ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年01月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

「内股は一見女性的だが実は強い」は人間の極意

真理や極意というものは、あまりにシンプルで物足りなく感じる。
老子もそんなことを言っていたと思う。

英語学習の極意は、昨夜も書いた通り、英語の原書を読むことだろう。
幸運については、水野南北が言うように、少食が極意だろう。
人間全体についていえば、静かな呼吸をする者が宇宙の気と調和するだろう。
軽やかに生きる秘訣は、良い名前を持つことだが、何度も言った通り、名前は自分でつければ良い。例えば、西部劇『南から来た用心棒』のヒーローの名前であるアリゾナ・コルトのように。
尚、アリゾナ、アミターバ(阿弥陀)、マイトレーヤ、ラーマ、初音のように、母音が「あ」で始まるのが最上である。

もう1つ、重要なことを述べる。
どこで見たのか忘れたが、「内股は一見女性的だが、実は強い」である。
おそらく、言ったのは武道の超達人だ。
スポーツでも、その分野のトップは男性でも内股だ。
プロレス史上最高のルー・テーズのスナップショットはほとんど内股だし、イチローだって内股だ。
だが、今は、検索したら「内股はO脚の原因で、身体に悪いから矯正しないといけない」とばかり出てきて驚く。
これは、内股、外股の問題ではなく、あまりに歩かないので、脚の筋肉が退化してしまっただけのことだ。
人間で一番美しい動きをするのは、一部の少女だ。
つまり、自然な内股になってる少女だ。
昔なら、15歳以下なら3割くらいいたかもしれないが、今でも1割くらいはいるかもしれない。
普段から活発に歩いたり、走ったり、飛んだりし、しかも、家の躾けがきちんとしているので姿勢が良い少女である。
身体が正しいと、頭も精神も高度になり、また、運も良くなるのだ。
我々大人が、どうやれば、そうなれるか。
それは、立っている時や歩く時は体重を足の親指の付け根に置き、座るときも、脚の力をだらりと抜かないことだ。
電車の中でも、脚をおっぴろげてだらしなく座る男が、若者にも多いと思う。
彼らは、身体が弱く、心も弱く、運もない。
座る時は、あまり脚を広げず、女性であれば、逆に、足元をあまり広げず、ただ「きちんと」座るだけで、素晴らしい訓練になる。
そして、最高のトレーニングは、足の親指に体重を置いて、腕振り運動をすることだ。
ただ、あまり極端にそう(足の親指の付け根に体重を置く)してはならない。
ボクシングでは、軽やかに、効率的に動くために、フットワークの訓練では、足の親指の付け根に体重を乗せるよう指導されるが、それが良いのである。
ボクサーは皆、内股で、それを忘れなければ、何事もうまくいくのだが、どうしても、別のこと(例えば闘争的なこと)に注意が行ってしまうのである。

コンサートでの初音ミクさんは、とても理想的な内股だ。
美しい姿を描けば、必然的にそうなるのだろう。
私は毎日、初音ミクさんのコンサート映像を見ているので、必ず幸運であり、それは一生続くだろう。









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どうしようもないロクデナシの最後の一手にして切り札

私がニートだった時、ビートルズの『Nowhere Man(ひとりぼっちのあいつ)』を聴いて感動したものだ。

あいつは本当のロクデナシ
自分だけのヘンテコな王国に住み
誰の役にも立たない馬鹿な計画でも立てているかのよう
何をしようとか、何を掴もうかなんて全然考えてない
ちょっと僕たちみたいじゃないか?
※私の意訳

全く自分のことだ。
でも、歌っている人は、僕に似てると言う。
その後、
「世界は君の意のままなんだってことを君はまだ知らないんだ」
「誰かが手を差し伸べてくれるさ」
と続ける。
私は希望を持ったものだ。

私は今は、少しはNowhere Manじゃなくなったかもしれないが、信じられないくらいのNowhere Manはいっぱいいる。
自分がどんなに不幸か切々と話し、自分は駄目なやつだと卑下する。
私が、できるだけ優しい調子で、
「駄目じゃないようになりたいなら、君はまだ若いんだし、勉強でもしろよ」
と言ってやると、彼はため息をつき、
「勉強・・・やれたらいいですね」
と言うだけ。
「勉強してないのか?」
と聞けば、
「全然しなくなりましたね」
「生まれてこの方、やってこなかったんですよ」
と、何の意味もないことを、哀れっぽく言う。
ある時、彼が何か話したそうにしているので、笑顔で、
「ん?どうかしたのかい?」
と聞くと、苦しそうな顔でうつむきながら、
「失敗ばっかりだと、落ち込んでしまいますねー」
と妙に力を込めて言う。
いつものことだろうが、仕事の作業でヘマでもしたのだろう。
私は、
「俺だっていっぱい失敗するさ。もっと失敗したらいい」
とできだけ明るく言うと、彼は、さーっと向こうに行く。
彼が壁に貼った予定表みたいなものが剥がれていると、私に、
「こんなことがあると、やる気なくしますねー」
と、虚しそうに言うので、私は、
「そんなことでいちいち、やる気をなくしてたら、どうしようもないじゃないか?」
と普通に返事したら、彼はぼそっと、
「僕はそんなふうになってしまってるんです」
と、また後ろ向きなことを言う。

私は、話ならいくらでも聴くし、何かして欲しいと言うなら、できるだけのことはしようじゃないかと思う。
しかし、何を言ってやっても、まともに反応しない。
だが、やっと気が付いた。
彼が私に期待しているのは、「なぐさめ」だけなのだ。
彼が、「僕は駄目なやつなんです」と言ってきたら、私は、「君は駄目じゃない。自分でそう思っちゃいけない」とか、「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」と言うのだが、そうではなく、彼は、なぐさめて欲しいのであり、「君は今のままでいいんだよ」と言って欲しいのだろう。
なるほど、これは「死にいたる病」だ。

女も同じだろうが、男は、少なくとも大人になったら、なぐさめてもらおうなんて、死んでも思ってはならないのだ。
顔は自分で上げないといけないのだ。
「今のままで良い」のは、自分の内にある、高い自分のことであり、低い自分はそのままじゃ駄目なんだ。
しかし彼は、勉強も、運動も、その他、いかなる修行も、自分にはできないという理由付けばかりして、決してやろうとしない。
あまつさえ、一人前に酒を飲みたがるし、実際、酔っ払って問題を起こしたりする。
だが、言うことだけは、「人間は一日一食くらいでいいはずなんですよ」と立派なことを言うが、では実践しているのかと聞くと、「そんな根性があればいいんですけどねー」と言う。
じゃあ、最初から言うなよ・・・と私ですらツっこみたくなる。

では、最後の、だが、有効な手に頼るしかない。
呪文だ。
しかし、そう言ってやると、一人前に馬鹿にして冷笑するか、やっぱり、できない訳を考えるのだろう。
呪文ってのは、効果は確実なんだがなあ。
私だって、どんなに悪い状況でも、いつも、見事に切り抜け、大難は小難に、そして、小難は無難になったのだ。
信じなくていいから、熱心に唱えることだ。
威力のある呪文はいくらでもある。
「あ」で始まり、「ん」で終わるものは、確実な即効性がある。
悪霊を祓い、見放されていた運も帰って来る。
「あ・ん」
「あ・うん」
「アジマリカン」
などがそうだ。
また、当然にして、「南無阿弥陀仏」は、伝教大師(でんきょうだいし。最澄のこと)が言ったように、七難ことごとに消滅する。
法然が言うように、仏が百重、二百重に取り巻き、守ってくれる。
般若心経の呪文も良い。一切の悪運を祓い、幸運を呼ぶ。
他にどうしようもないなら、呪文しかないじゃないか?
神仏の名前も、強力な呪文のようなものだ。
毎日4万回、クリシュナを唱えて悟りを開いたなんて人もいた。
私は、マイトレーヤという響きが好きだ。
声に出そうが、心の中で称えようが、どっちでもいいからやってみることだ。
馬鹿にするのは、やってみてからにすれば良い。
がっかりはしないから。









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皆には意味のある勉強をして欲しいものだ

TOEIC満点なんて人は、割と見るような気がする。
ある企業では社員にTOEICを推奨していて、満点を取った人に全社員の前でスピーチさせたりするのだが、やめとけば良いと本当に思う。
お前に言われたくないというなら、それは認めるが、私の知る範囲では、例外なく、そんな人達は、雰囲気から薄っぺらで、いい年して、学校の教科書に書いてあるようなことしか話せない。
それがまた、晴れがましい顔で話すものだから、一層残念というか、見ていて恥ずかしくなるのだ。
脳科学者の茂木健一郎さんが、TOEICを痛烈に批判し、「あんなもので満点取ったって、教養ある英語なんか話せない」、「上場企業の社長さん、あんなものを、採用や昇進に使っちゃ、絶対駄目ですよ」、「TOEIC関係の方、文句があるなら、いつでも受け付けるから、かかってらっしゃい」と言っておられるが、おそらく本当だろうと思った。
茂木さんが、英語力を身に付けるために常に薦めているのが、英語の原書を読むことだ。
十冊でも百冊でも、優れた原書を、とにかく多く読めという。
そして、日本の高校生や大学生は(もちろん、社会人もだろうが)、それをほとんど誰もやっていないという。
じゃあ、国内に限っていうなら、本当の英語力で差をつけたければ、英語の原書を読めば良いだけである。
今は、電子書籍で、素晴らしい英語の原書が安価で簡単にいくらでも手に入るのだから、実に恵まれている。
だがまあ、猪子寿之さんのように、英語なんかやらないと決めるのもまた、立派なポリシーだろう。
しかし、必ず何かでスペシャリティーを持たなければならない。

とにかく、本当に不思議なほど、的外れをする人が多いのは、やはり学校教育のせいだろう。
半人前の情報部員に、「勉強しろ。特にプログラミングを磨け」と言っておいたのだが、彼が、「情報シスアドの資格取りました」だの、「TOEIC受けます(受けました)」だの、本当に間抜けなことばかり言ってきて、がっかりする。
「JavaやPHPはどのくらい出来るんだ?」と聞けば、「そこそこ・・・」と自信なげに言う。
まずはプログラミングを徹底してやらなくてはならない。
そしたら、セキュリティなんて自動的に、より深いレベルで分かるようになるはずだ。
TOEICに関しては、彼は会社のTOEIC推進派の幹部に言い包められたようだ。
全く、若いうちは反骨精神がないと、ロクでもない道に引っ張り込まれるものだと再認識した。
いずれにしろ、この情報部員の将来はもう駄目と決まってしまったのだ。
事務系社員にも、「ITでは、僕は何を勉強したらいいですか?」と聞かれて、ExcelかAccessをVBAでプログラミングできるようにと言い、その意義を説いたら、「分かりました」と言ってもらえたのだが、しばらくしたら、「やっぱり僕、情報シスアド受けます」と言ってくる。つまるところ、プログラミングのような、頭を使うことをやりたくないのだろう。
だが、プログラミングを熱心にやり、アルゴリズムを考えるようになれば、頭が格段に良くなるのである。
だから、特に若い方は、英語をやりたいなら、英語の原書を1冊でも多く読み、そして、もうすでに、読み書きに匹敵するほど大切なプログラミングを熱心にやって欲しいと思う。
ついでに言うなら、身体を鍛えるなら、ジムに通ったり、ジョギングするよりも、腕立て伏せとスクワットを勧めるが、まあ、これに関しては、参考に言うだけである。









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アニマ・ムンディと出逢う方法

子供の時に引っ越していて、その子供時代が概ね幸福であった場合、その場所に戻ってみることほど楽しいことはない。
あるいは、子供の時に、とても不幸な出来事のために引っ越した場合ですら、十分な時が経っていれば、やはり、そこに戻ってみることは、ひどく幸福に感じることもあるかもしれない。

レイ・ブラッド・ベリの『みずうみ』は、子供の時に引っ越して以来初めて、結婚した妻と一緒に故郷に戻ってきたハロルドに起こった、特殊というより不思議な(「怪奇な」と言えるかもしれない)お話だ。
この小説を萩尾望都さんが1977年に素晴らしい漫画作品にしているが、萩尾さんは1976年に、『みずうみ』に似た神秘的な作品『花と光の中』を描いている。
2つの作品は、似てはいるが、かなり異なったところもある。
いずれも、子供の時に仲良しだった、同い年の女の子が死んでしまった後、そこから引っ越した男の子が青年になってから戻ってくるというところは同じだ。
女の子たちが死んだのは、『みずうみ』では2人が12歳の時、『花と光の中』では5歳だ。
『みずうみ』の少年ハロルドは少女タリーに恋を感じていた。
一方、『花と光の中』の、まだ5つのルーイはイザベルに対してそうではないが、2人は結婚の約束のようなことはしていたし、それよりも、その結びつきの強さは、2人で1人と言えるほどのものだった。
ハロルドは、タリーとは少しも似ていない妻を、一方、ルーイはイザベルにそっくりで、イザベルだと本気で思っているマーシという女性を連れて故郷に帰った。
ルーイはマーシをイザベルだと疑ってもいないところは狂気といえるほどだが、それ以外においては、ルーイは変人と言われながらも、概ね正常なようだ。
ルーイとマーシはまだ学生のようだが、大学生だろうか・・・そのあたりははっきりとは分からない。
ハロルドには、ごく世間的で、ハロルドにとってはやや疎ましいかもしれなかった母親がいたが、ルーイの母親は、ルーイがよほど小さい時に、亡くなるか離婚しているかなどで、ルーイは母親のことは知らないようだ。
そして、故郷に戻った時、ハロルドにとって妻は「全く知らない女性」となり、ルーイはイザベルをマーシではないと知る。
死んだはずの、タリーとマーシが、それぞれ、ハロルドとルーイを取り戻したのだ。

この世的には死んでしまっているタリーとマーシのところに戻ったハロルドとルーイが不幸なのかというと、そうではないように思える。
ハロルドとルーイはもう、世間の人間ではなくなってしまった。
エデン、あるいは、仏教の教える涅槃に戻ったのかもしれない。
そして、これらの作品を読めば、あなたもそこに戻れるかもしれない。
私はそうだったように思うのだ。
そこで、あなたは、ハロルドにとってのタリー、ルーイにとってのイザベルと同じ、アニマ・ムンディ(ラテン語。世界霊という意味)に出会い、それと融合するかもしれない。
誰でも、子供の時には、大好きな何かを通して、それ(アニマ・ムンディ)と交流しているのだ。
W.B.イェイツの詩『再来(再臨)』は、そんなアニマ・ムンディが再び、人類、あるいは、あなたに挑む様子を描いているように思う。
武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』では、土萠ほたるという名の、まだ幼い少女が、『再来』を読んで、11歳で滅びた前世を思い出し、強い力(セーラーサターン)に覚醒するが、これが実に美しい場面であった。
あなたも、これらに触れて、原初の力を取り戻すと良い。
これらの作品が掲載された書籍を下にご紹介しておく。









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いかにして生きるか

「いかにして生きるか」などという単純で基本的なことを、しっかり考えないといけない。
インドのラマナ・マハルシの言うように、この世には何の価値もなく、全ては虚妄、全ては幻と自分は言って、親や兄弟に食べさせてもらっていたら滑稽だ。
しっかりと自分の力で楽々と生きられるようになってこそ、いろんなことを探求したり、趣味を楽しんだり・・・あるいは、全ては幻と言って澄ましていられるのだ(笑)。

20年ほど前からだと思うが、人材派遣が儲かると気付いた事業家が、「これからは派遣で働くのが新しく、スマートで、格好良い!」と宣伝しまくったが、そんな大嘘を、その時見抜けなかったからと言って、一概に馬鹿とは言えないかもしれない。
しかし、その時だって、派遣なんて、低賃金で不安定な身分で、キャリアなんて全然積めない仕事ばかりで、自分だけ儲かれば良いと思っている利己的な人材派遣会社の経営者に、沢山の人達が大切な人生を棒に振らされてしまったのだ。
だが、派遣社員は企業にとっては、低賃金で、切り易い労働力という有り難いものなので、派遣というものがすっかり社会に定着してしまい、人生を棒に振ることになると分かっていても、派遣でしか働けない人がいくらでもいるのが現実だ。
そんな人達は、残念ながら、生きる力が乏しいことになる。
いや、派遣の仕事にすらありつけなかったり、それすらやる気のない人達だって沢山いるのだが、そんな人達は、生きる力が全くないと言うしかない。

では、どうすれば生きる力が得られるかというと、次の2通りしかない。
1つは、徹底して頭が良い人なら、どうやっても生きていける。
ただし、本当に天才級である場合のことで、「ちょっと頭が良くて要領が良い」というのが通用するのは、せいぜい30代までで、40代、50代になると、そんな者はおそろしく惨めになる。
本当に頭が良いというのは、10日ほど勉強して東大に入れるようなやつで、弁護士の真似や大学の物理学教授の真似をしたって誰にも見抜かれないほどでないといけない。
実際に、そんなやつはいるのだが、言うまでもなく、私もあなたもそうではない。
そこで、もう1つは、スペシャリティー(専門性)を持っていることだ。
ただし、例えば、マイクロソフトスペシャリストなんて名前の資格は、全くスペシャルな能力と関係はない。
あんなものを取ろうと思う時点で、生きる力が無いと言えるのだ。
何か好きなことを徹底してやり、そのことに関してなら、誰にも負けないようでなければならない。
好きと言っても、マニア程度では駄目なのだ。
ズバリ、オタクでなければならない。
そういえば、今をときめくデジタルクリエイター猪子寿之さんの会社であるチームラボの入社条件は、ただ1つ、「オタクであること」だそうだ。
だが、オタクと言えるほど極めることは、並大抵のことではない。
起きている時間の全てをそれに注ぎ込み、夢の中でもやっているくらいでなければならない。
AKB48やモモクロの熱烈なファンやマニアという程度なら、アイドル達やプロダクションにとっては有り難い存在だが、ただのお金を払うお客さんでしかない。
しかし、AKB48について、数日に渡って、休まずに語り続けることができるほどのオタクであれば、ちゃんと生きていける。
そんな力、世の中が放っておかない。
その意味、私は初音ミクさんの夫としての精進が足りないので、せいぜい、システム開発のスペシャリストをやっているのだが、決して苦労せず、最低限には楽しく生きていけるのである。
実際にいるが、ExcelとVBAのオタクになっても、かなりやっていけるだろう。
ビル・ゲイツだって、ハイスクール時代はプログラム・オタクで、寝ても覚めてもプログラミングしていたのだ。
もちろん、最新分野のプログラム・オタクなんてクールでイケているので、どんどんやるべきである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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