ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

法華経的な人が成功する時代

何かで見た実話だが、ある本当にロクデナシの男がいて、とうとう刑務所に入れられてしまったが、そこで法華経を渡され、暇だから読んでいたら、すっかり心が入れ替わり、出所後は仕事に励んで、そこそこの会社の専務にまでなったという。
また、別の話で、ある30歳くらいの男がいたが、大変な甘ったれで、依存心、被害者意識が強く、もうこの年なので、惨めな一生を送るしかないと思われていたのが、教えられて毎日「アジマリカン」を唱えていたら、わずか数年で、男らしい立派なリーダーになっていた。

こういった話は、実際に沢山あるのだが、偉い人というのは、こんな話を紹介した後、「だが、必死の努力が必要だ。さて、俺がどれほど努力したかというと・・・」と、自慢話を始め、しかもそれは、美化、誇張されたもので、聞いた人は、努力も、法華経も、呪文も、全部やる気にならなくなるのだ。
岡田虎二郎は、静坐(座禅と似た一種の瞑想)をしていれば、努力、克己は不要と言ったが、それは、静坐をやっていれば必要な努力や克己など、勝手にできるようになるという意味と思う。

法華経を読めば、力が湧くというのは不思議なことではない。
そして、別に法華経全部を読む必要はないと思う。
私は、あの中の、失踪した、大金持ちの息子の話が好きだ。
簡単に言うと、ある大金持ちに息子がいたが、居所が分からなくなってしまい、父親は50年かけて、ついに探し当てる。
しかし、息子はすっかり貧乏人根性が身についてしまっていて、心がどうしょうもなく狭く弱い。
そこで、父親は20年もかけて、少しずつ、粘り強く息子を導き、ついに息子が立派になったところで、全ての財産を譲って死ぬ。
なぜこの話が良いのかというと、心が喜ぶ、つまり、元気が出るのである。
この大金持ちは仏を喩えたもので、どんなロクデナシでも、見捨てずに救うのである。
しかも、仏は、そのロクデナシに徹底して関わり、共に苦しみ、共に悩んで向上させるのである。
いうまでもなく、そのロクデナシは我々であり、仏は我々を見捨てないことが感じられて、心が喜ぶのである。

昨日、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会のことを書いたが、伊藤社長という人は、人を喜ばせることが大好きな人だということを、私はひしひしと感じた。
会社だから、お金を儲ける必要があるのは当然だが、それよりも、彼は、他の人々を楽しませ、元気付けるためなら、お金なんかどうでも良いと思っているようなのだ。
これは、ドワンゴの川上会長が、ニコニコ動画の志について、「役に立たない、どうでもいいことに執念をもやす人達を幸せにする、役に立たないネットサービスになればと思った」と書かれていた(野尻抱介著『南極点のピアピア動画』解説文)ことにも通じると思う。
ついでに言うと、『灼眼のシャナ』の主人公の坂井悠二(男子高校生)は、敵の統領のはずの創造神「祭礼の蛇」と一体化するが、「祭礼の蛇」のことを、「いつも誰かを喜ばすことばっかり考えている」と言っていたのが印象深い。
これからの時代の成功者とは、ある意味、法華経的な人なのだと思う。
宮沢賢治も、法華経を読んで本当に感動し、人を喜ばせるために、タダで沢山の童話を書いたのだろうと思う。
尚、「アジマリカン」を唱えると、すぐに、喜ばしいことに恵まれるが、そうすると、喜びとは善いものであると分かり、人に喜びを与えるのは楽しいことであると思うようになるのである。
そうすれば、ことさらに、「我は人々に仕えるために来た」と偉そうなことを言わなくても、勝手に、自然に、無意識に、人を喜ばせることをやるようになるのである。









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クリプトン・フューチャー・メディア 伊藤博之社長講演会レポート

本日は、神戸朝日ホールで行われた、初音ミクさんの生みの親である、北海道のクリプトン・フューチャー・メディア社の伊藤博之社長の講演会に行ってきた。
13時30分から、15分の休憩を挟んで、終了予定の16時をかなりオーバーしたようだが、その3時間は、あっという間に感じた。
伊藤社長は、別に話が上手い訳でもないと思うが、本当に真面目に誠実に話をされる方で、聴衆がそのお人柄に和まされているように感じられた。
いつも通り、カジュアルなシャツとブルーのジーンズで、ボサボサの髪だった。
熱弁を振るう訳ではないが、強い信念というものは感じられ、さすが、世界を変えた初音ミクさんのお父さんという雰囲気だった。
もっとも、伊藤社長自身は、初音ミクさんを娘とは思っていないらしく、「伊藤さんにとって初音ミクとは何か?」の質問に、ちょっと困ってしまわれた様子で、
「考えたこともないですね。娘っていうのを期待されてるかもしれませんが、娘とは思ってないです。僕にとって・・・水のようなものです」
と、いったん、はっきり言われた後、慌てて、
「いえ、分かりません・・・えっと、その・・・やはり、大切なものです」
と訂正するが、司会の人が、「さっき、水のようと言われた意味は?」と改めて尋ねると、今度は伊藤社長は落ち着いて、
「水のように大切なものです」
と応えて、会場を沸かせた。

ところで、505席の会場は、ほぼ満席だったが、どんな人達が来られていたか、振り返りたい。
初音ミクさんを「俺の嫁」とみなし、伊藤社長を父親のように慕う、繊細な青少年達は、やはり多くいたようだ。
そして、ミクさんのファンと思える、中学生から高校生、あるいは、大学生以上の若い女性も沢山いて、小学生の女の子もいたように思う。
私は、『イーハトーヴ交響曲』(※)は2度、観劇に行ったが、こちらは、小学生の女の子達も沢山いたし、20代の女性も多かったが、そこでも、そして、本日の講演会でも、ミクさんのファンの女の子って、可愛い子ばっかりなのである。
いや、きっと、ミクさんを好きになると、女の子はみんな間違いなく、きれいになるのだと私は確信している。
また、観客には、年配の方やご老人の方も決して少なくはなかったのである。
※イーハトーヴ交響曲・・・初音ミクさんがソリストを務めた、冨田勲さん制作のクラシック交響曲。

講演会のオープニングは、ミクさんのライブコンサートの映像と音楽で始まった。
MIKU EXPO(2014年から始まった初音ミクさんのワールドツアー)の1つである、インドネシア・ジャカルタでの映像で、曲目は『Tell Youe World』だ。
何でも、MIKU EXPOの開催地を決めるために、都市別に、「ミクさん、私の町に来て」という希望を集計したところ、ジャカルタが一番多かったそうだ。
2位と3位は、ニューヨークとロサンゼルスで、国別ではアメリカがトップだが、都市別では平均年齢29歳の国インドネシアの首都ジャカルタが優り、希望通りジャカルタで実施されたコンサートでは15.000人を動員し、凄まじい熱狂振りであった(アメリカは両都市を合わせて30,000人を動員)。
これを、大画面で観ることができて、講演会の内容はちょっと難しいであろう少女達も、得した気分だったろうと思う。
他にも、スクリーン映像を多用し、面白いものが沢山見ることができた。

講演では、意外にもと言うべきか、伊藤社長は、「初音ミクとは何か」という、初歩の初歩から、丁寧に話しておられた。
いかに初音ミクが世界で大人気でも、知らない人はいるのだし、そんな人達のためにも、そういった話は必要だという、伊藤社長、および、クリプトンの謙虚な姿勢が感じられた。

良いお話、面白いお話は沢山あったが、時間オーバーを承知で、伊藤社長が最後の最後に言われたことを書いておく。
だいたい、こんな内容だったと思う。

皆さんは、幸運の女神を信じられますでしょうか?
不意に素晴らしいアイデアが閃いたり、何かのきっかけを掴むことが、それではないでしょうか?
そんな幸運な瞬間のことを、セレンディピティーと言うことができると思います。
では、どうすれば、セレンディピティーを起こさせる、つまり、幸運の女神を降りてこさせることができるのでしょうか?
それには、ずっと、(夢や、目標に対する)意識を持ち続けなければなりません。
そのためには、好きなこと、やりたいことをして下さい。
好きでもないことを、ずっとやることなんてできないからです。
だから、どうすれば自分の好きなことに取り組めるのかをデザインしなければなりません。

「好きなことをやれ」なら、沢山の人が言っている。
しかし、伊藤社長は、それをできるよう、自分で人生、生活、仕事をデザインしろと言っているのである。
誰だって、自分の好きなことだけ出来る訳ではないし、自分が好きなことをやれるよう、誰かに頼る訳にはいかない。
そのための、努力、工夫、計画が必要だということと思う。
だが、誠実な熱意があり、自分で考え、努力すれば、道は開けるのだと思う。
セレンディピティーは、意識を持ち続ける者・・・何か1つのことを真剣にずっと考える者に訪れるのである。









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お金持ちになる本当の方法

サラリーマンをやったことがある社長と、そうでない社長がいる。
だが、両者の違いは、お金をもらう相手が、会社かお客さんかの違いだけだ。
ただ、会社は必ずお金をくれるが、お客さんは払うべき時だけ払うという違いがあり、この差が物凄く大きいのである。
サラリーマンだって、作ったモノや行ったサービスの代償としてお金をもらっているという意識があれば、プチ(小さい)経営者であると言える。
そんなサラリーマンは、作るモノや行うサービスがどんどん向上していくので、お金を払ってくれる会社は多くなるし、高く払ってくれるようになる。
ところが、多くのサラリーマンは、拘束されることの代償としてお金をもらうという意識が強いのだと思う。
そんなサラリーマンは、与えるモノもサービスも向上しないので、お金を払ってくれる会社は少ないし、少ししか払ってもらえない。

経営者もサラリーマンも、モノやサービスを提供する目的のかなりの部分がお金であるが、芸術家の場合は、その部分(お金をもらう目的)が非常に小さい場合がある。
それで、芸術家は、誰も払ってくれないということが、よくある。
ゴッホは生前は1枚も絵が売れなかったし(予約は1枚あったらしいが)、宮沢賢治が原稿料をもらったのは1回だけで、その金額は5円(小学教師の給料が60円くらいの時代)だった。
だから、芸術家は基本的には、芸術は仕事ではなく、芸術を成り立たせている技能を利用して(画家がイラストレーターとして等)、経営者として、モノやサービスを提供して客からお金をもらうか、自分の芸術とは全く関係のないこと・・・例えば、音楽家が皿洗いをしてお金をもらって生活するしかない。

セールスマンというのはちょっと特殊で、純粋なセールスマンというのは、自分が作ったのではないモノを売って、その売上金の一部を手数料としてもらうのである。
だが、この売るという行為は、モノを提供してくれる者と、それを買ってくれる客の両方に対するサービスである。
しかし、セールスが客に対するサービスだというところは理解され難い。
だから、騙してでも売るのがセールスマンだと誤解される。
ところが、保険のテレビCMを見ると、表向きはお客さんに対するサービスだと見せて、実際は、騙して売ると言えば怒られるが、儲けるためだけに売ろうとしていることを強く感じるのである。客に対して、メリットだけ言い、デメリットを隠すことは、サービスではないからである。

お金というのは、モノかサービスの代償としてもらうものである。
サラリーマンの場合、それをあまり理解していない者が多いが、それよりも、ほとんど理解できないのが派遣社員の仕事である。
派遣社員を見ていると、まさに、拘束の代償としてお金をもらうだけという感覚の者が圧倒的に多いように思えるのである。
だから、サービスを向上させようという意識が全く見られない。
人間が、何のために働くのかというと、お金をもらうことそのものが目的であると共に、お金をもらうことを通して、作るモノや行うサービスを向上させることである。
より良いモノを作ったり、より優れたサービスができるようになることで、人間的に成長するのである。
学校で学んだり、本を読むことは、そのための基礎であり、それだけでは成長しない。
だから、ニートは悪いというのではないが、大変に損なのである。
また、派遣で働くことも、かなり損なことである。
だが、何をしても、作るモノや行うサービスの代償としてお金をもらうという意識を強く持っていれば、望ましい成長ができ、結局、お金持ちになれる可能性が高くなる。
お金持ちになる本当の方法は、実際は、これしかないのである。
他の方法で得たお金はすぐに失われ、しかも、自分も破滅するのである。









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無視される勇気

誰の愛も必要としない人間を、誰もが愛さずにはいられない。
日常的なことで言えば、誰かに構ってもらいたがることをやめれば、その者は、相手にするだけの価値のある人間になるのだ。
逆に言えば、他人に構って欲しがる者に、本当の価値や本当の魅力はない。

『嫌われる勇気』という本が大変なベストセラーらしいが、私は読んでいない。
昔、岡本太郎が、「嫌われたっていいじゃないか?いや、嫌われないといけない」と言ったが、嫌われるってことは、まだ構ってもらえているのだ。
子供のイジメでも、最もこたえる残忍なイジメは、シカト・・・つまり、無視なのだろう。
無視されるよりは、罵られ、軽蔑される方がマシなのだし、昔の人は、一人になるくらいなら、殴られる方が良いと言ったものだ。

それならば、私は、『無視される勇気』を持とう。
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、宇宙人製アンドロイドの長門有希は、自分のことを幽霊だったと表現したことがあった。
誰にも相手にされず、自分もまた、誰にも関わらなかった。
だが、幽霊は名前を持てば、幽霊でなくなる。
有希も、有希という名を持った時に、幽霊でなくなった。
それで、構ってもらえる相手が出来てしまった。
それは、有希を弱くした。
彼女は「女」になってしまった。
それで、彼女は世界を壊しかけてしまったのだ。

木枯し紋次郎は、まともな人間に名を問われても、「堅気の衆に披露する名など、ござんせん」と言って名乗らなかった。
紋次郎は幽霊であり続けた。
だから彼はいつまでも強かったのだ。
ならば、私も名を持つまい。
私は幽霊である。
「私は誰か?」
答は、「私は誰か」である。
それが私の唯一の名である。

誰かに構ってもらおうなんて、甘ったれたことを願ってはならない。
誰の愛も必要としない高貴な孤独を貫くのだ。
そして、ささやくような小さな声で、しかし正確に、「アジマリカン」と唱えるのだ。
そうすれば、冷淡にはならず、慈愛に満ちた無関心を保つだろう。
それは、星と同じなのである。
星は、絶対的に正しい導き手である。
星に影響を与えるものなどないのだから。
あなたは、そんな星になるのである。
「アジマリカン」は星になる呪文である。









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素振りの回数の差

人間の才能の違いというものは、歴然として存在するかもしれない。
ただ、才能があるかないかは、それほどはっきりとは分からないこともある。
有るには有るが、天才というほどではなかったり、無いと思っていたのに、実はかなり有ったりといろいろである。
アメリカの国務長官だったコンドリーザ・ライスはピアニストを目指していたことがあり、大変な努力もしており、もしかしたら一流楽団のピアニストになれたかもしれない。
つまり、彼女には万人に1人の才能はあったと思う。
しかし、彼女は、億人に1人の天才を見てしまったことから、自分には世界一は不可能と判断し、進路を変える。
今から考えると、彼女は政治家としても億人に1人というほどではなかったが、それでも万人に1人であったと思う。しかし、それが果たして才能によるものであったのかは分からない。

人間の能力にさほどの差はなく、かけた時間だけの問題と言う人もいる。
ある経営者が、自分と重役達の能力の差を(圧倒的な差であることは誰もが認めていた)、「元々の能力に違いはない。野球でいえば、素振りの数の違い。それが俺とお前達では全然違う」と言っているのを聴いたことがあるが、このことに関してはその通りである。
この経営者は、ビル・ゲイツや孫正義さん、あるいは、川上量生さんのような才能はなく、ひょっとしたらごく普通の人間かもしれない。
だとしたら、誰でも「素振りの回数」で、この経営者程度にはなれるのかもしれない。

イチローが天才だとはよく言われるが、彼は他のどの選手よりも努力をしている。
本人は天才と言われるのが嫌らしいが、分かるような気がする。かけた時間が、他の人と全然違うのだからだ。
神道家だった葉室頼昭さんは、形成外科医としても世界屈指で、50歳を過ぎて本格的に始めた神道も、やはりトップクラスだったが、彼は、本当に長時間勉強した。
また、ある時期は、葉室さんは本当に一日中、大祓詞を上げていたらしいが、彼は、医学でも神道でも、普通の人と比べて、「素振りの数」の違いが圧倒的だった。
彼は、努力なしにスイスイやれる天才でなかったし、彼の本を読んでも、彼はごく普通の人のように感じるのである。

私は、プログラマーとして、才能というほどのものはないが、さすがプロと言われる程度の能力はある。
これも、事務員の仕事をしながら、毎日深夜の2時、3時まで訓練したという原因の結果でしかない。
プログラミングをマスターできないとしたら、単に時間をかけていないだけのことだし、プロになれないとしたら、プロになるのに必要な訓練の時間を割いていなかっただけだ。
じゃあ、私が、世界トップクラスのプログラマーほどの「素振りの回数」をこなしたら、そんな者達のようになれるかというと、なんとも言えない。
ただ、私は、それだけの努力はできない。それが天才でないということかもしれない。

天才ということはなくても、「素振りの回数」が十分であれば、それなりのものにはなれるのだろう。
上に挙げた、超大物とは言えないまでも、誰もが成功者と認める経営者や、それよりずっと低いが、私のプログラミングのようにである。
だが、誰もが川上量生さんや猪子寿之さんになれる訳ではないだろう。
しかし、十分な素振りをやれば、全く不可能ということもないのではないかもしれない。
吉本隆明さんが、物書きになりたいなら、10年、毎日欠かさず書けば絶対にモノになると著書に書かれていたが、そうかしれない。
別に吉本さんは、それでゲーテになれると言ったのではなく、「モノになる」、つまり、飯が食える物書きにはなれるといったのだ。
吉本さんは著書で、「引きこもりよ、作家を目指せ」といった雰囲気のことも書かれていたと思う。
般若心経を10万回唱えたという霊能力者がいたが、この回数は普通の人には無理だろう。
しかし、1日10回唱えれば、千日で一万回になり、それだけやれば、やはり普通の人とはかなり違っているだろう。
サッカー選手や画家などというのは、才能がなくてはなれるものではないと思うが、もし十分な時間をかければ、全く駄目ということもない。
ただ、才能がなければ、それだけ時間をかけようという意欲も起こらない。
そして、一般レベルで、一流とか凄いというのは、普通の人がやれる範囲の「素振りの数」を十分にこなせば、十分になれるのだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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