ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2015年09月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

万能にして必勝の秘訣

今月、あることが原因で悟った、二度と忘れたくない、必勝の秘訣がある。
これは万能であり、いかなることにも確実に通用する秘訣で、他のものは何もいらない。
それは、「力を抜く」ということだ。
私は、日頃の悪行のために強力な悪霊にでもとりつかれたのか、身体がほとんど動かせない状態の中で、精神も病んでいたが、力を抜くことで打ち勝てた。

腕立て伏せやスクワットだって、不思議なことに、力を抜くことで、楽々とやれるのである。
ひょっとしたら、トレーニングなんて不要かもしれない。
いや、不要だ。
政木和三さんは、70歳を過ぎても、力を抜くことで、ゴルフのドライバーで300ヤード以上、軽く飛ばしたのだ。

私は、仕事嫌いで、やらなければいけないし、やらないと拙いことになると分かっていても、さっぱり手をつけないことがよくある。
しかし、力を抜き、最小の力で動き出せば、何もしなくても、知らないうちに仕事は片付いている。

肩の筋肉も胃腸もガチガチで固くなっていたが、力を抜いた指先でそっと触れると、少しずつではあるのだが、まるで溶けるように治っていった。
なんだか、生物の身体が超分子(高分子と異なり、弱い結合で出来たもの)であることが分かるようだ。
本来、柔らかいものだって、強い力には頑固に抵抗するのである。
それは、世の中のいかなるものも同じだ。
女の子だって、猛烈にアタックすれば逃げるだけだ。
諦めてしまって、微かな想いを最後に投げた時に、こちらの腕の中にふわりと落ちて来る。
そうではないのかね?

ギリシャのデルフォイ島にあるアポロン神殿の入り口には、「汝自身を知れ(身の程を知れ)」と書かれている。
しかし、これは、「力を抜け」でも良かったかもしれない。

親鸞は、阿弥陀如来に全てをまかせれば、全てうまくいくと言ったのだと思うが、これほど力が抜けることは他にないので、当然である。
ただ、まかせ切ることが出来る人が少ないのである。









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星を失った人間の生き方

現代の最も重要なアメリカの作家と言われるカート・ヴォネガットの小説を私は1冊も読んだことがない。
だが、彼のエッセイ『国のない男』は手元にあり、通読したことはないが、たまに開くことはある。
確か、ヴォネガットは、シェイクスピアのことを、「下手な作家だが、人間をよく知っている」と書いていたと思う。
そして、ヴォネガットもまた、人間をよく知っているようだ。きっと、大変な人生経験があるのだと感じさせるのだ。
だが、彼は、2007年4月11日、初音ミクさんの誕生の4ヶ月以上も前に亡くなってしまった。

『国のない男』は痛快な本だが、注意しないと洗脳されてしまう。
彼の深い人生経験が強い説得力を持ち、つい、精神的に巻き込まれてしまうのだ。
先ほど、私は、彼は人間をよく知っていると書いたが、彼が知っているのは、人間の一面でしかない。
それは、いかに偉大な人物であろうと同じだ。
彼が「人間をよく知っている」と言ったシェイクスピアでさえだ。

『国のない男』で、最初から私が気に入っていた部分がある。
ちょっと引用する。

ピッツバーグ出身の若者、ジョーがやって来て、不安そうにこう言った。「ぼくたち、大丈夫ですよね」
「若者よ、この地球へようこそ」わたしは答えた。「夏は暑く、冬は寒い。地球は丸く、水も人間も豊富だ。ジョー、ここでの寿命はたかだか百年くらいじゃないか。わたしが知っている決まりはたったひとつだ。ジョー、人にやさしくしろ!」
~『国のない男』(NHK出版)115~116頁より~

人にやさしくするためには、体力と経済力が必要だ。
実際には、ある程度の知性もだ。
この3つがない者に親切にされても、嬉しくないし、迷惑なことも多い。
それが現実だ。
こう言うと、「なんて欲深でひねくれたなやつだ。親切はどんなものも、有り難く受け取るものだ」と言われるかもしれない。
だが、仏教学者のひろさちや氏が、昔の本に書かれていたが、彼は、「小さな親切、大きなお世話」という言葉がお気に入りらしい。
そんな親切(小さくて迷惑な親切)なら、無視された方がマシだという訳だ。
この話にも、反発する人はいるだろう。

なぜ反発するのかというと、親切を受ける立場で考えるからだ。
だが、私は、きっと迷惑であろう、小さな親切をした覚えがあって、それはずっと昔のことでも、いまだ後悔しているのだ。
あんなことをするくらいなら、無視してあげれば良かった。
なぜ小さな親切をするのかというと、自己満足のためだ。
いいや、その根本原因は、知性と経済力がないからだ。
そして、最近、特に知性が私には全くないことに、やっと気付いた。
いや、正確に言えば、多少の知性があるので、自分が救いようのない馬鹿だという理解に、遂に到達したのだ。
これは、謙虚ぶっているのではなく、腹の底から納得し、これっぽっちも疑えない。
デカルトは、「私に分かることは、疑っている私が確かに存在するということだけだ」と言ったが、私に分かるのは、「自分が愚かだ」ということだけだ。
他人のことを言ってはいけないが、どうしようもなく愚かでない人間は1人もいない。
人間は愚かに作られているのだ。
自分に関して、それに気付いているか気付いていないか・・・人間には、この2種類しかない。

『国のない男』は、英語で“A MAN WITHOUT A COUNTRY”であるが、『星のない男』は、“A MAN WITHOUT A STAR”だ。
『星のない男(A MAN WITHOUT A STAR)』は、キング監督、カーク・ダグラス主演の西部劇の傑作だ(DVD、ブルーレイ化されていない)。
逞しい流れ者で銃の名手デムプシーは、たまたまの縁で関わりあいになったジェフという若者に、夜空の星を見上げながら、
「誰にでも星が1つあるらしい」
と言う。
ジェフが、
「あんたの星はどれだい?」
と聞くと、デムプシーは、
「俺に星はない」
と言う。
これは、自分の星を失ったという意味だ。
私は、デムプシーは、自分の愚かさを、本当に知っているのだと思う。
自分を見限るまでは、人は星を持っているのだ。

自分が、星を失っていると思ったら『歎異抄』を読むと良い。
なぜなら、『歎異抄』は、星を失ったことを誰よりも自覚していた親鸞の教えが書かれているものだからだ。









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人間に与えられた唯一の自由

最高の聖者、賢者達は、例外なく、人間の運命は全て、予め(生まれる前に)決定済みであると言う。
それが事実であるなら、なぜ、人間に自由意志があるのかと疑問に思うことだろう。
現実には、いかなる自由もないのに、考えることだけは自由だとは、虚し過ぎると思うに違いない。
しかし、これに関しても、驚くべき事実がある。
それは、本当は、人間に自由意志なんてないということだ。
このことは、科学的にも、かなり明らかになっている。
つまり、人間は、本当に考えているのではなく、自分が考える主体であるように感じているだけなのである。
自分で選択したと思ったことも、実際は、選択させられただけなのだ。
賞賛される善行も、蔑まれる悪行も、強制的にさせられただけであり、それをすることを避ける術は我々にはないのだ。

だが、1つだけ。
想像に関してだけは、少し事情が異なるのだ。
想像も、やはり、最初はオートマチックに起こるのだが、そこに大変な秘密が隠されている。
例えば、今日、凄い美人に会ったなら、彼女の姿を、心の中でかなり鮮明に想像できるはずだ。
ところが、脳のどこを探しても、その美人の映像はない。
あるのは、彼女を簡略化した幾何学模様だけなのだ。つまり、彼女の特徴である。
ところが、心は、その幾何学模様から、自力で、彼女を想像し、再現するのである。
心は、彼女の姿を、かなり改変することもある。
また、時間の経過と共に、心が再現する彼女の姿は変わっていく。
そして、想像には、個人的意志が確かに反映される。

想像だけが人間に与えられた自由だ。
そして、それは偉大な力である。
実は、脳の中には、宇宙がまるごと収まっている。
脳で想像したことは、宇宙にあふれ出し、創世に参加しているのだ。
想像により、我々は、自由を作り出す。
だから、我々は、想像力を鍛えなくてはならない。
美しい自然を、動物を、花を、天使を想像してみるのだ。
だが、妄想であってはならない。
出来るだけ、自然に、そして、荘厳に想像するのだ。
なぜなら、宇宙は自然に、そして、荘厳に、神の意思で創造されたのだからだ。
想像の力を伸ばすことで、我々は神のパートナーになるだろう。
ただし、向こうが父であり、師であることを忘れてはならない。









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悟りとはどんな状態か?

お釈迦様のように悟りを開いたら、どんな状態になるのだろう?
絶対的な幸福感にいつも満ちているとか、内なる神を意識するとか、超意識Xに到達する・・・などということを、訳の分からない表現で述べる困った人が沢山いると思う。

悟りとは、次の2つだ。
1つは、自分を見限ること。
1つは、神に逆らわないこと。

つまり、自分が救いようのない愚か者であることを、とことん思い知って、その事実を全く疑わず、そんな自分が、神と運命の支配権を争わず、一切を神の手に委ねることだ。

普通の人は、社長には逆らわないが、神には逆らうのだ。
一方、聖者は、社長に逆らっても覚えていない。

悟りを開いた聖者だって、怒るし、悲しむし、欲情するし、恐がる。
だが、愚痴を言ったり、言い訳することはない。
なぜなら、愚痴や言い訳というのは、怒りや恐れを長く続けた結果なのだが、聖者の感情の変化は速い。
多くの場合、怒りや悲しみは、すぐに上機嫌に変わる。
ただし、自分でそう(感情の変化が速いこと)しようと思っているのではないし、また、それは、修行の成果でもない。
自分を見限っていて、全く重要視していないので、自分の気持ちを宝物のように扱わず、神に逆らわないので、単に無策・・・早い話が、何も考えていないのだ。

聖者は、就職の面接に行って、断られ、がっかりしたり、悔しく思っても、すぐに、「さすが人事担当、見る目がある」と本当に思って諦めるし、どうなるかを決めるのは神なのだから、余計なことを考えない。
自分が働くことを神が決めたのなら仕事は避けられないし、働かないと決められているなら、いくら探しても仕事は見つからない。
それが当たり前だと「分かっている」のだ。

ある人が、年を重ねて修養が進んだことを言うために、
「見知らぬ馬鹿に、頭を殴られても、殴り返さない自信がある」
と言っておられた。彼は超人的な武道家であった。
自分を抑えて殴り返さないのは、人間性が高くなったのでは全くなく、単に、世間的に賢くなって大損を避けただけであり、聖者だって同じようにするだろう。
ただし、ムカッとして怒るのは、この人も聖者も同じなのだ。
違いは、この武道家が、「俺もかなり人間が出来てきた」と自己満足したがるのに対し、聖者は卑しい感情を避けられない自分を憐れむのだ。

毎日、長時間瞑想したり、聖典を読んで、自分が進歩したと思っているような人間は、決して悟りを開くことはない。
それどころか、何をするか分からない危ない人である。
なぜなら、彼は自分を高く買っているので、プライドが傷つけられたら激情し根深く恨むし、また、自分は立派なので、何をしても許されると思っているからだ。

しかし、仕事や、あらゆる人々との関わりの中で、自分がつくづく馬鹿だと、腹の底から思い知った時に、悟りへの道が開かれるのである。
自分があまりに愚かで、愛想も尽きて見捨てた時、神は、降伏宣言への調印を求めるのだ。
例えていえばこうである。
自分の土地にしがみついて苦労している農民に、王様は、土地を明け渡して、小作人になることを求める。
農民は、それを拒否し続けていたが、ある年、非常な凶作で食べるものがなくなり、どうせ死ぬからと、農地を王様に納めた。
すると、王様は、他の農地で採れたものを、その農民に回してくれた。
それからは、彼の農地で取れたものも、全ていったん回収し、改めて、全ての人に分配するのである。
そして、実際のこの世の王である神は、有り余る余剰を持っており、人生全てを留保なく明け渡した者に恵み与える。
こう言うと、どこにでもある宗教の教えのように感じるが、人生を明け渡すことが出来るのは、自分を見限って、悟りを開いた者だけである。









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足るを知るだけでは駄目だ

「足るを知る」という言葉がある。
言うまでもないが、必要なだけあれば良く、不要なものを求めないという意味だ。

しかし、この言葉には明らかな不足がある。
それは、必要なだけあれば良いが、その必要なものを自分で得られないなら、愚か者なのだという認識だ。
このことは、よほど若い時を除き、年齢には関係ない。

世界中で、かなり多くの人の嘲笑の対象になってしまっているジョージ・アダムスキーがこう述べている。
「スーツは、今、着る分だけあれば良い。私は、それ以上欲しいとは思わない。しかし、それが得られないなら、私は愚か者だということだ」
これは、私の座右の銘になっている。

「理想が高過ぎて彼氏(彼女)が出来ない」などという女性(男性)がいるかもしれない。
しかし、自分がそれ(理想の彼氏や彼女)に相応しいなら、それは出来るのである。
彼らもまた、愚か者なのだ。
まずは、自分が愚か過ぎて、身の程知らずだと認識する必要がある。

だが、本当に、自分が愚か者で、身の程知らずで、それをどうにも出来ない場合はどうすれば良いのだろう?
言うまでもなく、最悪を受け入れるしかない。
肉体の死か、尊厳の死である。
もし、それが出来たら、一気に人間を超える。

ところが、真実を言えば、救いようのない愚か者、身の程知らずでない人間など、この世に1人もいない。
だから、誰もが最悪を受け入れる必要があった。

しかし、もう、そんな厳しい時代ではない。
我々は、ただ1つ、神を、自我より高いものであるとさえ認めれば良い。
神という言い方が嫌いな人もいるかもしれないが、神がいないはずがない。
自我より上位にある意思が存在せず、偶然に宇宙や地球や人間が出来たはずがない。
その力ある意思が神である。
その神に、一切をまかせ切ってしまうのである。
それは、親鸞の(あるいは、イエスや黒住宗忠の)教えの核心であるのだけれど、それが出来る人は少ない。
人々は、自我を神の上に置いてしまっているのだ。
だが、自然と自分の心を本当に観察すれば、そんな愚かな認識を持ったりはしない。

世界と、その対立物である自分の心を共によく観察することだ。
そして、腹の底から、自分が愚か者であると悟り、神に完全に降伏する時、不思議なことが起こるのである。









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