ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2013年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

歴史に名高い仙人は、永遠に若くいることは簡単だと述べた

伝承やお伽噺で聞く仙人のような摩訶不思議な力を得るための難しい修練方法を説く人もいる。まあ、それらも、確かに素晴らしいものなのかもしれない。
だが、『荘子』にもよく登場する彭租(ほうそ)という名の仙人の教えは簡単であったが、私は、この彭租の教えにこそ、生き生きとしたリアリティを感じるのだ。
彭租は、八百歳まで生きたと言われるが、実際はそれどころではなく、おそらく不死である。
特に人目を引くような不思議を起こす訳ではなかったが、ただ生命を大切にし、永遠に若々しい姿を保ち、また、彼の教えをいくらか受けたものは、不死とは言わないまでも、おそらく二百歳くらいまでは若者の姿でいられ、三百歳までは生きられた。
アメリカの科学技術者で探検家であったベアード.T.スポールディングの著した『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、やはり百歳をはるかに超えても若い姿(20歳くらいから50歳程度くらいまでの外見など様々であるが)を保ち、普通の人間から見れば超人としか言いようのない力を持つ大師達が登場するが、大師達は、自分達の能力は、人間として当たり前のものであり、特別な修行などは必要としないと言った。
それと同様、中国の仙人のごとき力もまた、どんな人間の内にも秘められた力であると言ってよいかと思う。
彭租は、やはり、道術(仙人の術)を収めるのに、特別なことは必要とせず、ただ、「禁欲して性エネルギーを保存すること」、「心を静かに保つこと」、「適切な食事をすること」の3つを実践すれば良いと述べている。
確かに、現代は、性欲を煽って儲けようとする輩や、過ぎた美味な料理を過剰に食べさせて儲けようとする者がどこにでもいるし、物質主義の世の中では、人々はストレスを溜め込み、心を安らがせることができない。
そのような世俗に生きていれば、いかに長寿国といったところで、たかだか70歳や80歳で老人となり、「近い将来、若者4人で65歳以上の高齢者1人を抱えなければならない」などと平気で言う。なんで「抱えられない」といけないのか?
人間は、70歳くらいから、ようやく円熟し、本当の力を発揮できるようになるのであるが、誤った固定観念のせいで、自分が信じる通りに老化するだけである。
そのような誤った迷妄を打ち壊し、世間の教義や信念にひれ伏すことをやめれば、人間本来の力に目覚めるはずである。
ところで、性的禁欲や食の慎みは、まだ易しいのであるが、難しいのは心を静かにすることである。
だが、それも、誰もができるようになっている。
私は、この数ヶ月、乾癬という皮膚病を煩い、酷い痒みに苦しめられているが、黙って耐えることで精神が鍛えられ、心を静かにする力が格段に向上した。最近、その効果に自分で驚いている。怒ったり、妬んだりということが、全くないとは言わないが、自分で不思議になるほど起こらない・・・また、起こったとしても、簡単に消すことができるのである。
私のような皮膚病はないとしても、あなたにも、必ずや、何かの苦しいことがあるはずである。未熟な人間に、神様がそのような配慮をされないはずがない。
借金に苦しんだり、自分の面子を失うのも辛いのだが、敬愛する人の面子を潰して、もっと深い苦しみを味わっている人もいると思う。
そんな苦しみに、黙って耐えるのだ。そうすれば、心を静かにする大きな力が与えられるのである。
また、自我の性質である、放埓(勝手気まま)に振舞いたいという心を抑え、自己に制約(制限)を課せば、これも、心を支配する力を得るに十分であり、人間本来が持つ、イエスのごとき力、仙人のごとき力は得られるに違いない。
イエスは、自分と同じように、自在に水の上を歩行できなかったペテロを叱り、食べ物を得ることを心配した弟子達を嘆いたのだ(イエスは数個のパンと数匹の魚を増やし、5千人に食べさせて満腹させた)。
彼らは、心の支配力が足りなかった。
しかし、彭租の簡単な教えを熱心に実践すれば、それはさして難しいことではないと思われるのである。









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腕振り運動は天と調和するための簡単で優れた方法である

昨夜の記事でも書いたが、改めて考えるに、およそ本物の聖賢は、天(あるいは神)に全てまかせきってしまうことが最も安全で、そうであれば、損害を受けることも傷付けられることもなく、楽しく充実した人生を送れると、確実に述べていることが分かる。
ただ、こう言うと、必ず誤解する者がいるのだろうが、それは、怠惰になれとか、投げやりになれとか、放埓(ほうらつ。勝手気ままの意)になれということでは全くない。
だが、もっと誤解されるかもしれないことは、サミュエル・スマイルズの、「天は自ら助くる者を助く」という有名な言葉と合わせ、「怠けずに、とにかく努力して、結果は天にまかせろということだ」と心得、闇雲に奮闘することである。そんな人間は、結果が悪いと、「天に任せたはずなのに」と文句を言うのだ。
天に任せるということは、天が「怠惰であれ」と言うなら、怠惰になることでもある。悪人になれというなら、悪人になるしかない。こう言うと、また誤解をして、「怠惰はともかく、悪を肯定するのか?」と言われるかもしれないが、親鸞も言ったように、人間は、自分の意志で自由に悪いことをしたりはできないし、同じく、善いこともできないのだ。

本当に天に任せるなら、結果が良いか悪いかはともかく、楽しく、心安らかである。おかしなことに、周囲から見れば、あまりよく見えなくても、本人は満足し、王位を得たかのように感じているのである。
天に任せ切るのも能力である。ただし、それは、受験やスポーツで勝つのとは全く異なる、高次の能力である。
その能力を磨くのに、私が普段お奨めしている腕振り運動(スワイソウ。せい手)ほど良いものはない。
この簡単な運動に、宇宙の真理全てが含まれる。
腕振り運動とは、改めて言うと、自然に立ち、真っ直ぐに伸ばした両腕を、同時に前後に振るだけの簡単な運動だ。
手のひらは、内側に向け、肘を伸ばし、肩の力を抜き、後ろに振る時に少し力を入れ、前に振るときは力を抜く。
ところが、多くの人が、これを、力んで、自分勝手なペースで、鼻息荒くやってしまうのである。
天、あるいは、神とは自然の生命である。それは、我が身体の内にもある。それに従い、自然に腕を振ることをせず、自我が前面に出て、自我の好きな調子で腕を振っているのでは駄目である。
ただ、「では身体の内にある生命に全て任せます」と言って力を抜いてしまうと、腕が動くはずがない。
初めは、自分の意志で振らねばならないが、身体の内の生命のシグナル(信号)を感じ、それに合わせていくのである。
つまり、自分が従で、身体の内の生命たる天、あるいは、神が主であり、従である自分が主である天に従うのである。
それができれば、腕を振るペースは完全に一定になる。天とは、完璧に正確だからだ。それは、素粒子の振動や惑星の運行を見ても明らかである。
腕を全く一定の自然なペースで振ることができれば、無心になっているのであり、天と調和し、神と和らいで(親しくして)いるのである。
そうなれば、何百回、何千回でも続けていられるし、春の心地よさであり、青春を感じて爽やかである。
聖書のヨブ記に「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福になれます」とある通りである。
そして、無心であれば人間に不可能はない。いかなる奇跡も、無心である時に起こるのである。

以上をよく考えれば、腕振り運動が、いかに優れたものであるかが分かると思うが、これは一説では、禅の創始者であるインドの超人的な僧である達磨大師(ボーデイ・ダルマ)が考案し、中国に伝え、現在も健康、病気回復、武術、密教の秘法として大切にされているのである。
簡単な運動であり、お年寄りでも無理がないので、1年365日、1日も欠かさず、決まった時間に行うことをお奨めする。
そして、毎日やっていれば、コツも掴めて上達し、ますます効果的になるだろう。
仙人のような力を得られるかどうかは、熱心さが決めるのである。
関英男博士(工学博士)は、『宇宙学序章 グラビトニックス』で、未来科学の立場から腕振り運動を考察しており、効果についてのデータを公開している。
また、腕振り運動が直接に扱われているのではないが、中国の老子、荘子や仙道の書が非常に参考になると思う。









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最高の賢者達は皆、人生に不安は無用と保証する

年齢、性別などに関わらず、将来が不安だって人はとても多いようだ。
まあ、全く不安が無いって人もいないのだろうが、イエス様が、「明日を思い煩うな」って言ったのだから、心配などしないことだ。
言ったからには、イエス様に責任を取ってもらおうじゃないか?
それは冗談だと思うかもしれないが、実際にこんな話があった。

昔、あるお金持ちの中国人が日本にやって来てビジネスをやったのだが、何をやってもさっぱりで、挙句、膨大な借金を抱え込み、その上、大怪我して入院してしまった。
さすがに悲観もしたが、キリスト教徒であった彼は、神様にこんなお祈りをしたらしい。
私は、初めてそのお祈りのことを知った時は、変わったお祈りだなと思ったものだった。それは、こんなものである。
「神様、これまでのことは私の責任とします。きっと、私にいたらないところがあったのでしょう。でも、神様。これからのことはあなたが責任とって下さい」
すると、その日のうちにスカウトが現れ、彼は真直ぐ成功への道を進み、借金を清算したばかりか、大金持ちになったのだ。

この発想は、普通の人ではなかなか無いと思うが、私は、今では大正解だと思うのだ。
彼は、それまでは、自分の力を頼み、自分が世界を動かせると思い上がっていたのだ。
それが痛い目にあって、自分には何の力もないと悟り、神様にバトンタッチしたのだ。
神様は全知全能である。しくじることは決してない。上手くいくのは当たり前だ。

要は、天が放っておかない人間であれば、天は面倒を見てくれるということだ。
ペットの子犬が、そのつぶらな瞳であなたを見つめていたら、放っておけるはずがないじゃないか?
なぜ子犬がそんな目をするのかというと、子犬は、あなたの方が自分よりずっと強力だと知っているし、全面的に頼っていて、全幅の信頼を置いているからだ。
あなたも、天に対して同じようであれば良い。
実は、イエス様も、全くそのように言ったのだ。
だが、それは単に甘えるってことでもないのだ。
あなたに対する子犬のように、あなたは、天を自分より上位に置かなければならない。
だが、普通の人は、自我を天より上に置いているのだ。
それで、思い通りにならないことに不満を言い、天の定めなど知ったことではないという態度で、自分の望みを何より優先するのだ。

黒住宗忠という、江戸末期の神道家で、実は、イエス様のような力を持った神人と言って良いほどの人がいたが、彼は、30歳そこそこだったと思うが、重病で死に掛けたことがあった。
深く敬愛していた両親が相次いで亡くなったことで、孝行息子だった宗忠は、激しく嘆いたのは仕方がないとしても、いつまでも悲観して泣き暮らしていたようだ。そして、そのうち、病気になり、それがどんどん悪くなって、何年も寝たきりになってしまった。
彼の両親は病気で亡くなったとはいえ、もう老齢だった。
亡くなったのは天の定めだ。それをいつまでも嘆いていたのは、なるほど、宗忠が美しい心根の持ち主であることは分かるが、それは天を軽んじているのではないだろうか?
だが、宗忠は、ある日、ついに、自分の命を見限った。それを天命として受け入れたのだろう。
その時、天照大神の生命が自分の中に入ってくるのを感じ、彼はみるみる回復して、極めて強健に生まれ変わったのだった。そして、上に述べた通り、イエスにも匹敵する力・・・病気を治し、暴風を静め、空間移動する力をも発揮するようになったのだ。

スーフィー(イスラム教神秘主義)に、こんなことわざがあるらしい。
「神を信じろ。だが、驢馬はしっかりつないでおけ」
放埓(勝手きまま)ではいけないが、自分にできることをちゃんとやっている限り、神様は面倒を見てくれることは、あらゆる聖者が保証している。
イエス様は言ったのだ。
「神様、できれば私の運命を変えて下さい。しかし、私の思いではなく、あなたの思いがなりますように」
荘子も言ったのである。
「運命は決まっている。だが、それを無心に受け入れれば、結構楽しめるし、良い人生になるよ」
黒住宗忠も、
「まるごと神様に任せてしまえば、面白いことばかりなのだ」
と言っていた。
神様と、イエス、荘子、黒住宗忠という、いずれ劣らぬ3聖人を信じることだ。
加えて、近代インドの聖者、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジも、まさに、そう言っているのである。









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海外旅行よりずっと良いもの

多くの人がまとまった休暇を取れる時期になると、海外旅行が盛んになる。
テレビで、そんな人達にカメラを向けることはありふれたことになった感じであるが、テレビで取り上げられる人達というのは、おそらく、ある決まったパターンだけで、それは、「海外旅行など、全く無益か、むしろ、行かない方が良い人たち」だ。
たとえば、ある小学生の子供は、既に片手の指で数えられないほど、色々な国に行っているというが、それを話すときの様子には、子供らしい純真な喜びはなく、尊大で醜かった。
また、大人の場合は、周囲の迷惑も省みずに勝手気ままに振る舞い、食事の準備も後片付けをする必要もなく、大っぴらに美食・大食し、酒を飲み、ショーや遊びを楽しむなど、感覚的な刺激を楽しむだけである。
無論、旅行に楽しむためのものという面があるのは間違いではないが、これらの人々の旅行は、魂にとっての滋養がまるでなく、むしろ、魂を堕落させるだけのものになっているのだ。

およそ近代の本物の知恵者であれば、その全てが崇拝していると言って差し支えない、アメリカ最高の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、観光旅行には何の価値もないと断言していた。
人間には、身近なところにこそ、もっと良く知るべきことが沢山ある。
そして、何より、人間が本当に旅しなければならないのは、自分の内側なのだ。外部に快楽的な刺激を求めてばかりの者は、真の自己を見出すことは決してない。
自分の内側・・・それは、とてつもなく広大で、驚異に満ち、果てなく無限で、無いものは何もない。もちろん、それに気付くためであれば、旅行が役立つこともあるが、現代では、むしろ、その肝心なことを得損なう可能性の方がずっと大きい。
マルコ・ポーロすら、海外への旅がとてつもなく困難な時代にあれほどの旅をしながら、結局は虚しさを抱えた。
一方、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、マルコ・ポーロほどではなかったが、やはり現代と比べると、旅が不便な時代に、ずっとヨーロッパ中を旅行し続けたが、それは観光のようなものでは全くない。無論、本当の理由は分からないのであるが、それは、彼の内からの抑えようのない衝動であり、子供時代や青春時代に造ってしまった心の壁や痛みに関係することであったのだろう。そして、結果的には詩や物語の題材を彼に与えた。楽しみもあっただろうが、彼の旅には悲しみがあり、我々の旅とはまるで異なっていたのである。

「自分探し」のつもりで旅をする人もいるかもしれない。
しかし、宝は自分の身近にあるのであり、それを顧みずに遠くに出かけても、何も見つけられない。
海外にボランティアに行って、人間的な厚みが出来た人はほとんどいない。それならば、身近で自分にできることをきちんとやった方が良い。
実際、身近な当たり前のことが何もできないのに、海外交流だの、留学だの、海外ボランティアだのをやっている者は多い。
まして、余程の必要性や志がある場合は別として、親に生活の面倒をみてもらっての留学やボランティアなど笑止であろう。

私は、一度だけ、遊びの海外旅行をしたことがあるが、後は海外へは、仕事で行ったことがあるだけだ。
別に海外に限らないが、遊びの旅行は、周りの旅行者も含め、実に下らないもので、今は、社員旅行なども決して参加しない。参加しなければクビだと言うなら勝手にどうぞである。私のような無能者をクビにしても会社は困らないだろうから、確かにお奨めであるしね。そして、その場合は、私にとって、新しい冒険の扉が開かれるだけである。

身近にこそ面白いものはあるに違いない。
音楽家の冨田勲さんは、7歳くらいの頃、中国に住んでいたらしい。
その時、彼のお父さんは、北京近郊にあったある廃墟によく連れて行ってくれたそうだ。そこは、観光客の来るようなところじゃなかった。
そこに、ある不思議な建物があった。誰かが、建物の中のどこで話をしても、それがすぐそばで聴こえる。ヒソヒソ話でもそうである。
誰かが、その建物内のどこかで話をしている時、自分がどの壁に近付いていっても、声が大きくなる。
そんな不思議な反響をする建物なのだが、これは、昔、建物の中に侵入した賊を見つけたり、謀反の相談をしている者達を見つけるために、こんなものを造ったのではないかということである。しかし、昔、意図的にこんなものを造れたというのは、現代人を超えた知恵であるに違いない。
そして、この体験が、幼い富田さんに、音の響き、音の場といったものに深い興味を呼び起こし、彼を偉大な音楽家にし、特に、シンサイザーで、自然の旋律の謎と神秘を再現する音楽で世界中を感激させることにつながったのだろう。
冨田さんは、音響になど興味がありそうもなかった、医師であった父が、なぜそんなところに連れていってくれたのか不思議に思っているようだ。
しかし、彼のお父さんが、現代の人達のように、世間的な面白いところや観光スポットにばかり彼を連れていっていたら、今の冨田さんはなかっただろう。
もし、冨田さんのお父さんの、この一見不思議な行為がなければ、冨田さんの素晴らしいシンセサイザー音楽で我々が天界の音を聴くことも、初音ミクが宮沢賢治の神秘的で幽玄な世界を歌い上げることもなかったのだ。
冨田さんは、間違いなく人類の偉人であり、彼の音楽は、神が、我々が高次の意識に目覚めるために与えた宝なのである。









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私が休みの日は1日中腕振り運動をしている訳

特殊な才能や訓練された能力によって、普通の人には全く不可知な霊的世界のものごとや理(ことわり)について知ることができた、エマニュエル・スウェーデンボルグやルドルフ・シュタイナーのような偉大な人達もいるが、シュタイナーによれば、訓練すれば、それは誰でも可能なことであるらしい。

ところで、特別な人間ではなく、むしろ、世間的には小人物でしかないが、理由は分からないが、仙人や導師、あるいは、天狗といった力ある存在に気に入られて、秘密の術を教わったような人もいるのだと思う。
また、やはり、天才だとか、高い地位にある訳では全くないが、天使とか、他の惑星から来た人からの接触を受け、特別な教えを受けることのできた人達もいるはずだ。
それは、たまたまの幸運であったのかもしれないが、やはり、それらの高い存在達は、我々の世間の基準とは異なる条件で人を選んでいるのであろうと思う。
その中でも、天使や宇宙人とは少し異なり、普通の人間として過ごした記憶が色濃い仙人や導師が、どんな人を選ぶのかは、直感で分かるような気がするのである。
選ばれるのは、とても愚直(いわゆる馬鹿正直)な人間であるに違いない。
そして、個人としての自分には何の力もないと思っている者であるのだと思う。
そんな者は、成功しても、喜びはするがあまり誇らないし、失敗しても、それが当然だと思うので、ことさらには悔やまないのだ。
彼らは、長年やってきた仕事については、自分だって少しはできると思っているが、全然大したことはないと思っている。世の中には、自分より上なんていくらでもいると分かっているのだ。
どんなことも、自分はすごくできると思っている者は、間違いなく低レベルである。
私のようなコンピューターシステム開発者の場合、良い開発者は、個々の依頼物件に対しては、良い結果を出す自信があることもあるが、さほど難しい仕事と思われていなくても、それが自分の手に余る(自分の能力以上だ)と感じることがあるものだ。
私は、他の開発者に仕事を回す際、その開発者が思い上がっていて、仕事を甘く考えている様子なのをよく見てきた。私はちっとも偉くないので、私の思いに反し、そんな者に仕事が回されることもあるが、その場合、確実に誰にとっても不幸な結果に終っているのである。
もっと大きな範囲の高いレベルではあるのだが、本質的には、きっと、仙人や導師も同じなのだ。
彼らの優れた直感が、力を授けるべき相手を、自然に自分に気に入らせるのだ。

ところで、最近の私は、休みの日は、1日中、本当に頻繁に腕振り運動をしているのである。
普段も、決まった3つの時間(朝4時半と7時、夜は仕事の都合で10時から11時位の間)は、一度に200~500回は、1年365日、1日も欠かさないが、今は、家に居る時は、少なくとも1日に数千回はやっていると思う。
何事も、向上のコツは熱心にやること以外にはないが、熱心にやるなら何かの理由があるものだ。
その理由が個人的なものである場合、例えば、金を儲けるとか、自分が良い思いをするためであれば、さほどの熱意を持てるものではない。
そして、自分では、「世のため人のため」と思っていても、それが案外にエゴイズムである場合は少なくない。その場合、揺るぎないほどの強い力で自分を動かすことはない。
私の場合、内なる神に通じる方法としては、他に何かできる訳ではないので、ただ、馬鹿の1つ覚えをやっているに過ぎない。
ところが、あの親鸞ですら、そんなことを言っているのである。
「先生の法然上人の教えが嘘で、念仏を唱えても地獄行きになるとしても、私のような凡人では、他に何かできる訳ではないので、とにかく信じてやっているのだ」
と弟子の唯円に言ったらしい。
親鸞が凡人だなどと、誰も信じないが、彼は自分では、確実にそう思っていたのであると思う。
親鸞は、私より百倍は愚直であったのだと思う。
江戸時代の観相の大家で、食の慎みによる幸運の秘訣を説い水野南北は、牢屋敷に入れられるような人間ではあったが、極めて愚直であった。だから、文字は読めなくても、多くの仙人達が直接に接触し、口頭で教えを授けた。
身の程を知る愚直な人間であれば、仙人も可愛いと思い、気安く術を授けることもあるだろう。世間で天才と言われる人間には、そのような者もいるのだろうと思う。ただ、やはり彼らは、ニュートンのように、「自分の才能は、授けられただけの預かりもの」と言うのである。
徳川家康が、天下取りの秘訣を「身の程を知ること」と言ったのは、別に特別なことではないと思う。天下など、人の力で得られるものではない。つまり、人が天下を選ぶのではない。身の程を知る愚直な人間を天下の方で選ぶのである。









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