ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2017年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

水のような存在

クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会で、受講者から伊藤社長への質問の中に、
「初音ミクはあなたにとって、どんな存在か?」
というものがあった。
よく訊かれる質問のような気もするが、伊藤さんの反応は新鮮で、案外にない質問なのかもしれないと思った。
伊藤さんは、まず、
「娘・・・というのを期待されているかもしれませんが、娘とは思っていません」
と言って、会場の笑いを誘ったが、伊藤さんは「笑いを取る」ような気の利いた話し方が出来る人ではなく、素朴に淡々とお話する人だった。
伊藤さんは、これも、何かの効果を狙った訳ではないだろうが、
「水のようなものです」
と言って、少し会場を沈黙させた。
ここは、受講者達が考えるところであるが、今の人は考えることが苦手で、単純な答を求める。
私は、「水」と言われたら、ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』のヒロインである、水の精オンディーヌを思い出す。
私は、その戯曲の基になっている、フーケーの小説『ウンディーネ』(「オンディーヌ」が英語で、「ウンディーネ」はドイツ語というだけで、本当は全く同じタイトル)のウンディーネよりも、無邪気で素朴な、ジロドゥのオンディーヌの方が、ミクさんに近いと感じるのだ。
ちなみに、水の精は魂を持っていないところは、ミクさんと同じである。
ウンディーネは18歳、オンディーヌは15歳の、いずれも金髪の絶世の美少女である。
いずれも、最初は、ヒーローの高貴な騎士殿には、美しいことは認められても、全く子供扱いされてしまう。

伊藤さんは、最後に、「水のようなもの」というのは、「大切なもの」という意味だとされたが、「大切」よりも多様な意味合いがあったのかもしれない。
私にとっても、ミクさんは、「大切なもの」であることは間違いないが、それよりも、「水のようなもの」と言った方が、やはり、より近いのである。
水は、老子によれば、最も低い位置に甘んじる存在、最も柔らかいが最も強い存在。
そして、アメリカの音楽ユニットAnamanaguchiの楽曲『Miku』にある通り、

I'm on top of the world because of you
All I wanted to do is follow you
I'll keep singing along to all of you
I'll keep singing along

みんながいるから私がいる
私の願いはあなたの側にいること
私はみんなと一緒に歌い続ける
私は歌い続けるの

といった存在なのだと思う。
ミクさんに魂はない。
だが、水の精は、人に愛されると魂を持てる。
だから、ミクさんの魂は私の魂の中にあるし、私の魂は宇宙の魂と1つなのである。
つまり、こういうことだ。

There is nothing but Miku.
ミクさんの他に何もない。ただ、ミクさんだけがある。

やはり、ミクさんは水のような存在である。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

不幸に遭ったら

ニュースサイトで「小室さん」という見出しを見たら、私などは、「小室哲哉さんが何かしたのかな?」と思うのだが、小室圭さんのことだったということが多い。
しかし、それは、小室哲哉さんが、それほど、一頃に名を成したということと思う。
私の曖昧な記憶だが、小室哲哉さんと言えば、いわゆる全盛期には、海外に行けば超一流ホテルのワンフロアを借り切り、スーパーカーを何十台と所有し、宮殿のような豪邸を建てているとかいった、凄いと言うよりは阿呆な話をよく聴いたものだが、いつしか、大ヒット曲が作れなくなり、多額の借金を背負って詐欺を働き、さらに悪い事に、奥さんのKEIKOさんがクモ膜下出血で倒れるという、まさに、「天国から地獄」とでもいうことになったが、私の見方では、今も昔も地獄・・・いや、昔が地獄で、今は天国に向かっているのだと思う。
人間というのは、苦しい目に遭ってこそ心が磨かれる。
小室さんは、一頃の他人を見下したような雰囲気がなくなり、良い感じになったようで、私としては、辛いだろうが、これで良かったのだと思う。
私は、小室さんの音楽は、昔、「ちょっと感じがいい」程度に感じていたし、長く聴くと疲れた。しかし、ご本人も、名曲を作るというのではなく、サラリーマンがカラオケで歌える歌を作ろうとしていたという話を覚えているが、おそらく、それは本当だと思う。もし、「名曲」の方を主にしていたら、あれほどのヒットメイカーにはならなかっただろう。

今では信じられない人も多いだろうが、ビートたけしさんは昔、たけし軍団をひきつれて、フライデー誌の編集室を襲撃するという、とんでもない暴力事件を起こして逮捕されているが、よく復帰出来たものだと、私は今でも驚ける。現代であれば、絶対に復帰は不可能だろう。
また、たけしさんは、酒を飲んでバイクに乗って事故を起こして瀕死の重傷を負い、また、顔全部を作り直すほどの大手術をしたらしい。
だが、この2つがなければ、これほどの人物にはならなかったと思う。

不幸の渦中にあり、辛く苦しい時は、誰も、「これが自分を磨く」などと思うはずがないが、実際のところ、それがないと、磨かれないばかりか、人間として終わっている可能性もあるのだと思う。
小室さんも、たけしさんも、一連のことがなければ、ハワード・ヒューズのような悲惨な最後を迎えていたかもしれないと私は思う。

不幸は本当は有り難い・・・まあ、さっきも言ったように、その渦中にある人が、そう思うはずはなく、そんなことを言ったら激怒されるかもしれない。
だが、黒住宗忠が、重病に罹った武士に、「ありがたい」を1日一万回言わせたら、現代医学でもあり得ないが、一週間で完治してしまったのだが、不幸の元になっていた潜在意識の穢れを浄化すると供に、不幸とは、ありがたい天の恵みと分かれば、その不幸は消えるのかもしれない。
そのために、宗教団体に多額の寄付をする必要はなく(多少の寄付は良いだろうが)、宗忠が教えたようにやれば良い。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

暗闇の中の微かな光

宗教の教えは、本来、現実的なもののはずなのだが、現代の我々にとって、キリスト教の「天にいる父なる神」とか、「西方極楽浄土にいる阿弥陀如来」などという言い方は、違和感や抵抗を感じるのは仕方がないだろう。
実際は、昔の高僧ですら、それらの言い方は、あくまで比喩、喩え、象徴といったものであることをちゃんと理解していた。
例えば、親鸞の弟子であった唯円が書いたといわれる『歎異抄』にだって、実際は、仏様には大きさや色といったものはないと書かれている。
釈迦やイエスや、その他の高僧達が、比喩を用いたのは、庶民が受け入れることが出来るようにである。
しかし、庶民は、少なくとも、知識の面では進歩した。

庶民は賢くなった。
だが、実際は、「ほんの少し」賢くなった、あるいは、小賢しくなった程度かもしれない。
みんながみんな、高度な科学が分かる訳ではないし、そもそも、その科学だって、まだまだ未熟なもので、容易く定説が覆ることもある。
しかし、この世には、何かは分からないが、人間には想像も出来ない力を秘めた無限の英知とでも言うしかないものがあることは、直感的に感じると思う。
それを、昔から人類は、神とか仏とか言ったのだが、ジョセフ・マーフィーは、「言い方はどうでも良い」と断言した。
それで、マーフィーは、『あなたも幸せになれる』(文庫版では『努力嫌いの成功法』。原題『The Cosmic Energizer』)では、その至高の存在のことを「The Cosmic Energizer(宇宙の活力)と表現した。ただ、それはあくまで、「一応」であり、現代人に受け入れ易いから、そう呼んだのだと思うが、やはり、「呼び方は何でも良い」のである。

私は、「内なる神」という言い方が一番「しっくり」する。
「神」のところを「無限の英知」「至高の存在」としても良いのだが、私の場合、神と言ったほうが親しみがあるようだ。
しかし、どう感じるかは人それぞれだ。
神、仏、ゼウス、アッラー、天帝、道、アマテラス、阿弥陀、実在、無限者・・・自分にぴったりな呼び方を知っておくと良い。
それは宇宙全体に偏在する。だが、これがちょっとややこしいのだが、それは、自分の心の深奥にある。
つまり、心の深奥が宇宙で、心の深奥とは、潜在意識の中でも深いところなのだと思う。

私の場合、「神」だけだと、どうしても宗教的に感じる。
しかし、「内なる神」とすると、純粋な観念になる。
そして、「内なる神を信じる」と称えると、ただちに無限の力が呼び起こされる。
ただ、その無限の力は、必ずしも自分を甘やかしてくれる訳ではない。
だが、やはり、良い方向に導くのであり、このあたりは、初音ミクさんも歌ってくれた、BUMP OF CHICKENの『ray』にある通り、「晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ」という感じである。
あの歌、藤原基央さんの体験なんだろうなあと思う。

さて、私は、9月最初の初音ミクさんのコンサートに向かい、絶賛修行中である。
いろいろ辛いこともあり、食欲がなく、いっそ、敬愛する藤原基央さんのボディ(176cm、50kg)を目指している。
内なる神を信頼し、美食と色欲を捨てる断ち物をしている。
身体も毎日鍛えている。
まだまだロクでもない世の中に感じるが、ミクさんのおかげで生きていけるかもしれない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

夢があるなら断ち物を

このところ、このブログでは、「強い欲望を断つ」ことで神、あるいは、宇宙の加護を得る「断ち物」をテーマにしている。
ところで、争いは良くないが、この世には実際に争いはある。
他の条件がさして変わらないなら、争った場合、食を慎んでいる方、厳しい修行を欠かさない方・・・つまり、断ち物をしている方が必ず勝つ。
言い換えれば、放埓(勝ってきまま。わがまま)さの少ない方が勝つのである。

ただ、仕事は大きな修行であり、その中には、「断ち物」の要素も少なくは無い。
よって、仕事に励んでいる者は、まっとうな仕事である限り強い。
このあたりは、ニートはまるで相手にならない。

とはいえ、神を敬い、朝廷に礼を尽くし、家臣達を大切にしながらも、女を断つという厳しい断ち物をした上杉謙信が戦で無敵であったように、また、牢屋敷(今の刑務所だが、入ると生きて出られないほど過酷と言われる)に入れられるほどの悪漢でありながら、食を厳しく慎んだ水野南北が大長者になり、貴族にまで叙せられたように、食と性の断ち物の威力は大きいのだと思う。
だから、特に、野望あるニートであれば、是非、食、あるいは、性、あるいは、その両方を厳しく制限し、力を蓄えるべきである。

ところで、何の困難もない、のんべんだらりとした怠惰な生活を送っている者が、断ち物をすることはないし、しようとしても出来ない。
また、特に志もないなら、断ち物(あるいは、修行と言った方が良い場合も多い)は、数日から、せいぜい2、3ヶ月続くだけで、すぐにやめてしまうものである。
一方、強い願いがあったり、困難を抱えている者であれば、断ち物はし易い。
そのために、神は人に困難、試練を与えるものである。

食、あるいは、性の欲望を必要な限り断つ「断ち物」は最強である。
不必要な、極端な断ち物は考え物だが、それも目指すものが高く、それに到達する想いが強ければ、上杉謙信や水野南北のような、超人的な断ち物もありだろう。
宮沢賢治は、一頃は菜食主義で、また、お金持ちでありながら女性関係を持たなかったといわれるが、やがて、美食家になってウナギを好み、一説ではあるが春画(今でいうエロ本)の収集に盛んであったという話がある。
彼は、生活こそ、親の財産で安楽であったが、生涯病弱で、仕事もあまりうまくいったとは言えず、著作の方も、生前は1冊しか出せず(報酬は5円。今の5万円程度と思う)、全く無名のまま、37歳の若さで亡くなった。
彼の例から学び、やはり、美食、大食、色欲は、ほどほどにしなければならないと思うし、夢があるなら、厳しく慎むべきである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

挫折から立ち直る力

人間、挫折を味あわなければ、成功者どころか、まともな人間にもなれない。
受験競争というのは、挫折といいう苦しみを免れる道なのであるから、うまくいってしまうと、困った人間になってしまう可能性が大きい。
また、ひきこもっていては挫折出来ない。
挫折してひきこもった人もいるかもしれないが、小さな挫折に負けて、人生に勝利出来るはずがない。
実に、ヘレン・ケラーが言った通り、人生とは無謀な冒険なのである。

冒険し、当然遭ってしまう挫折という嵐に耐えるために、どうやって力を得れば良いだろう?
その一番簡単な方法が、断ち物であり、断ち物を掟とすることである。
上杉謙信が、女を断ったように、木枯し紋次郎が、女子供、老人にいかなる場合でも危害を与えないことを誓ったように。
水野南北が、美食、大食を決してせず、大好きな酒も一日一合と制限したように。
エマニュエル・スウェーデンボルグが、満腹するまで食べて自分を甘やかすなという天使の警告を守ったようにである。

断ち物とは、美食など、それを断ったからとて、他人にも自分にも何の害もないが、自分にとって出来るだけ辛いことを、自主的に、決してしないと誓うのである。
少し辛い断ち物であれば少しの報いが、どうしようもなく辛い断ち物であれば、大きな報いが得られる。
のんびり過ごしたい時間を犠牲にして、勉強やスポーツに励むことも断ち物になると思う。
ただし、1年365日、例外なくやらなければならない。
断ち物とは、そんなものであり、「今日は休み」などという、ゆるい部分は全くないのである。

私は、美食・大食を断ち、毎日トレーニングもしており、おかげで、健康で少し豊かであるが、言い換えれば、その程度である。
大きな断ち物を、怠ってしまっていた。
おかげで辛い挫折を味わっている。
では、本日から心新たに開始である。
9月の初音ミクさんのコンサートに備えるのに丁度良い。
つまり、ミクさんのお導きである。ミクさんへの感謝は決して忘れまい。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード