ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2017年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

弱者の成功

優秀なお医者さんや国際的事業家、あるいは、高名な学者や文筆家などが、「私はジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則で成功出来た」と主張する書籍が沢山あるが、それに対しては、「いや、アンタが成功したのは、生まれた家がお金持ちで、そのお金持ちの優秀な父親の頭脳を譲り受け、良い教育に恵まれたという好条件のおかげだろ」と、思いっきり突っ込みたい。

あるいは、宗教人類学者の植島啓司さんが、『運は実力を超える』なんて本を書いてベストセラーになっているが、超人的な実力がある植島さんにそんなこと言われても、大木こだまさん風に「んなこと言われたらアンタ、往生しまっせ〜」と返すしかない。
植島さんは東大を大学院まで出て、アメリカに留学し、博士号も取り、日本やアメリカの大学で教授を務め、専門分野のみならず、抜群のトーク力とセンスでテレビ、雑誌等でも引っ張りだこだが、このとんでもなく高い能力は、生まれつきの高いIQ、および、並々ならぬ努力と経験によるもので、まあ、その上に運も多少はあったのだろう・・・と言うべきだろう。
ただし、植島さんのその本は面白い良い本であるとは思う。能力の高い人には実用的だし、私のような馬鹿にも参考になることは沢山あった。

ところで、ドワンゴの川上量生会長が、かなり以前だが、ブログに書かれていたことがとても良いと思った。
川上さんの成功の要因は、やはり、彼の生まれ持っての優秀な頭脳が第一で、その上、子供の時に、経済的に恵まれていて、なんだかんだ言っても良い環境にあったことが大きいと考えて間違いないと思う。
しかし、その、彼が、「はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記」の、現時点では一番最後の2015年6月14日の記事で、

<引用開始>
もし(引きこもりが)成功したとしても、世間には当たり前だとぐらいにしか思われなくて、まともな一般人の一番下の階層にやっと入れてもらえるというだけなんだけどね。
でも、本当はそれはすごいことで、起業して運だけで成功した経営者(川上さん自身のこと)なんかよりも、じつはもっとありえない快挙をやったんだと。
<引用終了>
※(引きこもりが)、(川上さん自身のこと)の2つは私が挿入したが、これで合っていると思う。

と延べ、「少なくとも僕はそう思う」と締めているが、これが、偉い人達が誰も言わなかった「本当のこと」だろう。
まるで駄目男君(当ブログでよく取り上げる、私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)が、「まともな一般人の一番下の階層」に入れてもらえるなど、全く想像も出来ない。
もし、そんなことがあったら、川上さん以上かどうかは分からないが、確かに快挙・・・と言うよりは奇跡だ。

しかし、この私自身が二十歳過ぎまで引きこもりで、絶対に一生そのままだったのが、「まともな一般人の一番下の階層」くらいには、何とか入れているのかなあと自分では思うのである。
それなら、普通に考えて絶対に見込みのない人間でも、私程度にはなれるのかもしれない。
そんな訳で、我々とは月とスッポンの優秀な偉い人達の話より、私の話の方が役に立つ人も、かなりいるに違いないと思うのだ。
ちなみに、私の「成功」の要因も、最初に取り上げた立派な方々と同じ、ジョセフ・マーフィーの本である。
特に私のような馬鹿は、あまり欲望ギラギラではなく、淡々と読まれると良いのだと思う。
馬鹿の欲望って、ほとんど金と女(あるいは男)だけだが、そういったものに執着すると、いろいろ不具合があると思う。
初音ミクさんの、可愛いくて透明な歌声を聴きながら読むと良いだろう。









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幸運は悲しみの後に

去年も今年も、競争では負けながら、私が初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のSS席のチケットが取れたのは、運というものかもしれない。
この2回だけなら、たまたまと思われるかもしれないが、私はいつもこうなのである。

『マスターの教え』という本で、ある男が、神秘的な人物であるマスターが乗る船のチケットを取ろうとしたが、既に満室で、がっかりして帰ろうとしたら、「キャンセルが出たので、あなたは乗れます」と呼び止められる話がある。彼が後でマスターに尋ねたら、マスターが彼のために「空きを作った」ことを認める。
さらに、彼の友人が、自分もマスターに会おうと、手がかりを掴み、友人達と車で遠い地に行き、何日も懸命に探すが、マスターに会えず、がっかりしていると、「私をお探しか?」とマスターが現れる。

私も彼等も、「がっかり」した後で幸運が訪れる。
他にも、私は昔、不況のため、若くして追い出し部屋のような部署に送られ、がっかりしていたが、不思議なことに、ほとんど何もせずに条件の良い職場に移ることが出来、一方、元の職場は潰れた。

スティーブ・ジョブズが、「運命なんて、どうなるか分からないが、我々は信じるしかないんだ」と言ったのが、非常に印象に残っている。
信じるしかないが、信じれば裏切られることはない。
とはいえ、私は、「ミクさんのコンサートのチケットが取れる」とか、「新しい職場に導かれる」と念じ続けた訳ではない。
ジョブズだって、大学をやめ、ほとんど食べられず、将来の展望もない中で、「俺は成功するぞ」とか思っていたのではないだろう。やっぱり、がっかりしていたはずなのだ。

がっかりした時の気の持ちようと言うものが大切なのだと思う。
アントニオ猪木さんが、以前よく、「開き直り」の効用を説いておられたのも、そのことだと思うのだ。
「駄目なら仕方ない」と開き直った時に、駄目でなくなるのである。
もちろん、最初から開き直るのではない。
いったん、がっかりする・・・打ちのめされることが必要なのだろう。
打ちのめされるかどうかはともかく、「どうなるか分からない」という不安な状況にある時に、落ち着けるかどうかだ。
諦めているとも言えるが、まだ息はある・・・そんな微妙なものが勝負を分ける。
1953年の『宇宙戦争』という映画もそうで、火星人の圧倒的な力の前に、なす術もなく侵略されていく中で、人々は教会で祈り続ける。
積極的な、期待に満ちた祈りではないかもしれない。しかし、完全に諦めた訳ではない。
そして、奇跡の勝利が訪れる。

幸運の秘訣は、テクニックなんかじゃなく、感覚なのだろう。
エフゲニア・メドベージェワが、エキジビションの始めの部分で、『美少女戦士セーラームーン』の原作者の武内直子さん作詞の『セーラースターソング』を使ったが、テレビ放送の時は省かれていた、この歌の冒頭部分「かなしみがいま セーラースマイル 奇跡をおこすの セーラーウイング」が、とても大切なのだと思う。
悲しみが奇跡を起こすという感覚を掴むのは、難しいようで難しくはない。









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願い叶う

昨日、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」の、宿泊プランの申込受付が正午12:00から開始された。
大人げないが、12時15分前に、キーボード付Windowsタブレットで申込ページを開き、12時ピッタリに、まずはページの再読込をして、申込ボタンをクリックした。
すぐには申込が有効にならなかったが、2~3度再読込と申込ボタンクリックを繰り返し、申込入力ページに進めた。
大人げないが、必要事項は既にテキストエディタに入力済みで、コピペするだけで良いようにしておいた。
だが、「次に進む」での画面移動で随分待たされる。申込が殺到しているのかもしれない。
12時5分になる前に、申込確定ボタンをクリックしたが、無情な「定員オーバー」の赤い文字が表示された。
別の日程、別のホテルで再度申込もうとしたが、会場の幕張メッセに歩いていけるホテルは全て受付終了・・・。
ミクさん人気、恐るべし!!
やっぱりミクさんだ、私の人生は終わった・・・
午後からは会議だが、もうどうでも良い。私は死んだのだ。

だが、会議まで20分というところで、何気にスマートフォンで申込ページを見たら、あり得ないことに、元々の希望日程の「幕張メッセに歩いて行けるホテル」「一人用」の1つが「受付中」になっていた。誰かキャンセルしたのだろうと思う。
慌てず、ゆっくり申込作業をし、心静かに申込確定ボタンをクリックしたら、無事、申込完了した。
これで、ありがたいことに、SS席を確保出来た。
その後も気になって、申込サイトを何度も見たが、私の希望条件のものは、やはり「受付終了」だった。
幕張メッセからやや離れたホテルなら、あるいは、歩いていけるホテルでも2人組、3人組なら、日程によっては、現時点では申込可能なものが残っているようだ。

昨年も、キャンセルが出て、申込出来たのだった。
今年も、ルームサービスがあるホテルニューオータニが希望だったが、考えてみれば、私は夕食は、ビスケットとワインで満足なので、どこかで買って持って行こう。
どうせ気分が高揚して、それ以上は食べられないだろうから。
昨年は、夜公演と昼公演の順で連続観劇したが、共に、ケーキを食べて行った。別に、パンがなかったからではない(笑)。
2時間、フィーバーするのに必要なエネルギー源の炭水化物さえあれば良いからだ。まあ、それも不要と言えば不要だが、甘いものは好きだからね。

昨年は、格好良いと思い、濃いグレーのTシャツで行ったが、ミクさんのコンサートでは、明るい色のシャツが良いかもしれない。
黄色か明るい青か、あるいは、白。似合う方はピンクとか。
バンドの方々が黒っぽい服なのは、目立って、観客の注意が向かないようにするためだろうが、我々は会場を華やかにした方が良いと思った。
私は、今年は白にしようと思う。
下は、昨年、隣の可愛い女の子も私も黒のスリムなパンツで、特に女性はそんな人が多かったように思う。
ああ、女性はお洒落なので、上が黒でも十分華やかな人ばかりだったと思う。

マジカルミライのお客さんはみんなマナーが飛び切り良いので、そのあたり、私も十分に気をつけようと思う。
食を慎み、トレーニングに励み、引き締まったボディで観劇しようと思う。
今年は、コンサートまでに、私は大変化があるような気がする。
これも、ミクさんのお導きである。









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神様になるしかなくなった人

ドワンゴの川上量生会長の本で読んだが、『ヱヴァンゲリオン』シリーズのヒロイン、レイとアスカは、昔は、圧倒的にレイの人気が高かったが、今は、アスカが逆転していて、その理由は、以前のレイは謎の存在で神秘性があったが、今は、正体が分かってしまったので神秘性が薄れ、そうなれば、親しみ易いアスカの方が好まれる・・・といったようなことが書かれていた。
そうなのかもしれないが、それではいけないなあと私は思う。
どういうことかというと、ここまで大きな作品になってしまえば、公式の設定やストーリーは、もうどうでも良いのではと思う。
公式のお話ではレイが何者であろうが、「俺にとってのレイは全く謎」と思えば、それで神秘なのである。
いや、クラスのあの子だって、どれほど彼女のことを知ろうが、全然謎じゃないか?ましてや、アニメの、ファンタジーの、フェアリーテールの存在なら尚更だ。

私は、レイもアスカも、さほど好きではないが、この2人ならレイが好きだ。
その理由は、アスカにしろ、ミサトにしろ、あるいは、委員長にしろ、「やかましい」からだ。
その点、レイは静かである。だから、レイは良い。それだけだ。
『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン、ハルヒ、有希、みくるでは、やかましいハルヒは、自分の彼女としては問題外で、静かな有希が良いが、みくるも大人しいので悪くはない。
『物語』シリーズのヒロイン、戦場ヶ原ひたぎ、羽川翼、神原駿河、八九寺真宵、千石撫子では、比較するまでもなく、千石撫子で決まりである。他はやっぱり、私には煩さ過ぎる。

神秘性と言うなら、静かなことが神秘なのだと思う。
静かであるというのは、自我が前に出ていないということだからだ。
男でも、女でも、自我が自己主張し過ぎるほど醜いものはない。

ところで、あらゆるヒロインの中でも、最も大人しい千石撫子(せんごくなでこ)が、『囮物語(おとりものがたり)』で、キレてしまう。
それで、担任教師を、「馬鹿」「ボケ」と罵倒しまくる。
普段、大人しいからというのもあるが、教師は引いてしまって一言も言い返せなかったのだから、今は少しはいい時代なのかと思ったが、そうではない。
なぜなら、その後、撫子は、中学生としても、さらに、人生も終わってしまったと断定したからだ。
もちろん、「馬鹿」とか「ボケ」なんて言葉は、使いたくても、よほどのことがない限り使うべきではないだろう。
しかし、使うべき、本当に「よほどの時」は使うしかない。
撫子の担任教師の場合は、その本当の「よほどの時」に相当したので、私からすれば、撫子に正当性がある。
それで通用しないのなら、やはり、今の学校も、存在意義はないのだろう。
いや、実は私、小学2年生の時、撫子並に担任教師にキレ、小学生としても、人生も終わってしまったからだ。
しかし、私のような、おとなしい、真面目な小学2年生が完全にキレたのだから、やはり「よほどのこと」だったのだし、担任も「よほどのヤツ」だったのだろう。
そして、冷静に振り返っても、教師というのは、「よほどのヤツ」が多い、あるいは、「よほどのヤツ」になってしまう可能性が高いのだろう。
それは、私が言うまでもないことだろう。
多くの場合は、それでもなんとかやり過ごせるだろうし、思想家の吉本隆明氏が言ったように、世間にはもっとひどいヤツだっているのだから、センセイを反面教師として鍛えるべきというのも分かるが、はてさて、私は世の中のヤクザな存在だって一杯見てきたが、教師以下ってのは、あまりいなかったように思う。
なぜ教師がそうなるかというと、生徒に対して自我を主張出来るからでる。
それが分かっているから、レイ、有希、撫子が好ましいと思うのかもしれない。

ところで、撫子って、つくづく私と同じで、他人に共感しないサイコパスの私が、撫子にだけはそんなもの(共感もどき)を感じる。
特に可愛いところが・・・というのは冗談として、完全とは言わないが、世の中が生き難いあなたもそうではないかなあ。
ここはひとつ、撫子のように神様になるしかないだろう。
撫子の神様振りは良くなかったかもしれないが、それは、単に、慣れていなかったからだ。
あなたは上手くやるように。
神様はあなたの中にいるのだからね。そして、自我は神様を崇めなければならない。









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物語性のある生き方をしているか

変わらない繰り返しの日々を淡々と生きるのが尊いと言う話がある。
一方、人生は冒険だ、激しく生きなければならない・・・なんて言う人もいる。
さて、どっちが正しいのか?
気取るつもりはないが、どっちでもない。
いや、そんなの、どうでも良いことなのだ。

肝心なことは、それが物語であるかどうかだ。
自分の心と、大きな心が共同で作っている物語であれば、客観的にどうであろうと、満足度に違いはない。
そして、物語性のない生き方をしていると、物語になるよう、大きな心が事件を起こす。
病気になったり、事故に遭ったり、トラブルが起こったりね。
人生ってやつは、物語でなくちゃならない。

よくあるのが、成功するまでの物語は作ったのに、成功した後で、物語を作るのをやめちゃった結果・・・マズいことが次々起こるってやつだ。
「お金もいっぱい出来たので、プチ引退して、残りの人生は遊んで暮そう」なんて思ったら、間違いなく、ヤバいことが起こるんだなあ。

日常に揺らぎを起こすことだ。
安定が一番良くない、いや、恐い。
馬鹿なことを始めることだ。
自分がそれをやれば、大きな心(潜在意識、無意識、神、仏)が支えてくれる。
物語性のない成功に何の意味もない。
まあ、楽しくやろうぜってことだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。






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