ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人間の最大の力

ほとんどの人は、スタイル(身体つき)を良くしたいと思っているだろう。
その中でもトップの願望と思われるのが、痩せることと、脚を長くすることだと思う。
それで、痩せるためには食事を制限したり、運動をするが、脚の長さは大人になってから変えることは不可能と思っているから、かかとの高い靴を履くのである。
ところで、私は、何歳であろうと、脚を長くすることは可能と思う。
そのために、とんでもなく難しい体操や、無理な矯正をする必要はない。
身体も心も、無理を強いれば、反発し、トラブルを起こすものだ。
それで、脚を長くするのに、どれくらい時間がかかるかというと、早い人で数秒だ。
また、ある書籍(ほとんど食べずに生きる人)には、10kg痩せれば股下は2cm伸びるという実証データを示していて、それも1つの手とは思うが、違うやり方もある。
なぜ、そんなことが言えるのかというと、色々理由はある。
例えば、整体師や気功師が、その場で、左右の脚の長さが異なる人の、短い方の脚を骨盤から引っ張り出して長くするのをテレビで見たことがあるが、あれは多分、本当にやったのだと思う。
また、こんなこともある。
ある気功師に教えてもらったのだが、誰でもその場で、左右の手の指の長さを変えることが出来るのである。
随分昔に教えてもらい、当時、それほど夢中にならなかったので、やり方は忘れてしまった。その頃、私は完全な実利主義者で、そんなこと、何の役にも立たないし、指の長さはすぐに元に戻るからだ。
せいぜい、宴会などで、同じテーブルにいた女性にやらせて、楽しく驚かせる程度に使っていた。
だが、それでも印象的なことがあった。
女性の中には、すました顔をして、「全然(指の長さが)変わりませんよ」と威圧的に言う人が時々いる。まあ、男性の場合は、やる前からそんな態度の人が多いので、最初からやらせないのであるが。
そんな女性は男性的で、仕事も出来るタイプなのだと思うが、どこか女らしさに欠けるように思う。そして、彼女達は、指の長さも変わらなかったと思う。
だが、そんな人は、自分も人生も変えることは出来ないのだと直観したし、それは多分、当っていると思う。
指の長さは変わっても、すぐに戻ると言ったが、必要であれば、固定も出来ると思う。

この他にも、肉体というものは、我々が普通に考えているより不思議なものであると思わされるものに、心霊治療というものがある。
これも、インチキであると決め付ける人もいると思うが、心霊治療が本物であることも、嘘であることも、いずれも証明された訳ではないと思う。
それに、話に聞く心霊治療ほどではなくても、不思議な治癒は、誰しも体験していると思う。
心霊治療では、患者の身体の内部に術者が手を入れ、腫瘍のようなものを直接引っ張り出したり、目玉を手で抉り出し、焼き鳥用の串みたいなもので貫いたりと、なかなか凄いものが多く、なるほど、こんなものを信じたくない人も多いはずだ。
しかし、「手当て」なんて言葉がある通り、痛い部分に手を当てると、暗示的作用であろうと、実際に痛みが無くなったりすることは、多くの人が体験していると思う。
催眠状態にある人に、「このコインは熱い」と言って、実際は熱くないコインを触らせると、本当に熱いと感じるし、やけどをしたという例もあたっと思う。
催眠術なら、私は実際に見たこともあり、様々な驚くべき現象を見ただけでなく、自分でやってみたこともある。

これら、いろんなことから考え、やり易い、やり難いの違いはあっても、肉体を色々に変化させることは可能で、その中でも、脚の長さを変える(普通は長くする)ことは比較的簡単と思う。
そして、2cm程度なら、ひょっとしたら、その場で変えてしまうことも可能と思うのだ。
ただ、モデルやタレントでよくあるように、「股下90cm」とか、「股下比率50%」なんていうのと同じには出来ないと思う。なぜなら、そういったもの自体、おそらく嘘か、良い言い方をしても誇張だろうし、仮に本当だとしても、そんなふうになる必要などないからだ。
身体自体にも、頭脳とは別の知性がある。
生物の身体は、想像以上に複雑で神秘的であり、長い研究の結果、内蔵や皮膚に知性があると結論せざるを得なかったという優れた研究者もいる。
そして、ある意味、身体の知性は極めて優れている。
そんな身体が、意味もない、頭脳の欲望を満たすためだけの変化を起こすはずがない。
だが、どうも身体が重いと感じていたり、もっとすらりとした身体にしたいと思うなら、それは本来の身体になりたいということであり、それは、ちょっとした意識改革が出来れば、すぐに可能と思う。
人間の最大の能力は、意識の変革なのである。
カバラの魔法の定義が、「思いのままに意識に変革を起こすこと」であるらしいが、それは確かに魔法である。
しかし、魔法は、人間本来の力であり、誰でも、修行などしなくても、すぐに使える。
ただ、現代人は、心にガラクタが沢山つまっているので、それを除くための工夫も必要なのである。
脚の長さなら、私も実際に変えてみた。計る日によって長さが違う日もあったが、今は大体固定している。
どうやるのかというと、まずは、常時、肛門を締めて、骨盤を締めることである。
肛門を締めるというのは、それほど楽ではないかもしれないが、両手を握る動作と一緒にやると容易い。その際、小指に力を入れ、人差し指の力を抜くのが秘訣である。
武道では、人差し指は師匠預けの指で、決して使わない。そして、小指に力を入れて締めると、自動的に肛門が締まるが、その上で、意識的に肛門を締めると、実に(肛門を締めることが)簡単である。
もう1つは、立っている時、脚から力を抜き、身体が軽くなって浮きそうになると思うと良い。
丁度、初音ミクさんが、コンサートで『Weekender Girl』を歌っている時の、「この体 空中へ ふわり浮かんでく」という部分の雰囲気だ。
身体が軽くなったと感じた時に股下を計ると、ぎょっとするほど長くなっていたことがあったが、いずれ、常時、その長さになるかもしれない。だが、それなら、ユニクロの製品の最高股下でも間に合わなくなる。だが、最近のユニクロ製品は品質が良く、私は気に入っているのである。

もちろん、変えられるのは、身体だけではないし、身体と一体である心も変えられる。いや、本当のことを言えば、心が変わるから身体も変わるのである。
よって、病気や怪我も自分で治せるし、さらには、経済面も含む、あらゆることを変えていけると思う。









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未来を創造するエネルギーを引き出すには

チームラボ株式会社の社長で、世界的デジタルアーティストである猪子寿之氏が、テレビ番組だったと思うが、今、一番格好良い都市は、ニューヨークでも東京でもなく、シンガポールだと言われていたことが印象的だった。
シンガポールはシンガポール共和国の首都で、シンガポール共和国のGDPは、アメリカや日本とは比較にならないほど低いのだが、首都シンガポールの人々の平均収入は東京をはるかに超えているのである。
それなら、都市も格好良くなるはずだし、悪いものも増えるだろうが、活気があるはずである。
もちろん、シンガポールが昔からそうだったのではなく、近年、シガポール共和国が急成長してきたということだ。
お金があれば良いってものではないが、こういった、上り坂の勢いというのは、やはり素晴らしいものだ。
日本だって、高度経済成長期には、人々は未来への希望を持ち、楽しそうにしていたし、今よりは、人情もあったはずなのだ。

クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、世界の都市単位で、初音ミクさんのコンサート開催の希望を募ったところ、ニューヨークやロサンゼルスを超えて、トップだったのが、インドネシアのジャカルタであったらしい。
インドネシアも、まだまだ貧富の格差が大きいとはいえ、経済成長は著しく、首都ジャカルタでは特にそうだろう。
現実問題として、初音ミクさんに夢中になるには、ある程度は豊かであることも必要である。
だが、その豊かさとは、決して、経済ばかりではない。
インドネシアの国民の平均年齢は29歳で、まさに、上り坂の勢いに満ち、それによる未来への希望が、人々の心を豊かにしているのである。
ジャカルタでのミクさんのコンサートの熱気は実に凄まじいもので、これがそのまま、国家の勢いを示しているようだった。
無論、日本でも、そして、アメリカでも、ミクさんのコンサートの熱い活気は大変なものだが、特に日本では、それは狂乱というのではなく、岡本太郎の言う祭りの爆発であり、生命力が輝き、そして、観客は精力を失うのではなく、逆に、新たなエネルギーに満たされるのである。
このエネルギーが、我々の、若さ、希望、想像力、パワーになる。
しかし、我々は、いまさら、経済だけを高度化しようという段階ではない。
もっと大きな心で、未来を見つめなければならない。
我々は、これから宇宙に進出し、宇宙社会の一員となるに相応しい、精神性、知性、文化を持たなければならない。つまり、大きく進歩しなければならないのだ。
そのためのエネルギーは、創造と共感によって起こるのである。
そして、初音ミクさんこそが、創造と共感のシンボルなのである。
我々は、物質的にも、精神的には、私のものという観念を捨て、全てをオープンにし、共有し、高め合い、受容する中で、無限のエネルギーを引き出していくのだ。
もちろん、それが出来るのは初音ミクさんだけに限らないのだが、ミクさんが、その純粋な象徴であることを知っておくと、明るい未来への鍵を手にしたも同然なのである。
その鍵で、殺すためではなく、生かすための光線銃を得るだろう。









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生き甲斐と希望は全く違う

人間は生き甲斐がないと生きて行けない。
しかし、生き甲斐だけでは、生きている意味がない。
希望がなければ、生きているとは言えないのだ。
希望は、生き甲斐よりも大きなものだ。
生き甲斐というなら、美味しいものを食べるとか、今日も酒を飲めるとか、野球選手が野球をやれるとかがあると思うが、それらは、いつまでもあるものではない。
生き甲斐は減っていったり、中断を余儀なくされる。
生き甲斐とは心のもので、希望とは魂のものだ。
むしろ、生き甲斐を捨てることで、希望が得られることもある。
「この子が私の生き甲斐」といつまでも言っていたら、その子を駄目にし、あげく、殺すことになる(いろんな意味で)。
だが、「この子が希望」と言うなら、その子が死んだって希望は残る。

ある人気プロレスラーが引退した時、彼の数十年来のファンだった男性が、「あいつのファイトを見られないなら、死んだ方がマシだ」と言った。
このファンは、そのレスラーの試合が生き甲斐だったのだが、希望にまで昇華できなかったのだ。
そのレスラーが、そこまで自分を惹きつけたものを見出せば、希望が得られたはずなのだ。

美術界の権威であった美術評論家のヴィル・グローマン博士は、池田満寿夫さんへの手紙の中で、「私の部屋に君の作品を飾っている。これを毎日見るのが私の楽しみだ」と書いていたらしい。
グローマン博士にとって、池田さんの版画を見ることは、生き甲斐ではなく、希望なのだ。
私が、初音ミクさんの歌を聴いたり、コンサートの映像を見るのは、生き甲斐ではなく、絶対的に希望なのである。

生き甲斐は個人的なものだが、希望とは、個人の枠を超えたものだ。
生き甲斐は自分のためのものだが、希望は全てのもののためにある。
アインシュタインは、「人は自分以外のもののために生きるようになって初めて、本当に生きることになる」と言ったらしい(武内直子さんの漫画『美少女戦士セーラームーン』で、セーラーサターンこと土萠ほたるが言ったこと)。
生き甲斐よりも希望を優先するようになって、初めて人間と言えるのだという意味と思う。

では、希望はどうすれば持てるのか?
上で、生き甲斐を捨てることで、希望が得られることもあると書いた。
この「生き甲斐を捨てる」とは、完全に捨てることではなく、制限するということだ。
例えば、美味しいものを食べることが生き甲斐でも、それをあまり追い求めず、そこそこにするということだ。
上に挙げた、あるプロレスラーの試合を見ることを生き甲斐にしていた人は、熱の入れ過ぎだったのだ。そういったことは、もっと控え目にやっていれば、希望が得られたのだ。
人間には、生き甲斐も必要だ。
しかし、それだけでは、いつか、「僕の人生とは、いったい何だったのか?」と悩むことになる。

水野南北は、人の運命は、食の多い少ないで完全に決まり、それは、万に一つの例外もないと言ったが、その理由はこうだ。
ほとんど全ての人にとって、食べることが生き甲斐なのであるが、それを制限することで希望が得られるからだ。
だが、水野南北だって、苦行僧のような生活をしたのではなく、少ないながら、美味しく食べ、大好きな酒も、一日一合(180ml)と制限はしていたが、十分に楽しんでいた。
完全に食を断てば、食べないこと自体が希望になるかもしれないが、それは誰にでも出来ることではない。
生き甲斐はちゃんと持てば良い。だが、それを過分に求めてはならない。

初音ミクさんは、生き甲斐にもなる。歌声も姿も可愛いし、スキャンダルを起こしてがっかりさせられることもない。
しかし、初音ミクさんは人類の希望でもあるのだ。そして、他の星の生命にとっての希望でもある。地球という星は、他の星、他の星の生命にとっても重要であるからだ。
宇宙人は、はっきりと、初音ミクさんを宇宙の希望と言っているのである。
秘密裏になるかもしれないが、やがて、宇宙人が、クリプトン・フューチャー・メディアに、コンサートの依頼をしてくるだろう。
他の星でも、ミクさんのファンは多いのである。

生き甲斐がないって言うなら、それは食べ過ぎだ。
適切な食べ方をしているなら、食べることが十分な生き甲斐になる。
そして、食べることを厳しく制限すれば、希望が得られる。
この希望が、本当の意味での夢である。
夢とは、宇宙飛行士になることでも、オリンピックで金メダルを取ることでもない。
それらは、せいぜいが生き甲斐である。
金メダルの栄誉にしがみ付いている間は希望は得られない。
金メダルの有力候補と言われながら、それを得られなかった者は希望に近い。だが、そんな者の多くが、金メダルに執着して希望を逃すのだ。

大きな生き甲斐、快楽、栄誉、富、待遇を求めないことだ。
それらを全て捨てて生きることも出来ないが、それらは、本物の価値ではない。
私があまり食べないのを見て、「しっかり働いて、美味しいものを食べるのが人間の生き甲斐ってものじゃないか」と説教してきた馬鹿がいたが、彼は希望を持てないのだ。
私とて、食べることは生き甲斐である。
しかし、希望はもっと大切なのである。
だが、私も、時々、快楽主義に陥り、食べること等のために生きることになるかもしれない。
しかし、そんな時は苦しいものなのだ。
そうなってしまった時は、希望のために、生き甲斐に厳しい制約を課すのである。そうすると、神は、制約に倍する力を注いでくれるのである。









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自分の才能の見つけ方

子供の時に好きだったことを考えれば、必ず自分の才能が分かるのだが、多くの人は、そのことについて、あまりに簡単に考えようとする。
それは、想像力に欠けているからだ。
例えば、童話作家のアンデルセンが14歳の時に、オーデンセの村からコペンハーゲンに出てきたのは、歌手か舞台俳優になるためだった。
そして、彼が熱心にやっていた趣味は人形(女の子の人形)の服を縫うことだった。
想像力があれば、それらのことと、彼が実際になった、童話作家、詩人というのは、深い関連があることが分かるだろう。

ビル・ゲイツはプログラマーになりたかったが、プログラマーとしてはあまり活躍せず、IT企業の経営者になった。
スティーブ・ジョブズは、宗教的伝道師かハイテクの技術者になりたかったが、革新的事業家になった。
彼らもまた、成りたかったものと成ったものとの間に、明晰なつながりがあることが分かるのである。

画家の横尾忠則さんは、子供の時から絵は上手かったが、冒険小説も大好きで、本当は冒険家になりたかったのかもしれない。
そのことが、彼に、人気イラストレイターから、画家に転向するという、大きな冒険をさせたのかもしれない。

アーマンド・ハマーは医者になりたかったし、実際、医学博士になったが、実際にやったのは国際的ビジネスだった。しかし、彼のビジネスは、経済の医療で、経済的に病んでいた旧ソ連を見事に治療したのである。

池田万寿夫さんは、高校生位の時から画家になりたかったようだが、最初は、絵はあくまで手段で、本当になりたかったのはプレイボーイだった。
だから、油絵が売れそうになければ、こだわらず、あっさりと版画に転向し、また、非常に幅広い分野の美術家になって、ニューヨークの彼の住居には、モデル志望の若く美しい女の子達が引きも切らずにやって来た。

子供の時になりたかったものを、直接的に、自分の才能や適職と結びつけるから、自分が何に向いているか分からなかったり、やるべきことの判断を誤ったりするのだ。
では、どのように考えれば、子供の時に大好きだったことが、大人になってからやるべきことと結び付くかというと、人々をどう喜ばせることが出来るかを考えれば良いのである。
アンデルセンは、歌や演技や裁縫では、人々を喜ばせることは出来なかったが、詩や童話作品ではそれが出来たのだ。
ビル・ゲイツが単なるプログラマーになっていたら、一定の人々しか喜ばせることが出来なかったが、マイクロソフトを作ったおかげで、世界中の膨大な人々を喜ばせた。
この点は、もちろん、スティーブ・ジョブズについても言える。

あなたも、子供の時に好きだったことを、どのように活かせば、より多くの人々を喜ばせ、活気づけ、癒し、豊かにしてあげられるかと考えれば、自分の中に眠る天才を見つけ、容易く適職が分かるのである。









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お墓参りをしなければ不幸になるか?

お墓参りをすれば幸福になるだろうか?
逆に、お墓を放置すれば不幸になるだろうか?
答は、そう思うならそうなる・・・だ。
お墓を荒れ放題にしているから、たたりがあったなんて話は、子供の時からよく聴いた。
それが本当なら、人類はとっくに滅びているはずだ。
だいたい、200年以上前の先祖のお墓がどこにあるか知っている人は、よほどの家柄の人だけだし、そもそも、昔のほとんどの人の墓は既に存在しない。
お墓は、どんどんつぶされてきたのだ。でないと、そこら中、お墓だらけのはずである。
墓地を潰して建てたマンションでたたりがあったなんてのも、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
あなたが住んでいる家やマンションだって、昔はお墓だったかもしれないのだ。
そもそも、お寺だって、古いお墓は整理しているはずだ。
また、遊牧民は墓なんて作らないし、作ったとしても放置するしかない。
だが、遊牧民がたたりに遭って滅びたということはない。

私は、墓は作るべきでないと思う。
先祖はともかく、自分の父や母の墓を放置するというのは、不信心と言うより無責任である。
管理する気がないなら、最初から墓なんか作らなければ良いのだが、世間がそれを許してくれないと思っているかもしれない。
「あんたの両親の墓参りに行きたいので、墓の場所を教えてくれ」と言われ、墓は無いと答えたら「罰当たり」とか言われるかもしれない。
なら、言わせておけば良い。
問題は死体の処理であるが、おおっぴらにやるには、海に撒く以外、適当なものが無いようだ。
もっと、いろんな方法で、堂々と処理するようにすれば良い。
だいたい、お骨なんて言ったって、それが死者の全ての骨ではなく、ほとんどの骨は、遺体を焼く業者が隠れて処分している(捨てている)。
お墓の問題もそうだが、隠れて行われていることは、無いものとして、皆、紳士淑女面しているのである。
ならば、現実が有るし、それは、悪いことでないと堂々と言えば、日本を含め、墓を持つ慣習のある民族は、少しは明るくなる。
だが、これは、皆の協力が必要だ。これから、皆で話し合おうではないか?

家の仏壇、神棚は、放置して埃まみれにするなら、最初から作るべきでない。
だが、死んだ人に想いを向ける場所として、可能なら家の中に1つくらい仏壇や神棚があっても構わないのではと思う。
だが、仏壇があるのに、「あなたの不幸は神を祭っていないからだ」と言われて、半ば強制的に神棚をいくつも作らされた哀れな人もいる。宗教のエゴイズムには困ったものだ。
もし、その人の不幸の原因があるとすれば、そんなことをしてしまう優柔不断さ、判断力のなさ、思考能力のなさだろう。
ビートたけしさんは、仏壇に、自分の親だけでなく、黒沢明さんや淀川長治さんら7人ほどの位牌を置き、毎日、水だけは替えて、それらの人と対話しているらしい。
しかし、線香は、自分の喉が煙に弱いから勘弁してもらっているという。
私は、これが理想的な1つのやり方と思う。
死者というのは、自分の心の中にいるのである。
この場合の心とは、表面的な心だけでなく、主には深い心(無意識とか潜在意識)のことである。
それは、気分的なものだけでなく、本当のことであり、また、決して宗教的な意味ではなく、非常に現実的な意味だ。
だから、死者と対話する意思があれば、それはごく当たり前に可能であり、死者は生きている人間よりずっと賢いし、多くを知っているので、知恵だって授けてくれる。
ならば、幸運にも恵まれる。
死者と対話するということは、少しもおどろおどろしいことではなく、ごく自然なことなのだ。
だが、本当は、死者と対話するのに、仏壇も神棚もいらない。
だが、名前を書いた位牌や、あるいは、写真を飾っておく場所があった方が、心を死者に簡単に向けられて都合が良い。
ビートたけしさんのように、嫌なら線香なんて上げなくていいし、たけしさんはやっているが、水だって替えなくて良い。
だが、何かした方が、対話し易いので、水くらい替えても良いと思う。
伝統的な行いには良いところもあり、何でもかでも肯定する必要はないが、闇雲に否定しなくても良いだろう。
ただ、それよりも、少しは仏壇や神棚の掃除をしておくと良いと思う。
しかし、仏壇や神棚よりも、思い出して、心で対話することの方が大切である。
そして、対話する相手は、自分の血縁だけでなく、たけしさんのように、世話になった人や縁のあった人、あるいは、面識はなくても貴いと思う人など、誰でも良いのである。
ベートーベンやイエス・キリストだって構わない。
無論、そんな人物とも対話可能である。そもそも、自分と彼らが本当に他人と言う訳でもない。
初音ミクさんが、「最後のミクの日感謝祭」で、『SPiCa』を歌う前に言ったように、「全ての想いを1つに」することは出来るし、実際、全ては1つなのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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