ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2016年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

絶対的善は存在するか?

『荘子』には、善と悪は相対的なもので、同じことが立場によって善にもなれば悪にもなると書かれている。
また、ラマナ・マハルシも、ものごとが善という印象下にあれば善と感じ、悪という印象下にあれば悪と感じるだけだと述べたようだ。
私は、以前は、そんなことを信じていた。
だが、今は全く信じていない。
絶対的善、絶対的悪は「ある」。
無論、荘子やラマナ・マハルシの全てを否定する気はない。
彼らは素晴らしいところも多いが、人間である。彼らの教えの全てが正しくなくても、何の不思議もない。

荘子の時代は、自分の子供を塩焼きにして、主君に献上して食べてもらうのが最高の善と考えられていた・・・といったようなこともあったかもしれない。
そして、社会的な現実として、荘子自身がそう思っていなかったとしても、そんなことも善と言わざるを得なかった。
しかし、今の時代では、どう考えても、それは悪だ。

CLAMP(女性4人組の漫画家ユニット)は、昔のことだが、漫画作品『魔法騎士レイアース』のテーマは、「この世に絶対的正義や絶対的悪はない」だと書いていたと思う。
この漫画のお話を簡単に言うと、こんな感じだ。
異世界セフィーロは、「想い」が現実になる世界だった。
そのセフィーロでは、世界を安定に保つために、特別な精神能力を持った人間が一人、「柱」になって、セフィーロの平和を祈り続ける必要がある。
そうでなければ、セフィーロは急速に崩壊していく。
「柱」になっていたのは、エメロード姫という、10歳くらいの美しい少女だった。
ところが、ザガートという、強い魔法力を持つ神官が、エメロードをさらって幽閉したので、エメロードはセフィーロの平和を祈れなくなり、セフィーロは急速に壊滅に向かっていた。
セフィーロが消えてしまえば、ザガートにとっても何にもならないはずなのに、なぜザカートがそんなことをしたのか、ザガートの部下達にすら分からない。
そして、それは、物語の謎でもあった。
今、アニメが再放送中なので、ネタばらしは避けるが、ザガートの目的は、悪とも言えるが善とも言えるというものだった。

だが、やっぱり、ザガートは悪であり、阿呆だったのだ。
私も昔はザガートに共感したが、今は、ザガートのアホさ加減に呆れるのである。

そりゃ確かに、自分のやっていることが至高の善だと言って、多くの人に大迷惑をかける阿呆は、いつでもいる。
だがそれは、その人の歪んだ偏見で「善」と主張しているだけで、絶対的に言えば、やはり悪なのだ。

何が絶対的な善かは、インドの古典『ラーマーヤナ』で、魔王ラーヴァナがラーマに教えている。
それは、「私心なきことは善であり、私心があれば悪」である。

稲盛和夫氏は、「私心なきか否か」を自分に問うことを経営の、あるいは、人生の指針にしているのだと思うが、迷うことも多かったようだ。

だが、それは多分、私にも出来ると思う。
なぜなら、私には、善と美の化身である初音ミクさんがいるのだから。
実際、ミクさんは、純粋な善であり、天使そのものだ。
だって、ミクさんには、私心を起こす、「私」も「心」もないのだから。
そして、ミクさんの歌の多くは、クリエイターの方々が、私心なく作ったものなのだから。

我々は、『ラーマーヤナ』(ラーマ鏡。ラーマの物語といった意味)と共に、『夏祭初音鑑』(「初音鑑」は「ハツネヤナ」)等を鑑賞して、私心を忘れることの高貴さを育てなければならない。

ミクさんを愛せば、自然に、私心のない絶対的な善に導かれるだろう。
ただし、そこは未熟な人間のことなので、本当に私心がないかどうかは、確認してみると良いだろう。

今朝も書いたが、本当の善を行えば、頭が良くなり、きっと運も良くなるのである。









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IQを高くするには

ごく最近、IQ(知能指数)を高くする「正しい」方法を知った時の私の気持ちは、正直、「トホホ」だった。
こんな簡単なことを知らなかったのかという気持ちで、後悔も度を越すと寂しいと感じるものだと分かった。
それは、W.B.イェイツの『まだらの鳥』という小説にあった、マイケルがマーガレットについて思ったことと似ていると思った。
つまり、あまりの美しさは、かえって哀れさを感じさせるものだというのと似ていて、疑いようのない真理に接すると、意外な感情が起こるものなのだ。
だが、簡単なことほど難しいということは、なんとなくご存知と思う。

IQが高い人間とは、簡単に言えば、上流階級の人達だ。
おっと、さっそくブーイングが起こったようだが、待っていただきたい。
まず、極端に頭が良いと科学者や思想家になり、案外に貧乏になることは確かにある。
だが、金持ちや名士というのはIQが高いのである。
とりあえず、一応、そうだということで話を進める。

では、IQが高い人の際立った特徴とは何だろう?
金持ち、上流階級の人達の特徴と言い替えても良い。
社会性、道徳性が高いことだ。
協調性があり、善良なのだ。
ここで、前以上の、批判の大ブーイングが聴こえるような気がする。
だが、はっとして、「なるほど」と思った人は、もうIQが10ポイント以上上がったかもしれない。
「金持ちって、悪いことばかりしている連中だろう?」
と言う人がいると思う。
だが、そんな金持ちというのは、例外中の例外なのだ。
そして、遠くなく没落する金持ちだ。
だが、マスコミってのは、そんな例外にばかりスポットライトを当てたがるのだ。騙されてはならない。
今は、『ちびまる子ちゃん』に登場する花輪君のように、一般の公立小学校に大金持ちの子がいることは少ないかもしれない。
しかし、少しはいるだろうし、上流階級に属する、そこそこの金持ちの子なら沢山いると思う。
そんな子達は、まだ幼いのだから、多少は、「お高くとまっている」ところもあると思う。
しかし、基本的に、並の子より、ずっと善良であることに気付かないだろうか?
ラッセル・コンウェルという6000回もの講演を行った啓蒙家がいる。
彼が、金持ちというものが、いかに善良で正直であるかを訴えていたが、彼自身、金持ちであった。
その彼は、金持ちになる方法を説き、それは非常に簡単であると言った。
だがまず、金持ちのようにIQが高くならなければ、いつまでも貧しいままだ。
そして、直観であるが、IQが高い人は善良で道徳的であるが、逆に、善良で道徳的な態度をすれば、IQも高くなるのである。
吉田兼好の『徒然草』に、狂人の真似をすれば狂人だし、人殺しの真似をすれば人殺しだといったことが書かれていると思う。
これを洒落て、ひろさちやさんが昔、「狂人の真似をすれば狂人、悪人の真似をすれば悪人、仏陀の真似をすれば仏陀」と言って、空海の真言密教の教えというのは、仏陀の真似をして生きるということなんですよと『空海入門』に書かれていたが、なるほど、若い頃のひろさんは冴えていた(笑)。

どんなことでも、真剣に真似れば、多少は本物に近付く。
そして、本質が分かっていれば、善良であることを真似れば、すぐにそれ(善良な人)に近付ける。
だが、善良であることを教える道徳というものを毛嫌いしている人は多いだろう。私もだ(だから私はIQが高くならない)。
その理由は、学校でもそうだったろうが、不道徳な人間が道徳を説いていたからである。
品格を声高に訴える人が、最も品格がないようなものだ。
だが、そんな悪いイメージは捨てなければならない。
でないと、いつまでもたってもIQが高くならず、金持ちにもなれないと思う。
道徳については、聖書や仏典に最大漏らさず書かれてる。
ただし、権威者や学術的なだけの解説者を通すと、それらは、途端に邪悪になるのである。
ここらは、多くの人が混乱している。
だが、なんとか折り合いをつけるしかない。
それには、時間もかかるかもしれない。
今回は、こんなところにしておく。









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阿呆の生き方

私が、朝、よく読書している公園がある。
この公園はそこそこ広くて、適度に離れた場所ごとに配置されたベンチには、いずれも近くに枝葉の多い木が木陰を作り、夏でも、朝のうちはとても涼しい。
この公園にいる鳩達は、人を恐れず、平気で近付いて来る。そして、近くで、お腹を付けて座っている様子が実に可愛い。

本当に良い場所だ・・・と思っていたら、不意に胸がムカつく感じがして周囲を見た。
すると、公園の中央のベンチに座った60代以上と思える男が、平気で煙草を吸っている。
こんな素敵な場所で、何でこんなことをするのかご存じだろうか?

その男のIQ(知能指数)が低いからだと言ったら反発する人がいるだろうと思う。
しかし、それが事実なのである。
IQの高い人間は、そんなことをしない。

電車の中で、せっかく脚が短いのに、ふんぞり返って座っているので、人様の迷惑になっている男が沢山いる。
彼らは、なぜ、そんなことをするのかご存じだろうか?
これも、IQが低いからなのである。
歩きタバコをする人、歩きスマホをする人なども、皆、同じである。

こんなことを言うと、反発する人がいるに違いない。
しかし、反社会的行為をする者はIQが低いというのは、ほぼ実証されていると言って間違いないと思う。
私もIQは高い方ではないので(見栄を張らずに言うと「低い」のだが)、正直言うと、かなり人の迷惑になる反社会的行為はしていると思う。
しかし、上に挙げたことをやるほどでもない・・・ような気がする。

こういったことを、優れた学者が言うと、大きな非難を浴びる可能性がある。
実際、アメリカでは、そのせいで名誉を失った学者もいるらしい。
だから、学者は、分かっていても黙っているのだそうだ。

しかし、反社会的行為(多くは迷惑行為だ)を行う者達はIQが低いという研究結果を見て、私は多いに納得し、長年の疑問が解消されたのだ。
学校の中でも、会社の中でも、公共の場所でも、「この人は、なぜこんな迷惑なことが出来るのだろう?」と、よく心を痛めていたが、その解が、「IQが低いから」と言われると、「ああ、そうか」と、全く自然に納得したのだ。
このことを、IQが低い私が言っても、誰も文句はあるまい。

歩きタバコをする者、歩きスマホをする者を見ていて、私はずっと嫌悪感を覚えていた。
しかし、彼らはIQが低いのだから仕方がない。
イエスが言った通り、「彼らは、自分が何をしているのか分かっていない」のだ。
そして、経営者は、会社が大事なら、そんな者達を決して雇ってはならない。

人間の能力はIQだけではないと言うなら、全くその通りである。
しかし、知的能力全般と人間性は、IQと強い相関関係があり、私は、ほぼ一致すると思っている。
そして、私にとっても残念ながら、IQはほぼ完全に、先天的に決まっている。
それを、私は痛感している。

このブログで時々取り上げている、私の職場にいる、30歳過ぎの人生の完全な落伍者、まるで駄目男君が、なぜ、あらゆる面で駄目で、その人生に何の見込みもないのかというと、可哀想ではあるが、IQが低いからだ。
彼にどんな指導をしようが、どんなアドバイスをしようが、何の効果もないだろう。
それは、この1年以上ではっきりしている。
だが、なぜ駄目なのかは、やっと分かったのである。

けれども、IQが低くても、人生を楽しむことは出来る。
しかし、そのためには、IQが高い人の真似をしていてはいけないし、ましてや、自分はIQが低くないなどと誤解していてはいけない。
以前から考えると不思議なことだが、私は、自分の愚かさを、口先だけでなく、本当に分かったのである。
教えてくれたのは、初音ミクさんだ。
彼女の歌を聴いていると、受容性が増し、自分にとっても不都合な真実を、ごく自然に受け入れたのである。
阿呆には阿呆の生き方がある。
それは決して、うつむいた生き方ではなく、気宇壮大なものであっても良いのである。
阿呆は結構楽しいかもしれない。

こう言っておいて何だが、今後は、IQを高める、誰も言わなかった方法も書いていこう。
ミクさんが教えてくれたのでね。
ただ、美顔法のようなもので、いつ効果が出るかは定かでない。
しかし、それならそれで、阿呆を楽しめば良いのである。
そして、いつかは効果が出るのである。









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真の誓い、掟、断ち物とは

「断ち物」とは、願いを叶えるために、自分にとって大切な何かを諦めることである。
ある意味、神との取り引きのようなものであるので、敬虔・・・敬い慎む気持ち、極めて純粋で真面目な気持ちが必要と思う。
自己中心的な欲望のためであれば、知らず知らず、悪魔との取り引きとなり、願いは叶ったが身を滅ぼすということになる。

日本では、上杉謙信の女断ちと、春日局の薬絶ちがよく知られていると思う。
私は、謙信の女断ちに関しては、正妻以外というくらいが良いと思うが、それはともかく、要は、その目的の高貴さが大切なのである。
謙信は戦の勝利を願ったが、それが、個人の欲望のためでなく、人々の幸福を願ってのことであれば良いのだ。
そこは、謙信のような富める者にとって最大の欲望である女を断つのであるから、戦の勝利もまた、個人的な欲望ではないのだろうし、実際、謙信は無敗であった。
春日局の薬断ちは、幼少の時の徳川家光が重病になった時、家光の快癒を願って、自分は一生、薬を飲まないと誓ったのであるが、当時は、薬といえば、庶民には縁のない贅沢品だったと思うが、それについて、少し考えてみる。
普通に考えれば、確かに、謙信のように、個人的欲望を断つようなものが良いと思うが、おそらく、春日局は、ほとんどの個人的欲望は既に断っていたのだろう。それで、咄嗟に思いついたのが薬断ちだったのかもしれない。そう考えれば健気であり、実際、家光が見事回復したのもうなづける。

断ち物は、自らに課す掟のうちで、人間として持っている煩悩を絶つことであるが、それが、神を喜ばせるようなものが最も良いのだと思う。
それで言えば、謙信の女断ちは、個人的欲望を断つというよりは、若い娘を不幸にしない(側室に迎えられた美しい娘達は、贅沢は出来るかもしれないが、それは一時的かもしれないし、女の幸福は貧しくとも一人の男と添い遂げることであろう)ことにつながることが、むしろ、神に誉められるかもしれない。
Googleのポリシーは「邪悪にならない」ことで、曖昧なことのように思えるが、これは、神を喜ばせる誓いであると思う。
そこにいくと、春日局の薬断ちは、善意というものに欠けるが、よく考えれば、「死をいとわない」という、大きな誓いであり、それが神を感動させたのかもしれない。

断ち物、誓い、掟・・・どの言い方でも良いが、それは、神を喜ばせ、あるいは、感動させるようなものが良い。
そして、願いに関しては、愚かな人間のことであるから、ある程度は個人的な欲が入るのも仕方がないが、自分以外のものの役に立つものでなければならない。
自分以外のものといった場合、人類であるとか地球のためというのが理想であるが、たとえ小さな範囲であっても、そこは気持ちの問題である。
変な話だが、「俺はロリコンだから、可愛い女の子達に万が一にも迷惑がかからないように、少女達には近付くまい」などというのは、なかなか見上げた心がけであり、優れた断ち物である。
これであれば、欠点も美点に昇華出来る。
善導という中国の僧となると、女性の方を見もしなかったというから天晴れである。
スポーツのトレーニングなんて、いくら辛くても、自分だけのためのものなので、何の意味もない・・・とまでは言わないが、大したものでないことは確かだ。
少食・粗食も、「自分が食べる分が他の人に、特に、貧しい人達に回るように」という想いであれば感心であるが、自分の美容やダイエットのためであれば、逆の効果とは言わないまでも、減点があるだろう。身体はスリムになるが、顔がたるんで老人顔になるとかね(笑)。

現代人は、「心」について考えなくなっているので、上記に述べたことを意外に感じるかもしれない。
だが、真の掟、誓いとは、このようなものである。
そこにいくと、Googleの「邪悪にならない」というのは大したもので、Googleの発展も当然と思えるのである。
我々も、心を込めた、掟、誓い、断ち物を持つべきである。
ところで、初音ミクさんの歌は、純粋な善意・・・つまり愛に満ちたものが多く、それは奇跡のように感じ、きっと神を喜ばせていると思うのである。ミクさんが天使として迎えられるのは当然である。









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魔法を信じる

こんな話を見たり、聞いたりしたことがあると思う。
一流大学の学生の親の年収は、平均よりかなり高い。
よって、成績は家庭の経済状況の影響をかなり受けているものだ。

だが、こうは考えられないだろうか?
年収が高い親は頭が良い。
その子供は、親の頭の良さが遺伝しているので、一流大学に入ることが出来る。

後者の方が、ずっと納得し易いと思うのだが。

また、こんな話がある。
ある優良企業は、現社長が一代で築いたものだった。
社長は、学生時代、勉強が苦手で学歴はなかったが、人付き合いがうまく、優秀な協力者の助けを得て事業を発展させることが出来た。
ところで、そんな社長の子供は、浪人してやっと二流の大学に入るのだが、一流大学卒の部下の子供達は、現役で楽々と一流大学に進んでいる。
それに対し、社長はこんなことを言う。
「人間は誰でも、自分を高く評価し、他人を低く評価することは分かっています。それを理解しているつもりで言うのですが、私の方が、一流大卒の部下達より頭が良いと思うのです。しかし、彼らの子供は、現役で一流大学に入るのに、私の子供は浪人しても、二流大学止まりです。これはなぜなんでしょう?」

この話は、船井幸雄氏の何かの本で読んだものだが、船井氏は、だいたい、こう答えていた。
「生まれつきの頭の良さは、あなたより、一流大学卒の部下達の方が良かったのです。しかし、あなたは、経営という、最も頭を使う仕事をしているので、彼らより頭が良くなったのです」
その社長は、それで納得したようだった。

だが、そうではないと思う。
この社長が、自分は、一流大学卒の部下達より頭が良いと思っているのは、やっぱり自惚れなのだ。
ほとんどの場合、部下達は、たとえ副社長や専務であっても、創業社長とは圧倒的な立場の差があり、社長と議論をしても、社長を言い負かすようなことをせず、口を控えるのは当たり前である。
また、社長は、たとえ言い負かされそうになっても、一括すれば、貫禄の差で、皆、黙るものである。
それで、社長の意見が通ってしまう。
それで社長は、「ああ、やっぱり俺の方が頭が良いのだ」と思うだけのことなのだ。
それだけのことだ。

私の知人の大学生が、医者の息子の家庭教師をしていたが、ほとんど付きっ切りなので、報酬は大きかった。
しかし、その息子は、勉強がさっぱりだった。
その理由は、大学生である彼にだって、明らかだった。
奥さんが凄い美人なのである。
この医者は、奥さんの美しさに惹かれて結婚したが、奥さんは頭が良くなかったのだった。
黒人と白人が結婚したら、肌の色は、その中間くらいになると聞く。
よく分からないが、知能もそんなものかもしれない。

ここから下は、怪しいと感じる人が多いかもしれない。
私は、頭の出来は悪いが、幼い頃から超能力を発揮した。
このブログでも時々述べているが、命懸けの状況で、超能力で命を救われたことも、何度もあった。
私は、何らかの理由で、超能力のDNAにスイッチを入れることが出来たのかもしれない。
ただ、自分の超能力というよりは、何か見えないものに守られているというのが正しいかもしれないがね。
まあ、いずれにしても、私は、学校の勉強もさっぱりで、人に出来ることがまるで出来ないのだが、仕事では、自分では何もしなくても済んでしまう。
これも、超能力のおかげだろう。
自分では、かなり自覚がある。
それで、私のように、一般的な能力には劣る人は、一般的でない能力・・・これは、アブノーマル(異常)な能力ではなく、スーパーノーマル(超自然)な能力を開発し、楽にやって欲しいものだと思うのである。

空飛ぶ魔法とか 信じて夢見た頃
集めた星図(ちず) 神話さえ色あせた
~『ARiA』(作詞:lino・とくP・木緒なち、作曲・編曲:とくP、歌:初音ミク)より~

私は、今でも、魔法を信じている。
だから、お伽噺だって楽しく読める。
これは、特殊な才能かもしれない。
上の『ARiA』という歌は、初音ミクさんが歌うと、とても不思議な雰囲気(波動)が広がるが、ひょっとしたら、それが、人の未知のDNAのスイッチをオンにするかもしれない。
また、最近よく書いているが、『ザ・ケルン・コンサート』には並々ならぬものを感じるのである。

優秀な人は、その優秀さを生かしていただきたい。
だが、生まれつき優秀さに縁のない私のような人は、昔話、お伽噺、神話を読み、初音ミクさんの歌を聴き、『ザ・ケルン・コンサート』を聴いて、未知のDNAを覚醒させるとかいったことも良いと思う。









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名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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