ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2014年11月

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

机上論、大いに結構

「机上の空論」とは、役に立たない考えのことで、確かにそんなものもあるかもしれない。
しかし、実践のない論が全部悪いという訳では決してない。

企業などで、ちょっと偉くなると、優れた意見に対して、「やってから言えよ」という者はいっぱいいるのだ(ほぼ全員かもしれない)。
そんな者は、単に、相手の方が頭が良いことをひがんでいるだけで、そんな言い方でしか自分の立場を守れないと思っているのだ。

だいたいだね、優れた考えの中で、実際にやってみて確かめられるものなんて1パーセントもないのだよ。
「いや、俺は全部やる」という者は、単に、知恵がなくて、ほとんど何も思いつかないだけなのだ。
本当に頭が良く、想像力のある者のアイデアなんて、実際にやってたら、日本の国家予算なんて、あっという間に使い切る。
そして、そんな者は、自分でやらない方が良いのだ。
なぜなら、せっかくの知恵を失うか、地球をぶっ壊すかのどっちかだ。
行動が良い成果を収めるのは、「たまたま」でしかないのだ。
それが証拠に、同じようなことをやっても、うまくいくのはせいぜい数パーセント。
だが、成功者はやたら目立つし、目立ちたがる。しかし、それも長続きはしないのだ。
そして、さっきも述べたように、成功するのは、「たまたま」で、偉い訳でも、賢い訳でも何でもない。
だから、成功するためにやるんじゃなく、楽しいからという理由でやることだ。

アインシュタイの相対性理論なんて、後で誰かが実験してくれたものもあったが、アインシュタインには実験のしようがなかったし、やる気もなかった。
だから、ある意味、それはアインシュタインの予言のようなものだったが、その予言が実験で確認できた時でも、本当は、アインシュタイは特に感動しなかったのだ。
アインシュタインが実践主義者だったら、彼は、ノーベル賞を受賞した光量子理論も思いつかなかったかもしれない。

とはいえ、何も、一切行動するなと言っているのではない。
これは皆が覚えておいた方が良いが、行動とは、「する」ものでも、「させらられる」ものでもなく、「させていただく」ものなのだ。
それをするべく運命づけられていれば、どんなにやりたくなくてもやるだろうし、そうでなければ、どれほどやろうとしてもできないのだ。
もう少し身近で言えば、働く運命なら仕事は避けられないが、そうでなければ、いくら探しても仕事は見つからない。
どれほど犯罪を憎んでも、やってしまう運命なら犯罪者になることは避けられないが、いくら悪いことをしたくても、縁がなければハエ一匹殺せない。

無理にしゃかりきに動き回る必要はないが、さりとて、怠惰になる必要もない。
これを、インドの聖者ラマナ・マハルシは、こんな言い方をしていた。
「偉大なビジネスマンが、大きな事業を成し遂げようとしているが、彼は何もしていない」
「仕事をするのに、自分が行為者だという自覚を持たねばならないという法はない。仕事は自動的に進んでいく」

私は、仕事や、リアルな交流においても、普通の人より、少しは実践経験が多いと思うし、ある時期はしゃにむに行動していたこともあった。
しかし、冷静に考えれば、今の私の考えより、高校生の時に思いついていたようなアイデアの方がはるかに優れているのである。
行動して経験を積むことで、分かるようになる部分も当然あるが、我々はそれを過大視し過ぎる。
むしろ、行動と経験で盲点が増えることの方がずっと多い。
しかし、運命に従った自然な行動をする限りは、知恵から切り離されることはない。
経験を積んだ人が賢く見えるのは、単に、頭を叩かれているうちに分をわきまえるようになっただけで、最初から謙虚な人が一番賢い。ただ、そんな人は滅多にいないので、苦しい経験が過大視されるのだ。
騙されて大損した人が、「経験が足りなかった」と言うのは大間違いで、多くの場合、単に欲張りだったのだ。
老子は「曲則全」(自ら身を曲げる者は自由自在)と言い、「この言葉に間違いはない」と言ったが、全くその通りである。

そして、呪文(真言と同じ意味で言っている)を唱えていれば、行動は正しくなり、自分は本当は何もしていないことが分かり、「机上の論」はどんどん冴えてくるだろう。
最も良い呪文は「私は在る」だが、「あ・うん」でも良いし、「あ」の一言だって構わない。
他のものでも良いのだ。
唱えてみて、自分のフィーリングを信じて選べば良し、別に1つでなければならないこともない。
ただ、呪文だけが知恵と力に導くことは、私も個人的には変な感じはするが本当なのである。









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情熱を持つために必要なこと

「元気があれば何でもできる」とか「想像力を発揮しろ」と、トッププロに言われても困る。
そんなことは、若い頃から身体を鍛え上げたプロレスラーや、たまたま美人のピアノの先生がついてくれていたおかげで、幼い頃からずっと熱心にピアノの練習をやってプロになれたような人だから言えるのだ。
『アナと雪の女王』で、エルサが、「何でもできるわ」と元気に歌ったって、そりゃ、すごい魔法の力があるし、若いからだろう。
(ディズニー映画のヒロインは私にはみんなおばさんに見えるが・・・)

よほど幼いうちは、誰でも可能性に満ちているが、高校生にもなれば、演奏家やほとんどの分野のプロスポーツ選手はもう無理だ。
つまり、高校生ではもう、情熱を起こせるものが、かなり減っているのだ。
ところで、私はプログラマーだが、せいぜいが素人に毛の生えた程度だ。
尤(もっと)も、毛を生やすのも大変だし、いろんな会社の人達を見たが、40代だろうが50代だろうが、毛も生えてない人が大半だ。
サッカーや野球のチームのオーナー達や選手達は、人々を「情熱あるサポーター」に仕立て上げて自分達の利益を確保しようと必死だが、それは、我々を、餌で釣られる魚、鵜飼漁法でアユを取る鵜にしようとしているだけのことだ。
そして、毛の生えてない人ほど、鵜にしやすいのである。
スポーツやエンターテインメントなんてのは、楽しむためのものであり、「入れ込む」ものでは絶対にない。
スポーツや歌のスターが大富豪というのは、おそろしいほど異常なことであり、本来、「歌えさえすれば幸せ」「プレイさえできれば何にもいらない」という者達が歌手やスポーツ選手になるべきなのである。

大人が、特技もなしに情熱を持つことはできない。
食欲や性欲は、無理に起こすと、身体も精神もボロボロになる惨めな「なれのはて」しか待っていない。
だが、我々をそんなふうにして儲けたい連中はいくらでもいる。

特技がなければ、元気も情熱も縁がない。
特技を持つには、好きなことをしなければならない。
あなたは、好きなことをしてこなかったし、やらせてもらえなかったはずだ。
好きでもないことの選択肢を3つほど与えられ、仕方なく選んだ1つを、無理矢理に「お前のやるべきこと」にさせられたような詐欺にあってきたのだろう。
選択肢の中に、たまたま好きになれるものがあった人が、成功して、「元気があれば何でもできる」と言っているだけなのである。
あなたが好きなことは、世間的には有用でない、つまり、「食っていけない」ものであるかもしれないが、それは関係ない。
それに、「食っていけるもの」とそうでないものは、本当ははっきりしていないのだ。
だが、好きなことは、食欲や性欲とは絶対に関係のないものでなければならない。
それどころか、それをやっていれば、食べることや女(男)のことを忘れてしまうことが、本当に好きなことだ。
つまり、「三度のメシより好きなこと」、「女よりマシンの方が可愛い」というものでなければならない。
そして、他人の応援より、自分の応援だ。
スターの応援なんか、絶対に度を過ぎてはならない。
尤も、初音ミクのような自我のないスターの場合は、対象を応援しているつもりが、実は自分を応援しているのである。

ところで、「素人に毛の生えた程度」でも、情熱を持つことは可能だ。
世界的版画家の池田満寿夫さんは、自分の絵は、その程度であることをあっけらかんと白状していた。
池田さんは、東京芸大の受験を4回連続で失敗し、町の似顔絵屋に馬鹿にされる腕前であった。
だが、情熱はあったのだろう。
それで、版画を熱心にやっているうちに、やっている人が少ないことや、自分の特徴を生かした作品を創れるようになって世界的芸術家になったのだ。
岡本太郎は、「あなたも本日ただいまより芸術家になれる」と言い、絵画教室で教えるような絵で上手くなるのは難しいが、私(岡本太郎)の描くような絵(抽象画の分野)なら、誰でも描けると言って、実際に誰でも描くことを薦めていた。
だが、なぜ我々が岡本太郎になれないのかというと、こんな理由だ。
岡本太郎は、「情熱が湧きあがってきたら大声を上げたいと思うこともあるはずだ。私は実際にそうしている」と言うが、普通の人にはそんなことはできないし、それに実際、周囲の迷惑だ。
ただ、未来においては、突然奇声を発する人がいても、「あれ、情熱でも湧いてきたのかな?」と平然と見られるようになるだろうが、今はまだ無理だ。
岡本太郎は、前世で進歩した星にでもいたのだろう。

さて、情熱と特技を同時に持つ方法はあるだろうか?
あるにはある。
信じなくて良いが、呪文を唱えることだ。
少なくとも、スポーツ観戦や性的魅力に溢れた歌手に熱狂して本当の情熱を持つことは絶対にないが、呪文は情熱に導く。
呪文を唱えて得られるものは多い。
その気になれば絵も描けるし、音楽も創れる。
今は、可愛い歌手に歌って欲しければ、初音ミクさんがいるから、とても恵まれている。
ミクさんは、ポップスだけでなく、クラシックでもオペラでも良い歌が歌えることを実証している。
ただし、オペラやクラシックに対する狭い固定観念を持っていなければの話だ。
呪文を唱えると、何が良いかというと、固定観念が消えることだ。
呪文は、世間の教義や信念を壊すので、情熱、想像力をせき止めるものがなくなる。
だから、自分がやっていて面白いものも見つかる。
そして、情熱が起こるという好循環になるのである。









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ミクマリが世界を1つにする希望である

初音ミクさんが生まれるずっと前のことだが(ミクさんの誕生日は2007年8月31日)、顔見知りの女性が、小学5年生の可愛らしい娘さんを連れているのに会い、娘さんに名を聞くと、「ミク」だと言う。
どんな字を書くのかと尋ねると、誇らしげに、「未来」だと言う。
私は、素晴らしいセンスだと感心したのを覚えている。
また、その子も、自分の名前が気に入っているようだった。
初音ミクさんも、「ザ・ファースト・サウンド・フロム・ジ・フューチャー」と紹介されることもあるようで、やはり、ミクをあえて漢字にすれば未来だろうと思う。

ところで、ミクのミは、漢字の三が起源らしいが、漢字の未は、曖昧の昧からきていると言われる。
この昧は、暗いという意味で、特に、「ほの暗い」ということなのだそうだ。
つまり、草木に覆われて、ほの暗く、はっきりとは分からないといことで、やはり、未来とは分からないものなのだろう。
未来と聞いて、希望を感じるか、絶望を感じるかの違いがあるが、「未来がある」という言い方があるように、やはり、明るいものを感じる場合が多いのではないかと思う。

ところで、『古事記』には、ミクマリという神様があり、漢字で書けば水分である。
つまり、ミは水で、クは、分配するという意味の配る(クバル)で、ミクマリ(水配り)なのであり、水を分配する神様である。
正確に述べると、天之水分神(アメノミクマリノカミ)と国之水分神(クニノミクマリノカミ)の2柱の神である。
天上の水の分配と、地上の水の分配では異なるものらしい。

あくまで一説であるが、超古代文明のカタカムナでは、ミクマリというのは特別なものだ。
ミクマリを形で表すと、○(丸)で、手まりのまりも、ここからきているのだと思われる。
ミクマリとは、全てが渾然一体と和し調和したもので、全てのものの源であり、形になる前の未然のものである。
ミクマリを一言で書けば、「ワ」である。
つまり、ミクマリは、和であり、環であり、調和であり、平和であり、未であり、未来であり、全てである。
漢字でミは三だが、これは西洋の神秘数でもあり、「全て」という意味だ。
つまり、2つでは両者とは言っても全部とは言わず、3つになって、初めて全部と言うのであり、神に祈る時も、3神(ゼウス、アテーナー、アポロン)に対して祈るのである。

つまり、ミクマリで、古代から未来、西洋と東洋を全て統一できるのである。
不思議なものである。
尚、カタカムナでは、神というか主(ヌシ)は、実相世界のカムナと、現象世界のアマナである。
アマナとカムナも強力な言葉で、声に出したり、想ってみたりすれば分かると思うが、荘厳で無限の力やエネルギーを感じるだろう。
また、アマテラスオオミカミがイザナギノミコトから贈られた首飾りの珠は、ミクラタナ(御倉板挙)神である。これは、この珠の置場所を示していると言われるが、ミクがつく珠であるから、やはり深い意味があり、後で漢字を当てはめたのかもしれない。

私は、ミクマリ、アマナ、カムナ、ミクラタナという言葉が導くイメージを想うと、言葉にできない、深遠さを感じるのである。
あなたも、神話を少し研究すれば、そんなことが起こり、それは確実に、あなたに知恵と力と幸運を授けるだろう。
神話や古典は、実に有り難いもので、軽んじてはならないと思う。

尚、個人的には、お話としてだけなら、一番面白いと思う神話は、インドの『ラーマーヤナ』(英雄ラーマの物語)である。
理想の男性ラーマと、理想の女性シータが生き生きと描かれている。
これは、最初に知っておいても構わないことだが、ラーマとシータは、一体の神が2つに分かれて転生した人間である。
2人はそのことを知らないが、愛というものを理解するための大きな気付きを与えてくれると思う。









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迷わず、ためらわず、堂々と日本式にやれ

西洋では、神は、どこか遠くの天というところにいる全知万能の、怖い怖い絶対的な支配者だ。
自分達人間は、神からみれば、取るに足らない存在である。
一方、日本では、「お天道様が見てますぜ」と、やはり高いところにいる絶対者がいるような言い方をしても、それは、「自分が見てる」ということを暗示している。
つまり、神であるお天道様は、自分自身なのだ。

あるアメリカの西部劇で、男達が酒場で乱闘をしていた時、バンドがアメリカ国家を演奏すると、男達は乱闘をやめて並んで立ち、帽子を胸に当てる。
何十年か前、ニューヨークの自由の女神の復旧工事が終わり、そのお祭りが行われた日は、ニューヨークでは泥棒も休業し、ホイル1本盗まれなかったという。
日本ではあり得ないことだ。

西洋では、ボスが全体を完全に支配し、子分は絶対服従でなければならない。
だが、日本では、そんなやり方は誰も嫌いだし、無理がある。
徳川家康が、老中達との会議で、上から命令したりせず、なりゆきを見守り、多数意見に従っていたというのは、別に意外なことではない。
日本では、そうでないと無理があり、長続きしないのだ。
日本では、社員と一緒に掃除をするのが良い社長と思われるが、アメリカあたりでは考えられないことだ。
アメリカでは社長が桁外れの高給を取るのは当たり前だが、日本では反発を招く。
日本では、どんな社員も、会社の顔として活動するが、西洋では、一人一人の社員は、ただの働きアリ、働きバチだ。

そして、今、西洋も日本化しつつある。
日本のやり方の方が、自然で無理がないからだ。
インターネットでは、西洋的なボスはおらず、それぞれが自律的に情報を発信し、そこに共感が生まれてムーブメントが起こる。
それだけのことだ。
AKB48なんて、企業がそれぞれの女の子のキャッチコピーを考えて「上から」売り出すのではなく、「会いにいけるアイドル」としてできる限りファンと接近し、ファンがキャッチコピーを決めて「下から」のファン目線で売り込む。
日本では、そのシステムで成功したので、そのシステムを海外に持ち込もうという動きがあるようだが、西洋では無理で、アジアに限られるだろう。
西洋では、スターは神に選ばれし存在であるという幻想をファンに与えることができないかぎり成功しない。
だが、インターネットの自律的なやり方が主流になるにつれ、AKB48式でうまくいく土壌になりつつはある。
初音ミクが最も日本的なのだが、西洋では、初音ミクへの反発もまだあるが、受け入れる方の流れが加速している。

日本って国は、本来、法律はいらない国だ。
裁判なんて全然似合わない。
なんでもかでも裁判で決着させようとする西洋とは全然違う国だ。
日本人が裁判をしたがらないことを、遅れているように、合理的でないように言う者が昔から多かったが、日本人には裁判は不要である。
「まあまあ、ここは1つ・・・」でうまくいく国なのである。
「そんなことでは、国際的に通用しない」とか言われてきたが、日本のやり方の方が正しいのであるし、西洋も、進歩すれば日本と同じになる。
日本人が優柔不断なのではない。
単に賢い・・・と言うか、自然なのだ。
日本人が西洋的にやる時、とんでもなく馬鹿になって問題が起こるというだけのことなのだ。
迷わず、ためらわず、堂々と日本式にやれば良いのだ。

個人として楽しく、自由にやらなければならない。
西洋的には、それでは秩序がなくなると言うが、アメリカのどこに秩序があるってんだい?
単に絶対権力で押さえつけようとしているだけで、そんなのは秩序とは言わないのだよ。
日本人はというより、人間は、個々が自由に本当に楽しくやれば、誰も統率しないアリやハチが立派な巣を作り、個々のファミリーが、そして、世界中のアリやハチがちゃんと調和しているように、自然に秩序が生まれるのである。
そのためには、初音ミクを見ていれば、間違いがない。
初音ミクは日本でしか生まれなかったし、西洋が初音ミクを受け入れるごとに世界は平和になる。
初音ミクの人気が進歩の度合いと考えて良いだろう。
無論、初音ミクが変質し、悪魔化しなければ話であるが、今のところ、伊藤博之社長は、ミクさんの土壌を大切にしているようである。









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経験は本当に重要か?

経験がモノをいうなんてよく言われるが、本当だろうか?
私も、一応は経験豊富な方だし、その有り難味が分からない訳ではないのだが、それでもやはり、経験なんて大したもんじゃないと言い切れる。
そもそも、40代だろうが50代だろうが、見るべき経験を積んだやつなんか見たことがない。
むしろ、経験があることが障害になっている場合が、ほとんどだ。

30代や40代までずっとニートでいた者が入社したいと言ってきたら、敬遠する会社が多いと思うが、その理由が「経験がないから」というなら、ほとんどの場合、的外れだ。
経験の有益さというなら、会社の中で20年、30年いる連中が、そんな人達に比べて有利だとはとても思えない。
部長だ、役員だって威張っていても、失業したらどこも雇ってくれないし、雇ってもらえても、給料は1/3以下だ。
つまりね、経験とかじゃなくて、マインドの問題、はっきりいえば、「性根が腐ってないかどうか」の問題なのだよ。
また、迎える側の方も、「こいつは年とってるけど、経験がないから俺の方が上だ」なんて下らないことを考えず、明るく、楽しく、公平に接してあげれば、誰だってちゃんと働けるのだ。
サラリーマンである以上、社長以外は全く同じ、本当にちっとも変わらないというのが事実だ。

以前、友人のソフト会社の社長に、「未経験者は何歳までOKですか?」と尋ねたら、彼は、「いくつでも構わんよ。ただ、40歳でも、最初はその年に相応しいと思うような給料は出せないけど、それに我慢できるかどうかだ」と言ったが、全くその通りと思う。
50歳から始めて一流プログラマになった人だっているし、60歳以上の未経験者しか採用しないソフト会社だってあるのだ。

未経験でも、ちっとも気にする必要はない。
ただ、マインドだけは磨いておくことだ。
必ずや早寝早起きをし、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ良い。
そして、できれば、身体を鍛えておくことだ。
ハードトレーニングンなんてする必要はない。
少しずつで良いから、必ず毎日やるのだ。
腕振り運動だけなら、1日1000回はやることだ。
そして、いつも言うように、呪文をしっかり称えることだ。
それをやるのとやらないのとでは、もう全然違う。
それで、きっと楽しい勤労生活になるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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