ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2016年09月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

モテるヤツの表情を真似ればモテることの根拠

「笑えば楽しくなる」とは、昔からよく言われてきたが、あなたは、それは本当だと思っているだろうか?
肯定的な人でも、なんとなく、「そうかもしれない」と思う程度かもしれない。
しかし、これは、偉くマジな事実である。
薬などで、顔の表情筋を麻痺させると、喜びや怒り、悲しみを感じるべき場面でも、そういった感情が起こり難くなるという科学的実験が実際にあったそうだ。
もし、同じ人にそんな実験を続け、表情を奪ってしまえば、いずれは、感情を持たなくなるだろう。
つまり、悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのであり、怒ったから顔を歪めるのではなく、顔を歪めるから怒るのである。

アメリカのプロレスラーは、相手から攻撃を受けたら大袈裟に悲鳴を上げて痛がるが、これは、観客向けのジェスチャーではなく、「俺はこれだけやられたのだ」と自分に言い気かせ、怒りの顔になることで、ファイティング・スピリットを掻き立てるためであるらしい。
私が知っている男で、身長が160cmもなく、イケメンでも全くないが、やたらモテるというヤツがいた。
昔は気付かなかったが、思い返せば、彼は独特の表情をしていて、それがモテる男の表情であることに気付いた。
モテる男の表情は、彼自身の心に作用し、その心が、目の前の女の子に伝わり、惹き付けてしまうのだ。
なるほど、やってみたら、確かに・・・というのは、どうでも良いが、モテたかったら、モテる男の顔を真似ることだ。
それに関しては、ハリウッドスターの表情が参考になると思う。
ちょっと古いが、その点では、ジュリアーノ・ジェンマが最高で、ロジャー・ムーアも素晴らしく、アラン・ドロンは、ここぞという口説き場面では、「普段からこうやるのか」と思わせる特別な顔をする。
確かに、彼らは最上級のイケメンであるが、それは心配ない。
改めて重要なことを言えば(さっきも少し述べたが)、表情は、相手に見せるためのものではなく、自分の心に作用させるためのものなのである。
それは、さっき挙げた、低身長で顔もマズい男の例で分かるのである。

初音ミクさんの歌、『FREELY TOMORROW』(作詞はMitchie Mさん&ЯIREさん、作曲・編曲はMitchie Mさん)の中にある、
「顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる」
というのは、百万ドルの価値のある言葉なのである。
金持ちになりたいなら、ビル・ゲイツの表情を、IQ200になりたいなら、ニコラ・テスラの表情を、自分の心が、それが自分だと騙されるまで、真剣に、熱心に真似ることである。
こうは言っても、大抵の者は、真剣さ、熱心さが足りないのだが、あなたはそうであってはならない。
そして、くどいが注意しておくと、モテる男(女)の表情は、あくまで、自分の心に納得させるためのものであり、「俺は(私は)モテる」と他に主張する顔をする者は、決してモテない、哀れで、みっともないヤツなのである。









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透明な力

人間は不安と恐怖に苦しめられる。
だから、人間はパワーが欲しい。
不安や恐怖に打ち勝つには、パワーを得るしかない。
しかし、それをどうやって得れば良いのか分からない。
宗教は、いかにも、「いつか」それを与えてくれると思わせたり、あるいは、パワーを得たような気にさせてくれるだけである。

だが、私は、9月10日、11日の初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」に行ってから、力の感覚に満ちている。
不安や恐怖は全くなく、心は平静で安定している。
精神分析学者の岸田秀氏は、心は決して安定しないものだと言い、それはそれで本当だと思うが、しかし、今の私はそうではない。
唯一、かすかな不安があるとすれば、この力をしっかり掴んでおかないと、いつか消えてしまうかもしれないということだ。
私の37兆の細胞の全てにミクさんが満ちている。
だが、身体の細胞は11ヶ月で全て入れ替わる。
ところが、私を構成する原子の全てにもミクさんがいる。
そして、かつてソクラテスを構成したことがある原子の10万個が私の中にもあるように、ミクさんの輝きはいつも私の中にある。

ミクさんが歌ってくれた、BUMP OF CHICKENの『ray』にあったように、「あの彗星は透明だから無くならない」。
ミクさんは透明だから、永遠なのだ。
ミクさんが私の彗星なのである。

コンサートでのミクさんは、そんなには記憶に残っていない。
目では、そんなに見ていないのだ。
だが、魂が全て覚えている。
コンサートの間、観客の人々の魂は60万kmの上空(月よりずっと遠いじゃないか・・・)に飛び、その間を透明な彗星であるミクさんが飛び回っていた。
その時、私達は正しく死んでいたのであり、死ぬことが出来なかった人はミクさんに会っていない。
イエスが言った「死ぬことで生きる」とは、このことかな?
まあ、それはどうでも良いのだけれど。

ところで、「マジカルミライ2016」で、その23曲目の一応のラストソング『ray』の演奏が始まった時、私は不思議なことだが、「やっぱり」と思ったのだ。
この曲が歌われることなんて知っているはずがないし、そもそも、この曲自体、ほとんど知らなかったのにね。
後で、そんな記憶が作られただけかもしれないが、いずれにしてもいまも謎だ。
どの曲のことを一番覚えているかというと、どれも思ったより覚えているが、なぜか3曲目の『ヒビカセ』が強い印象になっている。
「忘れないでね、私の声を」のところで、軽くホップしながら手を口に当てて微笑むミクさんの愛らしさには月もかすむ。まるで千万の星だ。
「画面越しでいい ちゃんと愛して」
ちゃんと愛する・・・これが人類が忘れていること・・・あるいは、まだ知らないことだ。
それを初の音と言うのだろう。
では、来年9月2日と3日に、「マジカルミライ2017」で、また、お会いしましょう。
お互い、生きていたら。








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日常生活の中での身体の鍛え方

幕張メッセでの初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」で、とても残念に思ったのは、23曲目の最終曲『ray』が終わり、アンコールまでの間、椅子に座り込む人が多かったことだった。
女性ならともかく、若い男までしんどそうにへたり込むのは、正直、情けない。
アンコールを求めてミクさんを呼ぶ声が小さかったのは寂しかった。
そこは休憩タイムではなく、アンコールで盛り上がるべきところで、「ミクの日感謝祭」(2010-2012年のコンサート)の頃はそうだったと思う。

しかし、現代人にとって、2時間立っているという状況は、滅多にというか、全くないのだと思う。
しかも、ライブでは、ただ立っているのではなく、軽いとはいえ、ペンライトを力強く振り続け、膝や腰を動かすことも多い、そこそこの運動である。
とはいえ、たかがその程度である。
私は、ミクさんの前で気分が高揚していたこともあり、体調はかなり悪かったが、疲れは全く感じなかったし、もし、ライブ終了後、「頭からもう1回」と言われたら、狂喜乱舞したであろう。
私は、5月から毎日欠かさず、ヒンズースクワットとヒンズープッシュアップ(プロレス式のスクワットと腕立て伏せ)をしていたのも、全く疲れなかった要因ではあったと思う(それまでも普通のスクワットと腕立て伏せはやっていた)。
朝から晩までの会社勤めで、なかなか満足に運動出来ないが、夜のヒンズースクワット200~300回、ヒンズープッシュアップ30回を欠かさないだけでも、それなりには鍛えられたと思う。
特に、ミクさんのお誕生日(8月31日)には、ヒンズースクワット393回とヒンズープッシュアップ39回で気を引き締めたつもりだった。
時間がある場合の多い学生やニートなら、上に挙げた程度の運動は何でもないかもしれないが、比較的遠距離の職場に7時過ぎまで勤務する者にとっては、現実的に、これが精一杯。ちょっと残念だと思っている。

だが、日常生活の中で、もっと鍛えられないか、あるいは、楽をし過ぎていないか考えてみることも必要と思う。
電車の中で、こんなものをよく見る。
二十歳前後の若い男が、電車の座席の狭いスペースでも見つけたら、そそくさとやって来て、そこに尻を入れている。
そんなものを見るのは、もう、何とも情けないし、見ていて恥ずかしい。
おじさんやおばさんの中の狭っ苦しい場所など、私なら、少々・・・いや、どんなに疲れていても、どう考えても座る気にならない。それが若い男としては当然だと思うのだが・・・。
以前、空いた電車で座っていたら、徐々に乗客が増え、私の左隣に、女性なら何とか1人分というスペースが残っていたが、そこに、立派な体格をした19、20歳くらいの若い男が平然と座ってきた時は私は我慢ならずに立った。その男は、一瞬はぽかんとしたが、すぐに、のっぺりとした顔に戻って、広くなった座席でふんぞり返っていた。これほど腐った男に将来はないだろう。
また、立つなら立つで、スマートフォンばかり凝視し、周囲に迷惑な場所に無神経に立つ者もいる。
私には、これらの者達は、働かない蟻を大きくしただけの不気味な生き物にしか見えない。
また、毎朝、駅に行く時には、大勢の人達が歩いているが、若い人の歩き方が情けない。また「情けない」という言葉を使ったが、本当に情けないとしか言えない歩き方だ。
スマートフォンを見ながら歩くような者は、IQが低下し過ぎてマナーを考えることが出来ないのだが、その上、恐ろしいまでにノロノロ歩くことが多い。その様子は、まさに、この世界に何の存在価値もない人間であることをあからさまに示している。

せめて、歩く時はしっかり歩いて、身体の調子を整えてはどうだろう。
ジョギングやウォーキングをしている時間のない人も多いだろうし、私は、あえてそんなものをやる必要はないと思うが、寝る前に10分や20分の時間がないということはないと思うので、何とか運動をすれば良いと思う。
そして、日本人は昔から、正座をすることで、腹筋や背筋を鍛えてきた。
今の時代、正座をする必要もないが、座っている時や立っている時、姿勢を正すことだけで、十分に鍛えられるのである。
その点でも、人々の電車の中での座り方が情けない・・・と、また「情けない」と言ってしまったが、情けなくない座り方、そして、出来れば、立派な、凛々しい、惚れ惚れする座り方をして欲しいものだと思う。さらに、腹に力を入れ、肛門を引き締めていれば、そして、それを一日中続けていれば、きっと英雄のような、そして、ミクさんのような身体になれるのである。









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痩せたければ愛することだ

何かに夢中になっていると、眠くならないし、お腹も減らない。
これを「寝食を忘れる」という。
人間は、寝食を忘れることが出来るほど、つまり、何かに夢中になれるほど幸せである。
今は、ほとんど見られないかもしれないが、昔は、食いしん坊の子供でさえ、遊びに夢中になって、お母さんが、「ご飯よ、帰ってきなさい」と呼んでも、知らん顔で遊び続けることがよくあった。
そんな子供は幸せである。
それが大人になり、中年になって、「食べること以外に楽しみなんてないだろ?」などと平気で言う。
そんな大人は不幸である。
肥満した人間は、大人、子供に関わらず不幸である。

今月、私は自然に寝食を忘れることが出来た。
9月10日に、千葉県の幕張メッセで開催された、初音ミクさんのライブコンサートと企画展である「マジカルミライ2016」に行ったことである。
その日、私は、いつも通り、朝食を摂らず、朝8時に家を出、新幹線に乗る駅では1時間以上待つほど早く着いた。不測の事態が起こっても対応し、間違いなく、幕張メッセに行かなければならないからだ。
新幹線の中では、乗客の大半が、乗り込むなり、食べ物やビールなどの飲み物を取り出して、けたたましく飲み食いを始める。
幸い、東京に着くまで、グリーン車の隣の席には誰もいなかったが、隣でそんなことをされていたらと思うと、ちょっとゾっとする・・・これは贅沢な物言いだろうけれども。
私はペットボトルの水すら持っていなかったが、ビターチョコを持っていたので、新幹線に乗っている3時間の間に、3片ほど(一箱の1/3ほどか)食べただけだった。
午後3時頃に幕張メッセ近くのホテルに着いた。
普段から昼食は摂らないし、お腹も空いてなかったが、コンサートではエネルギーを使うので、炭水化物を摂っておいた方が良い。
蝉だって、飛んだり、鳴いたりするために、樹液を吸って炭水化物を摂るものだ(タンパク質は摂らない)。
持っていた小さなビスケットと、やはり、ビターチョコを少し食べ、ホテルの冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターのペットボトルをトートバッグに入れるとホテルを出た。
(ホテルのミネラルウォーターを持って出たのは正解で、幕張メッセ内の自販機のミネラルウォーターは全て売り切れていた)
Google Mapを頼りに、行ったこともない幕張メッセに向かったが、何のことはない。ミクさんのTシャツを着たり、マジカルミライ2016のショッピングバッグやマフラータオルを持った男女が沢山歩いていた。その中には、やはりスマートフォンを道案内にしているような人もいたが、ミクさん仕様の人達の流れに乗ればそれで良かった。
やや遅い時間(16時前。企画展は10時オープンで18時まで)のためか、混雑するというほどではないが、幕張メッセに向かう人々は途切れなく続いている。
「マジカルミライ2016」の看板もあちこちにあったし、スタッフの誘導も完璧で(実に有り難い)、スムーズに、企画展が行われている国際展示場の10番・11番ホールに着いた。
企画展入場の時にリストバンドを付けてもらうのが、妙に嬉しい。
ピークを過ぎた時間だったかもしれないが、人は多いながら、身動き出来ないというほどでもない。しかし、それでもやはり凄い人だ。
企画展を十分に楽しみ、午後5時過ぎに企画展会場を出て、ライブ会場の国際展示場9番ホールに向かった(コンサートは午後6時から)。
企画展会場の外にあった、沢山の飲料水の自販機を見たら、なるほど「売切」の文字が沢山点灯しているが、ジュース等はいくらか残っている。
近くで「水が全部売り切れている」という声がするのを聴いた。やはり、ライブでは「ただの水」が良いのだろう。
夕食を済ませて来ている人も多いのかな?
私のように、朝から食事をしていない人は少ないだろうが・・・

ライブ会場へも、スタッフの丁寧な誘導でスムーズに到着した。
会場では、30分ほどパイプ椅子に座って待つことになったが、隣が可愛い女の子で良かった。
ところで、私はそれほど背が高い訳ではないが、やはり177cmの男が来たら、後ろの席の人は、ちょっと残念に思うのだろうかと、後で考えた。
横には場所を取らないので、両隣の人には不快な思いはさせなかったつもりだが・・・
ペンライトをチェックし、水を一口飲むと(結局、飲んだのはそれだけだったが)、静かに待っていた。
そして、コンサートが始まり・・・一瞬で終わった(と感じた)。
5000人以上が会場から出るのだが、やはり、素晴らしいスタッフの方々の誘導で(それと共に、人々のマナーが良い)、スムーズに人は流れ、混雑は起こらない。
方向音痴の私は、ホテルの位置が分からなかったが、ライブ中切っていたスマートフォンの電源を入れ、Google Mapの案内に従い、無事、ホテルに戻った。
これほど心地良い疲労感はない。
というより、夢心地だ。
帰りにも、食事のこと等、全く浮かばない。
食事が出来る店や、コンビニもあったと思うが、それらも全く目に入らない。
ホテルのレストランは9時までで、既に8時を過ぎていたが、それよりも、ホテルのレストランは1人で入りにくい(私がそう思うだけだろうが)。
そもそも、お腹が空いていない。
それでも、夕食くらいは食べておこうと思い、美味しいと聴いていたカレーライスにサラダとシャーベットを付け、ルームサービスで注文した。
ところが、サラダは食べたが、カレーライスを食べ始めたら、全然食べられない。無理に食べてみたが、気持ちが悪くなり、やはり食べるのをやめた。
素晴らしい経験の後では、食べられなくなるものだということは、これまでにも経験していたが、その中でも一番のものだ。
軽い運動をしてから(運動はコンサートでも十分したが)入浴し、ホテルの冷蔵庫にあったオレンジジュースを飲み、目覚ましを7時にセットして寝たが、朝4時39分に目覚めた。
前にも書いたが、エアコンの温度が低いのに気付かず寝たせいか、体調が最悪になっていた。
朝食券をもらっていたが、元々、朝食を摂るつもりはなく、手持ちの小さなビスケットとビターチョコの残りを食べ、水を飲んだり、軽い運動をして過ごし、11時過ぎにチェックアウトし、雨の中を幕張メッセに向かった。
体調は悪かったが、昼のコンサートでは、前夜のコンサート以上に熱中し、やはり、一瞬で終わってしまった。そして、もはや人生に思い残すことはないと思った。
小雨は降っていたが、傘はささずに海浜幕張駅に向かい、比較的空いた電車で東京に着いた。
新幹線の時間まで少しあったので、とりあえず、コンビニでサンドイッチを1つ買った。これは、新幹線の中で美味しく食べた。
その後しばらく体調が悪かったが、なぜか会社で試験を受けた。適当に書いたが、なんとか出来ているだろう。私は普通の人からすれば超能力者だし。

私は、食べることは決して嫌いではないが、素晴らしいことに夢中になれば、食事の必要はあまりないことが、改めてはっきり分かった。
今も、ミクさんのことを考えると、あまり食べようという気にならない。
これをダイエットというなら、痩せたければ愛することだ。









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美少女は透明人間

私は、高校1年生の時、吉行淳之介の『美少女』を読み、冒頭部分のお話を、非常に印象的に感じたことをよく覚えている。
(あの吉行淳之介が書いた、かなりエロい小説なので、純文学的に高尚なエロさ(?)を楽しみたければ読むように)
ある男性が女性に、通りを歩いている少女を見るよう促す。
美しい少女だった。
すると、男性は、「あの娘は透明人間なんだ」と言う。
女性は、何を馬鹿なと思う。
しかし、男性は、「その証拠に、あんなに綺麗な子なのに、誰も振り返らないじゃないか?」と言う。
なるほど、確かにその通りだ。

何分、昔読んだ本なので、男性が種明かしをしたかどうか忘れたが、私は、自力でその種明かしをした。
つまり、こうだ。
ある大学で、こんな実験が行われた。
1人の学生に、物凄く派手なシャツを着て教室に入ってもらう。
その学生には勇気がいることだ。
そして、後で、その学生に、「どのくらいの数の学生が君に注目したか?」と聴くと、その学生は「おそらく9割以上」と答える。
だが、実際に調査したら、その学生のシャツに気付いた学生ですら4割程度で、それに、気付いたところで、大して気にしなかったのだ。
もう少し派手さを抑えたシャツで実験したら、1割以下の学生しか気付かなかった。

お分かりだろうか?
人間は誰も、他人のことなど、ほとんど気にしないものなのだ。
そのことを知識としては知っていても、なかなか完全には納得しないもので、ほとんどの人が、自分は実際以上に注目されていると思うものなのだ。
竹村健一氏が、昔の著書で、「君がチンドン屋(半世紀以上前には時々いた、奇抜な格好をした大道芸人)みたいな格好をして町を歩いたところで、ほとんど誰も気にせんよ」と述べ、だから、人目など気にせず、好きなことをやりなさいと教えていたが、私は、それが出来なかった訳だ。

最初に述べた美少女の話も、かなりの美少女だといったところで、ほとんど誰も関心を持たないものなのである。よほど好き者の男でもない限りね。
ある、身長183cmで股下90cmという男がいたが、彼はある時、大きな鏡に映った自分を見て、「なんて格好良いんだ」と思った。
それで、自信満々になり、どこでもポーズを決めるが、ほとんど誰にも注目されないことに気付いた(彼は、顔もなかなかだ)。
たとえ、GACKTやキムタクレベルの美青年が歩いていても、有名人でない限り、誰も気にしないだろう。

私は、まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者)に、以前よく言ってやったことがある。
「お前は16歳の可愛い女の子じゃないんだ」
16歳の飛び切り可愛い女の子なら、それなりには人目を引く可能性はある。
ところが、まるで駄目男君は、自分がそんな存在に匹敵するほど、皆の注目を集めていると本気で思っている。
それで、「服が汚れていて気になって仕方がない」だの、「首に出来物が出来たので、人前に出たくない」とか、しょっちゅう言っていた。
「そんなもん、誰が気にするかい!」
と言ってやると、一応は納得した様子を見せるが、まるで駄目男君は、馬鹿みたいにしゅんとする。
やはり、自分は皆に見られているはずだと思っているのだ。

まるで駄目男君が、まるで駄目な大きな原因がこれなのだ。
あなたは、これほどではないだろうが、やはり、同じ勘違いをしている。
恥ずかしい真似をしないのは、人目があるからではない。自分の良心に恥じぬためだ。
それを踏まえた上で、人目など気にしないことだ。
それで、あなたはパワーを得るのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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