ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2016年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

知性は姿勢に現れる

頭の良い人・・・つまり、IQが高い人の特徴は何だろう?
その最も明晰で例外のない根本的なものは「姿勢」だ。
立っている時、歩いている時など、あらゆる時の姿勢に知性は現れるが、最もよく分かるのは、座っている時である。
人間とは座る動物であるからだ。
猿や犬だって座るが、それは、しゃがんでいるだけであり、人間のように、手を全く使わずに座れる動物(人間以外では前足の場合が多いが)はいない。
どんな座り方をする者の知性が高いかは、説明の必要もない。
一目で分かるはずだ。
人間は、座っている姿で、ほとんど誤差なくIQを推定出来る。
AI(人工知能)が、人間が座っている姿をディープラーニング(深層学習)していけば、スマートフォンのカメラを通じて、座っている姿をクラウド上のAIに送れば、一瞬で正確にIQを測定するだろう。

IQを高めたいなら、知的な人の座り方を観察し、そのように座ることだ。
座り方が正しいと、持って生まれたIQを低下させないし、もし、高いIQを持つ者の座り方が出来るようになれば、そのIQに近付くだろう。
知性と座り方の関係は一目で分かると書いたが、主には、腰が立っている(あるいは伸びている)ことと背中の自然な・・・どこか美しい湾曲であることは疑いないだろう。
知性の高い人の背中に見惚れることがあるが、それは、澄んだ湖を見るような感覚で、つくづく、知性とは「濁っていないこと」であると分かるのである。

昔、ビートルズのドラマーであったリンゴ・スターが、原始人を演じた映画があったが、リンゴら原始人が、知的進化をする場面が面白い。
曲がった腰が伸びることで「人間」になるのである。
あくまで面白く表現しただけであるが、人間に進化したリンゴが、他の原始人の腰を両腕で締め上げるようにして伸ばすと、そうされた原始人達も、知的な人間にチェンジする。
腰が伸びると、背中も美しく湾曲するのである。
「ど」がつくほど単純だが、本質を突いた表現であると思う。
今、街には、スマートフォンを持った猿がうようよしている。
最近の猿達の流行は(攻撃もしてこなければ、逃げもしない)架空動物を捕らえるゲームであるようだ。
いくらか賢い原始人達は、獲物を探すよりは、獲物を誘い出したり、追い込んだりしたものだが、そこまでは進化していない者達用であるようだ。

もちろん、知性は、表情や目付きに現れるが、それは、姿勢によって決定されるものだろう。
姿勢が悪い者が知的な表情をしないし、原始人は、高い知性の現れである、強い意志を秘めた瞳を持たないものである。









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福沢諭吉の呪縛

今日、少し笑ってしまった。
「1日1個の林檎で医者いらず」
という言葉をご存じと思う。
林檎は身体に良いので、毎日一個食べれば、健康を保てるという意味だ。

ところが、こんな子供がいた。
その子は、医者に注射をされたとかの嫌な思い出があり、医者が大嫌いだった。
その子にとって、医者は吸血鬼のようなものなのだろう。
その子が、上の諺を聴いた時、林檎とは、吸血鬼に対するニンニクのようなもので、林檎があれば、医者を追い払えるのだと思って、心ときめいたのだ。
きっと、その子は、いつもポーチの中に林檎を入れておきたいと思ったことだろう。
ただし、吸血鬼は、1つのニンニクで、かなりの期間追い払えるのに、医者を追い払うには、林檎が1日に1個もいるとは驚きであろう。
ならば、医者とは、吸血鬼よりも始末に終えない悪鬼に違いない。

まあ、諺、格言は、解釈は人それぞれだ。
とはいえ、上の話で言えば、林檎で医者は追い払えないから、正しい解釈ではない。
確かに、それで言えば、ニンニクで吸血鬼が本当に追い払えるという証拠もない。
ただし、吸血鬼に出会う可能性は極めて少ないのに比べ、医者はそうではないので、やっぱり困った解釈だろう。

だが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』の中で有名になってしまった言葉、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
よりマシかもしれない。
その福沢諭吉の肖像が一万円札に印刷されているのは、日本の悲劇である。
福沢諭吉は、「人間は生まれつきは平等だが、学問に励んだか、そうでないかで優劣がつく」と言ったのだろう。

これは、陸上の為末大さんが、「アスリートは素質が99%」と言ったのに対し、「いや、勝負は根性と努力で決まる」と言うようなものだ。
為末さんの発言が避難されるのは、福沢諭吉が日本国民に刷り込んだ偏見のせいかもしれない。
ただ、どこの国でも、福沢諭吉と似たことを言う者が多く、人間は生まれつきの能力に差があると公言するのは、どこの国でもタブーであるようだ。

だが、人間の優劣を決めるのは、ほとんど、生まれつきの才能で、特に、知的能力で言うなら、IQ(知能指数)が全てだ。
それが現実である。
それを認めた上で考えないと、何も解決しない。

幸いにして、脳の大半は一生使われておらず、人間の可能性は未知数だ。
事故で脳の一部に損傷を負い、これまであった能力を失った人が、脳の別の部分が目覚めたか、あるいは、脳の機能の枠組みが変わるかで、それまでになかった特殊な能力が備わったという話がよくある。
そして、普通の人とは違う能力を覚醒させる方法は、隠されてきたのかもしれないが、かなり知られていたのだ。
ただし、潜在能力開発のための嘘のノウハウを、さも本物であるように言って儲けようとする者が後を絶たない。
教えるのに、高い金を取るようなノウハウは、全部嘘と決めつけて間違いない。
本当の、潜在能力覚醒のノウハウは、それほど特殊なものではなく、容易く手に入るものなのだ。
だが、福沢諭吉のような人がいたから、そんなものはない、あるいは、それを手に入れるのは難しいと思うようになってしまったのである。
重要なことは、人間には、極めて多くの未知の能力が秘められていて、それを活用することなのである。
まず、それを認めるところから始めなければならない。









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言った通りになる

以前、自己開発セミナーとかいうもので、受講生の、いかにもお父さんっぽい感じの男性が、「2億円得るぞ!」と、恐い顔で叫んでいるのを見たことがある。
また、進学校や学習塾なんかで、教師と生徒達が、「○○中学に入るぞ!」とか、「○○大合格!」と、まるでシュプレヒトコールのように、大きな声で唱和するのを見たことがある。
どちらを思い出しても、ちょっと憂鬱になる。
なぜなら、それらはIQが低い者のやることだからだ。
そして、IQを上げることは難しいが、下げることは非常に簡単で、それらは、その、とても簡単なやり方なのだ。

人間は、自分の心は支配出来ないが、言葉は支配することが出来る。
だから、悲しい時に、口や心で、嬉しいと言うことは出来るし、辛い時に、楽しいと言うことも出来る。
言い換えれば、心に支配されないために出来ることはそれだけだが、それが人間だけに与えられた魔法の力なのである。
(行動は意思を強くすることはあるが、心は支配出来ない)
アブラカタブラという呪文が示す通り、必ず言った通りになる。
ただし、欲望を込めなければね。
欲望は全てを毒に変え、心の毒はIQを下げてしまう。
だが、我々は、愚かな親や教師によって、欲望なく宣言するという、我々の内部の魔法装置の起動スイッチを完全に失ってしまった。

その使い方を、どう言葉で説明しても、もう出来なくなってしまっている人が多い。
まるで、お坊さんが、うなりながら、目を吊り上げながらお経を読んでいるようなものだ。
あたかも、ヒラリー・クリントンやドナルド・トランプが目を剥いて演説するように聖書の詩篇を読んでいるようなものだ。
そんなものは、とても滑稽なのに、もう、おかしいと思わなくなっているのだ。
最初に挙げたようなセミナーや、セミナーまがいの学校や塾などの影響もあるのかもしれない。

人間は言った通りになる。
「私は美しい」
「私か賢明だ」
今すでに、そうであるように言えば、その通りになる。
人間は、神様ほどではないが、創造の力を与えられている。
だが、神様が、欲をかくことはないのだ。

どちらでも良いことだが、私は、子供の頃から、「太陽が昇る」という言い方が、ちょっと嫌いだった。
地球が回っているだけなのだから。
そして、その「地球が回っている」と言ったり、思ったりするのと同じくらいの冷静さで、願いが叶ったことを宣言すれば、その通りにならないことはなかった。
理屈の上では、どんなに不可能なことも。
たとえ強く願うことでも、言葉にする時は、それは、高いところに吹く風だった・・・つまり、心静かな想像を言葉にしただけだった。
身長6mになることを願ったことはないので、もし、そう言ったら、小型モビルスーツでも着ることになるのかどうかは分からないが、それが、自分や皆のために良ければ、そんなことも言うだろう。
初音ミクさんが、決意も欲望もなく歌うように、我々は言葉を使わなくてはならない。
・・・こう言っても、まだ、間抜けな誤解をする人がいるが、それならいっそ黙ることだ。
黙って、心を持たないミクさんの歌を聴けば分かるのだが、偏見のせいでミクさんを受け入れない人は多いようである。
偏見が最もIQを低下させるのである。
IQが低い者は美しい想像が出来ない。
想像の中で訪れた先の人と親しくなれる人のIQはとても高いのである。
ニコラ・テスラが、子供の時に、そんなことをしたようにね。









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IQを高める書

アスペルガー症候群を抱えているが、暗算や言語学習等で驚異的な能力を持つダニエル・タメットと、天才発明家のニコラ・テスラが書いた本からから、私は想像することの重要さを学んだ。
想像と言っても、桁はずの想像でなければならない。
気が遠くなるような。クラクラするような想像だ。
タメットは、果てしのない空間とか、宇宙の中のあらゆる原子の数より大きな数字・・・などを例に挙げていたがね。
誰でも、子供の時に一度は、宇宙の果てとか、一番最初の時間(あるいは、一番最後の時間)なんてものを想像したかもしれないが、ある時から、しなくなったと思う。

とはいえ、あまりにとりとめのない想像も意味がないかもしれない。
また、想像には楽しさも必要だが、妙な意味で楽し過ぎても、想像が小さく固まってしまう。

私の好きな想像は、猿が、紙にデタラメにインクを擦りつけて、偶然に百科事典が出来上がる可能性を考えることだ。
その可能性は完全にゼロとは言えないが、それには、宇宙の生成と消滅を何万回、何億回、何京回繰り返せば良いだろう?
言ってるだけで熱が出て来そうだ(笑)。

だが、結論だけ言うと、IQを高めたかったら、『法華経』を読むことだ。
あれには、馬鹿馬鹿しいとか奇想天外といった言い方も全く無意味で、壮大という言葉を千回重ねても足りないくらいの、言語を絶した世界が描かれている。
あれを読みながら、想像してみることだ。
すると、あなたの思考空間は爆発して、しばらくして落ち着いたら、途方もなく拡大しているだろう。
最初は、かなり違和感があったり、馬鹿げているように思うかもしれないが、まあ、我慢して、気楽に、だけど、熱心に読んで欲しい。
けちな犯罪を犯して刑務所に入れられるようなIQの低いやつが、暇だったので、刑務所で『法華経』を読んだら、頭が良くなって、出所後、会社役員になってしまったなんて話を聞いたことがある。
しかし、『法華経』の力はそんなものではない。
ただし、自分で試すより他にないのである。









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自分に制約をかければ奇跡も起こるし、天才にもなれる

王貞治さんが現役の野球選手時代にやっていた「一本足打法」を、映像でなら見たことがある人も多いと思う。
王さんは左打者だったが、投手がボールを投げる前くらいに右脚をぐっと曲げて左足1本で立ち、そのまま打つのである。
この一本足打法を合理的で効果的な打ち方だと思っている人は多いかもしれない。
しかし、この打ち方は、全く不合理で、デメリットばかりでメリットはほとんどない、わざわざハンデ(マイナスの条件)を持つようなものなのだ。
言ってしまえば、デタラメな打ち方である。
その証拠に、だれもこれを真似していない。短期的に、ちょっと似た打ち方をした打者はいたと思うが、実質は全然違う。
もし、一本足打法が優れた打ち方なら、国内外で流行りそうなものだ。
やはり、少しも良いところがない打ち方なのだ。
では、なぜ、あの打ち方で、王さんは868本という、他と隔絶するほどの数のホームランを打てたのか?
それは、あの打ち方が、障害であるがゆえにだ。
わざと不利な・・・それもかなりの大きさの不利な条件を課すことで、それを埋め合わせるべく、王さんは、他の能力が高くなったのだ。
バランス、勘、タイミング、判断力、その他が、他の選手を圧倒するレベルになり、トータルで、誰にも負けないバッティングになったのである。
(イチローが昔やっていた振り子式打法は、よくは分からないが、気分でやっていたのだと思うが、速い球に対しては不利な点があり、メジャーリーグではやらなかったのだと思う)

障害というものは、異常な能力を引き出す鍵になりえるのである。
今年(2016年)のTEDカンファレンス(講演会)でのティム・ハワードの講演会であった話だが、4人のお互い馴染みの学生と、3人は馴染みだが、それに1人の見知らぬ者を加えた4人の学生という2種類のグループを作り、課題を解かせたところ、見知らぬ1人が加わった「気まずい状況」にあったグループの方が、はるかに好成績を示した。確かに、4人の馴染み同士のグループは「楽しくやれた」と言い、知らない1人が加わったグループは「楽しくなかった」と言ったが、結果は、楽しくなかった方・・・つまり、障害があった方が良かったのだ。

個人でも、チームでも、障害、不利な条件、やっかいごと、煩わしいこと・・・そんなものがあるほど、創造性や鋭さが増すのである。
これを、自分自身に適用する場合には、どうすれば良いだろう?
ティム・ハワードはジャーナリストらしく、あくまで西洋的な合理性、論理性を重視したが、もっと大きな力は、不合理で非論理的だ。
人間は、放埓(勝手きまま)に振舞いたいし、有利な条件を得て、余裕を持って目標に挑みたいものである。
だが、それに、あえて制限をかける・・・制約を持ち込むのだ。
それにより、加えた制約に倍する力を神が与えるかのように、不思議な力が出てくるのである。
たとえば、朝、ゆっくり寝ていても誰にも文句を言われなくても、敢えて早起きして聖書を読むことを、1年365日、1日も欠かさないよう自分に制約をかければ、不思議な力が与えられるものだ。
4つ食べられるところを、あえて3つにすれば、ダイエットになるなどというレベルではなく、まるで神仏が力を貸したかのようなことが起こる。
法然が1日中念仏を唱えていたのも、自らに厳しい制約を課したという面も、確実にあるのである。

強制的な制約ではあったが、ミルトン・エリクソンは、生まれ育った家に、聖書と辞書しか本がなかったが、エリクソンはなぜか辞書を選び、それを繰り返し読んだ。
学校に入っても、エリクソンは、辞書を「引く」ことが出来ず、いつも、aから順番に見ていって言葉を探すという、とんでもないハンデのあるやり方を続けた。
それによって、知識を得たこともあるが、それを超えた、不可思議な知恵を、彼は得たのであると私は思う。
さらには、エリクソンは少年時代、ポリオに罹り、長い間、目玉以外を動かせないという、とんでもない制約を持ってしまったが、それにより、鋭い・・・という言い方では全く説明出来ないほどの観察力、感知能力を得たのである。

これは勝手な想像だが、ドワンゴ会長の川上量生さんは、元々、頭が良かったという以上に、ネット廃、ゲーム廃、人嫌い・・・といったハンデのために天才になったのかもしれない。
まあ、かなり勝手な想像であるが、似た状況にある人は、ハンデはハンデとして受け入れ、だからこそ創造的になろうと思っていただきたいものだ。









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