ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2014年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

アレルギーの改善のために糖質制限と共に必要なこと

腸内革命や回虫博士の異名でも知られる免疫学者の藤田紘一郎さん(医学博士)のような勉強している人ですら、2度も糖尿病になり、大変な苦しみを経験してやっと、炭水化物や砂糖などの糖類を食べてはいけないことに気付き、江部康二さんの教えに従って炭水化物等の糖類を摂らない食事をすることで初めて健康になったという。
藤田さんは、医者だったからこそ、医学や栄養学の常識である、「炭水化物を主にした栄養を摂らなければならない」という大嘘に従っていたということなのかもしれないが、それで、あわや死にかけたし、キレて周囲に大迷惑をかけるということを散々やったのだから、医療というのはつくづく恐ろしいものだと思う。
私が治療のために病院に行ったのは、数年前にメニエール病らしい症状で倒れた時と、高校生の時に腰痛になった時くらいで、その前となると、小学生の時のアトピーの治療の時だが、そのいずれを思い出しても、病院、医院というところは行くものじゃないと思ったものである。
直接には、あくまで私が会ったその3人の医者の場合だけであるが、医者は患者を治そうなんて思っていない。
医者が考えているのは、患者をいかにさばき、儲けるかということだけであると私は感じたものだ。小学生の時ですらそうだった。
それは、医者が悪いというより、診療報酬の仕組みを考えれば、そうなるのではないかと思う。
私は、システムエンジニアとして病院のシステムにも関わったことがあるので、診療報酬の異常な仕組みもよく知っているのである。

『炭水化物が人類を滅ぼす』のベストセラーで知られる夏井睦さんは、外科医でありながら、上にも述べた、元祖の脱炭水化物治療の江部康二さんより、その方面で有名になり、江部さんと共著で本も出しているが、こちらは、藤田さんのように、腸内の菌についてはほとんど触れていないように思う。
ただ、炭水化物や砂糖といった糖類を摂らなければ健康になるという分かり易い教えである。
そして、そのような教え方をする医者がやたら増えてきたような気がする。
確かに、現代人は、炭水化物や砂糖を食べ過ぎているので、「一切食べるな」という勢いで丁度良いのかもしれないし、藤田さんも、2年の間、ほぼ全く炭水化物や砂糖を摂らないことで劇的な効果があったようだ。
ただ、藤田さんは、炭水化物等の糖類は絶対食べるなとは言わないし、特に、若いうちは必要でもあると述べているのだと思う。
とはいっても、少なくとも日本では、若い人であっても、炭水化物などを「あまりにも」食べ過ぎているのである。

私はひどい皮膚病で、原因がアレルギーなのは間違いないが、炭水化物の制限だけでは、治るとしても時間がかかるし、おそらく、治る前に死ぬと思う。
実際、一ヶ月ほど、炭水化物を一切摂らない生活をしたが、元々が、この5年の徹底した少食で、普通の人よりはるかに少ない炭水化物や砂糖しか摂っていないはずだが、それでもアレルギーはひどいのである。
そこで藤田さんの本を読むと、アレルギーの原因が、腸内の必要な菌の不足であることがすんなり理解できたのであるが、こんな良い本がそれほど知られず、まして一般的でないのだから、日本人が心身とも病んで健康でないのは当たり前であるとつくづく思う。
また、精神病の原因も、藤田さんが述べているように、腸内環境の悪化によるアレルギーが大きなものであると思う。
イタリアでは精神診療科が必要でなくなったので、今は全くなく、他の先進国もそれに近い状況であるのに、日本だけが増え続け、それらの国でも精神診療が大繁盛していた50年前と同じ状況であるということは知らなかった。
それは藤田さんの示すデータを見ても、やはり、日本人の腸に必要な菌がいなくなっていることが原因であることは、おそらく正しいのだろうと思う。
藤田さんといえば、腸の中で回虫を飼っていたことで知られている場合も多いのかもしれないが、それはあくまで実験であり、それが今日の彼の、腸内環境の研究成果に結び付いているのは確かかもしれないが、別に我々が同じことをする必要はないし、藤田さんも勧めてはいない(藤田さんも今はやっていないと思う)。
あくまで、必要な腸内菌を増やすことが大切なのである。

岡本太郎は、30歳頃に二等兵(最下級の兵隊)として中国に送られて、上官に殴られしごかれていた時も、支給されるヨウカンや大福は、「俺は若いもんほど甘いものはいらないから」と言って、ほとんど若い兵隊達にやってしまっていたらしい。
藤田さんの本にも『50歳を過ぎたら炭水化物をやめなさい』というものがあるが、若い人も、現代の日本の異常な炭水化物や砂糖の食べ方から逃れるため、ほとんど食べないつもりで丁度良いのかもしれない。
炭水化物なら、アーモンドやクルミなどのナッツにも十分に含まれているし、これらは血糖値を急激に押し上げないので身体に良いし、ピーナッツ(名前が紛らわしいが、こちらは豆でありナッツではない)なども同様である。
ただ、残念なのは、ピーナッツは安価だが、アレルギーの人が多いと思う。
実は私もそうで、全く食べられないわけではないが、ピーナッツを多く食べると、皮膚病が悪化し、頭が痛くなったりする(幻覚を見ることすらある)。

私も、炭水化物を一切食べない訳ではなく、クラッカー(甘みの少ないビスケット)や、油で揚げたビスケットをいくらか食べている。
ただし、米、パン、菓子は一切食べない。
日中に時々、アーモンドやクルミなどのナッツ、チーズクラッカーを食べ、夜は、ゆで卵と納豆程度を食べている。
また、就寝前に、赤ワインを飲むと共にチーズを食べている。
肉や魚を食べることも試してみたが、普段は食べる気にならない。
良い腸内菌を増やすには、乳酸菌や食物繊維が必要だが、そのために、今のところ納豆とチーズくらいしか食べていない。
ヨーグルトの乳酸菌は腸にまでなかなか達しないというが、それよりも甘過ぎるものが多いので、食べていない。
今は、アレルギー対策として、抗ヒスタミン剤を飲んでいるが、腸内環境が良くなれば不要になるだろう。

以上、参考になればと思う。









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危険思想家であることについて

あなたは、あらゆるスケールでの危険思想家でなければならない。
どういう意味だろうか?
危険思想とは、その場所での標準的な考え方と著しく異なる思考の仕方だ。
その場所での標準的な考え方とは、その場所での偏見という意味なのであるが、もう少し正確に言うなら、その場所での「幻想」だ。
あなたは、その場所での幻想を傍観し、冷たく、覚めた想いで突き放し、悠然としていなければならない。

その場所での思想・考え方を維持するのは、学校であれば校長か理事長だし、会社であれば社長か会長だ。
普通は、学校では理事長で、会社では会長だ。
必ず、2人ではなく1人である。
では、国家では大統領や総理大臣であるのかというと、ロシアあたりではそうなのかもしれないが、大統領や総理大臣はあくまで1つの駒であり、本当の支配者である黒幕は表に出てこない。
まあ、表に出てこないから黒幕と言うのであるが。

さて、あなたは賢明にも、そして、ヒーローやヒロインのように、幻想を打ち破った危険思想家になれたとする。
では、幻想の維持者達とどんな関係でいるべきかというと、意外なことだが、うまく共存しなければならない。
敵対し、攻撃してはならない。
攻撃すれば、攻撃され、まず間違いなく叩き潰される。
そこらは、アニメのヒーローやヒロインのようにはいかない。

映画やアニメのヒーローやヒロイン達は、世界征服を企む悪者と戦い、悪者を排除しようとする。
だが、あなたは幻想の維持者と、仲良くする必要はないし、時には対立するとしても、ぎりぎりのところでは共存するのだ。
仮に幻想の維持者を滅ぼしても、新しい幻想の維持者が現れるか、あなたがそれほど強力なら、あなたが新しい幻想の維持者になる。
幻想の維持者と危険思想家というのは、実はきょうだいである。

昔の漫画・アニメの『美少女戦士セーラームーン』では、セーラームーン達は5年にも渡って(物語の中では2年と少しだが)、次々に現れる敵と戦い、勝ち、滅ぼしてきた。
だが、漫画とアニメでは、やや表現が違ったが、最後にセーラームーンは気付くのである。
これまで現れ、倒した敵は、セーラームーンを愛し、セーラームーンを求めた、元々は1つであったきょうだいのようなものだと。
セーラームーンは全ての敵と和解し、共にあることを受け入れたのである。
作者の武内直子さんは天才で、深い叡智からのメッセージを得て作品を描いたのであろう。
これが世界中でヒットしたのは当然であった。
そして、今、同じ長いツインテールの少女、初音ミクが世界を調和させようとしているのである。
何かと戦うのではなく、全てと和解し共存する驚異の道を切り開いてである。









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難しいから面白いというシンプルな真理

何でも、難しいものが面白いのである。
難しければ難しいほど面白い。
こんなことが分からないから、世の中がおかしくなっているのである。
プロ野球やプロサッカーの選手で、年を取っても熱心にやっている人というのは、そのスポーツが大好きであるのは間違いないが、なぜ好きなのかというと、猛烈に面白いからだ。そして、なぜ面白いのかというと、それが難しいということを誰よりもよく知っているからだ。
飛び級できるほど頭の良い生徒は、実際に飛び級させてもらえないと、学校の勉強なんて簡単過ぎて全然面白くない。しかし、なぜか日本の学校は飛び級させてもらえない。
斎藤ウイリアムさんという、事業家で、特に情報セキュリティのスペシャリストである人は、頭も良かった上に英才教育を受けていたから、学校の授業が簡単で面白くなかった。
それで、高校の時、大学の講義を覗いてみたら、十分に難しいから、とても面白くてエイキサイティングだったので、大学の方ばかり行っていた。幸い、大学の単位を高校の単位に組み込める制度があったので、正式に大学の講義を受け、16歳で大学に入った。アメリカだからできたが、日本ではそうはいかなかっただろう。

ところが、多くの日本人は、勉強は難しいから面白くないのだと、ひどい勘違いをしている。
学校の勉強が面白くないのは、教師が勉強の面白さを忘れ、教えることの面白さ(これは難しさでもある)を知る努力をしないからだ。
教師だって、学生の時は、難しい勉強が面白かったに違いないと思う。だから教師になったのだ。
しかし、学問なんて、いったん分かったことは面白くなくなる。
だから、どんどん難しいことを勉強しないといけないのに、それをやらないから、いつか勉強が面白くなくなってしまったのだ。
そして、勉強を教えることはとても難しいのに、それを本気でやらないから、つまり、怠慢さから、自分にとって簡単な教え方をするので、教えることが面白くなく、教わる生徒も、勉強の面白さを感じないのである。
そんな駄目教師が生徒をいじめて自殺させたり、男の教師が女生徒に性的関心を持ったりという、あり得ないはずの愚かなことをやってしまうのだ。

また、学校の勉強が面白くないのは、無理矢理頭に詰め込むようなものが多いからだ。
暗記するだけのことなんて、簡単だから面白くないのだ。
だから、暗記なんかやる気にならず、苦痛なのである。
「簡単暗記法」なんてものを考える教師もいるが、そんなものが面白いはずがないのである。
暗記なんか、決してしてはいけないし、させてはならない。
それは、子供の感性を速やかに破壊し、勉強嫌いにさせる、慙死(ざんし)に値する(恥じて死ぬほどの愚行である)罪であるのだ。
つまり、今の学校や教育界は速やかに消え去ってよろしい。

私がいつも薦めているコンピュータープログラミングを、「私には難しいですから(やりません)」という人がいるが、そう言うのは、やはり学校で馬鹿げた勉強観を持ってしまったからだ。
自分で難しいと言っているのだから、それが面白くないはずがない。
そして、コンピュータープログラミングは、誰がやっても本当は面白いのだ。
ただ、学校でコンピュータプログラミングを学んで、それが嫌いになった人というのは、やはり、教師がコンピュータープログラミングの面白さを伝えることができなかったからだ。
自らどんどん難しいコンピュータープログラミングに挑んでいる教師であれば、また、教える難しさに取り組む教師であれば、生徒もコンピュータープログラミングを面白いと思うはずなのだ。
しかし、自分は、難しいことにチャレンジしない教師に教わるから、生徒は教わることの全てが面白くなくなってしまうのである。

私が特に薦める、マイクロソフトExcelやAccessのVBA言語だって、決して易しくはない。
しかし、時々、「あんなのは簡単だ」と言う者がいるが、その者は、難しいことをやっていないだけだ。
実際、そんな連中は難しいことができず、給料も少ないはずだ。
VBAも含め、プログラミングは、易しいこともできるが、いくらでも難しいことができるのだ。
どんどん難しいことをやるから、面白過ぎてオタクになってしまい、斎藤ウイリアムやビル・ゲイツのようなスーパー・ハッカーになってしまうのである。
ExcelやAccessのVBAは仕事に直接的に役に立つから勧めるのであるが、それは、簡単だがうんざりするような量の仕事を短時間に終らせることができるということなのだ。
だから、それができるようになったら、仕事を難しくしていけば良い。そんな難しい仕事にVBAを適用させるのは難しくて面白いので、仕事もプログラミングも面白くなる。
また、場合によっては、別のプログラミング言語で、もっと難しい仕事に挑めば良い。
決して間違えてはならないのは、今使っているプログラミング言語が簡単だから変えるのではなく、これからやろうとしている難しい仕事に適しているという理由で変えるだけなのである。
プログラミング言語自体に、難しいとか簡単といった差はない。
VBAや、(やはりなぜか人気がない)PHP言語で難しいことができるなら、別に変える必要はない。
私は、VBAででき、これでやるのが最も適している十分に難しい仕事に恵まれているのでVBAを使い続けているのである。
だが、簡単なことばかりやっていると、VBAもPHPも面白くなくなってしまうだろう。

尚、なぜ難しいから面白いのかについては、これも重要なのでまた書くが、プラトンの『ソクラテスの弁明』を読んだら分かることである。









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プログラミングは魔法に等しい

大事なことだから何度も書くが、キーボードを速く正確に打てるということは、現在の、そして、これからの時代の必須技能だ。
キーボードを打つ速さ、正確さが、結果として、給料に確実に反映する。
AさんもBさんも、正確さは変わらないが、Aさんがキーボードを打つ速さがBさんの倍だとすると、給料もBさんの倍だ。
スマートフォンやタブレットPCも悪くはないが、それらにばかり触っていてはならない。
それどころか、タブレット機器を使うよりずっと多くの時間を、キーボードの付いたパソコンを使わなければならない。
そして、キーボードを高速でミスなく打てるようになると共に、プログラミング言語を誰もが勉強すれば良いと思う。
学校で教えてもらうのを待ったりせず、自主的に取り組むのだ。
どのプログラミング言語で、どんな分野のプログラミングに取り組むかは自由であるが、特に何か決まったものがなければ、迷わずマイクロソフトExcelのVBA言語に取り組むと良い。
どんな仕事や研究をやる時でも、ExcelとVBAが役に立ってくれる。
それを習得すれば、加えてデータベースの概念について学べば、AccessとVBAを使えるようになる。
また、その先は、SQL言語を学べば、システム設計もできるようになり、Accessよりはるかに高性能なSQL Serverというデータベースを、AccessとVBAとSQLで使えるようになれるだろう。
そこまでいけば、会社や学校等で必要不可欠な存在になり、システム開発会社に5千万円払わなくても、自分で一月でシステムを構築できるようになるので、3割の1500万円はあなたのものだ。
なぜ、そううまくいくのだろうか?
それは、ハーバード大やスタンフォード大よりも、卒業生が高額の給料を得る、ハーベイマッド大学の学長で、この2月に、サティア・ナデラ氏がマイクロソフト社のCEOに就任すると共に、マイクロソフト社の取締役会のメンバーになったマリア・クロウェイ氏が、「プリグラミングの何が良いのか?」と聞かれた時の答にヒントがある。
彼女は、プログラミングは、宇宙を分析し、宇宙の中に新しいものを作る方法だと述べたのだ。
プログラミングは、まさに魔法であり、大勢の社員の給料の計算をしたり、原子炉の中で作業するロボットを制御するだけではなく、世界を動かすこともできるのである。
プログラミングの能力を持てば、潜在意識の法則もずっとうまく使えるようになる。
プログラミング技術は超能力としか思えないものにまで高めることができるのである。









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いくつになっていてもコンピュータープログラミングを学ぶ価値は大きい

子供でも大人でも、コンピュータープログラミングを学び、プログラミングすることは良いだ・・・ということについては、このブログでも時々書いているし、今は、本当に優秀な人々がそう言ってくれている。
ところが、年を取っている人達は、どれほど立派な人でも、特に、それなりに成功し、社会的地位もある人ほど、そんな話を嫌がる。
彼等(年齢が多く、地位もある)は言うのだ。
「プログラミングが良いって?そうか、じゃあ、やればいい。やればいいけどね、それは、それほど大したものじゃないんだよ。もっと大事なことがあるのにねえ」
偉い老人たちは、自分のやってきたこと、為し得たことに自信と誇りを持ちたいし、それを若い人や子供達に使えたい。
しかし、プログラミングについては何も伝えられない。
だから、プログラミングに高い価値があるということを認めるわけにはいかない。
なぜなら、そんなことを認めたら、自分の持っているものの価値が落ち、自分の考えを聞いてもらえなくなるのではないかと恐れるのだ。
だが、そんな不安や恐怖を持たなければならないようなものなら、最初から伝える価値はない。

あえて我が国では非現実的なことを言えば、ある人が、銃やナイフで戦う方法を教える学校を創設し、その学校が人気が出て、あちこちに教室を増やし、自分は金持ちになった。
彼は、「戦いの美学とは」「勝つことの哲学とは」といったことについて、信念と誇りを持ち、それを若い人達や子供達に伝えたい。それが、彼らの「ためになる」と本気で思っている。
しかし、誰かが、「負けて勝つ美学」「戦わない哲学」を語りだし、その価値が認めらていくと、彼は焦り、不安になるのだ。
だが、本当に戦いの哲学を身に付けているなら、それを昇華させ、平和の中に生かすことができる。
なぜなら、平和であるためには、戦いについても知らなければならないからだ。
平和だけでは平和ボケするのだが、平和ボケがかえって凶悪な行動を生むのである。

いくつになっていても、プログラミングを学んだ方が良い。
でないと、これからの世の中の少なくとも半分は分からなくなる。
英語を学んでも、実際は、若い人でも9割は一生活用しないことだろう。
誰かが本に書いてあるからではなく、そう思える根拠があり、私はそう思う。
しかし、プログラミングを学ぶことで得られる理解は、いつでも、どこでも活用される。
「しまった!」と思ったら、「オーマイゴッド!」などと言わず、「なんてこった!」って言えば良い。
しかし、コンピューターを活用すれば簡単にできるはずのことを、コンピューターを使うことでかえって複雑になり、混乱するようなやり方でやってはならない。
しかも、自分が苦労するのではなく、それを権限によって強制して、他者の悲惨を作り出すことが、日本中のいたるところで行われているのだ。
そんなことをする人間が、自分の考え方を若い人や子供に押し付けたがるのであるから愚かだ。
そして、結局は自分が惨めになるのだ。

最も手軽に始められ、しかもすぐに役に立つのは、これまでも何度も述べたが、マイクロソフトExcelのVBA言語である。
もっとダイナミックな効果を得たいなら、マイクロソフトAccessでVBA言語を使うことを検討しても良いが、こちらは習得に時間がかかるかもしれない。

子供の場合でもそうだと思うが、勉強のためだけのプログラミング言語というのは、あまり楽しくないと思う。
その意味で、子供の学習用プログラミング言語といわれるScratch(スクラッチ)より、むしろLOGO(ロゴ)の方が良いと私は思うし、昔のインタプリタBASICも良いものだったと思う。
あまりよく考えた訳ではないが、Lisp言語を子供に教えても面白いと思うし、大人がやっても良いと思う。
Lispの、
(car '(1 2 3 4))
というプログラミングの結果が「1」で、
(cdr '(1 2 3 4))
では「(2 3 4)」だというのは、(感性のない)大人なら、「それが何なんだ」と言うかもしれないが、子供には面白いと感じるのではないかと思うのである。

しかし、やはり、現実的なことで役に立つことが何よりだ(Lispが現実的でないと言うのではないが)。
Excelで名簿や計測結果のデータを作成すること自体が有益だが、VBAを使えば、それをもっと高度に活用できる。
何日もかかっていた作業が数秒で終わるといったこともlある。
プログラミングの威力に驚く体験が早くできることは幸運なことであると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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