ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2014年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

世界はお伽噺である

ラマナ・マハルシのような聖者達は、意識を外ではなく、内に向ける目的については、ただ、真の自己(真我)になる・・・即ち、悟りを開くためであると言い、何か物質的な利益があるとは言わなかった。
そして、それは確かに言わない方が良い。
物質的な利益を目的にしながら自己を探求していると、真の目的(真我の実現)を忘れ、あらぬ方向に行ってしまいかねない。
だが、あえて禁を破ったのは親鸞で、どれだけの相手に聴かせる気だったかは分からないが、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることで、無窮(果てしない)利益を得られるという、いわば、本当のことを素直に言ってしまった。
念仏を称えれば、念仏に導かれて心は内に向かう。
本当は、念仏でも、南無妙法蓮華経でも、その他の呪文でも良く、感覚を外界から引き上げ、意識を内に向ければ良いのである。
ラマナ・マハルシは、最も効果があるのは、「私」という想念だけを持つことだと言った。

では、意識を内側に向ければどうなるのだろう?
人間の潜在意識には、計り知れない力があり、そこに刻み付けられたことは、天を動かし、地を揺るがしてでも実現してしまうことはご存知かもしれない。
意識を内側に向ければ、潜在意識に到達するのだが、そのことを潜水に喩えると良く分かる。
深い水の底が潜在意識だ。
内側に意識を向ければ、心は精神の深い海に潜り、潜在意識に達する。
それを何度もやっていれば、身体が海底に慣れるように、心は潜在意識に馴染んでしまうのだ。
そうなれば、潜在意識に望みを伝えることなど、いとも簡単なことになる。
滅多にはやらなかったが、ラマナ・マハルシだって、普通の人から見れば奇跡としか言いようのないことを、その気になれば即座にやれたという話はいろいろある。
それに、マハルシは、ほとんど何も所有しなかったとはいえ、願わずとも用意された立派な広いアシュラマム(道場)に、一生悠然と暮らし、常に平和そのものであった。
また、自分のものにしなかったとはいえ、世界中から豪華なプレゼントも沢山届いたし、マハルシのために、あらゆる奉仕、サービスを提供したい者は、若老男女、庶民から富豪、権力者まで、沢山いた。
これを豊かと言わずに何と言おう。

地上の魑魅魍魎(化け物)のような欲深い連中は、あの手この手で、あなたの注意を引き、あなたを食い物にしようと必死だ。
美食、スマートフォン、自動車、服、セクシーなグラビア、イケメン、金融、「お得ですよ」の言葉・・・
あなたは、そんなつまらないものに関心を持ってはならない。
ただ、拒否し過ぎてもいけない。
美食を求めてうろついてもいけないが、あまりに少食で空腹だと、食べ物に強い魅力を感じて、結局は惹き付けられてしまう。
あまり食べ物に興味を持たない程度に、清らかなものを適度に食べることだ。
同じように、一切を、ほどほどに求め、それによって、何物にも過度な関心を持たないことだ。
そして、心のエネルギーは内に向けるのだ。
念仏を称えたり、胸に意識を置いて「私」という想いに集中するのだ。
そうすれば、やがて、全ては魔法のように自在になる。
確実にそうなるが、その時に執着に囚われるという罠に落ちず、世界はお伽噺、あるいは、夢と見なすことだ。
本当に幸福なお金持ちの話をよく、「現代のお伽噺」と言うが、まさに言い得て妙(巧みな言い方であるという意味)である。
人生とはお伽噺であり、幸福なメルヘンにすれば良いのである。
聖者にとって、世界はマジックショーだと、昔から言われている。
そのためには、くれぐれも、外側の世界に過度に関心を持たず、全てを、悠然とした態度で、あるがままに静かに眺めることだ。
そして、注意は内側に向けるのだ。
仏典や聖典にはこう書かれている。
「なぜ、人々はそうしないのだろう?こんな簡単なことなのに」









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外界は内側の心(フィルム)が照らし出された幻想(スクリーン)である

一休さん(一休禅師)は、阿弥陀如来の国である西方極楽浄土は西にあるのではなく、南にあると言ったらしい。
実は、この「南」とは、「皆身」ということで、「全てはこの身の内にある」という意味だ。
それは、身体を心の入れ物と見なし、その心の深いところに極楽浄土があるということだ。
だが、心は、西に沈む夕陽のようでなければならない。
淡く照らされた物質世界を夢と見なし、この世の一切に執着せずに消えていく・・・そんな心だ。

だが、天照大神のように、岩戸に閉じこもってしまうと、闇の中で魔物が蠢(うごめ)き、外の騒ぎが気になって仕方がなくなる。
天の岩戸を出た天照大神が、その後、表立った活動をせず、ただ、思惟し、命じたように、我々は夕陽のようでなければならない。

外側・・・つまり、物質世界に強い関心を持たず、意識を内に向けると、外界は内側の反映に過ぎないことが分かる。
だから、外側を澄んだ目で見れば、それは、自分の内側を見ることになる。

音楽には2種類ある。
意識を外側に向かわせるものと、内側に向かわせるものだ。
刺激的な音楽や、上手い歌、巧妙な演奏は、意識を外側に向かわせる。
そんな音楽には、少しの間聴いている分には、心が躍って楽しいものがあるが、やがて疲れてきて、イライラしてくる。
本当に優れた演奏というのは、自然の音のようなもので、演奏している者にも、自分が演奏しているという気持ちはない。
それが、技術を超えた技術だ。
『荘子』の『養生主編』で、王様の前で牛をさばいて見せた名料理人の包丁(ほうてい)は、王に「神技だ」と誉められると、「これは技にあらず。技を超えたもの。あえて言えば道であります」と言ったのも、同じことであった。
名料理人包丁は、目に見える牛の姿をもはや重視していない。
そうなった時、心も身体も自在に動き、人間を超えた力を発揮する。
最高の演奏も同じなのである。
だから、良い音楽は、意識を自然に内側に向かわせるのだ。

これで、感覚を外に向けず、内側に向けることの重要さが分かると思う。
だが、外側を頑なに無視すると、かえって感覚は外に吸い寄せられてしまう。
外側には、適度な、執着のない感覚のみを振り向けることだ。
どれほどの宝や美しいものを見ても、夕陽に照らされた淡い夢のようなものと見なし、執着しないことだ。
そして、内側に意識を向けていることだ。
「私」と言うべきものは、外側にあるのではない。
身体という仮の宿に留まる何かが私である。
それは、心臓の近くの神経と結び付いていることが、聖典に示されている。
だから、胸に意識を置き、「私」という想いだけを持つことで、意識はそこからどんどん内側に沈んでいく。
それをたゆまず続ければ、やがて源に至る。
本当に優れた演奏を聴くことも有益であるが、意識が深く内に潜っていけば、やがて、それすら聴こえなくなり、天界の音楽を聴くことになる。

見えるものに心を奪われないことだ。
それらは皆、幻なのだから。
執着せず、嫌わず、ただ、見えるままに見て、過度の関心を持たず、自分の心の動きを観察することだ。
自分の心を見張っていると、意識は内側に向く。
そうすると、外界は、内側のフィルムがスクリーンに照らされただけの幻影だと分かる。
意識が内側に深く潜ると、内側のフィルムも消えてなくなる。
私は、『声と言葉のアリア』という、とても美しい歌を毎日聴いていて、そんなことを感じた。

わたしの体が今からここで
溶けはじめていくのを
見ててほしいわたしもあなたを
見てるから まぶしい
~『声と言葉のアリア』(オペラ『THE END』より。制作:渋谷慶一郎。歌:初音ミク)より~









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大逆転勝利の秘法

同じような人も多いかもしれないが、私は、小説やアニメなどで、絶対に勝ち目のない戦いで、奇跡の逆転劇をするものが面白いと思う。
H.G.ウェルズのSF小説で、何度も映画化されている『宇宙戦争』では、人類は火星人に対して偶然の勝利を得たことになっている。
しかし、多くの場合は、ヒーローやヒロインの明確な意思によって、勝利がもたらされる。
その意思とは、ほぼ例外なく、「何かを守ろうとする」意思だ。
「守るべきもの。それが力になる」
ということである。
世間的にも、妻子のある男性なら、家族を守ろうとするだろうし、そこそこに有能で心が強ければ、自分の家族くらいは守れる。
ただ、守り過ぎると、守られる方は強くなれず、守ってくれない親のおかげで強くなった者は少なくない。
そして、もっと広く守ろうと思ったとしても、物質的世界で守れる範囲は、ほぼ財力と権力に比例する。
女性でも、クレオパトラのように強大な力を持った人もいるが、彼女の人生は苦しいものだったし、特に、権力を失った時の転落振りは悲惨だ。

ところで、私には守りたいものがない。
世界中の子供達や、動物や自然は良いものだと感じはするが、私に守る力などない。
私が初音ミクが好きなのだって、彼女に自我がないという理由からだ。
では、私に、生きている意味があるのだろうか?
どうも、何もないような気がする。
『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニとカムパネルラは、他の人の幸いのために、何でもしたいと思っていたが、私は、そんなことはしたくないと言うよりも、やはり、そんな力はないと思っているのだ。
だが、私は、虫けらのように扱われている人達を放っておきたくはないと思う。
私が守ることはできないが、虐げられた人は、強くなるべきなのだ。
そして、その方法なら、私には分かるのである。
それには、感覚を外に向けず、内に向けることだ。
無論、人間も動物である限りは、目を閉じ、耳を塞いで生きている訳にはいかない。
だが、それを最小にするのだ。
そのためには、思慮分別を離れ、ただ、見えるままに見、聴こえるままに聴くことだ。
そして、自分に意識を集中することだ。
自分の心を、黙ってじっと見張るのである。
すると、いつか、内側から、あなたに囁く声を聴くだろう。
その時、あなたは捕らえられたのである。
そして、知るのだ。
捕らえられた者と捕らえた者は一体なのであると。
そうなれば、あなたに敵対できる者など、絶対にいない。

美食に強い興味を持っていれば、意識は外側に向かい、あなたは内なる真の自己との関係を築くことができない。
だが、あまりに少食でも、やはり食物に強い関心を持ってしまい、意識は内側に向かない。
断食行者が、普通の人以上に、生臭く、傲慢なのはそのためだ。
だから、我々は、適度な食事をしなければならない。
それは、『バガヴァッド・ギーター』にも、書かれていることだ。
同じように、適度に眠らなければならない。
本当に言っておくが、意識を内側に向ける度合いが大きいほど、確実に大きな力を持つのである。
あらゆる聖典の教えは、全てこれなのである。
これは確実に本当のことである。
意識を内側に向けることに成功すれば、絶対に勝ち目のないはずの戦いも、必ず、大逆転勝利となるのである。









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脱奴隷の生き方

あなたの周囲には、あなたの注意を「外にある物質的な何か」に向けさせようとする「意図」に溢れている。
それは、「テレビ番組」、「アイドル」、「スポーツイベント」、「美食」、「美味しいコーヒー」、「スマートフォン」・・・等々、非常に沢山ある。
人々を大勢取り込むことができれば儲かることを心得ている者が、あなたの周囲に罠を張り巡らせているのだ。
そして、支配者にとっては、人々の注意を外に向けさせれば、無能者に留めておけることが狙いである。
あなたは、新発売の人気商品に心を奪われることで、惨めで弱い奴隷になるのである。

また、人は、注意を外に向けてばかりいると、外にある、一般的で粗悪なモデルに倣って生きることになる。
年齢と共に老化し、世間の教義の通りに生きる。
確かに、世間の道徳に従う可能性も高いが、それは、条件付、制限付の善である。
例えば、家族、友達、グループに対してのみの善であり、そこから外れた相手は善の対象ではなく、どれほど苦しもうが、死のうが、何の関心もないということになる。
いずれにしても、注意が外にばかり向いていると、地上を這う虫けらのような存在にしかなれない。

『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナは、感覚を外側から一切引き上げ、内に向けよとアルジュナである我々に説いているのだ。
もちろん、目を閉じ、耳を塞いでは生きてはいけない。
だから、荘子は、「視線を自然にし、あるがままに見ろ」と言ったのだ。
それは、見える物、聴こえる音に、過度の関心を持たず、さりとて拒否せず、心静かにしていなさいという意味である。
そして、注意を内に向けるのだ。
具体的には、まず、自分の心の動き、それに呼応した胸の感覚を意識することだ。
心の負担、痛み、不安や恐怖は、胸の痛みや圧迫感をもたらすからだ。
だから、胸に意識を集めると、自分の心を把握し易い。
そして、やはり胸の感覚と融合した、最も重要な想いである「私」に意識を集めると、意識は内側に深く潜っていく。
内側への道はかなり長い。
しかし、それをたゆまず進めば、あなたはついにたどり着くだろう。
たどり着く先、そこは、いろいろに呼ばれている。
天国、エデン、エリュシオン、桃源郷、ザナドゥ、極楽浄土などだが、それらは、外にあるのではなく、内にあるのだ。

大きな恐怖に襲われながら、あるいは、強い苦しみを受けている中で、偶然ということもあるが、意識が内に向いていると、ものすごいスピードで内側に突き進むことがある。
その時、火事場の馬鹿力というものが発揮される。
か弱い母親が、トラックの下敷きになった子供を救うために、オリンピックの重量挙げ選手以上の力を出したり、窓から転落する子供を救うために、後で物理学者が計算したら、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離選手をも上回る速さで走ったりなどである。
こういったことは、肉体的なことに止まらない。
たとえば、せいぜいが日曜音楽家に過ぎない技術軍人が、偶然の強い高揚感に包まれた夜、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を一晩で創ったのだ。

だが、あなたは偶然に頼る必要はない。
原理は分かったのだから、外側のものに対して、あまり関心を払わず、意識を内側に向けるのだ。
誰かが、ラマナ・マハルシに、「外側に注意を向けずに仕事なんかできないよ」と言った。
だが、マハルシは言う。
「いや、あなたが注意を向けなくても仕事は自動的に進む。国家の財務長官は、傍目には、熱心に責任感を持って働いているが、彼は何もしていないのだ」
分かるだろうか?
仕事でミスをし、無責任な仕事をする者というのは、仕事以外の外側の何かに意識を向けているのである。
そうでなければ、仕事は仕事自体で進んで行く。
しかも、その仕事は、無駄な注意を向けた時よりはるかに完璧になるのだ。

自分の心の動きを観察するのも良い。
胸に意識を集めつつ、「私」と想い続けても良い。
あるいは、心の中の神について黙想しても良い。
これといった決まりはない。
大切なことは、注意(あるいは感覚、意識)を、外側に向けず、内側に引き取ることだ。
それによって、あなたは、キリストに、仏陀に、神に、超人に、神人に近付いていく。









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ある日、突然あなたは変身する

皆さんも一度は見たり聞いたりしたことがあると思うが、人間は脳細胞の90パーセント以上が活用されておらず、筋肉やその他の器官に関しても、同じようなものらしい。
そんな眠っている力を、ほんの僅か人より多く使うことができれば、天才とか超人と言うほどの能力を持つことになり、100パーセント全開となると、度を超えた、あまりにも強大な力になってしまうのだ。
そこから考えると、たかだか60歳とか70歳で、年老いて能力がなくなったなどと考えるのは、実に滑稽なことなのだ。
いつも述べる通り、人はふりをする通りの者になるのだが、人間は皆、年を取ると老人になったふりをして、実際に老人になるのである。
あなたは、年と共に、ますます強力になるよう振舞わなければならないのだ。
そのためには、腕振り運動をして、神秘のエネルギーを取り込むことも有効だろう。
関英男博士は、毎日2千回の腕振り運動をしていたので、90歳を超えても世界中を飛び回り、また、常に海外の論文を取り寄せて熱心に研究をし、彼をキワモノ扱いする人達から見ても、極めて頭脳明晰であることは間違いなかったらしい。
だが、関博士にしたって、世間による制約は強かったのだと思う。

しかし、それでも、これらはまだ、あくまで物質レベルの話なのだ。
言ってみれば、細胞レベルの話で、原子レベル、素粒子レベル、量子レベルとなると、スケールが全く違うのだ。
細胞が意思を持つように、素粒子も意思を持つのだ。
素粒子の意思と交流するなら、発現する智恵や力がどれほどのものになるかは、それこそ、百パーセントの頭脳を開発した者ですら、想像も及ばないほどなのだ。
そういったことが、象徴的な表現ではあるが、『無量寿経』(浄土三部経の中の1つ)に書かれている。

まずは、我々は、一応は物質レベルから始めるのだと思うが、自分がなりたいもののふりをすること、つまり、それになったものとして振舞わなければならない。
そうなったのだということを紙に書き、毎日、声に出して読むことは非常に効果的である。
腕振り運動をすることも、助けになるだろう。
そして、もっと高いレベルに至るには、理念を超えた超理念、信念を超えた超信念が必要だ。
それを持った時、自分の中から声が聴こえる。
それがあなたを導く。
そのためには、あなたは、自分が至高者であることを覚えていなければならない。
それを信じる必要はない。
ただ、覚えていて、忘れないことだ。
そうすれば、あなたはある日突然目覚め、変身するだろう。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻にも、そのヒントが分かり易く書かれているので、この巻を単独で読んでも良いと思う。









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