことだけが自慢だったというのは、とても興味深い。
プロレス史上最高のレスラーだったルー・テーズも、馬場さんが亡くなった時、朝日新聞で、
「馬場さんはプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」
と述べていたと思う。

有名人でも何でもないが、創業した会社は数百人の従業員を雇いながら、常に黒字経営を続ける経営者が、同窓会に行くのが憂鬱だと言う。
「みんな(同窓生)には、俺が何か成功者に見えるらしい」
と、さも変なことのように言うが、普通に見て、まさに成功者そのものである。
しかし、彼は、ビルはいくつも建てたが、自宅も自家用車も、ちょっと高級取りのサラリーマンと同じ程度だ。
その彼が、常に自慢そうに言うのが、法人税を沢山払っていることと、社員の給料が業界水準を超えて高いことだ。

無論、普通の人には、彼らが自慢に思うことも出来ないが、こんな話を見たことがある。
ある、それこそ本当に平凡な男性が、
「死んで閻魔様の前に出たら、私は人生で何も大したことは出来なかったが、便所の下駄だけはきちんと揃えていたと言うつもりだ」
と言ったらしい。

他人の評価ではなく、自分が本当に自慢出来るもの、心から満足出来ることであれば、それがあることが幸せなのだろう。
そして、それはどうも、他者への奉仕であることが必要なのだと思う。
便所の下駄を揃えるのだって、次に利用する人の快適さを考えてのことで、単なる美観に自己満足するという意味ではなかろう。
つまり、自分の出来る範囲で、他者を喜ばせたり、役に立つことが、自慢であり、満足であり、幸福なのだろう。
普通は、自分の子供を「まともな人間」に育てれば、それで十分満足して良いのかもしれない。
それに今は、まともでない人間が多いから、もし、そんなことが出来たのなら、本当に満足して良いのではないかと思う。
馬場さんには子供はいないので、その分、別のことに(良い意味で)執着したのかもしれないとも思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

仙人に成り急ぐと死ぬしかない

呼吸が微かになれば、あなたは勝利するし、願いを叶える。
まるで駄目男君(30代の人生の完全な落伍者。私の職場にいる派遣の雑用係)ですら、もし、呼吸を微かにすれば、人の上に立てるのである。

昔の優れた剣士同士の対決はこうだった。
2人が対峙すると、実力が劣る方の呼吸が荒くなる。
一方、強い方の呼吸は全く変わらないか、ますます静かになる。
よって、もはや剣を交わす必要はなく、無用な殺生をせぬまま2人とも立ち去った。
勝った方に驕りはなく、負けた方は相手を敬った。
だが、利益が絡むと、いかに達人とはいえ呼吸が乱れ、そして、切り合い、多少の実力差なら、時の運で勝負が決まった。

微かな呼吸を、呼吸法と思い違いする人が多い。
両者に何の関係もない。
微かな呼吸とは、単に、呼吸しないことに近いだけだ。
もし、願いが叶わないなら、さらに呼吸を微かにすれば叶う。
ただし、身の程を知らない望みであれば、それを叶えるに相応しいほどに呼吸を微かさにしていくと、身体が耐えられずに死んでしまう。
それでも、どうしても叶えたいのであれば、命を賭けてみるのも良いかもしれないが、そんなことは無い方が良いのである。
呼吸の微かさで全てが決まる。
脅威の力を持った仙人は、多くとも1時間に数回しか呼吸をしないが、並の人間がそんな真似をすれば、やはり死んでしまう。
徐々に呼吸を微かにしていくしかないのである。
そのためには、ある程度の食の節制や鍛錬も必要と思う。
腕振り運動は、そのためにも非常に良い秘法である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新コメント
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
QRコード
QRコード

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ