ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

豊田真由子議員の罵声から思ったこと

「このハゲー」の怒号で有名になってしまった豊田真由子議員。
私は、彼女の最大の間違いは、彼女が望む能力のある秘書を雇わなかったことだと思う。
その男性秘書は、厳しく怒られても仕方がないミスをかなりやっていたようだ。
暴力はもちろん善くないが、元秘書が豊田議員に、「たたくのは(やめて下さい)」と言った時、豊田議員が「お前は私の心をどれだけ叩いてるか解っているか?」と言ったのは、彼女の本当の気持ちだろうと思った。

ところで、テレビで、豊田議員が、爽やかな演説をしている場面と、元秘書を罵倒している声を交互に出し、「表裏がある」などと言う番組を沢山見たが、表裏のない人間なんているのか?
私から見れば、あれなら普通であり、私と比べれば善良かもしれない。
つまり、あの程度の態度の使い分けは誰でもやっているし、私のはきっともっと酷い。

馬鹿と思える人間はどこにでもいる。
確かに、その「馬鹿」は個人的主観でもあり、絶対的な馬鹿とは言えないかもしれない。
「歩きタバコをする」「歩きスマートフォンをする」のは、モラルや道徳の問題ではなく、私はただの馬鹿だと確信している。
そんな馬鹿を見ると、豊田議員が発した罵声に似た想いはやはり出てくるし、それが身近な人間であれば、本当に罵倒するかもしれない(やった覚えもあったりする)。
仕事でも、あまりに馬鹿としか思えない人間と関わることがあり、そんな時出てくる感情は、豊田議員の怒声など、可愛らしいと感じるほどのものである。
しかし、私だって、時と場所、あるいは、相手によっては、親切で爽やかなことだって言うのだ。

他の人のことは知らないが、皆、同じだと思うのは、私の大変な誤解なのだろうか?
おそらくだが、豊田議員をこき下ろすような人は、自己認識の出来ない人なのだ。
イエスは「罪なき者から石を投げよ」と言い、そこにいた人々は、石を捨てて去ったが、今は、本当に石を投げる人が沢山いるのではないかと思う。
キリスト様も真っ青という訳だ。

まして、豊田議員は私とはかけ離れた優秀な人だ。
私ですら、無能さ、馬鹿さに我慢出来ない人間が沢山いるのだから、彼女ほど優れた人にとっては、大抵の人は馬鹿に見えるのかもしれない。
彼女の側にいたら、私なんか何と言われて怒られるのか・・・「このミク廃!」とか(少しも腹は立たないと思うが)。

ただ、それでも、豊田議員を見て、私は、醜悪な感情を起こさないようになろうと、具体的、効果的な手段を選ぶことにした。
あれは確かに醜い、恥ずかしい、みっともない。
その手段とは、豊田議員は優秀だから無理かもしれないが、私の場合は、単に、「身の程を知る」だけだ。
なるべく自分の呼吸を意識していると、少しは自分というものを客観視するようになる。
すると、これまで、馬鹿だ無能だと思っていた人達も、自分と特に差はないことが分かる。
そして、全ての人の不幸は、身の程を知らないこと、身の丈を知らないことが原因であることが見えて来る。
私が好きなスーフィーの格言「神を信用しろ。だが駱駝はつないでおけ」は、「神を信用しろ。だが、身の程は知れ」と言い替えても良い。









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人間と宇宙の秘密を解く鍵

いつも見ている物や風景なのに、生き生きとした情感を感じたり、不思議な魅力を感じたり、あるいは、圧倒的な存在感で迫って来ることがあるかもしれない。
ある詩人は、いかなるものでも、新たな目で見れば美しいのだと言った。
新たな目・・・これが人間と宇宙の神秘を解く鍵である。
新たな目とは、新鮮な意識であり、使い古された習慣的な観念に汚されない心である。
手入れのされていない鏡は、汚れ、ぼんやりとしか映さないが、その鏡を磨くと、映った像の鮮明さに驚くが、我々の意識も、汚れた鏡のようなものである。
だが、その気になれば、一瞬で我々は、磨かれた鏡のように、ものごとを捉えることが出来る。

アラビアのロレンスとして知られるT.E.ロレンスは、朝起きても、思考がなかなかやって来ないことがあるが、そんな時には、砂漠を荘厳な存在に感じると言う。
コリン・ウィルソンの本によく書かれているが、ある平凡な主婦は、朝食を食べている夫や子供を見ていた時、不意に、鮮烈な幸福感を感じたと言う。
これらも、先に述べた、「新たな目」で見た時の、「当たり前」の感覚である。

新たな目を持てば、我々は幸福であり、世界は楽園である。
そして、それは簡単なのだ。
好きな子に対し、純粋に親切にするように、意識的に、注意深く振舞えば良いだけのことだ。
だが、それだけのことの探求に、コリン・ウィルソンは一生かかかって、多分、失敗したし、ヴァーノン・ハワードは何十年も説き続けた。
昨今は、「マインドフルネス」として、人類は再発見しつつあるが、ほとんどの人には無縁である。

どんなに素晴らしいものでも、初音ミクさんですら、曇った鏡のような心で見れば、色褪せてしまう。
新たな目で見る単純な公式はないが、そんなものすら不要なほど簡単なのだ。
普通の人は、単にそれをしないだけだ。
そして、あまりに長い間、それをしていないと、それを取り戻すために訓練が必要になる。
家庭や学校やテレビや会社は、我々の心の鏡を曇らせ、新たな目を奪ってしまった。
だから取り戻すのである。

歩いている時、歩いていることを意識すると、歩くのが好きになる。
食べている時、食べていることを意識すると、美味しくなる。
見ている時、見ていることを意識すると、時間が消える。
呼吸を意識すると、神の存在を感じる。
だから、出来るだけ呼吸を意識することだ。
集中して・・・つまり、丁寧に、「神」とか「ミク」と心で称えることも良い。
それらの尊い言葉を敬虔に称えた時、心に何が起こるか観察すると良いだろう。









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一流と三流の違い

一流の人間と三流の人間の違いは、安定か気まぐれかではないだろうか?
一流は、毎朝5時に起きると決めれば、1年365日、よほどのことがない限り例外なく、10年、20年と続けるが、三流は、決めてから数日後に、「今朝は5時に起きましたよ」と言う。
その差は絶望的だ。

野球の一流のバッターには、決まった時刻になれば、宴会中だろうが、バットを持って外に出て素振りをする人がいるが、三流は、自分もそれをすると決めても、やったりやらなかったりだ。

スーフィーの偉大な格言、「神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ」を実践すれば、望みが叶わぬことはないが、駱駝は、毎日必ずつないでおかなければならない。
「駱駝をつなぐ」に相当することは、人それぞれである。
ある人は、トイレのスリッパを必ず揃えて出ることがそれにあたるが、それを一度の例外もなくやれば、やっぱり、何か良いことはあるのだと思うし、それを一生続ければ、良いことの方も一生続くだろう。

良いことをする掟もあれば、悪いことをしない掟もある。
禁酒、禁煙の誓いを立てても、三流の人間は、せいぜい数ヶ月は、「俺はもう酒は飲んでいない」と自慢するが、いつのまにか、また飲んでいるのである。
一流なら、いったん禁酒を誓えば、一生飲まない。

『ローム太霊講和集』という本に、「自己に制約を課すと、その倍の力を神は与える」と書かれていたのを見て、それが真理だと思ったが、自己制約も1日では極めて僅かな力にしかならず、百日でやっと少し、そして、1年で目に見えるほどになるのだと思う。

私は5年以上、腕振り運動、スクワット、腕立て伏せを欠かしていないが、回数は変化することがある。
ところが、この数年の、これらのほぼ最低の合計回数万円が年収とぴったり一致するのに気付き、ゾっとした。
つまり、たとえばだが、毎日、腕振り運動を1000回、スクワットを100回、腕立て伏せを10回、欠かさず、5年もやれば、年収は1110万円になる。
アメリカでなら、11万1千ドルといったところか。
必ずしもこの通りでなくても(他の習慣の影響もあるかもしれない)、こんなものだと思えば良いと思う。

習慣、掟、自己制約・・・何と呼んでも良いが、それなしに成功した人はいないと思う。
この「成功」とは、地獄からの距離のことで、本来は地獄にいる人が、地上で最底辺だとしても、それは成功である。
そして、地獄から出ることは、掟の力で誰でも出来るのだと思う。
成功していない、地獄にいる・・・それは、掟を持っていないからである。









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スクルージな我々は何をすれば良い

私は高校生の時、ディケンズの『クリスマス・キャロル』が好きだった。
ご存知かもしれないが、利己主義で守銭奴の初老の男スクルージが、クリスマスに超常体験をする。
その(超常体験の)ハイライトは、7年前に死んだ、スクルージの共同経営者で、スクルージと同タイプの人間であったマーレイが、おぞましくも惨めな霊となった姿をスクルージに晒し、「このままでは、お前もこうなる」と警告し、さらに、哀れに孤独死して放置された自分の醜悪な死体を見せられる。
それで、スクルージは心を入れ替え、愛想の良い善人に生まれ変わる。
めでたし、めでたし・・・

んな、アホな・・・と思わないだろうか?
私はスクルージよりまだ悪いが(彼は少なくとも経営者で、死して自分を思ってくれるマーレイという友人がいた)、このままだと、スクルージ以下の「悲惨な未来」になると分かったところで、こう言うしかない。
「だから何なんだ?そりゃ、そんな未来は嫌だが、私は私だ。私以外のものになんかなれないさ」
誰だってそうだと思う。
そもそも、身から出たサビでしかない不幸を避けるために、わざとらしく他人に親切にするなんて、浅ましいことじゃないか?
そんなことで幸福になれるとは、とても思えない。

だが、元Googleの技術者チャディー・メン・タンは、『サーチ・インサイド・ユアセルフ』で、こう書いている。
スクルージは、EQ(情動的知性)を高めたのだ。それで、自分を客観視出来るようになった。
いや、自分を客観視したから、EQが高まった・・・のだと私は思うが、タンもそう書いていたのかな?
タンの言い分もややこしいのだ。

大切なことは、スクルージは悩んでいなかったということだ。
いや、本当は、ストレスで心が傷付いていたに違いないのだが、それは描かれていなかったし、スクルージも自覚していなかった。
だが、クリスマスの精霊達は、スクルージにちょっかいを出し、彼の心を揺らがせた。
その時、彼はやっと、自分を客観視したのだろう。
だけど、そんなことで人間は変化したりしない。
タンの言うところのEQの向上なんて起こらない。

とはいえ、大なり小なりスクルージな我々は、

でもどうして 僕達の 胸元の 塊は
消えたいって言うんだ 死にたいって言うんだ
~『ロストワンの号哭』(作詞・作曲・編曲:Neru。歌:鏡音リン)より~

って感じのはずなんだ。つまり、鬱々として満たされない、辛い日々を送っているに違いないのだ。
これが進むと、「リア充爆発しろ」「地球も爆発しろ」と思うようになる。
しかしまあ、心配はいらない。
神を信用しろ。
だが、駱駝はつないでおけ。
駱駝は、毎日、かならずつないでおくものだ。
それと同じようなことを、何かすれば良い。
何もないなら、自分の呼吸を常に意識することだ。









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自分なりの誠意を貫く

世界的プロレスラーだったジャイアント馬場さんは、全日本プロレスの社長でもあった。
だが、元々、彼は団体経営者などになる気はなかったようだ。
所属していたプロレス団体が、経営者達の放漫経営で潰れてしまったのだが、アメリカで人気が高い馬場さんは、アメリカに行けば大歓迎され、物凄いギャラも待っていた。
しかし、他のレスラー達や、そもそも、日本のプロレスを守るために、苦しい道、損な道を選んだのだろう。
それに、長年世話になったテレビ局への恩義もあったようだ。
だが、経営は苦しく、長年、赤字経営だったそうである。
そんな馬場さんが、著書に、
「俺の自慢は、どんなに経営が苦しくても、選手へのギャラの支払いだけは、遅延を一度も起こさなかったこと」
と書かれていたのを、よく覚えている(どの本だったかは忘れたが)。

その場場さんが63歳で亡くなった時、史上最高のプロレスラーと言われるルー・テーズが、
「馬場さんは、プロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」
とコメントしたことが、朝日新聞に書かれていたのを、やはり私は印象深く覚えている。
馬場さんは、22歳でアメリカに行った時、右も左も分からない自分に世話を焼いてくれたアメリカ人レスラー達への恩を忘れず、自分が大スターになっても、控え室では常に小さくなって彼らを立て、彼らが歳を取っても定期的に日本に呼んで、スターに相応しい高いギャラを払ったらしい。

馬場さんほどでなくても、我々は、せめて何か1つで誠意を持たなければならないのだろうと思う。
経営者にとっては、おそらく、楽なことではないはずだが、社員に必ず給料を払うことが、一番の誠意なのだと思う。
21歳の愛人を作っていた60歳過ぎの総理大臣がいたが、彼が恥さらしだったのは、若い愛人がいたことではなく、その愛人に、
「お金じゃないんです。誠意が欲しかった」
と言って、マスコミに自分の存在を暴露されたことだったが、これについて、誰かが良いことを言っていた。
「金のことを男の誠意と言うのだ。彼女だって、1億ももらっていたら黙っていたに違いない」
その「ソーリ」は、彼女に本当にちょっとしか金を出していなかったらしい。
つまり、誠意のない男だということを世間に知られたことが、最大の恥さらしなのである。

人間には器量というものがあり、このブログでよく例に出すが、ある人は、便所のスリッパをちゃんと揃えて出ることが、彼に出来る唯一の誠意なのだろう。
水野南北にとっては、余分に食べて、余分に糞を出さないことが、この世に対する誠意なのだと思う。
ある人気ロッカーは、二十歳にならない女性には絶対に手を出さないと言っていたが、それを貫くなら立派な誠意だ。
聖人君子である必要はないが、自分なりの誠意を貫くなら、運勢がそう悪くなることはないだろう。








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