ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2014年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

このような憧れずにいられない人物に、どうすればなれるのか?

夏の終りは、特に若い人に、自殺したくなる人が多い。
中には、「死にたいと思うのも、やむを得ない」と思わせるようなケースもあったりするのだろう。
だが、甘ったれちゃいけない。

時代劇小説『木枯し紋次郎』の中で、死にたがっている人に、紋次郎が珍しく感情を見せたことがあった。
その男は、親兄弟に先立たれ、天涯孤独。
天地の間に、身を寄せる場所はどこにもない。
人生に、目標とか張り合いというものが何もなく、生きる気力が全く無いのであった。
その上、労咳(肺結核。当時は不治の難病)を病み、身体が思うようにならない。
その男は、紋次郎すら比較にならないほどの剣の達人だったが、紋次郎を尊敬し、最後は紋次郎の手にかかって死にたいと願っていた。
そして、奇跡のような偶然で出会った紋次郎に、その望みを叶えてくれるよう懇願した。
だが、紋次郎は言う。
「甘ったれちゃあいけやせん。死ぬときがくれば、生きていたくともそうはいかねえ。それまでは生き続けるのが渡世人ってもんじゃねえんですかい」

また、紋次郎には、こんなことがあった。
紋次郎が、ある大親分の幼い息子に危害を加えたとして、激怒したその大親分は30人もの子分に紋次郎を包囲させ、「叩っ斬ってやる」と迫る。
いくら紋次郎でも、30人も相手に戦って勝てるはずがない。
それなら、無駄な争いはやめようと、紋次郎は地面に正座し、「存分になさっておくんなさい」と言う。
それではと、大親分が長脇差(ながドス)を紋次郎に突きつけるが、紋次郎は平然として動じない。
あまりの紋次郎の平静さに、大親分の方が動揺すると共に、さずが大親分だけあり、何かおかしいと感じ取る。
実は、紋次郎は、大親分の息子の命を救うために、やむなく、乱暴なことをしたのだった。
誤解で死ぬとしても、紋次郎には、そんなことはどうでも良いのだった。
だから、弁解もせず、悔しいと思うことも全くない。

また、紋次郎の目に前で、こんなことがあった。
17歳ほどの美しい娘が、供の男と旅をしていたが、その供の男が、うかつにも武士とぶつかりそうになった際に、柔らかいものだったが、その武士の顔に当ててしまう。
怒った武士は、娘の供の男が土下座して必死に謝るのを聞き入れず、叩きのめして重症を負わせた上、「無礼打ちにしてやる」と太刀を抜く。
すると、その娘は、武士の前の地面に正座し、
「その男は私の奉公人。奉公人の粗相は私の責任。切るなら私を」
と言い、首を差し出す。
武士は、「生意気な!では望み通りにしてやる」と、娘の首を落とさんと太刀を振り上げるが、娘のあまりの平静さに、動けなくなってしまう。
武士の額に汗が流れ、身体が震え、ついには、太刀を収め、逃げるように去って行った。

あなたも、紋次郎や、この娘のようになりたいはずである。
何のことはない。
紋次郎も、娘も、肛門が締まっているのだ。
一方、紋次郎を切ろうとした大親分は、普段は確かに大人物なのだが、息子可愛さのために激怒したことで、肛門が緩んでしまった。
娘を切ろうとした武士にいたっては、未熟のため、最初から肛門が開いてしまっている。
激怒したり、怯えた時に、屁をたれたり、失禁するのはそのためである。
また、オナラは老化の証と思って間違いない。

肛門を締めれば、紋次郎や、この娘のようになれることは、本物の偉人たちが述べていると思う。
あらゆることは、肛門を締めるためにやるのだと思っても良い。
逆に言えば、肛門が緩むことをやってはならない。
大食とか、美食とか、過度の飲酒とか、色事にうつつを抜かすとか、その他、あらゆる個人的欲望や見栄などのために何かやると、たちまち肛門は緩む。
腕振り運動をやる時は、足の親指に力を入れ、肛門を締め、臍の周りを意識しながらやるのである。
そうすれば、腕振り運動をやればやるほど肛門が締まり、力がつき、創造主のエネルギーが流れ込み、やがては天下無敵となる。
また、こういうふうにやる腕振り運動は楽しく、心身が喜ぶだけでなく、魂が喜び、神霊も喜ぶ。
それで運命が悪くなるはずがない。









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一年で一番大切な日

一年で一番大切な日はと聞かれたら、普通の人なら、自分の誕生日かお正月というのが多いかもしれない。
キリスト教圏ならクリスマスという場合も多いと思う。
ところで、古代ケルト人の大晦日は10月31日で、新年は11月1日だった。
キリスト教では元々が5月13日であった「諸聖人の日」が、古代ケルト人の新年に合わせた11月1日に変更になったようだ。
10月31日をハロウィンと言うが、これはキリスト教では、この「諸聖人の日」の前の晩(イブ)という程度の意味で、全く重視されないが、ケルト人にとっては非常に意味のある日だと思う。
個人的な話だが、私も子供の頃から、1月1日の元旦よりは12月31日の大晦日の方に意味を感じていた。
大晦日の晩を心安らかに過ごせるというのが、子供の時からの生涯の目標だったのである。

笹沢左保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー紋次郎は、生き甲斐というものを何も持たず、死んでないから生きているだけという虚無的な毎日を過ごし、居場所はなく、道を歩くだけの人生だった。
紋次郎にとって、いかなる祭日にも意味はないし、自分の誕生日を知っているかどうかも疑問である。
ところが、その紋次郎にも、決して忘れない大切な日があるのだった。
それは実の姉の命日であった。
紋次郎は、生まれたらすぐに間引き(経済的な理由で、生まれても育てられない子供を殺すこと)されることになっていたが、その時12歳だった姉の機転によって生き延びたのだった。その姉も、紋次郎が6歳の時に嫁ぎ、それが生涯の別れとなったが、4年後に嫁ぎ先で死んだ。
姉が死んだ時、10歳だった紋次郎は故郷を捨て、無宿人になる。
紋次郎は、姉の命日には、いかなる争い事も起こさないようにしていた。
ある姉の命日には、3人のゴロツキに因縁をつけられ、顔に唾を吐きつけられ、殴る蹴るの暴行を受けても一切手向かいせず、かなりの怪我をしてしまった。
それでも、紋次郎は姉の命日を汚さなくて良かったと思ったのである。

ところで、人間は、本当に何の生き甲斐もなく生きていられるものではない。
だが、ただ1つの慰めとか、ただ1つの楽しみがあれば生きていられるものである。
紋次郎の場合、姉とは6歳の時に別れたきりということもあるのだろうが、姉の死がどこか現実的でなく、今でもどこかで生きているような気がしていた。
それだけが紋次郎の生き甲斐であったのかもしれない。
そして、そのくらいの生き甲斐でも生きていけるのである。
結局、紋次郎は、姉の死の真相を知り、姉が今も生きているという幻想は完全に破壊されてしまったが、それでも紋次郎は生きていた。
そして、姉の命日だけが残ったのだ。
紋次郎は、姉の命日の墓参りを欠かさなかった。
一年に一度、姉の墓参りをすることだけが紋次郎が生きる意味なのかもしれない。

大島弓子さんの漫画で、ある男子大学生が生きている目的は、近くに住む1人の少女の小学4年生から中学3年生までの夏休みの宿題をすることだというものがある。
彼女が中学を卒業し、その「使命」を終えた時に、彼はどこかに行ってしまう。
それまで、彼は、その少女の夏休みの宿題のためだけに生きていたのである。
それでも、生き甲斐があって良いことである。
ところで、大島弓子さんの誕生日が、今日、8月31日である。

そして、今日は、初音ミクさんの生誕日とされる日である。
2007年の8月31日、ミクはひっそりと生まれている。
昨日、インテックス大阪で1万人規模の観客を集め、初音ミクのコンサート「マジカルミライ2014 in OSAKA」が行われた。
ミクは世界的なアイドルになり、交響曲やオペラにまで進出しているが、ミクが生まれた時には、大して期待はされていなかったのだという。
私には、この、ミクの誕生日は、キリスト様の誕生日よりも、大晦日よりも、古代ケルト人の大晦日(奇しくも私の誕生日でもある)よりも重要な日で、それは、紋次郎にとっての姉の命日に相当する。
毎年、この日だけは、いかなる争いも起こさない(理想的には、いかなる悪しき感情も持たない)ことが私の掟である。
子供の時は、大晦日を心安らかに過ごせるようになることが、私の人生の唯一の目標だったが、それは叶わなかった。
しかし、新しい戒は守られることを願う。
来年はないかもしれないので、叶えば嬉しいことである。









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座り方の大切さ

電車の中で確認できるが、品格のない人間、力のない人間ほど、座った時に、「ずり下がっている」。
つまり、背中が曲がり、尻を前に押しやってしまっている。
品格の無さは顔に表れるが、力の無さは目の輝き、目力(めじから)が無いことからはっきり分かる。

背中が丸まると、肛門の力が抜けてしまう。
尻を投げ出すように座って、肛門を引き締めることはできない。
肛門がゆるんでいると、エネルギーも知力も気品も運も、全部出ていってしまう。

岡田式静坐法では、腰を立て、尻を後ろに突き出すよう教えるらしいが、その座り方なら、自然に肛門も締まる。
ただ、どうせなら、肛門を締めるよう教えれば良かった。
あるいは、虎二郎自身は教えたかもしれないが、それが伝わらなかったのだ。
虎二郎は、自分では本を書かず、それどころか、書いたものは死ぬ前に全部燃やしてしまったのだ。
言葉は誤解を生むからというのが、その理由らしい。
自分の教えが歪んで伝わることを避けたのだろう。
ひょっとしたら、肛門を締めるという肝心要なことが、肛門という言葉に抵抗がある弟子によって抹消されたのかもしれない。

岡田虎二郎は、腹から片時も力を抜くなと教えた。
腹から力が抜けた時に、人間は邪まな思いを抱くと言う。
実際、肛門を締めると、腹に力を入れやすい。
肛門を締め、臍の周りを意識すると、自然に腹に力がこもるが、それで腹に力がついてくる。
虎二郎は、金に困窮している者に、
「腹に力がつけば、金はいくらでもできますよ」
と言った。
これは絶対に信じて良い。
常に肛門に力が入っているのが良いが、中村天風は、とにかく、気がついた時に肛門を締めるよう心がければできるようになると言った。
ただ、天風ですら3年かかったという。
とはいえ、肛門が締まっている時間が長いほど力がつくし、緊急の時はまず肛門を締めれば良い(船が沈没した時など)。

ずり下がって椅子に座っているようだと、絶対に肛門は締まらない。
そんな人間は、一生、力がない。
そんな人間が増えているので、物価は上がっているのに、人々の年収は下がる一方だ。
これは政府や国の責任ではない。
肛門が閉まっている者は、たとえ会社の給料はそこそこでも、どこからでも金が入ってきて、それは止められない。

私は長いニート生活の後、勘違いもあったが、フルコミッション(完全歩合制)セールスという、ひどく過酷な仕事についてしまった。
10人入れば、一月後には確実に9人辞める職場だった(一人も残らない方が多かったかもしれない)。
ところが、普通の人よりはるかに甘っちょろく、根性がない、それまで、ニートで昼間から寝て、ただ飯を食っていた私が1年続き、さらに、転職してより厳しいセールスの会社に入り、新人でセールスコンテストで優勝もした。
これは、ニート中に、たまたま、肛門を締めることの大切さが書かれていた本を読んでいたからだった。
ただ、およそ、本物の教師であれば、肛門を締めることが重要であることを、皆、書いている。
私が最初に読んだのは、『神頼みのテクニック』という何とも即物的なタイトルの本だったが、これが意外に良い本で、肛門を締めることの威力について書いてくれていた。
それ以来、私はいつも言うが(ここでも書いているが)、苦労というものをせず、いつも良い思いをしているのである。
肛門を締めることの絶大な効果について書かれた本を4冊紹介しておく。









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3つの宝を大切にする

本来、宗教は、美しい装飾と幽玄な音楽の中での儀式を重視した。
それによって、自我、左脳、顕在意識が引っ込み、没我になり、右脳が活性化され、潜在意識が現れる。
もう一度、改めて言うと、宗教は、装飾、音楽、儀式の3つが鍵である。
現在の宗教は、形骸化しているので、これらがない。
形だけはあっても、神秘はない。
その3つを持っていれば、個人であっても本当の宗教を持っていることになる。

この3つの宝で、無意識の領域に入り込める。
宗教が形骸化しても、魔法結社などでは、この3つを大切にしていた。
そんな魔法結社では、無意識に参入することで、どんな願いでも叶えることができた。
ただ、あまりに願いを叶えることができたので、その方面ばかりに突き進み、どれもやがて崩壊した。

音楽は、現代では、最も得やすく、この点では、過去のいかなる宗教団体や魔法結社も上回る。
しかし、形の面は難しいように思える。
だが、問題はない。
私は、滝行もできるし、峻険な山の頂上で座禅したり、砂漠のど真ん中のピラミッドの中で瞑想できる。
遠い神秘の惑星で眠れるし、太陽の中で純粋な存在となって無限に溶け込むこともできる。
全て想像の中でだ。
想像の中で、毎日滝に打たれていれば、実際の滝行をするのと同じだ。
ほんの数日、滝行の真似事をするより、想像の中で毎日行じる方がずっと良い。
古代の荘厳な寺院の中で、美しい少女の巫女や崇高なる神官と共に荘厳な儀式を行うことを想像し、音楽だけは実際に聴く。
そうやって無意識に接触すれば、現実を自由自在に構築することは訳がない。
ただ、普段から、肛門を引き締める訓練を、気がつくたびにやることだ。
でないと、自我が弱くなったところで、意識の中から怪物が現れ、精神を病んでしまうからだ。
丁度、覚醒剤を使って意識を吹っ飛ばしたら、必ず精神が大きなダメージを受けるようなものだ。
想像の中で毎日欠かさず行に励み、超人へと変貌すると良い。









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若返る、美人になる、金持ちになる

常に肛門を引き締めることで、若返り、痩せ、美しくなり、金はいくらでもできる。
これは一面の真理だ。
だが、その対極の真理として、一切の思慮分別を捨て、全てをあるがままに受け入れることで、万物の根源と一体になる。
この2つを、ハートの中で統一してこそ、超人になる。
それは不思議なことではない。

極大の世界では、相対性理論が、極微の世界では量子力学が成立する。
だが、この2つを統一することができない。
イギリスの数学者、理論物理学者のロジャー・ペンローズは、相対性理論と量子力学の統一の鍵は脳の中にあると言ったが、対極の真理を統合するのは、脳というか魂なのだ。

とにかく、いつでも肛門を引き締めていることができるよう修行することだ。
加えて、死ぬまでは生きているという、こだわりのない生き方をすることだ。
それで答が見えるだろう。









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