ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年08月

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

やって良いことと悪いこと

やって良いことと悪いことの区別が付かない者が幸福になることはない。
しかし、その区別は難しいようだ。

「常識」ってやつは非常に大切だ。
けれども、「世間の常識」が必ずしも正しいとは限らないからややこいい。
しかし、本当に正しい「常識」は、絶対に絶対にあり、それは人間なら守らないといけない。

15歳の女の子を、似た年頃の男の子がデートに誘うのは自然なことだ。
しかし、誘い方には自ずと常識がある。
だが、常識のない誘い方をする者が多い。
女の子の方にだって、誘われ方というものがある。
デートに誘う以前に、それなりの人間関係を構築しておかなければならないはずだ。
単に可愛いからという理由で、いきなりデートに誘う男は、有るべき常識がない馬鹿だし、馬鹿な男に誘われないのは女の有るべき常識だ。
ところが今や、性的魅力があるからというだけの理由で、自分の生徒の少女に求愛する雄の教師や、少女をナンパするいい年のオッサンがよくいると思う。

人間は愚昧に陥り易いので、有るべき常識を身につけるのは難しい面もあるのだろう。
それで、昔の賢い人、あるいは神は、「これだけは守れよ」という掟を示すことがあった。
その最も有名なものが「モーセの十戒」ではないかと思う。
十戒は、Wikipediaから引用すると、

□主が唯一の神であること
□偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
□神の名をみだりに唱えてはならないこと
□安息日を守ること
□父母を敬うこと
□殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
□姦淫をしてはいけないこと
□盗んではいけないこと
□偽証してはいけないこと
□隣人の家をむさぼってはいけないこと

であるが、最初の4つは、宗教的で、必ずしも誰にでも当てはまるものではないと思う。
だが、後の6つは正しい。
そりゃ、他にも、「暴力はいけない」とか、「歩きスマホはいけない」といった、必ず正しいことはあるのだが、この6つも守れない者は、どんな良いことも出来ないので、「まずはこれだけ」と思っても良いだろう。
また、「敬う価値のない父母」ってのも確かにいるかもしれないが、そんな父母には、害を為さないこと、あるいは、本当に困っている時に見捨てないことが「敬う」に該当し、それで十戒を守っていることになるのだと思う。無理に崇め奉る必要はない。

でも、こんなことを、理屈で考えていると混乱し、非常にややこしく感じる。
それで、アメリカの作家カート・ヴォネガットは、
「私が知る限り、地球上の掟はたった1つ。人に優しくしろ」
と言ったものだ。
これも、理屈で考えると、「泥棒に優しくしなければならないのか?」とか、「どうしても必要なものまで親切に人にあげないといけないのか?」といった反論になる。
理屈では、グリムの『星の銀貨』に登場する、パンも服も、さらには、下着まで、欲しがる人にあげてしまった、あの信心深い少女は、ただの馬鹿ということになるかもしれない。
しかし、理屈と感情を使い分けることが出来るのが賢い人間だ。
ところが今は、最低限の知恵もない馬鹿が多いのが問題なのだ。
最低限の知恵がなければ極端論に陥るが、極端に走る者があまりに多いように思える。
「恋はリバティー(自由)」だ。だから、不倫OK、オッサンやオバサンが美少女や美少年を求めるのもOKだなんてね。
極端論を避ける知恵だけは持ちたいものである。
そのためには、親切にされたらお礼を言うが初めで、次に、恩を忘れないことだ・・・と言って、そう外れてはいないと思う。
なぜなら、これが一番簡単で、有るべき常識と思えるからである。









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苦しみに耐える方法

子供の時、夏休みが終わりに近付くにつれ、悲しいとか憂鬱といった言葉で言い表せない、何とも不幸な気分になったものだ。
学校も教師もクラスメイトのことも、少しも好きでなかったからね。
夏休みの終わりにUFOが迎えに来て、どこか他の星に連れて行ってくれると嬉しかったのだが、ジョージ・アダムスキーが言うには、地球でうまくやれない者は、他の星に行ってもやっぱりうまくやれないらしい。この指摘によって、私のアダムスキーに対する信用度がかなりアップしたものだ。確かに、その通りとしか思えない。

美味いウイスキーが、あと半分になった時、「もう半分しかない」と思うのと、「まだ半分ある」と思うのとは、心の強さや積極性の違いを表し、当然、後者のようであるべきと言われる。
しかし、残り2週間になった夏休みに対しては、「もう2週間しかない」としか思いようがないかもしれない。
なぜなら、残りの2週間を楽しもうという気があるのではなく、ただ、「不幸は2週間後」という思いしかないのだからね。

不幸に耐えるには、どうすれば良いのだろう?
それは幸福を、取り立てて喜ばないことだ。
幸運を特別視しなければ、不運もさしたることはなくなる。
新しい恋人が出来ても有頂天にならなければ、別れることになっても、それほど辛くはない。
出世しても、大したことではないと思えば、落ち目になっても、別にどうってことはない。

これは、最悪を覚悟するというのとは違う。
本当に最悪を受け入れてしまうと、潜在意識は最悪のような状況を作り出す。
お金持ちになっても、単に便利になるだけだ。
それを、自分は偉いとか、成功者だとか思うようになれば、たとえ富を失わなくても、普通の人以上に惨めになる。
本当は、お金があるならファーストクラスに乗ればいいのに、ビル・ゲイツがそれをしないのは、思い上がることを警戒しているのではないかと思う。
彼だって、そんな誤解をしそうにないことでは、結構、趣味にお金をつぎ込んでいる。
まあ、だから彼は金持ちになれたのだ。
新幹線のグリーン車に乗るのも、それが単に快適で、特に、初音ミクさんのコンサートに行く時は、ミクさんの髪の色(グリーン)に合わせただけと思うなら、そのくらいのお金は楽々払えるようになるだろう。
ベンツは本当に良い車だから乗ろうと思うなら、やはり、ベンツを楽々買えるようになるだろう。
しかし、お金があれば快適だが、あまりに快適ばかりでもいけない。
だから、節約しなければならない。
そして、当たり前のように小銭を貯める者が、案外、金持ちになるのである。









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プログラミングをマスターする見返りは極めて大きい

今、ショぼい仕事をしている人、ショぼい立場にある人に、私はよく、「プログラミングの勉強したら?」と言う。
ショぼいからこそ、チャンスなのだ。
なぜなら、自分は今、上手くいっていると思っているなら、プログラミングの勉強なんかやろうって気にならないだろうからだ。

ところで、「プログラミングの勉強をしたら?」と言ったら、「それは以前、挫折した」と応える人がいる。
どのくらい勉強して挫折したのだろう?
それは、数日とか一週間とか、せいぜい一ヶ月といったところだろう。
だが、一ヶ月やそこらで、プログラミングをマスター出来るはずがないのである。

だいぶ前から、「すぐに取れる資格」みたいなものの宣伝が盛んだが、すぐに取れる資格が力になったりなどしない。
だが、資格の学校や通信教育等の宣伝に騙され、勉強というものを、あんな薄っぺらなものと考えてしまっている人が多いのだ。
だからこそ、正しい考え方をする者はチャンスである。
馬鹿が多いからこそ、自分は楽々、上に上がれるのだ。

プログラミングは、すぐにはマスター出来ないからこそ価値がある。
プログラミングをマスターするには、根気も努力も必要だが、それをマスターした暁には、光線銃のような素晴らしい武器を得たも同然である。
その光線銃を持てば、一生、食いっぱぐれないし、仕事に困らないと思う。
どんな仕事をしていても、良い立場でいられるに違いない。
いかなる分野に進んでも、これからは、プログラミングが出来るか出来ないかが、圧倒的な差になることは間違いないと思う。
さらに、才能や努力次第で、光線銃以上の武器が楽々と得られるかもしれない。
だが、光線銃なら誰でも得られるのだ。

そりゃ、非常に頭が良くて、プログラミングを1ヶ月でマスターしたなんて人もいるかもしれない。
羨ましい限りだ。
しかし、本当のことを言えば、どんな天才でも、1ヶ月程度でマスター出来るプログラミングでは役に立たない。
このあたり、プログラミングというのは、割と公平で、経験がモノを言う。
外国語でも同じと思う。
ただ、外国語なら、短い期間で身につけたものでも、「変な○○語」ではあっても、それなりに実用になる。
その点は、むしろ、プログラミングの方が厳格かもしれない。
だからこそ、プログラミングは見返りも大きい。

何をやっていいか分からなければ、例えば、JavaScriptをマスターしたいなら、「JavaScript入門」あたりでぐぐって、良さそうなサイトだったら、そこに載っているプログラムを、そのまま何も考えずにテキストエディタで書き込むことだ。出来るだけ多くだ。
優れた入門書も沢山出ているので、1冊を徹底的に理解すれば良い。どれを選んでも、中身は大して変わらない。
どの言語を選ぶかは、いつの時代も、標準的に使われている言語を選ぶのが原則である。
今は、何だかんだ言っても、Java、PHPがそれであると思う。
有望になってきたのがJavaScript、根本的な基礎として力になる「不動の基本」はC言語。
しかし、自分のビジネスの力になるのは、ExcelやAccessと共に使うVBAだというのは、まだまだ今後、十数年変わらないと思う。既に、それなりに仕事をしていて、IT技術者になろうというのでなければ、圧倒的にVBAをお奨めする。しかし、その先にはIT技術者への道だってある。プログラミングは、どれもそんなに違わない。









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性悪説は一部の人間にあてはまる

皆さんは誰かを憎んでいるだろうか?
ちなみに、「恨む」とは憎み続けるという意味で、「呪う」は、恨んだり憎んだりしている相手に災いが起こるよう願うことであると同時に、「強く恨む」ことであるらしい。
憎しみの王様が呪いであるということか。
しかし、呪う、恨む、憎むの間に、根本的な違いはない。

あなたは、誰かを、憎み、恨み、呪っているだろうか?
私は、若い頃は、私の担任だった教師の大半を憎んでいた。
かなり長い間だ。
だが、考えてみれば、今は全くそんな気持ちはない。
私が憎んで止まなかった教師達にも、私が見ようとしなかっただけで、良いところはあったはずだ。
では、私が憎んでいた、彼らの悪いところは無かったのかというと、それは確かにあったのだろう。
ただ、それは、単に彼らも未熟だったというだけのことなのだ。
今では、彼らが、あんなことを言ったりしたりしたのは、仕方のないことだったと納得出来る。

ところで、最近私がよく観ている『地獄少女』というアニメには、毎回、ひどい悪人が登場する。
平然と他人に大きな苦しみや悲しみを与え、それが、純情なクラスメイトを自殺の追い込んでも、良心の呵責を全く感じない。
自分のせいで真面目な後輩が苦しんで死んでも、自分が安全なら、それで何の問題もなしと考える。
そんな人間は、アニメや小説の世界にしかいないのではなく、現実にいるし、人間の実に1割から2割はそうであるという研究結果もある。
では、彼らをどうすれば良いだろう。
断罪し、罰を与え、自分の犯した罪を後悔させるべきだろうか?
いや、偉大な愛の力で説得し、改心させるべきだろうか?
無駄だ。
彼らは、後悔も改心も「絶対に」しない。
なぜなら、彼らの脳自体に、罪の意識を感じる機能がなく、ありもしない罪の意識を後悔したり、罪の意識をたよりに改心することは、科学的、論理的に「ありえない」のである。

人間の性は悪だと言っているのではない。
性が悪である人間がいると言っているのである。
そして、そんな人間だって、絶対に必要なのだ。
そんな良心を持たない人間は、良心を持たないがゆえに、良心のブレーキがかからないからこそ、普通の人には決して出来ないことが出来るのである。
残酷で、非人道的なことでも、それをしなければ、災いが起こることもある。
それを彼らがしてくれるという面もあるのである。
だから、彼らは、意外と英雄や大企業の経営者に向いているとも考えられるのだ。

それに、『地獄少女』のヒロイン閻魔あいや、その仲間にしたところで、いかに相手が悪人とはいえ、あれほどの断罪を行うからには、やはり、普通の人が持つ何か大切なものが欠けているのである。
良心を持っていないと言って良いかもしれない。
良心を持っていない人間のことを、心理学や脳科学、あるいは、精神医学では「サイコパス」と言うことがある。
サイコパスは魅力的であることが多いと言われている。
閻魔あいは、とても魅力的だろう?









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運命が動く時

世の中は、合理化、効率化を追求するようになってきているのかもしれない。
しかし、それが本当にプラスの結果になるかは分からない。
それで、小さなことでは利益があるように見えるかもしれないが、大きな報酬を逃し、さらに、大きな災いをもたらすかもしれないのである。
合理化のためには計画が必要だが、計画があまりに厳格で細かいと、問題が起こった時に対応出来ない。
いや、それよりも、幸運が起こった時にも、それを受け入れることが出来ない。
「この幸運は計画にない」ってね(笑)。

もちろん、無計画や怠慢はもっと良くない。
しかし、どこか余裕が必要なのである。

会う約束の時間を決めたら、それに決して遅れまいと、1時間以上前に到着して待っているという人がいる。
なるほど、その人は、余程のことがない限り、約束を違えない。
しかし、人間、一時が万事であり、全てにおいて、そんな厳格・・・というか窮屈な人には誰もついていけず、信用はされても好意は持たれない。
約束を守るつもりが、不意の出来事で約束を破ってしまった時に、大きな幸運につながる重要なことが起こるのである。
ただし、条件がある。
1つは、約束を守るつもりが十分にあり、そのための努力をしたこと。
1つは、約束を破ったことを気に病んでいること。
1つは、約束を破って気に病んではいても、言い訳をしないこと。
この3つの条件が必要だ。

イスラム教では、約束をする時、「神の思し召しなら、それを果たしましょう」と、お互いに誓うといった話がある。
しかし、それを、自分が約束を違えてしまった時の「神の思し召しではなかったのです」という言い訳に利用する者がいるらしい。
約束を守れなかったのが、不可抗力なのか、自分の責任なのかは、ほとんどの場合、明らかだ。
そして、どう考えても不可抗力だった時、それは、神の思し召しかもしれない。
その結果が、自分だけの被害の場合は、「これは避けられなかったことだった」と思い、誰かに迷惑をかけた場合には、自分に責任がないと思えても、言い訳をせず、倫理や道徳、あるいは、信仰に反しない範囲でなら自分が責任を負う。
そんな時に、何かが起こるのである。









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