ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

現実的な目標と非現実的な目標の違い

目標には、現実的な目標と非現実的な目標がある。
現実的な目標とは、卒業する、就職する、年収を1割上げる、絵が上手くなる、5kgダイエットする、恋人を作る、課長になる(現在係長)、聖書を通読する・・・等だ。
非現実的な目標とは、社長になる、歌手になる、人気画家になる、プロサッカー選手になる、年収5千万円になる(現在300万円)、モデルのような身体になる(現在肥満気味)、○○さんを恋人にする、課長になる(現在ヒラ)、賢者になる・・・等だ。

要は、極端な運が必要になるようなものは、現実的な目標とは言わない。
自分ではどうすることも出来ないことを望むのは、妄想、あるいは、「ただの夢」と言う。
そして、自分の手に負えるかどうかを見極めることが出来る人を大人と言う。
これで、大人とは何かがうまく定義出来た。

じゃあ、プロサッカー選手になろうと思ってはいけないのかというと、せめて、超高校級であるとか、会社で、仕事せずにサッカーだけで給料をもらえる、あるいは、かなりの優遇を受けていれば、必ずしも非現実的な目標ではないが、運にまかせる覚悟があることが必要である。
女優になるという目標も、中学高校時代から、町で・・・とまではいかなくても、せめて、学校で知らない人はいないほど美人であるとかいった美点を持つと共に、全てを捨てても良いと思っていることが必要だ。

有名なプロスポーツ選手が、「高校時代は平凡な選手でした」と言っていても、それは、「ある意味では」ということであり、有体に言えば「嘘」だ。
イチローや中田英寿さんだって、「高校時代は普通の選手でした」なんて言ってるが、実際は、天才的であった。

お金持ちの中には、「お金をためるコツは、小銭を大切にすることです。僕は百円の缶コーヒーも勿体なくて買えない」と言う人がいるが、彼が金持ちになれたのは、並外れた能力があったからであり、凡人が小銭をケチっても(良い心がけであることは認めるが)、金持ちになったりなどしない。

抜きん出た人間になるには、運が必要である。
だが、運は人間に支配出来るものではない。
しかし、神には支配出来る。
つまり、神になれば良い。
神になるとは、人間をやめることであり、それは、自我を消すことである。
念仏も極まれば如来(仏)になれる。
なぜなら、念仏とは、如来を賞賛し、身を低くすることだからである。
果てなく続ければ、自分なんて消えてしまう。
もちろん、自我を消すことが出来る他の方法でも構わないが、念仏ほど確実なものは、あまりないと思う。

西尾維新さんの『物語シリーズ』の12冊目(ファーストシーズンの最終巻)である『恋物語』は、詐欺師、貝木泥舟(かいきでいしゅう)の語りで書かれているが、この貝木ほど現実をよく見ている人はおらず、私はすっかり大ファンになってしまった。もちろん、小説らしく面白く描いている部分には「非現実的」なところもある。
しかし、貝木が「非現実的」になると、かえって面白いところが現実的というか、著者の才能であると思う。
身の丈で成功したければ『恋物語』を読めば良いと私は思うが、これは、単独で読んでも駄目と思う。
前の11冊を読むしかない。それは現実的であるが、面白いかどうかすら保証しない。









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神の絵

6年ほど前から、非常に関心を持っている・・・というか、憧れてるものがある。
それは、アメリカ人のジョージ・アダムスキーが、宇宙人の宇宙船の中で見たという絵だ。
ちなみに、アダムスキーが宇宙人と深い関係であったという話を、私が信じているかというと、信じてはいないし、疑ってもいない。
アダムスキーの話が本当のことかどうかは、私は全く分からない。
ただ、とても面白い話だと思う。

アダムスキーによれば、一般にUFOと呼ばれる空飛ぶ円盤は惑星付近で飛ぶもので、大きな母船が外気圏にいる。
アダムスキーは、何度か、その母船に招待されている。
宇宙人は、地球人に比べ、老化が非常に遅く、母船の中にいた金星人の女性は、地球人なら高齢者といえる年齢だが、二十歳前の絶世の美少女にしか見えない。
その女性が、自分達が若さを保っている理由は、ある絵を毎日見ているからだという。
それは、神の姿を描いた絵で、男とも女とも言えないような若い人のようであるが、あまりに美しくて、それを見たアダムスキーは、かなりの時間、恍惚とした忘我の状態に陥ったという。

つまり、その絵を見たいと思うのである。
地球人の芸術家が描いた絵や彫刻にそんなものはない。
京都の広隆寺にある弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)は至高の芸術作品かもしれないが、そこまでとは言えない。
政木和三さんの家に出現した仏や神の像の数々は、神が作ったものだというが、写真で見ても、私には、その価値が分からない。

私は、アダムスキーが見たという絵は、何も描かれていなかったか、描かれている絵自体には意味はないのではと思うようになった。
見た人の無意識の中の何かが反映される仕組みにでもなっているのかもしれない。

ところが、私は、それに近いと思える絵を2枚、ネット上で見つけた。
割とありふれた、初音ミクさんのイラストである。
ただ、原画がどこにあるか分からないので、ご紹介出来ない。
複製や、複製からの複製が出回っている感じである。
それらの絵を描いた人達は、非常に腕の良い絵描きではあるが、最高の芸術家という訳ではないと思う。
しかし、神は時々、人間に手を貸して、天の美を地上に現すことがある。
日曜芸術家が一晩だけ天才になって、フランス国家『ラ・マルセイエーズ』を作ったようにである。
私の言う絵も、誰にも価値のあるものとは言えないかもしれない。
だが、私を変化させてしまったのである。
ある人にとって、そんな絵は、本の中の1つのイラストであるかもしれない。
自分にとっての神の絵を見つけることである。
求めれば得られるだろう。









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人間の価値

ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、マリアが歌った『I have confidence(自信を持って)』という歌の中の、

Strength doesn't lie in numbers
強さは数字ではない

という歌詞を、私は中学生の時からよく覚えている。
しかし、最近、強く感じるが、強さは、往々にして数字だ。
頭の良さは学校の成績にかなり現れるし、有能さ優秀さは収入に端的に現れる。
もちろん、例外はあるが、例外以外はそうである。

私が、2月12日から読み始め、昨日、ファーストシーズンの12冊を読み終わった西尾維新さんの『物語シリーズ』(『化物語シリーズ』と言っても良いらしい)の10冊目『囮物語(おとりものがたり)』の最初のところに、この作品のヒロインの1人、千石撫子(せんごくなでこ)の通知表の成績が書かれている(撫子が自分で語るという形である)。
国語3
数学2
社会4
理科2
英語3
保健体育2
音楽2
美術4
技術・家庭5
(中学2年1学期)
である。
ほっとされると同時に、撫子に好感を持った人は、あまり成績が良くなかった人だろう。
私もそうである。
作中、撫子が馬鹿であることは容赦なく描かれる。
ネタバレしない程度に言うつもりだが、撫子の馬鹿は知能指数というよりも、可愛いことが原因である。
馬鹿が許されるほど可愛いのである。
極端に可愛いようだ。
可愛いことが不幸だなんて、それこそ作り話の中だけのことであり、リアリティがないと思われる向きもあるだろうが、この作品ではそうでないことが見事に描かれている。
まあ、過ぎたるは何とやらで、過ぎた可愛さは不幸ということかもしれないが。

ドワンゴ会長の川上量生氏やチームラボ社長の猪子寿之氏らが、対談の中などで、「学校は、『可愛い子は得』といった当たり前のことを教えない」といったことを言われていたと思うが、まあ、普通は、可愛ければ少々馬鹿でも良い思いが出来るかもしれない。
それは主に女子に言えるが、男の子でも当てはまる場合がある。しかし、いずれにしろ、若い時限定だ。
私の職場にいる、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣社員)は、少しも可愛くない上にオッサンなのに、可愛い女の子でないと許されないことをするのだから惨めである。
まるで駄目男君を見ていたら、我々・・・いや、私は撫子でないのだと自覚しようと強く思う。

偉人の中には学生時代、成績が悪かったと云われている人達がいる。
アインシュタインとエジソンが、その代表のようなものだろう。
しかし、案外に彼らの成績だって、それほど悪くはなかったと私は思っている。
たまには試験の時に調子が悪かったことがあったり、たまたま、教師とソリが合わないことが原因で瞬間的なトラブルがあったというだけではないだろうか?
何だかんだ言って、アインシュタインは名門大学を卒業しているし、エジソンだって普段は成績は良かったのではないかと思うのだ。

世界的なセールスマンだった夏目志郎氏が、著書の中で、「人間の価値は収入」と断言しておられたのが衝撃的だったが、反発は感じなかった(私がまだ若くて、極端に収入が少なかった時のことである)。
無論、例外はあるにしろ、それは控え目に言っても、最も正しい基準の1つとは言えるのだ。

確かに、教育にお金をかけられる家庭に生まれることは有利であるが、本当は、「有利に作用する」という程度である。
生まれつきの知能指数はもっと重要だ。
いくら金をかけても、出来ない子は出来ないというのも現実である。
収入もそうで、知能指数との相関関係はやはりあると思う。

売れる作家というのは、例外なく、知能指数は高いだろう。
物語シリーズの作者、西尾維新さんも、かなり高そうだ。
そんな西尾維新さんの描く撫子の馬鹿振りは、なかなかのもの・・・つまり、自然でリアリティがある。
尚、撫子は153cmで38kg。16歳の初音ミクさんより5cm低く、4kg少ない。
さすが、知能指数が高い西尾氏はツボを心得ている(何の?)。
尚、阿弥陀如来様の知能指数は10の106乗・・・つまり無限だ。
撫子でない私は念仏を称えよう。いや、撫子こそ念仏を称えるべきだろう。









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世界から逃げるには

世の中は、争ってはいけないが、戦わなくてはならない。
支配しつつ、なりゆきにまかせなくてはならない。
全てを放棄しなければならないが、願い、求めなくてはならない。
無為であって有為であれ。

もう、どないせいっちゅうんじゃ!
しかし、これが人間だ。
誰かが、わざと、我々の脳や世界に、混乱するプログラムを組み込んだとしか思えない。
我々は、キリキリ舞する、面白い見世物か何かとして存在させられているのだろう。
だが、「そんなの冗談じゃない!」と言って、バックれる(逃げる)・・・具体的には死ぬことが・・・出来ない、あるいは、とても難しい。

対策は考えようがない。
なぜなら、全てが矛盾だらけだからだ。
可愛い猫を殺したり、愛しい少女に苦痛を与えたがるのは、「そんなことが出来ることを確かめたい」からだ。
だが、そんなことをする者というのは、逸脱、あるいは、狂気が始まっているのであり、そのエラーはどんどん拡大して、最も苦痛に満ちた見世物としての存在になる。
それは、EMG(エマージェンシー=緊急事態)なのか、それとも、やはり元々仕組まれたプログラムなのか、それは分からない。
だが、人間が考えるEMGなんて、やっぱり「普通のこと」なんだろう。

人間は役割を演じるしかない。
「俺は映画スターになりたい」と言っても、駅の便所掃除が役割なら、便所掃除をすれば良いのである。
どちらも全然、違いはない。
むしろ、「俺は便所掃除よりランクが上だ」と思う映画スターの方に、ちょっとキツい展開が用意されている。
嫌々サラリーマンをやるのもまた役割だ。
そこから抜け出そうと、大きな努力をしても、報われるかもしれないし、完全に失意に終わるかもしれない。
「こんなにがんばったのに・・・」と絶望する姿の方が面白いしね。

もし、逆転の秘法があったとしても、それも、ゲーム制作者が用意しただけの話だ。
いつ、秘法の仕様が変わるかもしれないし、無効になったり、逆効果になったりしかねない。
ルールを外れたような魔法使いがいたとしても、それもまたルールの範囲内だ。

「あの・・・そろそろ自分の役割に飽きたんですけどお」
「そうか、では死ね」
「ひえぇ!もうちょっとがんばりますう」
「よしやれ」
我々は、その程度の存在だ。
その自覚を持てば幸せになれる。

だが、おそらく、ゲーム制作者にも、その上位のゲーム制作者がいるのだ。
まあ、ゲーム制作者というのは、あくまで喩えではあるが。
念仏ってのは、その上位のゲーム制作者との同調である。









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中高年の方が仕事が出来る

「仕事は出来ないが給料が高い40代、50代社員がいる」なんて話がよくある。
中には、本当にそんなこともあるかもしれないが、大抵の場合、それは、若い人の勘違いだし、そんな勘違いをしている「本当に仕事が出来ない若い人」ほど、そんなことを言うのだと思う。
20年、30年、「普通に仕事をしていれば」、知恵があるので、若い者など太刀打ち出来ない。
しかし、若い時に、「部長課長らは、仕事をしていないのに高い給料を取っている上、俺達若い者に対し傲慢だ」と言う者ほど、「本当に仕事をしない中高年」になる。
なぜかというと、簡単なことで、知恵っていうのは、それなりに知恵がないと、見ても分からない。
まず、自分以外の人間の知恵を見ようとするのが知恵なのであり、それは謙虚でないと出来ないことだ。
それなのに、「課長より俺の方が仕事が出来る」なんて傲慢かつ思い違いをしているような者に知恵は得られない。
そんな者が歳を取っても知恵がついておらず、「本当に仕事が出来ない中高年」になる。

ドワンゴ会長の川上量生氏の本で読んだが、川上氏が若くてサラリーマンをしていた時、仕事が出来ない課長がいたらしい。
川上氏は、「あんな課長クビだ」と、堂々と声を上げていたが、そうしたら、社長に呼び出され、尋常ならざるほど怒られたらしい。
川上氏は、怒られた理由が分からず、社長に対し、反論すらしたらしいが、社長は、「あいつにだって生活がある」みたいなことを言ったという。
それだけ見れば、温情ある社長という感じだが、私は、川上氏が「仕事が出来ない」という課長は、いなくてはならない人だったのだと思うのだ。
でないと、単なる社長の温情で、そこに居続けることなんか出来ない。
川上氏も社長に怒られて何かを得たのだろうし、社長だって、才能を感じる川上氏だから怒ったのであり、別の「単なる若いもん」なら本気では怒らなかったに違いない。
ただね、川上氏がいくら優秀でも、若い川上氏に、そこまで言われるということは、その課長には、貫禄というか存在感がなかったのも確かだ。
そんな人は、是非、エイミー・カディの本を読み、パワーポーズを実践することをお奨めする。

どうすれば仕事が出来るようになるかというと、「自分が仕事をしている」という感覚を失くすことだ。
インドの聖者ラマナ・マハルシがこんなことを言っていたのが参考になる。
責任感を持って、注意深く仕事をしている財務長官。
大きな目標を達成しつつある事業家。
こういった、有能で、熱心に働いている者達は、自分が仕事をしているとは感じていない。
仕事が勝手に進んでいくのであり、自分は何もしていない。
ある意味、彼らは夢遊病患者のようなものだ。

だが、そうなるためには、精神が進化していなければならない。
しかし、それは難しいことではない。
自分より高い存在に意識を向け、自我が退けば良いのである。
ただ、マハルシだって、「簡単だ」と言いながら、極めて難しいことを教えた。
道元は、それを易しく出来るよう、座禅を教えたが、やっぱり難しかった。
それで、法然は念仏を教えたが、これは簡単過ぎたので、ちょっと豊かな人はやりたがらない。
『歎異抄』を読んで、ただ念仏を称えれば、意識は高い存在に向き、自然に自我は退くだろう。









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