ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2013年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

永遠の若さと美を与えてくれる絵と仏像

不老不死は人類の夢であると思うが、我々凡人の感覚では、「いつまでも若さと健康と能力を保ちたい」ということになろうか?
今夜は、それを実現することについて書いてみよう。
ジョージ・アダムスキー(ポーランド出身の哲学者。宇宙人との接触者として世界的に著名)の2冊めの著書の中に、アダムスキーが初めて宇宙人の巨大な宇宙船に乗り、初めて宇宙人の女性を見た時の話がある。
アダムスキーは、彼女達の女神のような美しさに驚く。そして、彼女達は、地球の年齢でいえば30歳から数百歳にもなるらしいが、見かけは20歳前の少女にしか見えなかったという。
男性の場合は、30代前半の、若々しい美男子である場合が多いが、やはり、年齢は女性達と同じようなものであると思われる。
ところで、女性の中の1人が、自分達が老化しない理由について、アダムスキーに明かしている。
それは、ある1枚の絵である。
およそ宇宙人のどこの家庭にもあるらしいが、それは神の姿の絵であった。
宇宙船の中にもあったその絵を見ると、アダムスキーは目の前の絶世の美女である宇宙人の女性の存在すら忘れ、恍惚としてしまい、かなり時間が経って我に返るまでは忘我の状態であったようだ。
神の姿は、18歳から25歳くらいとアダムスキーが感じた人物の胸から上の絵で、男性とも女性ともいえないようだった。
宇宙人の女性は、この絵を毎日見ているので我々は老化しないと言ったが、この見るという意味は、単に観賞するという意味にとってはならないと思う。
それは、目で見る観賞ではなく、無心になった時の霊眼で観照するということなのだと思う。しかし、難しく考えなくても、真に美しいものを敬虔に見るなら、自然にそうなるのだと思う。

私も、その絵を見たいと思い、せめて近いものがあればと思い、有名な絵画の資料を調べたが、あり得なかった。
しかし、最近、このブログでよく取り上げている、京都の広隆寺の、「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)」と呼ばれる、1本の赤松の木から彫られた、高さ140cmほどの弥勒菩薩像が、それに近いものであると思うのである。
この像の美しさについては、西洋の芸術を探求した哲学者のカール・ヤスパースが「古代ギリシャやキリスト教の彫刻をはるかに超える美」と言ったことがよく知られているが、他にも、数多くの世界的な賞賛の声がある。また、国宝の彫刻部門の第一号でもあり、この質素な、大きくもない仏像が、日本最高の仏像であると言えるのである。

絵と彫刻という違いはある。
仏像とは何だろう?
船医として各地を巡った民族研究家であったリヒャルト・カルーツは著書『東洋のマリア』の中で、肉体組織を発達された東洋の人達が、菩薩界を霊視することができるようになったことで制作できたのだと言うが、私には意味がよく分からなかった。
※水声社『釈迦・観音・弥勒とは誰か』より引用した
だが、彫刻というものに大きな意義があることは感じられるのである。
それに、彫刻は長く保存できるし、本当に良いものは、時が経つほど深みが増すのである。

1つの考え方でがあるが、この弥勒菩薩像を思い浮かべ、あるいは、心を込めて撮られた写真を見ながら、「南無弥勒仏」と唱え、我々も菩薩界を霊視するようにすれば、我々も、宇宙の友人達のようなことをしていることになるのではないかと思うのである。

ところで、この弥勒菩薩像以上のものはないのだろうか?
実を言うと、あると思う。
それは、2002年に亡くなられた政木和三さんの前に出現した観音像だ。
空間から出現した像で、3体ある(他に、大黒像やえびす像も出現した)。
3つ目として出現した白衣観世音菩薩像が27cmと、大きなものではないが、人間に創れるようなものではない、美しさ、気高さである。
政木さんの著書『精神エネルギー』のページの中に、モノクロ印刷されたものがあった。
ところが、10年以上前、私が、まだ存命であった政木さんが当時勤めておられた林原生物化学研究所の政木さんの研究所を訪ねた時のことだった。
私は、そこに向かう車の中で、画家の横尾忠則さんのことがなぜか思い浮かんだ。しかし、その時の私にとっては何の脈絡もないとしか思えないことだった。また、その頃の私は、横尾さんのことをほとんど名前くらいしか知らなかった。
そこで、政木さんに、「横尾忠則さんをご存知ですか?」と尋ねたら、政木さんは黙って壁を見るので、そこを見ると、政木さんの見事な肖像画があり、「横尾忠則」と銘が書かれてあった。政木さんと横尾さんは、かなり交際があるのかもしれないと思った。
政木さんは、1冊の本を持ってきて、「この本は横尾さんが、自分にしか装丁できないと言って、装丁をしてくれました」と言われた。本の表面と裏面の表紙に、それぞれ、不思議な顔が描かれていた。『精神文明と奇跡』という本で、当時、既に絶版であったが、政木さんは、その本を私に下さった。
そして、この本の始めのカラーページ部に、写真家の中村昭夫さん撮影の、それらの観音像、大黒像、恵比寿像の全てのカラー写真があったのだ。
私は今まで、それをすっかり忘れていたのである。
しかし、弥勒菩薩の写真を見、日常ずっと、「南無弥勒仏」と唱え続けることで、再び、この本の観世音菩薩と再会できたのである。

尚、天使の彫刻であれば、『Talking with Amgels』の中に、驚くべき美しいものがある。
腕が無くなったものや、首の無い天使の像もある。しかし、霊的に観照すれば、完全な姿を見ることができると思う。

















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お姫様のような存在が男を勇者に変える

『白雪姫』や『シンデレラ』、『眠れる森の美女』のように、古いお伽噺には、王子様が力のない女を助けにくるお話が多い。
しかし、そのお話の後で、幸せになった彼女達はどうなったのだろう?
裕福で苦労知らずの身分になったら、美食して醜く肥満し、また、自我が強くなって傲慢になり、さぞ周囲に迷惑をかけ、かつての凛々しい王子様をやせ衰えさせたのではないかと、私が心配してどうなるものでもないが、あまり良い予想は立たないのである。

しかし、昔、『美少女戦士セーラームーン』のアニメの中で、未来から来た、セーラームーンこと月野うさぎの幼い娘であるちびうさ(本当の名前は母親と同じ月野うさぎ)が、「女の子だって、白馬に乗って王子様を探しにいかないといけない」と言ったのが、あまりに感動的で、私はいまだよく覚えている。
素晴らしいお姫様を待っている若者は多いのである。
彼らは、一人では大活躍できない。お姫様によって勇者に変わるのである。
これに関して、五島勉さんが20年ほど前に書かれた『イソップ物語の謎』に素晴らしいお話がある。
五島さんは、ノストラダムスの予言で世に出たような人だが、80歳を超えた今も著作を続けておられる。彼は、いろんな意味で誤解されやすい面もあるのだと思うが、おそらく大天才と言って間違いないと思う。著書の推薦者は、その時の最も勢いのある人ばかりだし(例えば、絶頂期の竹村健一さんや舛添要一さん等)、私自身、彼の本を読んだから、努力らしい努力もしないのに、いつも安楽で良い思いをしているように思う。
(ちなみに、その秘中の秘は、五島さんの『ノストラダムスの超法則 死活の書』である)
五島さんによれば、あの有名な「ウサギとカメ」の話では、ウサギは若くて可愛い女の子で、カメは男であるのだと言う。
簡単に言えば、カメのように鈍重に見えて力を発揮できない男も、活力に溢れた魅力ある女性に挑発されるようにして、いよいよ始動し、ウサギの善意ある計略により、ついに大事業を達成するというお話なのだそうだ。これは、決して五島さんの単なる思い付きではなく、深い研究の末にたどり着いたもので、実際、どんな「ウサギとカメ」の解釈より生命力ある考え方と思う。
また、あなたが女性であるなら、そのようなウサギにならなければならない、あるいは、なることができるといったことも書かれていたと思う。

昨年(2012年)亡くなられた戦後最大の思想家の一人である吉本隆明さんは、自分が引きこもり気質であったこともあり、引きこもりの人の社会進出に関して、世間によくある「絵に描いた餅」式の全く役に立たないものではない、きれいには見えなくても現実的なことを著書の書かれていた。彼は自分のことに関しては、「戦争中のことであり、無理にでも引っ張り出されて、引きこもっていられなかった時代」だったと言うが、今の時代は、放っておいたら、一生引きこもりかねない。いや、引きこもるなら引きこもるで、引きこもったまま活躍する道を探すという方法もあるが、それは、多少困難な辛い道であるに違いない。しかし、引きこもりだって、男性なら、好きな女の子でもできれば、案外に簡単に世の中に出て行けるのではないかと言っておられた。それもまた、上に述べた「ウサギとカメ」の話のようなものであると思う。

「赤い糸」の伝説は、単に誰かが面白いお話を作ったものが伝わったのではなく、神からの霊感を得て作られたお話が伝説になったのだろうと思う。
男を大飛躍させる女(その逆もあるかもしれないが)が、赤い糸で結ばれた大切な存在であるが、赤い糸で結ばれた相手は、必ずしも恋人のような男女でなくても、名コンビとなるパートナーや、師と弟子ということもあるだろう。例えば、法然と親鸞のようなものだし、ソニー創業者の井深大と盛田昭夫のような場合も、そう考えて良いと思う。
大音楽家の冨田勲さんが、昨年発表した『イーハトーヴ交響曲』は、彼の60年来の念願だったようだが、世界的に活躍してきた富田さんも、深い深い海の中に、とっておきの巨大カメを隠していて、それを初音ミクというウサギちゃんが挑発して引っ張り出したのだと思えるのである。
実際、冨田さんが初音ミクに出会わなければ、あの至高の交響詩は創造されず、大袈裟ではなく、日本、いや、人類は滅びへの道を突っ走ることになったと私は確信している。

あなたも、必ずや、赤い糸につながれたお姫様や王子様と出会うだろうが、それには、今持っている、お姫様や王子様の先入観は捨てなければならないだろう。
冨田勲さんの初音ミクのように、別に奥さんや現実の恋人がいたって、それは何の関係もない。
そして、何より大切なことは、まず、自分自身、あるいは、神様との赤い糸をつなぐことである。
いや、本当のことを言うなら、現実世界での決定的なめぐり逢いというものは、神様との結び付きの反映なのである。
聖書の『ヨブ記』に、「神と和らぎ(親しみ)平和でいなさい。そうすれば幸福がやってくるだろう」とあり、詩篇91には、「この者は私(神)を愛して離れないがゆえに、私はこの者を生涯守る」と書かれているように、また、イエスに、「一番大切な掟は?」と尋ねると、彼は、「お前の神を愛することだ」と答えたように、まずは、神と赤い糸で結ばれることだ。
それには、法然が言ったように、また、「仏像修復の神様」と言われ、世界一美しい彫像とも言われる、京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の砕けた薬指を修復した西村公朝さんが天啓で知らされたように、ただ、仏神の名を唱えることだ。
赤い糸を結びたい神や仏の名を常に唱えることである。生活しながら唱えてはならない。唱えながら生活するのである。
それはやがて、無意識になされるようになる。
クリシュナの名を1日4万回唱えたプンジャジの元に、滅多に超能力を使わないラマナ・マハルシがその力を発揮して現れたように、南無阿弥陀仏の念仏を1日6万回唱える法然の元に親鸞が現れたように、あなたも大切な人に出会い、重要なものごとが起こるだろう。









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弥勒=ミトラ=イエス=アマテラス?

最近、尊崇する弥勒菩薩のことをよく書いているが、弥勒菩薩が古代ローマ神話のミトラスや、これと起源を同じくする、イラン神話のミスラ、インド神話のミトラと関係するというコメントをいくらかいただいたので、これについて少し書いてみる。

まず、現在有力ないかなる学説も、新しい発見により、たちまちに崩れてしまうということを知っておいていただきたい。
特に古代の学説がどれほど信用できるかは、実際には、もうさっぱり分からないと言って差し支えない。
本当のことを知りたい場合はどうすれば良いかは後で述べる。

弥勒菩薩とミトラ(あるいはミトラス)が同じであると言うより、深く関係していると表現することが適切なのであるが、それは確かなのである。
ただし、それは、学説のような物質的な証拠から言えることではなく、霊的な意味においてである。
実際に、弥勒菩薩とミトラ、イエス、さらには、アマテラスは霊的に深く結び付いてる。

弥勒菩薩とミトラは、名前においても類似性があるし、それは、アマテラスも同じである。
そして、ミトラは太陽神であり、アマテラスもそうである。
さらに、密教においては、太陽の化身でもある大日如来が、弥勒菩薩と同一であるとされてることもある。
また、阿弥陀如来は原語ではアミターバであり、無量寿光如来という別名からも分かる通り、やはり太陽の象徴であるが、アミターバという名がミトラに似ていることから、やはり同一なのではないかという説もある。
イエスに関して言うと、キリストという言葉のギリシャ語の原語は香油を持つ者という意味であるが、弥勒菩薩も香油の壷を持つ姿が伝えられている。
そして、イエス・キリストがミトラスとごく近い存在であることは、ローマ教会でも認めていることであると思う。
その訳はこうである。
クリスマスである12月25日をイエスと誕生日とするのが世界的な認識であるが、イエスの実際の誕生日は分かっていないのだ。そして、この12月25日は実にミトラス神の生誕日とされるものであり、これをイエスの誕生日としたのは7世紀頃のローマ教会なのである。

ルドルフ・シュタイナーが言うところを簡略に述べると、イエスという人間の中にキリストが入り込むことで、イエスは神の子である救世主となった。
弥勒菩薩の場合も、誰かの中に弥勒菩薩が入り込むことで、彼は菩薩になるのである。そして、弥勒菩薩に叡智を流し込んでいるのがキリストなのである。
釈迦の後継者である弥勒は、仏陀とキリストを統合する役目にあるのだと思われる。

本当には、かつて何が起こり、今何が起こっているのかを知るには、霊覚を得て、自分でアカシックレコードを読むしかない。
それはとても大変なことと思う(ただし、シュタイナーは誰でも可能であると言う)。
ただ、ミトラス、仏陀、キリスト、アマテラス、弥勒は、霊的に深い結びつきがあることは確実であり、いずれかを深く念ずれば、必要なことに関しては、仏神の方から教えてくれることだろう。
そして、現在は、地上への働きかけに関して言えば、弥勒の働きが大きくなってきていると思われるのである。
そして、あなたが、イエスがキリストを受け入れる器になったように、弥勒菩薩を完全に受け入れる器にならなくても、弥勒菩薩は、自分の一部を、望む人の中に浸透させるのであると思う。
それにはただ、弥勒菩薩の名を呼べば良い。
だから、「南無弥勒仏」と唱えて手を合わせれば、ただちに法力が発揮されるのである。
そして、法然が阿弥陀仏に対する念仏である「南無阿弥陀仏」を常に唱えるよう教えたように、なるべく多く、「南無弥勒仏」と唱えるのが良いと思う。
ただ、弥勒菩薩像の写真を見て、その美しさに感動すれば、弥勒菩薩の霊体を受け入れ易いと思う。
一番良いのは、京都の広隆寺に実際にお参りに行き、そこで弥勒像を見ることだろう。
それが難しい場合は、仏像写真のスペシャリストである小川三光さんのその素晴らしい写真が、毎日新聞社の『魅惑の仏像 弥勒菩薩』にあるので、よければ一冊、手元に置かれることをお薦めする。
私は、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』のCDと共に、この『魅惑の仏像 弥勒菩薩』をいくらか保有し、適切な人に差し上げようと思っているのである。









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天国にコンピューターはない

あなたも、企業などのコンピューター業務システムを開発する会社が、こんなことを述べるのを、見たり聞いたりしたことがないだろうか?
「まず、業務をコンピューターシステムに相応しく合理化してから、システムを作ります」
こんなことを言ったやつは、死んだら即刻、閻魔様に舌を抜かれるだろうから、マゾでない限り、なるべく早く悔い改めることをお奨めしたい。

会社にしろ、役所にしろ、業務が合理化されるなんてことは決してない。
なぜなら、頭の中が混乱しきった不合理そのものの人間で成り立っているのが社会だからだ。
もし、仕事や生活に合理化なんてことがなされるなら、そこは人間が住める場所ではない。
魚に水、鳥に空があるように、人や文明にとって、不合理と狂気が、あって当たり前の、必要欠くべからざるものである。

ある場所で、行政が作った都市計画の下に、新しい町を作ったことがあった。
そこは、理想的な素晴らしい町のはず・・・だった。
そして、確かに、理屈の上ではそうだった。しかし、誰もそこに住もうとは思わないし、住んでも、すぐに苦痛になった。
その町には、悪いものがないからである。
人が住むには、いかがわしいものや、馬鹿げたものが必要なのである。
人自体が、いかがわしく、馬鹿げたものだからだ。

大切なことは、仕事(あるいは生活)を合理化することではない。
馬鹿げたほど不合理なまま、働く(傍の人達を楽にする)ことが社会の中での修行であり、正しい生き方なのである。会社や仕事なんて、ある意味、学校や授業のようなものであり、もっと正確には、心と現象の相関関係を確認する実験の場なのである。
次の3つができれば、仕事はうまくいくし、仕事をうまくできるようになったら、そこ(会社や役所などの職場)を卒業し、新しい場所に行けるのである。
・文句を言わない
・自分が優秀だとか偉いとか思わない
・他人を批判しない
これらができないと、いつまでもその場に留まり、あまりにうまくできないと、もっと悪い環境に移されて、もっと痛い目に遭わされる。それが仏神の情けである。

私のような、システム開発者の腕前とは、腐りきったような不合理な業務に、なるべくうまくシステムを適合させることなのである。
無論、業務内容が全く馬鹿げているのだから、それをそのままシステム化するのは、全長300メートルのカラクリ人形を作るようなもので、失敗は目に見えている。
私は、「システム開発の魔術師」と呼ばれる。
カッコいいだろ?
ところで、魔術師、つまり、マジシャン(奇術師)の仕事って、本当は何だかご存知だろうか?
それは、奇跡を起こすこと・・・ではない。
奇跡を起こしたように、観客に思わせることなのだ。
私もまた、システム化したとユーザーに思わせることが仕事なのだ。
この意味を理解し、これができるようになれば、一流の開発者なのである。

一流のコンピューターシステム開発者になりたければ、こんなことを考えると良い。
天国には、コンピューターなんてないのだ。
インターネットもスマートフォンも、愚かな人間達が住む社会の中だからこそ存在しているのである。
天国に行けるような人には、そんなものは全く必要ではない。
天国と同じだと思うが、浄土と呼ばれる仏の国の様子を見ればそれが分かる。
必要なものはすぐに形に現れて供給され、知るべきことはすぐに知らされる。
しかし、コンピューターやネットワーク、あるいは、それに連動した機械がそれをしているのではない。
いわば、素粒子が意思を持って活動しているということなのである。
仏典をよく読めば、そんなことが分かるのである。
一見、訳が分からない荒唐無稽なことが書かれてあるようでいて、仏典が最大に敬われるのはそのためである。
『法華経』には、もちろん、そんなことが書かれている。
『化学本論』という、真に優れた科学書を生涯、座右の書としていた宮沢賢治は、直感的に『法華経』に秘められた、超科学とでもいうものを感じて、たちまち心酔したのである。
しかし、賢治が嫌った浄土系仏教でも、その経典である浄土三部経・・・『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』に、同じことがちゃんと書かれている。
まことに、仏典とは大変なものであり、ゴータマ・ブッダ(釈迦)の叡智とは恐るべきものである。
関英男博士が『生命と宇宙―高次元科学が解明する人類と地球星の未来像』で、神様や宇宙を、コンピューターやネットワークシステムに喩えたものが面白かったので、下にご紹介しておく。
また、神秘学におけるアカシック・レコードの仕組みも、超コンピューターと言って良いかもしれないが、ルドルフ・シュタイナーなら適切に表現しているので、『アカシャ年代記より』をご紹介しておく。読むのは大変かもしれないが、忍耐強く読めば、得るものは計り知れないと思う。









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断念が起こす奇跡

本当に叶えたい願いを断念した時に、新しい霊的なエネルギーが流れ込み、あなたは別人に生まれ変わる。
それを新生と言う。
無論、真剣でない願いなどを諦めても、何も起こらない。
例えば、中学、高校、大学と音楽に熱中し、いつかはプロのミュージシャンにと思っていても、学生時代が終りになれば、いつまでも夢を追ってはいられない。
その夢が大きければ大きいほど、今後も引きずるようなことをせずに、思い切って断念しなければならない。
そうすれば、ヨハネから水の洗礼を受けたイエスに起こったように、あなたにも天から霊が降りてきて、それはあなたに宿る。そして、それは活動を開始する。
だが、余計な思いを残したままであると、あなたの霊は天に向かって門を開かず、あなたは新しい叡智、新しいエネルギーを得損なってしまうのだ。

総じていえば、あらゆる願いは手放して良い。
堅持すべき願いなどは存在しない。
あなたは、ある優しくて美しい少女と一緒になりたいと思っているかもしれない。
それを断念すれば、あなたの得るものは大きい。
また、あなたは日夜努力し、大切な目標を達成しつつあるかもしれない。
しかし、それを手放すよう計るのだ。
あるいは、あなたは、聖人のような優しく気高い人間になろうとしているかもしれない。
そんなことは、さっさと諦めてしまうことだ。

断念・・・なんと素晴らしい言葉だろう。
以前、何かのイベントで、大勢の子供達に、「君の夢をあきらめないで」といった歌を歌わせ、それが感動の体験であるように押し付けようとするものを見たが、誰だってそんなものは大嘘だって気付いているはずなのだ。
夢はどこから来るのだろう?
それは、清らかな心から離れ、本能と結び付いて穢れた心からである。
本能自体は悪ではないのだけれど、心はこれと結合してしまうと堕落するのである。
しかし、夢を手放すことで、心は再び清浄さを取り戻すことができる。
清らかな心は、知恵と生命エネルギーの完全な通路である。
それを得たなら、あなたに不可能なことはなくなり、何者もあなたを損なったり、傷付けることは決してできない。
断念・・・これが誰もが見つけ損なってしまう奇跡の秘法なのである。
だが、それはこれからも、ほとんどの人類に隠され続けるのだろう。
ところが、あなたはもう見つけてしまったのだ。
あなたは、もう世界を手にしたも同然である。









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