ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2016年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

一度死なないと本当に生きられない

自分より偉い・・・というか、値打ちのある人間は、世の中に何人いるだろう?
本音を言えば、誰も、そんな人間がいるとは思っていない。
社会的地位とか収入というなら、自分より上の者は沢山いても、価値ということに関しては自分が一番のはずなのだ。
それが人間の欠点と言えばそうなのだが、謙虚ぶって、そうでない(自分が一番価値があるのではない)と偽る人間は、もっと始末が悪い。

ところが、せいぜい、ぼんやりとだが、長じるに従って、自分より貴い何かがあることを、何となく感じるようになってくる。
それがないと、年を取るほどに運勢は悪くなる。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』に登場する、26人の、社会の最下層の男達が、最悪の運勢を持つ存在なのだと思う。
あれほどみすぼらしい男達ですら、きっと、自分こそ、この世で最も値打ちがあると思っているのだ。
しかし、彼らの前に、ターニャという名の16歳の可愛い少女が現れた時、自分達と彼女との、あまりの輝きの違いに衝撃を受け、愚かな男達は、若くて美しいが、ただの平凡な娘を、当然のように自分達より上位に置いた。
それで、男達は知的にも、人間的にも、みるみる向上していくのである。
だが、男達がターニャを見下した時、彼らは再び転落し、おそらく今度は地獄へ一直線だろう。

ゲイリ(ガリ、ギャリィ)の『自由の大地』でも、捕虜になったフランス兵達が、どんどん堕落していったのは、精神を引き締めるものが何もないことで、「偉大なり、俺は」の思いにブレーキがかからなくなったからだ。
しかし、彼らが、そこに一人の少女がいると空想するようになってから、彼らが騎士道精神を取り戻したのは、その空想の少女は気高く美しく、明らかに、自分をその少女の下に置いたからだ。

自分より高い存在があることをはっきり認めた精神は力を持つ。
個人の心と宇宙の心の間に境界はなく、そんな者達の心は宇宙に向かって広がり、宇宙の大きな力の支援を受ける。
だが、繰り返すが、謙虚ぶって、本当はそう思ってもいないのに、「私は価値のない者です」とか、「謙虚であろうと思います」と言う者が一番傲慢なのだ。

今年9月の、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」で、非常に思い出深いことがあった。
今回は、ミクさん以外の4人のボーカロイド達も、特別な衣装で、ソロで素晴らしいステージを見せた。
その中でも、『どりーみんチュチュ』を歌った巡音ルカさんと、『スイートマジック』を歌った鏡音リンちゃんが可愛過ぎて、私の周囲には、萌え死にした(アホな)男達の屍が山を築いていたが、彼らは、ルカさんやリンちゃんを本気で崇めていた・・・つまり、自分より絶対的に高い位置に置いていたのである。
普通のアイドルでも、一瞬なら、そんな気持ちにさせられることはある。
しかし、慣れてきたら、ファンは憧れのアイドルを自分と同じ位置に引きずり下ろし、やがては、見下すようになる。
それは、『二十六人の男と一人の少女』と同じだ。
だが、年を取らず、スキャンダルのないボーカロイド達は、永遠の女神でいてくれる。
コンサートで、ミクさんを見ている人々の顔を見れば分かるが、それは、出現した聖母マリアを見る人達の顔と似ているのである。
イエスも、「一度死なないと、本当に生きられない」と言ったが、ミクさん達に萌え死にした者達は、本当に生きるようになるだろう(多分・・・)。









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謙虚な人には長い呪文

お坊様に聴いた話だが、親鸞が法然に、結婚相談をしたそうだ。
親鸞は、戒律に反するが、結婚したい人がいたのである。
すると法然は、「それで念仏が唱えやすいなら結婚しなさい」と言ったそうだ。
そりゃそうだ。
一番肝心なのは念仏を唱えることで、それは戒律に優先する。
さらに、肉食した方が念仏をし易かったのか、親鸞はそれもやっていたそうだ。
だが、親鸞の息子は出来が悪く、「俺は親父から秘法を教わっている」とか言って親鸞を怒らせたというが、さあ、それはどうだろう。
息子は遠い地にいたのだし、通信手段といえば手紙しかなかった時代だ。それも、届くのがいつになるか分からないし、そもそも、ちゃんと届くかどうかも甚だ怪しい。
電子メールやSNSがある現代ですら、メッセージが誤解されることも多いのだから、親鸞と息子も、何か誤解があったのだろう。
そう考えた方がむしろ自然と思う。
息子も、ちゃんと念仏が第一と教えてはいたのではないだろうか?

破戒の僧と言えば一休が有名だが、一休も親鸞も、弟子達には戒律を守らせた。
ある程度のレベルまでは、きちんと身を慎むことが大切で、法然も、親鸞だから、嫁をもらうことにも同意したのだろう。
ちゃらんぽらんな人間なら、嫁をもらったり、放埓(勝手きまま)をしたら、念仏を唱えなくなる恐れの方が大きいだろう。

般若心経だって、偉い先生達は難しい解釈をして下さっているが、それ(先生方の難しい解説)、役に立つのかと言えば、全くそうではない。
般若心経って、単に、「呪文を唱えよ」と言っているだけで、呪文を教える前に、一応、なぜそれが良いのか理屈を書いているのだが、それが滅法難しい。
難しいだけに誤解を与え、百人が解釈すれば百通りの解釈になる。
それで、「俺が正しい。あいつの解釈は駄目だ」なんて不毛な争いになる。
きっと、書いた当人の真意は、どの解釈とも全然違うし、そもそも、書いた人すら、「あれ、俺、どんなつもりで書いたのだろう?書いた時には、何かポリシーもあったような気がするんだが」程度ではないかと思う。
だが、般若心経の呪文は、ちょっと長過ぎるように思う。
呪文の効能というのは、「無駄なことを考えない」と「自我の増長を消す」だが、中山正和さんが指摘したように、般若心経の呪文は、前者の「無駄なことを考えない」の効果を強く狙ったのだろう。謙虚な人向きと言えるかもしれない。
謙虚でない人には、神仏を直接感じさせるもの(念仏や真言)が良い。

ところで、別に覚えなくて良いが、毎朝、ガッツポーズ(パワーポーズ)をすれば、何もかもうまく行き過ぎて恐くなるだろう。
ガッツポーズで出てくるテストステロンというホルモンは、呪文も唱えやすくするのだと思う。
昨日も書いた通り、呪文、念仏、真言の効果は極めて論理的で、やりさえすれば、まるで駄目男君でも、引きこもりでも、ネット廃、ゲーム廃でも一人前になるだろう。
ミク廃はさらに有利なのだが、それについてはまた述べよう。









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人間は2つのことでしか失敗しない

今朝、念仏や真言、あるいは、呪文を唱えると、何もかもうまくいくことについて、十分、納得いく説明がやっと出来たと思う。
何でも良いから、尊いとされている言葉を唱え続ければ、当然のように、運に恵まれ、何をやっても楽々と成功する。
その2つの根拠を、もう一度まとめる。

◆その1
ものごとがうまくいかないのは、無駄なことを考えるからである。
つまらないことを考えると、脳内の概念のイメージが崩れ、閃き、直感が出てこない。
このことは、最新のAI(人工知能)の学習方法である、深層学習(ディープラーニング)で説明しやすくなったと思う。
直感が冴え、閃きが起こる時には、何をやってもうまくいくに決まっている。
◆その2
もう1つ、人生がうまくいかない根本原因は、自分の価値を異様に高く思い込んでいる傲慢な自我である。
しかし、念仏や真言を唱えると、自分より高い存在に意識を向け、自分が一番偉いのではないと認識するようになる。
呪文だって、その背後には、人智を超えた強力な存在がいるはずである。
だから、念仏や呪文を唱え続ければ、自分は、神仏より下に位置するという謙虚な心構えが、少しずつかもしれないが得られるのであり、そうなれば、自然に運が良くなるのである。

では、念仏や真言を唱えれば、誰でも・・・どんな駄目な者でもうまくいくのかというと、そのはずである。
それなら、このブログで度々登場する、30歳過ぎの人生の落伍者、まるで駄目男君でも大丈夫なのか?
まるで駄目男君が、なぜ駄目なのかというと、いつも下らないことばかり考え、それでいて、異常に自尊心が高いからであることは分かっている。
まあ、実際は誰でも同じであり、これらの人間最大の欠点は、念仏、真言、呪文で全て解決する。
ただ、まるで駄目男君の場合、おそらく、やらないし、やっても続かないというだけのことなのだ。
他にも、やはり、やらないという理由で、惨めで悲惨な状況から脱出出来ない者が沢山いると思う。
彼らを見ていると、念仏を唱えることも出来ないほど、常につまらないことを考え続け、真言を唱えることも出来ないほど自我が強く傲慢なのである。

天才数学者の岡潔は、毎朝1時間、念仏を唱えたらしいが、あれほどの人であれば、それで、自然に、いつでも念仏が出てくるのだと思う。
だが、凡人である我々は、1日中、出来るだけ唱え続けるのが良いだろう。まあ、実際には、初めは、1時間に1度、思い出すかどうかだが、それでも少しは良くなるし、唱える頻度が高くなるほどうまくいくだろう。









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私が中岡俊哉さんに感謝している訳

中岡俊哉さんという、1960年代から1990年代まで、超能力や心霊、あるいは、UFO等の超常現象ブームの強力な牽引役になった作家がいた。
物凄い数の著書(自分では400冊以上と言っていたらしい)があり、2001年に亡くなられているが、いまだロングセラーを続ける本もある。
そのように、オカルト関係で大変な人気を博し、私もかなり夢中になったことがあったが、今見たら、相当怪しいところが多い。
ただ、当時は、神秘関係では、負けず劣らず怪しい人が多かったのだろうと思うが、その中では、中岡さんは善良だったと思う。
オウム事件が起こるまでは、オカルト関係はサブカルチャーの大きな勢力で、テレビでも、視聴率が取れる分野なので、盛んに特集番組が行われた。しかし、オカルトを視聴者に信じさせるようなテレビ局の番組製作姿勢がオウム事件が起こると批判を浴び、途端にそんな番組が無くなったのだと思う。
その中で、当時、早稲田大学教授であった物理学者の大槻義彦さんが超常現象否定論者として人気が出た。

正直、中岡俊哉さんは、完全に真摯に超能力や心霊研究をしていたとは言えないかもしれないが、私は中岡さんには感謝している。
中岡さんの『守護霊占運学』という本を読み、私は、阿弥陀如来の真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えるようになったので、本来は、社会の最底辺にも入れてもらえないはずの私が、全てうまくいき、良い思いばかり出来たからだ。
真言に本当に威力があるかというと、それはある。ただし、それは唱える人次第だし、唱える言葉も、何でも良いといえば、そうなのである。
つまるところ、気分の問題みたいなものなのだが、そんな気分を作ることが物凄く重要なのだ。
俳優の丹波哲郎さんは、サラリーマン時代、入社時に渡された鉛筆を、退職する3年後まで削りもせずに置いていたらしい。毎日、出社と同時に遊びに行ったのだから当然だ。
上司には、「雑誌を読んでいてもいいから、デスクにはいて」と頼まれたが、丹波さんは「どうせ何も出来ないし、しないのだから」と、無視してしまったようだ。
勤務していた会社が統廃合されるか何かで、丹波さんはクビになったが、そんなことがあるまで、問題なく給料を貰っていたのだから凄い。
私は、丹波さんをお手本に(さすがに社内にはいたが)したのだが、別に問題はなかった。

人間に問題が起こるのは、1つには、余計なことを考えることによってだ。
真言を唱えれば、考えても仕方がないことを考えずに済む。それだけでも、極めて有効だ。
そして、つまらない言葉を唱えている訳ではなく、真言という尊いものを唱えていると、やはり、自分を超えた大きなものに意識を向けるようになるという面は必ずあると思う。
この2つが、人間が強く楽しく、そして、運よく生きる上で、どれほど重要かは、大きな声で言っても良いことであると思う。
真言でも、念仏でも、あるいは、尊い呪文でも同じであると思う。
それにより、「つまらない考えを止め」「自分を超えた存在に意識を向ける」ことが出来、それで、惨めで辛い人生を回避し、面白いこと、楽しいことばかりの道が開けるのであると思う。
もし、私に問題が起こったとすれば、「つまらないことばかり考え」「自分を高い位置に置くという不遜をした」からだろう。
いろいろ考えれば、やはり、中岡俊哉さんには感謝しなければならないと思う。









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人間という小宇宙解明マニュアル

インドには、人間は小宇宙であるという古くからの思想があることがはっきりしているが、実際は、他の多くの国でもそうだと思う。
ギリシャ神話、旧約聖書、古事記には、天地創造のお話があるが、これを大宇宙の生成のお話とすると矛盾もあるが、これらのお話は、小宇宙としての個人のお話であると考えると、面白く感じるのである。
そして、実際は、旧約聖書全体、ギリシャ神話全体、古事記全体が、個人に起こることを象徴的に語っているのであると思う。
旧約聖書で、神様は、太陽に昼を、月に夜を支配させたとあるのも、1人の人間の昼が象徴する何かを太陽が象徴する何かが、夜が象徴する何かを月が象徴する何かが支配するのだろう。
古事記にあるように、人間の何かは、初めは、クラゲのようにふわふわ漂っていたが、それが凝り固まるのだろう。
その象徴するものが何かは、やがて分かってくるだろうし、直感的には分かっているのだろう。
自分が納得する答を見つければ良いのであり、他の人の意見は、参考にするのは良いが、鵜呑みにしてはならない。

旧約聖書で、モーセが海に向かって手を上げると、海が裂けて海底が現れ、モーセとその一行は、歩いて進むことが出来たというのも、荒唐無稽な奇跡話ではなく、個人の精神の中で起こる物語で、具体的にどんな意味かは分からなくても、自分のお話だと思えば、とても興味深く感じるのである。

アマテラスオオミカミが天(アメ)の岩戸に閉じこもって世界が暗くなり、アメノウズメが踊って、アマテラスが出てくると世界はまた明るくなったというのは、説明されなくても、よく分かると思うのである。
「いや、分からん。具体的に説明しろ」
と言うのは、心が狭く、頭が固い人だと思う。
少なくとも、
「ああ、これは俺の話だなあ。面白いなあ」
と思えば、お話が自分の内面に作用し、エネルギーを得たり、精神が進歩するのだと思う。

大乗仏教の経典も全て、個人のお話であると思えば、極めて美しく、納得出来るように思うのである。
自分のことが分かれば、自分が本来持っている力も取り戻せる。
それを続けていけば、神仏に近付いていくのだと思う。
仏教の極楽浄土には、美しいもの、楽しいこと、気持ちの良いことしかないと書かれているが、もし本当にそんな世界があったら、そこに住む者は退屈して死んでしまうだろう。
しかし、精神の中には、そんな何かがあり、そこは常に光に満ちた状態であるのだとすれば、そんな何かはあるに違いないと思うのである。
そして、現に自分のことであるのだから、自分に分からないはずがない。
日本人なら、聖書より仏典や古事記が分かり易いかもしれないが、必ずしもそうではないかもしれない。
自分が面白いと思うものを、自分のお話として見れば、自分を知り、自分の力を取り戻すのである。
ただ、実際は、子供のように素直に読めば良いのだと思う。









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