ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2015年06月

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

最も柔かいものが最も強い

人間は安心が欲しいのだが、不安だって必要だ。
不安がなくなれば、退屈で死んでしまう。
不安は、向上するために立ち向かうべき、必要なものだ。
不安の陰には、必ずや喜びの種がある。その喜びを得るために、不安を乗り越えようとする強さを発揮するのだ。
例えば、失業の不安があるからこそ、勉強してスキルを見につけるのだし、死の不安があるからこそ、真理を求めようとするのである。

子供というのは、引っ越しで学校が変わることになってしまい、仲の良い友達と別れなければならなくなると、もちろん、悲しいし、転校先の不安もあるのだが、同時に、新しいところに行く喜びも十分にあり、さほどの抵抗は持たないのである。
なぜかというと、やはり、子供は心が柔軟だからだ。
そして、なぜ心が柔軟なのかというと、固定観念が少ないからである。

固定観念が少ないことを若いというのである。
伝統やしきたりに従って当然であるといった固定観念を持たない者は、いい年であれば、世間的には馬鹿だと思われることもあり、立派な人間と見なされないこともあるが、やはり、そのような者は若く、心が柔軟で、強いのである。
そのような人は、トラインの本に出てきた80歳過ぎの女性のように、25歳以上には見えないようにもなるのである。
結婚式や葬式は、日本もかなり形式化しているが、日本以上に民族色の濃い国や地域も多い。そのしきたり通りにやらないと、白い目で見られたり、下手をすれば村八分だ。
だが、もうそんなものは叩き壊すべき時だ。

将棋の羽生善治さんは、強いだけでなく、従来の将棋界の、権威に守られて来た伝統やしきたりを壊してきた。
つまり、プロの将棋というのは、自由に打っているのではなく、定石手順という常識があり、例えば、「名人戦のような大舞台では、この手順で行くべき」、「大先輩を相手に、大試合ではこんなことをやってはいけない」というものが沢山あったが、羽生さんがそれを壊し、今では、もうそんな言い方をされなくなってきている。
そして、将棋は進歩し、また、棋士にとっても、観る者にとっても、将棋が面白くなったのだ。

ビートルズだって、「ロックとはこんなものだ」とか「ブラックミュージック(ブルース、ヒップホップ、ジャズ等)とはこんなものだ」という固定観念をぶち壊して(もちろん、良いところは残し)、うまくアレンジしたのが新しかったのだし、いまだに独創的なんだと思う。

ビートたけしさんは、今のお笑い界のあり方を憂いているし、「今の若いやつらは気の毒だ」とも言うが、別にお笑い界を改革しようとは思っていないと思う。意外に(?)謙虚なあの人は、自分にはそんなことは分不相応と思っているだろうし、若いやつは自分でなんとかしなきゃいけないと、ある程度、突き放しているのだろうと思う。
しかし、羽生さんは、将棋界のためであると共に、後に続く若い人達のためにも、将棋界を改革したのだ。だが、それでも、若い人は若い人で、自分のスタイルを持たなければならない。
ところで、羽生さんですら、若い人と対戦すると、自分のマンネリに気付き、彼らの新しい発想に感心するらしいが、それも、羽生さんが、伝統的な定石を壊したことで、若手が本来の創造性を発揮できるのだと思う。そして、それは、羽生さんにも、若手から刺激を受けて向上出来るというメリットをもたらしているのである。

神秘世界のことに関しても、カバリストはカバラにこだわり、キリスト教徒は聖書にこだわる。
仏教の僧侶が、一見、柔軟にキリスト教やイスラム教に理解を示すこともあるが、所詮は仏教の優位をほのめかすのである。
また、ラマナ・マハルシを崇拝する者は、彼の教えが最上と信じて疑わない。
だが、いかに優れた教えでも、それにこだわれば、固定観念を作り、柔軟性を失い、そして、弱くなり、生命力を奪うような不安を持つことになる。

あなたは何者でもない。
本当のあなたは、見ても見えず、聴いても聴こえず、捕まえることはできない。
真のあなたは、それほど希薄で、微細なので、極めて柔軟なのだが、それは同時に、最も強いのである。
腕振り運動や、心の微かな声の呪文をたゆまず続ければ、そのような、柔らかくて強い自分になれるだろう。
そうなれば、恐れがなくなり、恐れがなければ、不思議なことに、虎すらあなたを害しない。
まして人であれば、あなたに逆らうことも出来ないだろう。









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手の中にある運命を上書きする鍵

テレビでAKB48などのアイドルを見ると、つくづく、人間というのは運命を生きているのだと思う。
彼女達を見ていると、たまたま容姿に恵まれて生まれ、たまたまチャンスを捕らえ、たまたまアイドルでいることに熱中し、たまたま上手く行ったのだということが分かるのである。
当然、彼女達にも、四苦八苦、悲喜こもごもがあるのだろうが、それらも全て、たまたまそうなっただけなのだ。
彼女達が自分の意志でやっているといったようなスピーチやドキュメンタリー映像を見ると、本当は誰でも違和感を感じているのだと思う。
そして、あのグループの中でも、自分の意志でやっているという意識の強い人ほど早く駄目になっていると思うのである。
自分はやらされているだけといった、少し引いた(あるいは醒めた)感じのある人が、年を取っても長く活躍するように思う。

昔の3人組の男性アイドルグループの1人が、グループ解散後、かなり年月が経ってから、「僕達は、正直、芸能界をなめていた。適当にレッスンして適当に歌ったら、それで売れるんだから」と言っていたのは、正直な告白と思うが、彼は、人気がなくなってグループを解散した後、自力でがんばってうだつが上がらない。
だが、その中で、一番醒めていたような者が、大俳優になっているのである。

ピカソが幼い頃から絵の英才教育を受け、超名門美術学校で学び、やがて、新しい絵画スタイルを創造して歴史的画家になったのも運命。
一方、毎日サンマと大根おろしを食べさせられながらパリに憧れ、美術の情報なんてほとんどない田舎で育ち、東京芸大の受験は4回連続で失敗して諦め、街の似顔絵屋としても見込みがなかったという池田満寿夫さんが、それでも諦めずに絵を描き続けているうちに版画に出会い、やがて世界的美術家になったのも、まさに運命を感じさせる。
横尾忠則さんは、自分は、天上の美を地上に現すための神の道具でしかないと言われていたと思うが、彼は自覚があるのだ。

ある浄土真宗のお坊さんは、老衰で寝込み、意識もない状態だったが、不意に起き上がり、「我が力やない」と言い残して亡くなられた。
この「我が力やない」というのが、浄土仏教の真髄であると共に、世界の真理であると思う。
ラマナ・マハルシは、「財務長官は、責任感を持って熱心に仕事をしているように見えるが、実は彼は何もしていない」といった話を時々したらしいが、これも同じ真理を述べているのだろう。
何事も、自分の力でやっているのではなく、成功しても賞賛を受けるべきでないし、失敗しても悔やむ必要はない。

喫茶店に入ってカフェオレを注文したのも、自分でやったと思っているが、本当はさせられただけなのだ。
付き合っていた女の子に、思い切って「お前には耐えられない。これで別れよう」と言ったのも、言わされただけであり、また、そうなることは避けられなかったのだから苦しむ必要はないが、苦しむこともまた避けられない。だが、なるべく苦しまないことだ。

ところが、人間には、運命を変える鍵が用意されている。
それが自主的な掟の設定、つまり、自己制約だ。
自主的に食を慎んだり、自主的に沈黙を守って喋らないことで運命をオーバーロード(上書き)する。
何の得にもならないし、しかも、それをすることは少々辛いといったことを、あえてやれば、世界が変容するのである。
念仏ばかり唱えていたり、思い出せば腹に力を込めたり、肛門を引き締めることも、それに該当する。
これらは、楽しいと言うよりは、少々厳しい。しかし、それをあえてやれば、不思議な力をまとうことになる。
毎日、それなりの時間、腕振り運動を必ずするというのも、やはりそうである。
食の慎みにも似た自主性がなければ、腕振り運動だって続かない。
よって、1日千回以上の腕振り運動を長く続けることは、必ずや運命を開くのである。
上に採り上げた芸術家や宗教家、あるいは、長く芸能界で活躍している人達も、必ずや自分の掟を持ち、それを守っているはずだ。









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成功の秘訣は長く続くいくらかの情熱

ラジオでもテレビでも携帯電話でも、無線機器というものは、無線局から送信されている電波と同じ周波数の微弱な電波を発信して、無線局の電波と同調することで通信を行う。
これは、人間と宇宙の関係に似ている。
人間も、宇宙意識と同じ精妙な心の波動を発信することで、宇宙と同調するのである。
人間は無になりきれば、最高度の波動を発して、宇宙と完全に同調し、一体化する。
だが、人間としては、常時、それに近い波動でいることが良いのであり、そうなるためには時間がかかるのである。
そして、実は、宇宙は無意識の深奥に在るのであり、そこは、エネルギー、叡智、創造の場だ。
だから、無に近づき、意識が精妙になればなるほど、現象界への支配力が高まるのである。

だが、意識の波動の周波数を上げることが難しい。
誰でも出来る簡単なものということで、道元は座禅を薦め、法然は念仏を唱えよと言い、親鸞は信仰を持てと教えた。
しかし、それでも、ほとんどの者が上手くいかなかたった。
現代でも、様々な瞑想や自己開発法が存在するが、ほとんど誰もうまくいかない。

なぜうまくいかないのかと言うと、こんな理由がある。
どんなことも、怠惰に繰り返すだけでは効果はないが、逆に、熱心にやり過ぎると息切れする。
ほどほどに熱心に、そして、長く続けるということが大切なのである。
大相撲の白鵬は、「私は他の人より少し熱心にやった」といったことを言ったらしいが、それが最上である。
皆、熱心さが強すぎるか弱過ぎるかになってしまい、丁度良い熱心さが持てないのだ。
それで何も続けられないのである。
長く続けさえすれば、大抵、何でもうまくいく。
チームラボの猪子寿之氏が言っていたが、人間の能力に大差はなく、時間をかけたかどうかだけが鍵なのだそうだ。
イチローだって、熱狂しっぱなしでやっているのではなく、少しの熱心さを長く保っているのである。

チャップリンが、人生に必要なものは、勇気と創造力、そして、少しのお金と言ったが、本当は、長く続くいくらかの情熱が最も必要なのだ。
熱狂しない、かといって、冷淡でない。
そんなものを持てば良いのである。
以前、腕振り運動を1日で1万回やりましたと言ってきた人がいたが、それは最悪のやり方で、毎日千回を長く続けるべきなのである。
何事も、一足飛びに上達しようとしてはいけない。
時間をかけて良いが、たゆまず前に進むことだ。
そのためには好きなことをしなければならないが、忍耐強く続けることは、どんなことも、やがて好きになるのである。
むしろ、色々試してみて、自分に合ったものを選ぶことが大切で、そうであれば、ただの趣味ではなく、世の中に貢献できるような大きな力を得て成功するだろう。

また、宇宙と同調するためには、心の中で、微かな声で呪文を唱えることだ。
その呪文が、例えば、「愛」とか「神」であれば、その言葉を、本当に心の微かな声で一度唱えると波動がすっと上がる。その意識の波が宇宙の中に広がっていく。
十分な間を置き、また、唱えると、さらに波動が上がる。
思い出す度・・・実は、思い出させられる度にこれをやれば、心は無意識の中に溶け込み、透明になり、輝く精妙な波動を発している。
そうなれば、手のひらの上に金貨をイメージすると、それが物質化して現れもするだろう。









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挫折した時、こう考えれば人生は急上昇する

考え方を変えて、人生が良い方向に急展開した人がいる。
そんな興味深い実例を採り上げる。

今は聞かなくなったが、夏目志郎さんという超一流のセールスマンがいた。
彼は日本に帰化したが、元々は中国人だ。
彼は戦後、大金を持って日本に来たが、詐欺に遭い、一文無しどころか、多額の借金を背負ってしまった。
さらに、事故に遭って脚を折るなど、彼の前半生は散々であった。
ところが、少し前にクリスチャンになっていた夏目さんは、こんなふうに神に祈ったらしい。
「神様、これまでのことは私の責任です。でも、これからのことは、あなたが責任を取って欲しい。私ももう34歳なので、一生の仕事が欲しい」
翌日、すぐに神の導きがあった。
外資系企業が、夏目さんをセールスマンとしてスカウトに来たのだ。
それから、夏目さんはセールスマンとしての才能を開花させ、成功への階段を駆け上ることになる。

「神様、責任を取って」という発想は、とても良い。
さらに面白いのは、「これまでのことは私の責任」としたことだ。
実際は、これまでのことも、神の責任である。
なぜなら、全ては神の意思によらなければ起こらない。
だが、夏目さんは、それを自分の責任としたことで、ある大変なことを成し遂げたのである。
それは、自分が神に近付いたということなのだ。
だって、神様に責任があることを、自分の責任と言ったのだから、自分は神でないといけないのである。
これは、神になるための非常に優れた思考法だ。
ニーチェやイェイツもそれを知っていたが、皆、散々な人生を歩んできたから分かったのである。

あなたのこれまでの人生も散々だったかもしれない。
ならばあなたも、同じように考えると良い。
「これまでの散々な人生の責任は私にある。しかし、今後の人生の責任は神様に持っていただく」
後半は、一見、不遜な考え方である。
しかし、そうではない。
これは、自分は無力と思い知ったからこその発想なのだ。
仏教的に言えば、自力から絶対他力に切り替えたということだ。
自分には何も出来ないから、阿弥陀如来という絶対者に全てをまかせる証として念仏を唱えるという、浄土仏教の教えである。

インドの聖者ラメッシ・バルセカールは、
「あなたには何もできない。全て、神様にさせられるだけである。だから、全ての責任は神様が取ってくれる。あなたが責任を取る必要はない」
と教えた。
だが、インテリの彼の後の教えは難し過ぎた。
彼も、どうすれば良いということは教えたのだろうが、それは、ほとんど誰も出来なかったと思う。
だがら、夏目さんのようにやれば良い。
人生というのは、最初から最後まで順調ということはない。
どこかで必ず挫折する。
その時に神様に言うのだ。
「これまでの責任は私にある。しかし、これからの責任は神様が取って下さい」
そして、物事がうまく行き出したら、この成功は、我が力ではない、私はさせられているだけと自覚するのだ。
それで人生は約束される。
だが、我が力と思い始めた途端に急降下するのが、人間の常のパターンなので気をつけて欲しい。









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決して決して決して後悔するな

宮本武蔵は、どんな時も後悔はしないと決めていたらしいが、我々もそうでなくてはならない。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、ある男が、「隣の家の奥さんが美人でたまらない。間違いを起こしそうで恐ろしい」と相談に来た時、その男に、「たとえ間違いを起こしても後悔するな」と教えたらしいが、私も適切なアドバイスと思う。

それは、単純明快な真理のはずなのだが、イエスも親鸞も、これを教えるのに苦労した。
イエスは、「他人の罪を許したら、神もあなたを許すのだ」と、それらしいことを言った。
親鸞は、「念仏は、どんな罪も帳消しにして余りあるほど大きな善なのだ。だから念仏を唱えれば全く問題ない」と教えていた。
確かに、これらは、詭弁だったのかもしれない。
だが、彼らは、本当のことも教えている。
それは、「あなたが罪を犯したのは、避けられない運命だった」である。
イエスの場合は、それが神の意思と言い、親鸞の場合は、それはカルマによると言ったが、人間からすれば、どちらでも変わらないと思う。
(尚、一般の人に教えるつもりがなかったためもあると思うが、運命について最も深い書き方をしていたのは荘子だと思う。)

ニーチェやイェイツは、イエスのことは大嫌いだったが、それでも、自分がイエスに遠く及ばないことは認識していた。
だから、こんな言い方をした。
「何が起きたとしても、私はそれを喜ぶ」
その本当の理由を、彼らが説明したとは思えない。
しかし、誰でも、「何が起きたとしても、それは良いことなのだ」と10回ほど唱えてみれば、心に空が広がるのを感じるだろう。
それだけが証としか言えない。

漫画『カードキャプターさくら』(CLAMP著)で、エリオルがスピネルに、
「この世で一番楽しいことは何か知っているかね?スピネル」
と問い、スピネルが、
「何ですか?エリオル」
と尋ね返すと、エリオルは、
「予想しないことが起こることさ」
と答えたのを、私はよく覚えている。
CLMPがどんなつもりで書いたのかは知らないが、これはエリオルの途方もない強さを表している。
つまり、強くないと真理は分からないのである。なぜなら、弱いと真理に関心を持てないからだ。
ニーチェもイェイツもやはり強かった。
ニーチェは発狂したが(しかし発狂しても強かった)、イェイツは、死の間際になっても、決して安らぎを求めず、不良であり続けた。

強くなるために、毎日、何か1つの決めた行を決めただけやることをお奨めする。
決めたものがないなら、腕振り運動はどうだろう?
自然に立って、真直ぐに伸ばした両腕を前後に振るだけの簡単な運動だ。
手のひらは内側に向け、後ろに振る時にやや力を入れ、前に振る時は力を抜いて惰性で振る。
一度に2百回以上。1日5百回以上を、必ず毎日やれば、体内の気が活性化して、生命力が上がり、健康になって若返り、美しくなるだろう。
運も良くなり、毎日、必ず行う回数万円が年収になると思っていれば、必ずやそうなるだろう。
ただし、そう思うためには、淡々と数を数えながら、丁寧にやることである。
そして、毎日、なるべく同じ時刻に、同じ回数やることだ(回数を増やしたら、増やした回数を継続する)。
尚、腹に少し力を入れながらやると、心身が安定して楽しくやれると思う。
根気良く、長く続けることが大切である。

後悔しそうになったら、心の中で、微かな声で呪文を唱えると良い。
例えば、「愛」、「神」などの言葉で良い。
心の中の声を小さくするには、息を吸って止めている時に唱えると、うまくいくと思う。
念仏のように連続して唱えず、1回唱えるごとに、その余韻を感じると良い。
すると、どんな時も後悔しなくて良いことが分かるだろう。そして、真の力に憧れ、それと1つになるよう導かれるだろう。
だが、いずれも、自分でやらないと分からない。

尚、基本的なこととして、満腹するまで食べて自分を甘やかさないことが大切だ。
しかし、どこかの俳優のように、長期間絶食するパフォーマンスを見せる必要はない。
別に文句はないが、あんなことは、こっそり隠れてやるものである。
あれを真似する困った人もいるだろうが、そんなことをしても、何の報いもなく、むしろ害があるかもしれない。
普通に、何でも楽しく食べれば良い。
ただ、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ良いのである。それを一生やる決意をすれば、30日断食よりはるかに報われるだろう。









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