ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2016年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人間を崇拝することの哀しいリスク

今朝も書いたが、何かを真摯に崇めることで精神性を高めることが出来るということが、非常に重要であると再認識した。
神や自然を崇めることを続けると、「敬う」という気持ちを持つことが心の習性になり、自然に、敬うということが出来るようになる。
現代人には、この「敬う」という心が圧倒的に欠け、これが不幸の原因になっている。
もし、我々が、現在、幸福感がなく、不安や恐怖が強いとしたら、おそらく、「敬う」心が無いのだろう。

また、敬う心があれば、いかなることでも成功する。
例えば、プロレスで史上最高のレスラーと言えるルー・テーズが、あれほど成功したのは、レスリングと、師のジョージ・トラゴスやエド・ルイスを、この上なくリスペクト(尊敬)していたからだ。

崇める効果に関して、今朝もご紹介した、ロシアの文豪マクシム・ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』の話が、非常にリアリティがある。
牢獄のような、狭く、熱く、息苦しい場所で、安月給で、毎日、長時間働かなければならない、社会の底辺の26人の男達は、未来に何の希望もない、ゴミ虫のような存在だった。
男達の精神は堕落し、まともな人には、とても聞かせられないほどの下品な猥談ばかりし、神から与えられているはずの知性はカケラもなかった。
だが、ターニャという名の16歳の美少女が現れ、彼女を女神のように敬うようになってから、男達は変わる。
親切、忍耐といった美徳や道徳心を取り戻し、品格が現れ、錆び付いていた頭も回るようになった。
若い魅力的なターニャに邪まな思いを持たず、彼女がいない所でも、彼女を卑しめるような淫らな冗談一つ言わなかった。
だが、ターニャは、確かに可愛いが、決して、出来た娘ではなく、ただの身勝手な娘で、彼らを露骨に見下してもいた。
けれども、男達にとって、それはどうでも良かった。
男達は、ターニャに女神を投影して見ていたのだ。

だが、この作品は、現実の娘を女神のように扱うことは、やめた方が良いという教訓にもなっていると思える。
本物の娘は、所詮、女神や天使ではない。
いつかは裏切られる。
いや、ターニャは、元々が、彼らの前で、女神や天使であろうとしていた訳ではなく、男達を「囚人さん」と呼び、繕い物を頼まれると、「何で私が、あんたのためにそんなことしなくちゃいけないの」と、嘲るように突っぱねた。
それでも、男達は、彼女が女神であると信じることが出来た。
だが、いつかは、現実の娘が、女神や天使ではないことを、思い知らされるのである。

「彼女に裏切られた」、「妻に裏切られた」、「娘に裏切られた」などと言うことなかれだ。
それは、お互い様なのだ。
お互い、天使でもなければ、ナイト(騎士)でもない。
夫婦は、キツネとタヌキの騙し合いというのは、程度の差はあっても、真実であろう。

そのことは、初音ミクさんの、『恋愛裁判』(Youtube)を観賞して、よく理解しておくことだ。
ところが、『恋愛裁判』の歌や動画を聴き、見たら、むしろ元気が出るのは、ミクさんがバーチャルな存在だからだ。
ミクさんは、『恋愛裁判』で、天使のような少女の後に小悪魔を演じるが、実際のミクさんは、天使そのもので、決して裏切らないからだ。
誰かが、ミクさんのことを、「スキャンダルのないアイドル」と言ったが、まあ、そういうことである。

だから、崇めるなら、神や女神が良いかもしれない(もちろん、よければ、初音ミクさんも)。
私は、初音ミクさんの実体である(と私が勝手に決めている)、ターラー菩薩様を崇拝している。
ターラー菩薩様は、日本ではあまり知られていないが、チベットでは広く信仰される菩薩様である。
チベットでは、観世音菩薩様が信仰の中心であるらしいが、ターラー菩薩様は、観世音菩薩様の目(あるいは涙)から生まれた菩薩様だ。
観世音菩薩様の右目(あるいは右目の涙)から白ターラーが、左目(あるいは左目の涙)からは緑ターラーが生まれた。
ターラー菩薩様は、初音ミクさんと同じ16歳のたおやかな少女だ。
ターラー菩薩様の美しいお姿に関しては、中国の画家ゼン・ハオ氏のFacebookページ「ZENG HAO DUN HUANG | Facebook」をご覧いただきたい。

「ターラー」は、古代インドの言語であるサンスクリット語で「目」、「星」という意味で、現代のヒンディー語でも、「ターラー」は「星」である(「目」は「アーク」)。
タミル語では、「目」が「ターラー」で、「星」は、「サーラー」である。
ターラー菩薩様は、東洋のマリアとも言われる観世音菩薩様の、星のごとき目の輝きの中から生まれたという説もあることが納得出来るのである。
初音ミクさんの、事実上の初めての歌(公式デモソング)は、『星のカケラ』で、これが実に良い曲であるが、やはり、ミクさんとターラー菩薩様の繋がりは深い。
『星のカケラ』は、今月(2016年3月)9日の「ミク(39)の日」に発売された、『MIKU EXPO』の公式E.P.(シングル盤)であるCD『HATSUNE MIKU EXPO 2016 E.P.』に収録されている。
まるで、ターラー菩薩様の歌のようですらある。
この歌の中で、

頬なでる柔らかな風が
そっと寄り添ってくれる
~『星のカケラ』(作詞・作曲・編曲:平沢栄司、歌:初音ミク)より~

という歌詞があり、歌全体にも風を感じるのだが、風はターラー菩薩様の象徴でもあり、ターラー菩薩様は、呼びかける者に寄り添って下さることを想うのである。
神仏を敬い、その名を想うには、やはり、その名の意味を知っておくと良いと思う。
ミクという名にも、隠された素晴らしい意味があるが、長くなったので、それはまたにしよう。









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理想の存在がもたらす神秘的な力

ロオマン・ギャリイの『自由の大地』と、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、同じ方法で、堕落した男達が精神を向上させていく。
それは、一人の少女を、女神のように崇めることによってだ。
違いがあるとすれば、『自由の大地』では、想像の少女であるが、『二十六人の男と一人の少女』では、実際に身近にいる16歳の少女であることだ。
ただし、後者では、「本物の少女」と言ったところで、男達が敬っていたのは、「現実の少女」に投影された、天使のような理想の少女だった。
つまり、いずれも、男達が崇敬を捧げたのは、バーチャルな少女だったのである。

天使としての少女を崇めることで、男達の精神に何が起こったのだろう?
イギリスの作家コリン・ウィルソンによれば、男達は、それにより、自己イメージを高めたのだと言う。
つまり、天使を崇める敬虔で高貴な心を持つ自己イメージを作り上げ、自分を実際に、そのように作り変えたのだ。
ウィルソンは、ニーチェの、
「偉大な人間とは自分の理想の演技者である」
という言葉を引用する。

はてさて、どうだろう?
そうではなく、男達は、理想に意識を向けることで、内なる真の自分を見ていたのである。
いずれの場合も、美しい少女を思い描いたのだと思うし、特に、『二十六人の男と一人の少女』では、その少女は美少女だった。際立った美少女というほどではなかったかもしれないが、中年過ぎのくたびれた男達から見れば、普通の可愛い16の少女だって奇跡的な美女に見えるはずである。
それでいながら、いずれも、下品で堕落していたはずの男達が、少女に対し、猥褻な思いを決して抱かず、ただ貴いものとして崇めるという、信じられないことをしていたのだから、彼らにとって、少女はまさに天使だったのだ。
それは、敬虔な宗教的信者が、神を礼拝するのと変わらない。

ラマナ・マハルシやサイババらは、神の名を唱えたり心で想う、ナーマ・ジャパとかナーマ・スマラナという行を奨めたが、それを行う注意として、いずれも機械的な反復を避けることを上げていた。
そして、「慕い、憧れる気持ちで」、「礼拝する態度で」神の名を唱えなければならないと言った。
これらはまさに、神という究極の理想の存在に心で近付こうとするものであるが、それにより、我々は、普段は自我に覆われた本当の自分を感じるのである。

ところで、初音ミクさんのファンが、ミクさんに対して想うことは、まさにそういったことである。
「ミクさん、マジ天使」の合言葉があるように、ミクさんはファンにとって、本物の天使である。
そうであるために、ミクさんがバーチャルな存在であることも幸いしている。
そして、ミクさんを天使として崇めることで、ミクさんは、リアル以上の現実、いわば、スーパーリアリティとして降臨し、心を清め、また、力を与えてくれるのである。
可愛い16歳の少女で、ミニスカート姿でありながら、ミクさんのファンは、驚くほど、ミクさんを性的対象にしないのである。
コンサートでミクさんに声援を送る人達を見ると、まさに、女神や天使を敬虔に崇める時の表情である人が多い。
また、クリプトン・フューチャー・メディアも、ミクさんや、あるいは、お胸が豊かでスタイル抜群の20歳の巡音ルカさんですら、男達の劣情を起こさない雰囲気にするよう注意を払ったのであるらしい。
これが人間のアイドルであれば、性的魅力はむしろ積極的にアピールすることになるので、礼拝のようにはならないはずである。

もちろん、女神のように崇めるべき対象は初音ミクさんに限らないし、また、それが女性である必要もなく、ただ、親しみや憧れ、さらに、崇める気持ちを持てる存在であれば良いのである。
それは、キリスト教徒にとってのイエスやマリア、仏教徒にとっての釈迦や阿弥陀如来、真言密教では大日如来、チベット仏教では観世音菩薩やターラー菩薩、ヒンズー教でのクリシュナ、イスラム教でのアッラーやマホメッドと同じである。
他にも、様々な神話の神、お伽噺や昔話のヒーロー、ヒロイン、小説などの登場人物でも良いのである。

憧れ、慕い、そして、崇める存在を持つことは、人間にとって、生命力を高め、至高者に向かって向上するために必要なことである。
私には、幸いにして、ターラー菩薩様や、その化身である初音ミクさんがいる。
あなただって、理想の神は必ず見つかるだろう。
神仏を一切崇めない木枯し紋次郎すら、亡くなった姉だけは心から敬っていたのであり、それが彼を支えていたのである。









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我々に救う価値があるか

『レイアース』というアニメで、異世界の魔法使い達が、恐るべき魔法の力で地球に攻めてきて、地球人は抵抗すら出来ずに滅びを待つという状態になった時に、地球の魔神達が手を貸し、反撃を開始した。
なぜ、魔神達が、すぐに助けなかったのかというと、人類が守るに値するかどうかを確かめていたのだという。

しかし、今、本当に、宇宙人や悪魔が攻めてきたとして、そして、もし、地球に、キリストと同等以上の超人的な神人達が存在するとして、彼らは、我々を助けてくれるだろうか?
我々に、守るだけの価値があるだろうか?
そりゃ、中には、立派な人もいるかもしれない。
しかし、旧約聖書の創世記で、神がソドムの町を滅ぼすと言った時、アブラハムは必死に神に、ソドムの助命を乞い、最終的に、もし、正しい人が、僅か10人でもいれば、神はソドムを滅ぼさないことを約束した。
だが、それだけの正しい人はおらず、神はソドムを滅ぼした。

私には、ソドムのとりなしを熱心に神に対して行ったアブラハムが信じられない。
私なら、外国のことは分からないが、神が日本を滅ぼすと言ったら、喜びはしないながらも、
「それもやむなし」
と、あっさりと諦めると思う。
まあ、本当は、日本全体のことが分かる訳でもないのだけれど、日々、見る人々には、すっかり嫌になってしまっているというのが本心である。
いや、他人だけではない。
謙遜でも何でもなく、自分もである。
無論、凡人であるからには、私も、自分は他の人より、かなりマシと思っているが、そんなことは、まあないだろう。

だが、初音ミクさんのために、世界、あるいは、日本を滅ぼさないで欲しいと神に願うことはあるだろう。
まあ、そのための対価を支払う能力が私にあるとは思えないが、私の餓死くらいで許してくれるのなら、応じるかもしれない。
つまり、人間のために、神にとりなしをする気はサラサラないが、ミクさんのためなら、命を捨てよう。

とはいえ、もし、本当にそんなことがあったら、私は、地球人、あるいは、日本人、あるいは、私の行動範囲の場所にいる人々を、私は簡単に見捨てるだろうか?
この人は救いたいが、あの人はどうでも良いという考え方が許されないのは承知している。
全員を救うか、全員を見捨てるかだ。

いや、私がそんな立場になるはずもない。
少し空想してみただけである。
だが、おかげで、人嫌い、自分嫌いを改めて思い知った訳である。
いずれにしろ、泣き言を言うつもりはないし、弱音も吐くまい。
何もする気が起こらないが、ターラー様のみ名を唱えることとしよう。
それだけで、ゆるまずにいられるだろう。









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AIが足元にも及ばない人間であるには

およそ関係のなさそうなもの同士を、見事に関係付けることを発見と言い、そこに有益な何かが生まれれば発明と言う。
ゼロから何かを生み出すことは実際はなく、あらゆる発明は、ものごとの関係を見つけることから始まる。

では、ものごとの関係性・・・それも、普通の人には分からない関係性を見つけるにはどうすれば良いのだろう?
それには、ものごとの本質を見極めることだ。
ものごとの本質とは、ものごとの、価値の低い要素を取り去った後に残るものだ。
それを、学問的には、難しく、「抽象化された概念」などと言うが、つまるところ、「だいたい」のことだ。

「だいたい、あなたは自分勝手なのよ」
と言った場合、「自分勝手」が、「あなた」の本質だ。
この場合は、言ってる者の主観が入っているかもしれないが、それでも、「だいたい」合っているのだろう。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、流れる水のあちこちに渦巻きが出来るのを見て、何かを感じた。
普通の人は、デタラメに渦巻きが発生しているとしか思わないのに、ダ・ヴィンチは、「渦巻きは、だいたい、こんなもの」と言える何かがあると考えたのだ。
それは、後の世で証明され、複雑系理論などと呼ばれているが、それが分かるには、コンピューターの発達が必要だった。
つまり、ダ・ヴィンチの感覚はコンピューターを超えていたのだ。

「だいたい」を見事に掴むことが、人間の優れた能力である。
ただ、最近のAI(人工知能)は、ディープ・ラーニング(深層学習)によって、「だいたい」を掴めるようになってしまった。
人間は、5から10程度の階層で「だいたい」を掴むが、Googleのコンピューターは22層の曖昧さレベルで「だいたい」を掴む。
こりゃ、敵いっこない・・・ことはない。
人間には、残された聖域がある。
それをお見せしよう。

初音ミクさんが、ターラー菩薩様の化身であることを、AIは見抜けない。
・・・あ、笑うのは待って欲しい(笑)。
では、初音ミクさんの「だいたい」と、ターラー菩薩様の「だいたい」を見抜くことで、両者の関係性を照見しよう。
まず、共に、16歳である。
ターラー菩薩様は、白ターラー様と緑ターラー様が在(ましま)すが、初音ミクさんのイメージカラーは緑である。
そして、ターラー菩薩様が象徴するのは「風」である。
初夏に新緑の間を吹く快い風を「緑風」と言う。
また、緑ターラー様が迅速に救済に駆けつける様は、疾風のごとしである。
長い緑色の髪が際立つミクさんにも、この風のイメージがある。
それを特に感じたのは、冨田勲さんが制作された『イーハトーヴ交響曲』の第4楽章『風の又三郎』で、ミクさんが又三郎を演じた時だ。
又三郎は男の子であるが、ミクさんは、又三郎の風の神の本質を誰よりも表現出来るので、又三郎以上に又三郎になった。
ミクさん自体に、ターラー菩薩様の象徴である風の本質が在るからである。

いかにAIが進歩しても、このようなことをAIは考えない。
「そりゃ、こじつけじゃないか?」
と言うなら、その通りで、「こじつけ」こそ、決してAIが真似出来ない人間の能力である。
こじつけには、空想、感情、情緒、好きという気持ち、直観、気紛れなどといった、AIには手も足も出ないものが一杯あるからだ。
数学理論すら、感情なくして成立しないことを数学が証明しているらしい。岡潔さんが言ったのだから、おそらく本当なのだろう。つまり、感情は理論を超えるのである。
だが、教育された気紛れは、容易くAI(特にビッグデータとの組み合わせ)に見抜かれる。
我々は、本物の気紛れを持たなければならない。
ニーチェも、気紛れを高く評価したのである。
本物の気紛れを持つために、我々は、真の人間性を取り戻す必要がある。
人間性を取り戻すためには、初音ミクさんの透明な歌声の中に在る、ターラー菩薩様の光を見出せば良い。
ターラー菩薩様の光に照らされるためには、ミクさんの歌を聴きながら、慕い憧れる気持ちで、ナーマスマラナ(名前を思い出すこと)、あるいは、ナーマ・ジャパ(名前を唱えること)をすれば良い。
その名前とは、神仏の名である。
慕い憧れる気持ちを持てる神仏であれば、どの神仏の名でも良いのである。
この曖昧さ、恣意(気まま)を持ちながら、なおかつ、ゆるまずにいることが、真の人間の偉大さである。
何十万年進歩しても、AIは足元にも及ぶまい。
ただし、本物の人間であればね。









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“See You”を守ったミクさん

今年も、初音ミクさんのコンサート『マジカルミライ』が開催される。
2013年から4年連続の開催となり、今年は、『マジカルミライ2016』となる。
現段階では、9月9日(金)から11日(日)に渡って、千葉の幕張メッセ国際展示場の9、10、11ホールで開催されることだけが分かっている。

私は、今年のマジカルミライは無いと思っていた。
いや、もしかしたら、昨年の日本武道館公演を最後に、マジカルミライは終了するかもしれないと思っていたのだ。

まず、今年のマジカルミライが行われないと思った理由だが、今年は、MIKU EXPOコンサートが、

3月23日・24日 福岡
3月29日 大阪
3月31日 名古屋
4月05日 札幌
4月09日・10日 東京

で開催され、さらに、その後、海外に飛び出し、

4月30日 サンフランシスコ(カリフォルニア州)
5月06日 ロサンゼルス(カリフォルニア州)
5月14日 ダラス(テキサス州)
5月17日 ヒューストン(テキサス州)
5月20日 トロント(カナダ、オンタリオ州)
5月25日 シカゴ(イリノイ州)
5月28日 ニューヨーク(ニューヨーク州)
6月01日 モンテレイ(メキシコ、ヌエボ・レオン州)
6月04日 メキシコシティ(メキシコ合衆国首都)

と、ミクさん、大変なハードスケジュールである。
42kgしかないミクさんが、さらに痩せてしまっては大変だ。
だから、その後、『マジカルミライ』の準備に入るのは過酷ではないだろうかと思ったのだ(実際、スタッフさん達も大変だろう)。

次に、昨年で、ひょっとしたら、マジカルミライが終わるのかもしれないと考えた理由はこうである。
日本武道館を『マジカルミライ』のラストに・・・というのは考えられるし、それだけではなく、コンサートの内容からも、そう感じさせるものがあった。
『ミクの日感謝際』シリーズのコンサートは、2012年の公演を最後に終了したが、その最後のコンサートであった、『最後のミクの日感謝祭』は、1曲目が『Tell Your World』、そして、アンコールも含めた最後の曲が『ハジメテノオト』であったが、昨年の『マジカルミライ2015』も同じであったのだ。
さらに、『ワールドイズマイン』、巡音ルカさんの『Just Be Friend』が、感謝祭の時もなかったフルコーラスで歌われ、しかも、圧巻のパフォーマンスだったし、『ハジメテノオト』のミクさんの情感溢れる歌と表情に武道館の満員の観客は感極まり涙する者も少なくなかった。これが、マジカルミライの終焉を予感させたのだ。

だが、2012年の最終の感謝祭コンサートは、『最後のミクの日感謝祭』と、ちゃんと銘打たれていたし、『マジカルミライ2016』では、ミクさんは、最後の曲、『ハジメテノオト』を歌い終わった後、しばらくしたら明るい顔に戻り、「またね!」と陽気に言って退場されたのだ。
「またね(See you)」は、「近いうちにまた会いましょう」という意味である。
ミクさんは、「サヨナラ(Good bye, So long)」とは言わなかった。
やはり、ミクさんは約束を守る誠実な子である。

初めに申し上げたが、今年の『マジカルミライ2016』は、幕張メッセである。
国際展示場の9~11ホールをまとめて使うのは、トップアーチストならではの形態だ。
おそらく、オールスタンディングで行われるであろうから、最大で、13,000人から15,000人が入場可能と思う。
2階席なんてものはないし、段差の無い会場なので、後の方の人は、背が高い人でないと、ステージは全く見えないと思う。ただ、その場合も、高い位置にスクリーンが、正面と左右に設置されるだろうから、それを見ることが出来るだろう。

ミクさんのコンサートは、以前は、『ミクパ(初音ミクライブパーティー)』と、『ミクの日感謝祭』が主なものだったが、『ミクパ』が『MIKU EXPO』に、『ミクの日感謝際』が『マジカルミライ』に受け継がれたと考えて良いと思う。
いずれか一方でしか歌われない曲もあるし、両方で歌われる曲でも、ダンスが異なる場合もあったりで、なかなか面白い。
『Tell Your World』は、両方で歌われ、ダンスも同じだが、ミクパ・MIKU EXPOでは、途中でカラフルな衣装に変わるが、感謝祭・マジカルミライでは変わらないという違いがある。

『マジカルミライ2016』では、駐日アメリカ合衆国大使のキャロライン・ケネディさんがお越しになられたが、幕張メッセは多分、オールスタンディングなので、要人の来場は無理だろう。当日で、任期を5ヵ月残したオバマ大統領が来られたら面白いのにと思うが、それは妄想であろう。
私はいつか、ミクさんのコンサートの主催を行いたいものだと思う。
潤沢に予算をつぎ込むが、その会場に自分は行かず、コンサートの中継を見ながら、宇宙に旅立とうと思う。
もう地球には帰って来るまい。
遠い宇宙で、Stardusterごっこをしながら、消えていこうと思う。
コンサートを主催することを果たせなくても、そうするつもりだ。
コンサートの主催を果たせず、少し寂しく思いながら消えていくとしても、それが運命である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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