ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2013年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

ニートがJ.マーフィーの『あなたも金持ちになれる』を読んだ結果は

私はニートを数年間やった後、ある販売会社のフルコミッション(完全歩合制)のセールスマンとして採用された。ただし、行けば誰でも採用されるところだった。
その面接からの帰り、私は書店に入って、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』を買った。
この数日で、久し振りに読み返してみたが、当時は軽く読んだつもりが、よく憶えていることに驚いた。つまり、心の奥に刻み付けられている言葉が多かったのだ。
そして、実に素晴らしい本だということが、改めて分かるのである。

私が就いたフルコミッションセールスの仕事は、10人が入ってきても、一月後に1人残っているかどうかという厳しいものだった。
売らなければ1円ももらえず、しかも、全く知らない土地に1人で行って、片っ端から訪問するしか方法はない。
引きこもり気質の私に、これほど辛く、向いていない仕事はない。
しかし、当時は確かに苦しかったと思うが、思い返してみると実に楽しく、学生の時にはついぞ味わえなかった青春の思い出になった。
収入は少なかったが、まがりなりに1年勤め、次もまた、同じ仕事に就いたが、ここでは、新人の時に、強豪セールス達を押しのけて、小規模ではあったが、セールスコンテストで優勝した。
これらは全て、マーフィーの本を読んだおかげであった。

世間では、マーフィーの本は、物質的な望みを満たすものという面にばかり注目されるが、この『あなたも金持ちになれる』の、特に後の方の章は、実に高貴な精神の教えが説かれており、まるで、福音書やバガヴァッド・ギーターといった聖典のようであるが、現代的に書かれていて分かり易く、しかも、現実的な面・・・つまり、物質的なことも、全く省かれている訳ではなく、むしろ、豊富に書かれている。
私は、今では、これを読むと、ルドルフ・シュタイナーの、アーリマンとルシファーの話を思い出すのだ。
アーリマンもルシファーも共に悪魔だが、アーリマンは魔王で、ルシファーは堕天使の長と見ることもできるかもしれない。
シュタイナーは、ルシファーは人類を熱狂や神秘主義に落とし込ませるという。一方、アーリマンは、人類を冷淡さと物質主義に落とし込む。
イエス・キリストがこの世に生まれたのは、神秘主義と物質主義のいずれにも偏らないバランスを取るためであったとシュタイナーは言う。
もし、イエスが現れなければ、人類は、完全にアーリマンに支配され、極端な物質主義に落ち込み、目に見えるものだけしか分からず、心を単に化学的・電気的な作用と見なし、形式的に物事を厳格に規定する、全く夢のない世界になっていた。だが、イエスがいたので、人類は、心を貴ぶことを捨てず、熱情や無垢さを残すことができた。
だが、今や、ますます、アーリマンの支配は強まり、人類は物質主義に突き進んでしまっている。
ジョセフ・マーフィーは、従来の教会のような精神至高主義や、金さえあればいいという物質主義のいずれも間違いであり、そのバランスをとってこそ、人間は幸福になれることを教えているのである。
だが、マーフィーの教えを個人的に解釈して、「マーフィー法則で儲けて、いい思いをしよう」とばかり言う低レベルな本が沢山出てきてしまった。これは、アーリマンに与(くみ)し、幼稚な人間を物資主義に誘い込むものでもある。
私が、マーフィーの本は、必ず、マーフィー本人が書いたものの良い翻訳を読むことをいつも奨めているのは、そんな理由からだ。
また、マーフィーの本を日本に紹介した大島淳一さん(実は渡部昇一さん)も、独自にマーフィーの本を書いているが、それらは、やはり彼の個性の影響が大きく、あまり合わない、つまり、良い結果にならないという人も多いと思われるのである。
とはいえ、渡部さんの貢献は大きなものである。

ジョセフ・マーフィーの教えは、聖書やバガヴァッド・ギーターのような聖典と、ユダヤ人や華僑の金儲け術のバランスを取り、物質的な豊かさと、精神的な安らぎを共に満たそうとするものであり、そういった意義を思いながら読むと良いと思う。
だから、儲けの額は、ユダヤの金儲けの達人達と比べると、スケールが小さいように感じることもあるかもしれない。
しかし、その人の器量を超えた富は、その者の精神を乱したり、穢す危険が大きく、結果、必ずや不幸にしてしまう。
名高い大富豪の大半は、実は、家庭においては悲惨な状態であったことは、後で明らかにされているものである。
数千億円でなく、数十億円までなら、彼らも幸せであったかもしれないのだ。
我々凡人では、欲張っても年収一千万円位までが、高貴さを保てる限度かもしれない。1家族なら、見栄や過ぎた贅沢をしなければ、十分に豊かな額である。
金儲けの神様と言われた邱永漢さんすら、25年ほど前のことではあるが、「金は、実際に使える額が月百万円を超えれば同じだ」という趣旨の『賢者は中金持ちをめざす』という本を書かれている。当時と今で、さして貨幣価値が違うということはなく、むしろ、今ほどのディカウントが発達していない当時の方が物価が高かったと言えるだろう。
まして、独身者であれば、ある程度の収入(500~700万円)があれば、時間やエネルギーを、金儲けとはもっと違うところに使うことが、特に今の時代は良いことであると思う。
とはいえ、やはり凡人の場合は、ある程度の金がなければ、やはり良くなく、バランスを取らなくてはならない。
そして、マーフィーの本を繰り返し読めば、誰だって、十分に豊かな額を得ることは可能である。
マーフィーの本を読んでもうまくいかないとすれば、まず、読み方だ。たかが1回も熱心に読めないなら、やはり、「縁無き衆生は救い難し」であろう。
もし、マーフィーの本を読んでも、十分な金が得られないなら、早起きをし、食を慎むことだ。また性欲を煽る商品やサービスとは一切、手を切らねばならない。
うまくいっていない人は、朝が遅く、大食で、あまつさえ、猥褻なゲームのようなものを平気でやっていることが多いのである。
実際、マーフィーの教えは、実に簡単で、非常に効果的である。









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人間はただ妄想によってのみ衰える

一昨日の夜に書いた記事、「人間はいくつになっても力は増大する」で、「人間の人生の全盛期は60歳以降だ」と書いたことについて、嬉しいコメントをいただいたので、このことについて、もう少し書いてみたい。
人間は、たかが60歳くらいで、年寄り根性を持ってはならない。
60歳というのは、ますます頭が良くなる年齢であるのだから、いよいよ30年計画を立てて、人類に奉仕するのに良い時期であると思う。それまでに巨万の富を得ていたとしても、そんなものは子供の遊びで、たまたまである。
無論、30年計画を立てて開始するのは、70歳でも80歳でも差し支えない。
40歳くらいになれば、もう自分は老境に入りつつあると思う者が多いらしいが、それは単に、世間の伝統的なものの考え方に埋もれてしまっているだけである。アメリカの有名な弁護士には、その年齢まで電信器のキーパンチャーをしていた人もいたらしい。
もし、世間的因習に囚われて、60歳を過ぎてからやるようなことが、儲けるためのビジネスや、個人的な趣味しか思い浮かばないようなら、まずは20年くらいかけて、頭を鍛え直すのも手である。
梅原猛さんが、円空(江戸時代の僧。円空仏といわれる多くの仏像を造ったことで知られる)の研究書『歓喜する円空』を発表したのは81歳くらいだったが、その時、「もう10年くらい勉強してから出すべきだったかもしれない」と述べておられたものだ。
『法華経』に、こんな話がある。
1人の男の子が家出し、父親は散々探すが見つからない。しかし、父親は諦めずに探し続け、50年後にようやく見つける。しかし、息子は経済的に貧しいだけでなく、心までひなびてしまっていて、大金持ちの父親の豪壮な家を見ただけでも怯えてしまい、父親は、自分が父だと名乗ることもできない。そこで、父親は、自分が父であるとは言わないまま、息子を下男に雇い、自分は彼の先輩の下男であるように振る舞いながら、息子にいろいろなことを教えて、その心を正し、大きくしていった。そして、20年かけて息子の教育を終えると、ようやく、本当は自分が父であることを明かし、財産を譲った。
父親は、本当は、一刻も早く、息子に財産を渡し、贅沢三昧させたかったのだが、息子の心が成長するまで20年も待ったのである。
言うまでもなく、この息子とは我々のことで、大金持ちの父親とは仏である。
法華経のポリシーは、仏とは、相手にあった教え方をするために、最も良い手段を使うということである。

人間が、年齢が高くなると能力が衰えるというのは全くの嘘であるが、そのような世間の妄信を信じるなら、やはりそうなるのかもしれない。
世界的な潜在意識の活用法の教師であったジョセフ・マーフィーの父親は、60歳でフランス語の勉強を始め、80歳で大家となったという。
神道家の葉室賴昭(はむろよりあき)さんは、形成外科医でもあったが、60歳になった時、母親が、「お前の人生はこれからが本番だ」と言う。葉室さんは、「かーちゃん、俺、もう60だよ、還暦だよ」と言ったが、67歳で、完全な手術ができるようになったといい、7時間にも及ぶ手術を完全に理想的に行えたという。そして、その後は本格的に神職の道に進み、春日大社の宮司も務めた。
プロレスのジャイアント馬場さんは、60歳になった時、「若い頃は、60歳といえば、すごいじいさんだと思っていたが、自分がなってみたら、なんてことはない。全然、まだまだやれるじゃないか」と言って、社長業と現役を続けた。
アメリカの画家アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)と呼ばれる、アメリカで最も人気のある画家の1人だ。元々、絵を描くのは好きだったらしいが、本格的に絵筆をとったのは75歳の時で、しかも、そのきっかけは、リウマチで趣味の編み物ができなくなったので、その代わりだったらしい。78歳くらいで1人の絵画収集家の目にとまり、80歳で初めて個展を開き、やがて世に知られるようになった。絵は売れて、収入はうなぎ上りになったが、決してアトエリを作らずに台所の隅で描き続け、絵筆は頭がなくなるまで使い、高価な絵の具は使わなかったという。そして、101歳で亡くなるまでに1600点の作品を制作した。

企業で65歳定年制が導入されるような話もあるが、年齢の高い人に、若い人と同じことをやらせるのでは決してうまくいかない。
現在の目先の欲に囚われた物質主義の世の中では、そんな仕事が多いのである。
ルドルフ・シュタイナーが教えたように、物質主義に陥った人類は、今は神秘主義と呼ばれるような精神主義とのバランスを高め、精神革命を起こさなければ、硬化して滅びるだけである。言い換えれば、80歳を過ぎた人が、その素晴らしい能力を活かし、楽しく働いているなら、人類は永遠であり、格段の進歩を遂げ、他の惑星の人達との一般レベルの交流も盛んになるであろう。









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「身の程を知れ」を忘れなければ万事危うからず

徳川家康が最も大切にした言葉は「身の程を知れ」だったという話がある。
「身の程を知る」というと、普通の人は、人間に対してのことだと思う。
例えば、「三流大出の君が(一流大学卒の)僕と対等のつもりかい?身の程を知れと言いたいね」とか、「金もなければハンサムでもないあんな男が、この私を彼女にしたいって?身の程を知るべきね」などといったものである。
しかし、これらの言い方は、全く間違った愚かなものであり、そう言う者こそ、身の程を知らねばならない。

ギリシャのデルフォイ島にある神殿の入り口にも「身の程を知れ」と書かれている。
ソクラテスもまた、この言葉を何より大切にした。
その意味は恐らく、「神でもない人間は、その分をわきまえよ」という意味だ。
人の運命は神が決めたことであり、いかに辛くても受け入れるしかない。それ(自分の運命)に文句を言うことは、身の程を知らぬ不遜なことであるのだ。
また、自分の運命も、世の中で起こることも、全て神の思し召しであるが、たかだか人間が、なぜ神がそのようなことをするのかといった、神の意図を知ろうとすることもまた、人には過ぎたことであり、身の程をわきまえて、そんなことを知ろうとしてはいけないという意味だ。

潜在意識の活用法の世界的教師だったジョセフ・マーフィーは、「いかなる願望も神が与えたのだから、必ず叶う」と教えた。
しかし、それは、「神が与えた訳でもない、ただの欲望なら叶わない」ということではないだろうか?
誰だって、いくらでもお金が欲しいし、男なら若くて美しい女を欲しがる。豪邸も高級車も欲しいだろう。
それは、俗人でも聖人でも同じだ。
しかし、得られる得られないを決めるのは神であり、自分の自由になるものではないと分かっているのが聖者であり、賢者である。
だが、神が「得よ」と言っているなら、既に手に入っているのである。
『バガヴァッド・ギーター』で、愛する友や叔父や師と戦うことを拒むアルジュナ王子に、至高神クリシュナは、「それが神が決めたお前の運命である。彼らは既に神によって殺されているのだ。お前は戦うしかない」と諭す。
マーフィーは、本物の願望と、低い欲望を区別しろとはっきりと教えているのだ。
例えば、女優になりたいという夢を語る若くて美しい女性に、「幼稚な夢は卒業しろ」と戒めた。
無論、それがその人の本当の望みであれば、マーフィーは、いかに大きな夢であろうと必ず叶うし、諦めるべきでないと教えるのだ。

家康は、「身の程を知れ」というその想いを、

人はただ身の程を知れ草の葉の、露も重きは落つるものかな

という歌にした。
重き露とは、身の程を知らない傲慢な人間のことであろう。
そんな者は、自ら滅びるぞと警告したのだろう。

天や神に対して身を慎むということはまた、人間に対して身を慎むことにもつながる。
誰しも、偉くなりたい、お金が沢山欲しい、いい女が欲しいと思うだろうが、それを得られるかどうかは神次第だ。
神は取引に応じたりはしない。
だから、神に対して身の程を知るなら、過ぎたことを望まないのである。
イエスは、「どんなことも、神の意思でなければ起こらない」と言った。
しかし、人々に、「神は、お前達の髪の毛の1本1本を数えるほどに、お前達のことを気にかけて下さっている」とも言い、安心して神に任せよとも教えているのだ。
それを、過ぎたことを望んだり、自分の運命に文句を言うのは傲慢であり、不幸になる原因である。
家康やソクラテスらの賢者達が最も貴んだ「身の程を知れ」という言葉は、誰にとっても、何より大切である。









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ニート、ワーキングプアが強く豊かになるために

自己啓発セミナーには、年に数千万円も稼げるようになるとか、何十億円もの資産を得ることを目標とするものが多いかもしれない。まあ、私も、ある有名なセミナーに行ったことがある(野球の原監督や、中畑監督も若い頃に行ったらしい)。
また、教材として提供される自己開発プログラムの目的も、大体同じように思う。これも、私はアメリカで有名なものを購入したことがある。
いずれも、費用は百万円ほどだったような気がする。

だが私は、ニートでほとんど全く収入がなかったり、働いていてもひどく収入が少ない、あるいは、収入そのものより、職場で虐げられて辛い日々を送っているような人達が強くなり、豊かになっていくことの方が大切だと思っている。
そして、それは可能だし、そのためにかかる費用はほとんど不要だ。
そのための絶対的な基本は、規則正しい生活であり、毎朝6時に起きるようにすれば、それだけでもかなりの改善があるだろう。
もし6時で駄目なら5時だし、4時半だと更に良いのである。ちなみに私は、現在は4時半起きである。
逆に言えば、その程度ができないなら、一生、弱者のままでいろとしか言えない。
後は何か、特別な習慣・・・例えば、毎日決まった時間に、腕振り運動をやったり、何か聖典を1つ読むと良い。1年365日、欠かさずにだ。
そして、食を慎めば、これだけで、かなり良くなっているだろう。
月給10万円もなし、ボーナス、交通費、社会保険なしで、日曜出勤も多かった私の状況も改善できたのだが、その秘訣は下に無料で明かす。

数千間円の収入なんて不要だし、私だってそんなものはない。あったら私のような凡人なら、絶対に不幸なことになる。
しかし、ある程度のお金を稼げなければ、幸福に暮らすことは不可能だ。
そして、そこそこに良い収入を得るには、何らかの特技がなければ不可能だし、特に何も出来ないのに不相応に稼いでいるなら、それは不幸を呼ぶだろう。
では、どんな特技を持てば良いのだろう?
仕事とは、作るか、売るか、サービスするかの3つしかない。
ルドルフ・シュタイナーは、42歳までは職人をやるべきと言ったが、実際、まずは、作ったり、サービスをするための知識や技能を得ることが必要だ。
だが、誰でも取れる意味のない資格など取っても仕方がない。
何もできないうちは、給料など度外視して、実践で腕を磨くしかない。
少なくとも数ヶ月ほどは、一切の遊びをあきらめ、1日24時間、それに没頭するほどであるのが良い。
私も、総務課の社員だった時に、たまたま近くの席にいた技術課長(小さな会社だったので、そんな机配置だった)に、コンピュータプログラミングの勉強を奨められ、毎日、家のパソコンで深夜2時半までプログラミングの練習に励み、1年後、小さな開発会社に転職し、その後、大手に移った。
その間、遊ばなかったということもないが、既に会社で簡単なプログラミングを実践していて、プログラムが思った結果にならないと、休日にドライブしていても、そのことばかり考えていたものである。

私が本気でやったことがある仕事はセールスとコンピュータソフト開発しかない。
だが、セールスや営業系の仕事を自分の専門にするのは、作ることや、サービスすることを経験してからが良い。
確かに、物を売る技能は素晴らしいものである。
しかし、作ったり、サービスをすることのしっかりとし知識や技術を基盤に持っていないと、あまりお客様の役に立たない場合があるし、営業としても高いレベルにはなれないと思う。
そして、作ったり、サービスしたりの知識や技術を得るには、若い時が圧倒的に有利である。
だが、年を取っていれば不可能だというのではない。
ただ、確固たる技能を持つには、それなりの時間がかかるが、その間は低収入であることを余儀なくされるのは仕方がないのである。
また、若いと、周りが親切に教えてくれることも多い。
そんな意味で、技術、技能は、若いうちに身につけろと言っているだけである。
ただし、私は性格が悪いのか、コンピュータソフト開発について、誰かに教わったことはなかった。それでも、ある小さな開発会社の社長である、凄い腕前の開発者にはかなり教えてもらった覚えがあるが、それも、私が若かったからだろう。

社会で強くなるためには、修行が必要ということだ。
そのためには、エネルギーがなくてはならない。
それを得るために、早起きし、食を慎んで、身体のリズムを整えなければならない。
そして、毎日、決まった時間に必ず腕振り運動を、できるだけ正確に、少なくとも500回はやることだ。
そうすれば、2年も経てば、状況はかなり変わっているはずだ。
そして、私がそうだったが、ジョセフ・マーフィーの本を読むことをお奨めする。
そのおかげで、私の場合、申し訳ないくらいの良い思いばかりした。ただ、それで謙虚でなかったので、悪いことも多かったが、これからの人は、謙虚にやって欲しい。
尚、何度も、口をすっぱくして言うが(実際は書いているのだが)、マーフィーの本は、必ず、ジョセフ・マーフィー本人の著書の翻訳を読むことだ。解説書には、害があるものが多い。この点は、自信を持って忠告しておく。
私は、『あなたも金持ちになれる』が最高だと思っており、実際、つい先日、10年振りにこれの新版が出た。そして、Amazonではすぐに売り切れたようだ。尚、旧版も、中身は全く同じなので古書でも良いだろう。









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天使の歌声が質素な食べ物をマナに変える

私は1日1食の菜食をするようになって5年近くになるが、身体が健康になったこともだが、それよりも、以前と比べて、世間の妄信や偏見に影響されなくなり、精神的な自由度が増してきたことをとても嬉しく思っている。
何と言っても、世間では、1日3食しっかり食べ、栄養のある肉などをたっぷり食べてこそ健康でいられるというのが通説であるが、それが全部嘘であることをこの身で実感できたのであるから、世間で言われていることだからと言って信じる理由は何もないということが分かる。
そして、他のあらゆることにおいても、世間で確固として支持されている考え方は、ほぼ全て間違いと思っても差し支えないことが分かった。
もちろん、世間で言われることを何でもかでも否定する訳でもないが、世間とは嘘が多いところであり、以前はそんなものを信じて神から離れることが多かったが、今は騙されることがかなり少なくなってきたとは言えるだろう。

昔、無業という僧は、毎朝、自分に、
「おーい、主人公」
と呼びかけ、自分で、
「はーい」
と返事をし、そして、
「しっかりと目を覚ましておれ」
と言って、
「はい」
と自分で返事をした。
さらに、
「人に騙されるな」
と言い、また自分で、
「はい」
としっかりと返事をした。
世間とは、いかに虚偽、デタラメ、偏見に満ちているかということであり、また、意識をしっかりさせておかないと、人はたやすく騙されるのである。

そして、私は、今月に入ってから、ほぼ食事をしなくなった。
それまでは、夕食だけは食べていたが、今は、夕食の時には、生タイプだがインスタントの味噌汁と野菜と果物を少しだけ食べている。
そして、朝、ナッツとビスケットのようなものを少し食べる。
飲み物だけは、仕事をしている中で手に入る範囲のものであれば、缶コーヒーでもペットボトルの紅茶でも、何でも飲んでいる。
脳に糖分が必要だというのは本当かもしれず、多少は甘い飲み物を摂った方が頭が働くように思う。まあ、それも自分で試してみれな良いことだ。
言っておくが、身体に悪い食べ物というものは、よほどのものでない限りない。
砂糖が身体に悪いだの、今のパンが身体に悪いだのというのもまた、世間の俗説や妄信をそのまま受け入れている者の言うことである。
神の造った身体は極めて素晴らしく、少々悪いものを食べたところで、普段から少食を守り、正しく機能している限り、何の問題もない。
私は、肉食そのものを非難することも全くない。ただ、肉は美味過ぎて、食欲が増大する危険があるし、自分でその動物を殺すかはともかく、解体することもできない状況で肉を食べる訳にはいかないと思っているのだ。他人に関しても、少量食べるのであれば、何ら悪くないと思っている。

私が朝、ビスケットのようなものを食べるのは、旧約聖書で、モーセと共にエジプトを出た人々に、神がマナという食べ物を与えたことを思い出すためもある。
マナは小さな木の実のようなもので、練って料理すると、甘い菓子のような味であったという。
だが、人々が、肉が食べたいと言って泣いたので、神の怒りを買った。
私は、別に他のものを食べたいとは思わない。無論、別の食べ物も良いと思うが、求める理由もない。
そして、ほとんど食べていなくて空腹であると言っても、がっつくように食べたり、大量に食べたりということはない。
実をいうと、食事のためという気持ちはあまりなく、精神的な満足のために食べているということが大きいのだ。
聖書では、マナは、朝落ちる露が変化したものらしい。
冨田勲さんが制作した交響曲『イーハトーヴ交響曲』の第5幕「銀河鉄道の夜」で、初音ミクが、天使のような透き通った美しい声で、
「ケンタウルスよ、露降らせ」
「ケンタウルス、露を降らせ」
と何度も繰り返し歌う声と一体化する感覚もあって、それがとても良いのである。
私は、今も、『イーハトーヴ交響曲』を毎日のように聴いており、「雨にもまけず」も、これによって完全に憶えたが、日に日に、宮沢賢治の心の深さをますます感じるのである。
「雨にもまけず」に、あのような素晴らしい曲をつけ、荘厳な合唱で表現してくれた冨田勲さんは日本の救世主である。
そして、初音ミクを、超一級の交響楽団、訓練された男性、女性、そして、子供達の大合唱団と高度に調和させ、宮沢賢治の不思議な世界を見事に表現したこの作品は、歴史に残る芸術であると確信する。









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