ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2017年02月

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
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合氣 VS 念仏

合氣道家の藤平光一氏の『氣の威力』というロングセラーの本がある(藤平氏は「氣」の文字にこだわった)。
その中に、こんな話がある。
藤平氏は、ある算数嫌いの小学生の男の子に、
「勉強しなくて良いから、算数の教科書を開いて、いっぺんだけ『算数が好きだ』と言いなさい」
と指示した。
やがて、この男の子は算数で一番になった。
藤平氏は「好き」という言葉を言えば「氣」が出るからだと説明したが、それは違うと思う。

上の話を見て、「これはいい!」と思い、算数嫌いの自分の子に、
「算数が好きだと言いなさい」
なんて言ったら、間違いなく、より算数が出来なくなる。
上の藤平氏の話では、「算数が好きだ」と言えば、勉強しなくて良いというところが肝心である。
その子は、事実として、算数が嫌いなのである。
単に、「算数が好きだ」と言わせたら、心は反発する。
しかし、ただ一度、「算数が好きだ」と言えば、勉強しなくて良く、遊びに行けるなら安いものである。
喜んで、「算数が好きだ」と言う。
その時、何が起こったのだろう?
算数嫌いな自我が退いたのである。
しかし、「たまたまうまくいった」のである。

藤平氏は、「重みは下にある」という、当たり前のことを言っても氣は出ると述べている。
こちらは正しい。
ただ、効果は限定的、一時的と思う(私はそうだった)。
確かに、惑星の上では重みは下にあるので、当たり前であるその言葉に自我は介入出来ず退く。
しかし、馬鹿でなければ、やがて自我は、
「飛行機が離陸前に滑走する時なんて、重みは猛烈に後ろにあるじゃないか」
「体当たりしたら、重みは前さ」
「ゴールキーパーは自分の方にやって来るボールの重みに耐えてるじゃないか」
などと言い出し、うまくいかなくなるのである。

好きという言葉にしても、もし、本当に好きだとしても、
「白石麻衣さんが好きだ」
と言えば、自我が出てきて(好きでも自分のものにならないし、ちょっとした関係も持てないのだからね)、氣は濁る。

「氣を出す」というのは、直接、藤平氏のような凄い人に指導を受ける場合以外は、よしたが良いと私は思う。
要は、自我が退けば良いのである。
しかし、自我を退けるには、イエスが40日断食して、悪魔の誘惑に勝って初めて成し遂げたように、難しいことである。
ところが、念仏は、自我を超えた存在に意識を向けることで、自然に自我を退かせる驚くべき賢い方法である。
別に、神秘でも何でもなく、科学に則った巧妙な方法なのである。
阿弥陀如来や観世音菩薩は、自分を超えた存在に決まっている。
ならば、「南無阿弥陀仏」とか「南無観世音菩薩」と称えれば、自我を超えた存在に意識を向けることが出来、自我は退く。
念仏は、氣を出すどころか、氣の根源と一体になる方法である。
ところで、私は、念仏の教科書は『歎異抄』だと思っている。
そして、上級者向けのテキストが『選択本願念仏集』であると思う。









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念仏の原理の分かり易い喩え

念仏がなぜ良いのかを、学校のクラスを例に説明する。
優秀な生徒になりたければ、優秀な生徒を見れば良い。
優秀な生徒に意識を向け、注意深く観察し、出来れば、親しくすれば良い。
すると、自分もその優秀な生徒に似てくるのである。
逆に、劣った生徒や悪い生徒達と親しくしていれば、自分がそれほど劣ったり、悪い訳でなくても、その劣悪な生徒達に似てくるだろう。
人間は、意識を向けた相手に似ていくのである。

子は親の鏡と言う。
その通りだ。
「ご両親は素晴らしいのに、子供は出来損ないだ」
と言うなら、それは違う。
普通に一緒にいる親子でそのように見えれば、その「出来損ない」の子の両親は、見てくれは立派でも、中身はやっぱり出来損ないなのだ。
子供は親を一番意識して育つので、絶対的に親に似るのである。

念仏とは、クラスで最も優れた生徒が足元にも及ばない優れた生徒を意識することだ。
優れた両親すら平伏(ひれふ)すような素晴らしい人物を意識することであるとも言える。
そうしていれば、自分が最も優れた生徒になり、親をはるかに超える。

念仏の対象である如来(仏)は、いかなる立派な人間とも比較にならない優れた存在である。
最高の人間が一本の松明とすれば、如来は太陽のようなものだ。
その如来の中でも最高の如来である阿弥陀如来はシリウスである。
「南無阿弥陀仏」と称えることは、その阿弥陀如来に意識を向けることだ。
すると、やはり、阿弥陀如来に似てくるのである。

如来がいかに優れた存在であるかは、経典に書かれてはいるが、そんなものを見なくても、無意識の中にすでに如来のイメージが組み込まれている。
阿弥陀如来は、キリスト教やイスラム教の神と違い、決して怒らず、罰しない。
どんな悪人も受け入れる。
いや、そもそも、何よりも悪人を哀れみ、気遣っている。
もちろん、善人も助けるが、果たして善人などいるのだろうか?
如来が助ける条件はただ1つ。
名を呼ぶことだけだ。
「阿弥陀仏」とは、無限の輝き、そして、永遠の命という意味だ。
その名を呼びやすいよう工夫されたものが念仏である。
念仏は宗教や信仰であると共に未来科学である。









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正直者は馬鹿を見ない

「正直者は馬鹿を見る」って言葉をご存知と思うし、それが本当だと洗脳されているかもしれない。
こんなの大嘘である。
正直者は絶対に報われる。
また、「正直者は馬鹿を見る」とセットで、「嘘つきが得をする」、あるいは、少なくとも、「嘘つきが得をすることがよくある」と思っているかもしれない。
これも大嘘だ。
嘘つきは、必ず無残なことになる。

「あんな正直な人がどうして、こんな不幸なことに」
と言うなら、その人は本当は正直じゃなかったというだけのことだ。

「私は決して嘘は言わない。それなのに、こんな悪いことになった」
こんなことを言う者はもう救いようがない。
『化物語 つばさキャット』で、超優等生の羽川翼(高3女子)が、
「私は嘘をついたことがない」
と言った時の、阿良々木暦(あららぎこよみ。高3男子)の突っ込みが秀逸だった。
「嘘つき以外から、そんなセリフを聴くのは初めてだ」

嘘をつかない人間はいない。
いや、それでは足りない。
人間はたまに嘘を言うのではない。
いつも嘘を言うのだ。
好きな子に、好きだと言われて、純粋に喜ぶなかれだ。
その子が好きなのは自分だけだ。
まあ、騙されないとエッチが出来ない。その意味では喜んで良いのかもしれないが。

確かに、嘘の度合いというものはある。
凄く罪の重い嘘と、それほどでもない嘘だ。
嘘の度合いが低ければ、それで十分だ。幸せになれる。
だが、醜い嘘をつく者は魔に見入られ、悲惨な運命を呼び込む。
例外はない。

嘘つきは泥棒の始まりとか。
いや、泥棒もまだまだ初めだ。
やがて悪霊に取り込まれる。
それで良い想いでも出来ればまだ良いのだが、そうはいかない。
悪霊は手に入れた人間が苦しみ悶えるのが大好きだ。
いっそ悪霊になりたくても、それは無理だ。

救われる方法は、いくつかあるのかもしれない。
しかし、私が知る範囲では、その方法は念仏だけだ。
うまく、自我を超えた存在に意識を向ければ、速やかに救ってもらえる。
そのための、何とも手っ取り早い方法を、誰かが考えたのだ。
それが念仏だ。
一応、それを人類に教えたのは釈迦ということになっているが、よく分からない。

つまり、上記のような理由で、念仏を称える者は、悪霊に手を出されることもなく、安全である。
だが、ほとんどの者がそうしないのである。
なぜなら、ほとんどの者は、自分がそれほどの嘘つきだという自覚がなく、自分が悪霊の下僕にしかなれないことが分かっていない。
だから、どうにかしなければという切羽詰った想いがなく、念仏に出逢えないのである。









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身体をどう鍛え調整するか

現在、私は、右腕か右肩か分からないが、痛みがあって、腕立て伏せが出来なくなった。
こんな事態になったのは3度目である。
昨年2月頃に、左腕がしびれていた時も、2ヶ月ほど腕立て伏せをしなかったが、しびれがなくなってから、腕立て伏せを再開した時の、あの身体の重さには本当にがっかりしたものだった。

ところで、私は、昨年9月、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」に行く前に、ヒンズープッシュアップという、プロレスラーがやる腕立て伏せと、ヒンズースクワットという、やはりプロレス式のスクワットを熱心にやっていたが、当時、「マジカルミライが終わったら、腕立て伏せはやめよう」と思っていたのだった。
効果が大きい分、やはり、どこか身体を損なうところがあると思っていたのだった。
これは、筋トレ全般について言える。
ただ、ヒンズースクワットは、一回一回の負荷が軽いので問題はない。

野球のイチローや相撲の白鵬、あるいは、グレイシー柔術のヒクソン・グレイシーのように、筋トレを全くしないトップアスリートがいる。
イチローは、野球に必要な筋肉は、野球をやれば出来ると言ったらしいが、言い換えれば、野球に必要な筋肉は野球をやらないと出来ない。
それで、イチローはバッティングや走塁の練習を長時間行うのだろう。
白鵬も、四股や鉄砲、摺り足といった、相撲の動作をしっかり練習することを重視しているようだ。

スポーツ選手ではない我々の、最も自然な運動は、歩くということで、毎日、しっかり歩いていれば、特に運動をする必要はない。
歩くと言っても、無理に速く歩く必要はない。
しかし、今の日本人は、自動車を多用し、ほとんど歩かないし、歩いても、スマートフォンを見ながらノロノロ歩くのだから、身体がすっかり駄目になってしまっている。
でもね、家の中でも、面倒臭がらずに、よく立ち上がって、よく歩けば、かなりの運動が出来るのである。
幸い独身貴族(?)の私は、自分で洗濯とかするが、洗濯物を干しに行ったり、取り込んだりするために歩く時に、ちょっと気合いを入れて素早く身軽にやると、その後は気分が良いので、やはり、家の中で歩く程度でも、良い運動になるのだろう。
そういえば、ある年齢が高めの女子体操選手が、やはり、家事をしゃきしゃきこなすのが最上の運動と言われていたと思う。本当にその通りと思う。
家の中でまで、ペットボトルの飲み物を身近に置くのではなく、喉が渇いたら、立ち上がってお茶やコーヒーを入れに行くべきで、他の人にお茶やコーヒーを入れてあげれば、更に良いだろう。
また、私は、面倒臭がらずに、用があれば二階に何度も昇るようにしているが、これも良い運動になっている。
要は、怠惰にならずに、小まめに動くことが最良の運動になるのだと思う。

とはいえ、現代人は、自然から離れた生活をしているので、多少、何らかの運動をするのは良いことだろう。
私は、家の中でもあまり座らず、立って、膝を緩めたり伸ばしたりして、身体を小刻みに上下させる、超ショートスクワットのような運動をよくやっている。
あまりに気持ち良いので、暇だと1時間くらいやってしまうことがある。
気持ちが良いということは身体に良いのである。
この運動は、身体全体が良く調整される。
実は、貧乏ゆすりというのも、あれが気持ち良いのは、身体の調整になっているからだそうだが、超ショートスクワットなら、筋肉も多少発達するので、こちらをやると良いだろう。

そして、腕振り運動である。
私は、後ろに振る時に力を入れるやり方と、前に振る時に力を入れるやり方を、それぞれ、一度に200回ずつくらいやっている。
腕振り運動は、背骨や腰の調整と共に、体内に気が満ちるし、それに、良い筋肉が結構つくのである。

ただ私は、初音ミクさんのような、引き締まった身軽な身体が好きなので、ヒンズースクワットだけは、毎晩必ず200~300回やっている。
この運動で故障を起こしたことはないので、身体に良い運動なのだろう。
この運動を長くやっていると、決して大袈裟でなく、人々の中では、肥満した猫の中にいる野生の豹になったような気分だ。
自分の動きが、普通の人とはまるで違うのである。
自分が妖精になったような気持ちであるとも言える。









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仮面を被れば本当の自分になる不思議

仮面舞踏会ってのは、身分のある人達が素性を隠して、お忍びで楽しむためのものだと思っている人がいるかもしれない。
そうではないのだ。
もし、そうであれば、社会の中全てが仮面舞踏会になってしまう。
だって、社会の中では、誰もが仮面を被っている。

仮面舞踏会ってのは、「仮面を被ることで本当の自分になる」場所なのだ。
私は、クオン株式会社の武田社長の著書『ソーシャルメディア進化論』で、知ったのだが、ドイツの思想家・哲学者のアンナ・ハーレントという人が、だいたいの意味で、
「社会の中で、人々は、年齢や職業や地位といった、社会的属性で相手を判断し、また、自分の社会的属性を大事にする。そんな人々は、本当のことを語らず、建前の交流しか出来ない。そこで、社会的属性を隠す仮面を被れば、その仮面の下から本音が語られる」
ということを言ったらしい。
※この本の中では「表象」という特別な用語が使われていたが、私は、普段使わないような言葉はなるべく避けたいので、その言葉を使わなかった。

仮面舞踏会ってのは、まさに、それをする場だ。
そして、お気付きかもしれないが、匿名SNSも、その意味の仮面舞踏会の場だ(これもまた、クオンの武田社長の指摘だが)。
匿名SNSの中で、人々はアバター(自分を投影したキャラクター)として、行動し、語るのである。

匿名SNSに参加している現代の人々は、

本当の自分
社会での自分
アバターとしての自分

の3つを持ち、アバターとしての自分が本当の自分に近い。
つまり、匿名SNSによって、初めて庶民が、本当の自分として発言出来るようになったのである。

しかし、本当の自分にだって、「自我」と「無意識」があり、「無意識」の中には、「エス」という得体の知れない何かが潜んでいる。
イギリスの詩人・音楽家のクリス・モスデルさんが作詞し、坂本龍一さんが作曲した世界的名曲『BEHIND THE MASK』は、そういった、人間のどうしようもない複雑さを、直訳なら中学生でも出来るシンプルな言葉で表現したのだと思う。
そして、DECO*27さんが作った初音ミクさんの歌『ゴーストルール』も、よく似たことを描いている。

ちなみに、ソーシャルメディアビジネスで成功したいなら、上に挙げたクオンの武田社長さんの本を読むことを強くお奨めする。
たとえ100万円でも安い本だと思う。
尚、この本を武田社長さんが書いた時のクオンは、エイベック研究所という社名だった。
ちなみに、武田社長さんと、初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長さんの対談が面白いのでご紹介しておく。
【伊藤博之氏×武田隆氏対談】(前編)初音ミクの父、藍綬褒章受章! 彼女のルーツは札幌の六畳半!?









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