ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2013年01月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人生最大の罪

実話を基に制作された、スティーブ・マックイーン主演の大作映画『パピヨン』は、胸に蝶の刺青があることからパピヨン(フランス語で蝶、または、蛾。蝶と蛾の区別の無い国は意外に多い)と呼ばれる人生の落伍者の数奇で壮大な物語だ。
パピヨンは犯罪は重ねたが、流刑にされた原因である殺人に関しては冤罪(無実の罪)であった。
ある時、パピヨンは夢を見る。
太陽が照りつける砂漠の中の法廷で、パピヨンは陪審員達に裁かれる。
裁判官は、パピヨンに「有罪」を突きつける。
パピヨンは、「なぜだ?俺は殺していない!」と申し立てる。
だが、裁判官は、「お前は、人生最大の罪を犯した。よって有罪だ」と突き放す。
パピヨンが、「何の罪だ?」と問い、裁判官が、「人生を無駄にしたという罪だ」と答えると、パピヨンはうな垂れ、
「有罪だ・・・」
と、何も言い返せない。
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
パピヨンは、虚しく落胆する。

我々は誰も、数え切れない罪を犯して生きてきた。
だが、罪とは何だろう?
『アキハバラ電脳組』というアニメで、つばめという名の少女を育てた魔法結社の幹部シゴーニュは、幼いつばめに言う。
「この世では、力がないことが罪なのだよ。お前は強くならないといけない」
その通りであるが、私には、シゴーニュはその意味でも罪を犯していたと感じる。
本当の力とは、良心を守れる力であり、罪とは、良心を守る力を持たないことだ。
物質的な力もないがしろにしてはならないが、それは半分に過ぎない。

いろんな歌の中で、「君を守る」という言葉がよく使われる。それは美しい響きである。
だが、多くの場合、その「君」は、愛する少女のことを指すのだろうが、それは表面的なことと思う。
「君」の本当の意味は良心だ。良心は乙女の姿をしているのである。
そう考えると、全ての「君を守る」という言葉が、さらに輝きを放ってくる。

揺らぎない想いは そう 君と二人で紡ぐ明日へ
その光さえぎるもの 振り払うから
壊れ行く世界が 今 鼓動の意味を示し始めた
心の中 固く誓う 君を守るよ ずっと…
~初音ミク・鏡音リン『Promise』(作詞、作曲:samfree)より~

良心とは、決して、社会通念での善ではない。
我々は、良心に対してそんなイメージを持っているので、それは何か嘘くさく、陳腐でつまらないもののように思ってしまっているのだ。
しかし、本当の良心は、ベートーヴェンの『歓喜の歌』の原詩として知られる、シラーの詩『歓喜に寄せて』に書かれた、楽園の乙女のようなものだ。
つまり、それが人間の喜びなのである。

良心を守るためには、物質的な世俗の力も必要だ。
何も出来ない弱い者が良心を守ることは難しい。
子供は、良心を守ることが出来なくて悔しい想いをする。
そんな時に、良心を守るために強くなるよう導くのが教育である。
しかし、学校や、現在の多くの家庭では、良心を捨てる教育をしているのだ。
楽園の乙女である良心を守るための力を欲すれば、それは与えられる。
物質的、霊的の両面においてである。
そうであるのだから、この世は捨てたものではないのである。
だが、良心を守れなければ、我々は有罪なのだ。
あの映画でパピヨンが、
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
と虚しく言う哀しい姿のように、本当の罪を犯した後悔は言葉で言い表すことは出来ないほどである。









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良心に従って生きられない時にどうするか

私が小学4年生の時、大学生だった従兄に言われたことで、忘れられない言葉がある。
その言葉とは、
「それは良心の問題だよ」
であった。
何についてだったのかは全く覚えていないのだが、きっと、絶対にバレないような状況で、欲のために悪いことをするかしないかというようなものだったはずだ。
私は、バレなければいいじゃいかといったことを言ったように思う。
まだ子供なのに、世間の考え方が身についてしまっていたのだ。
しかし、彼の一言が目覚めのきっかけになったに違いない。
高校生の時のことだ。その日、私は理科室の掃除当番の日だったが、他の者は誰も来なかった。多分、皆、意図的にサボったのだろう。元々薄汚れた教室だし、教師が監視に来る訳でもないので、サボろうが大丈夫だと思ったのだろう。
しかし、私は、1人で掃除をして帰った。
「良心の問題だよ」
この言葉が力を持ち始めていたのだ。

震災が起こった地域では、混乱に紛れて、商店の商品を勝手に持っていく愚か者はやはりいるようだ。
しかし、私は、どんな状況であれ、そんなことは決してしないだろう。
だが、人間は、必ずしも、いつも良心に従って生きられるとは限らない。
直接会った訳ではないのだが、戦争中、捕虜の首を切り落としたことがあったという男の話を聞いたことがある。
彼は、「戦争だから、仕方がなかったのだ」と言ったらしい。
確かに、良心に従って、命令を拒否していたら、彼自身がどんな目に遭っていたか分からなかっただろう。

捕虜の首を切らねばならないような時、我々はどうすれば良いのだろう?
自分ではどうにもならない。
首を切るのが運命であれば、そうすることは避けられない。
インドの至高の聖典『バガヴァッド・ギーター』にもそのようなことが書かれているはずだ。
だが、良心を忘れてはならない。
罪を犯す宿命は逃れられないかもしれない。
だが、私はその罪を受け入れる。

戦争は、ただ否定すればいいってものではない。
国や国民を守るために戦わねばならないこともある。
戦闘になれば、何の恨みもない敵兵を射殺しなければならないこともあるだろう。
私には、状況に対して何のコントロールも出来ない。
私には、何の力もない。ただ、運命の命じるままに戦うだけだ。
だが、その罪は受け入れるのである。
やがて私は、敵地の中のある村落に入る。
老人や、女子供がいる。
軍の上部からは、彼らを殺すよう命じられているが、私は良心に従う。彼らには手を出さない。
すると、美しい娘を見つけた。
こんな時は、必ず見逃さずに陵辱するのを楽しみにさえしている味方の兵も少なくない。
しかし、私は、そんなことをする気は全く起こらない。

私は、良心を何よりも大切にしたいのだ。
良心とは、決して、社会的通念に立ったものではない。
むしろ、それに完全に逆らうものだ。
それは、ひょっとしたら個人的なものかもしれない。
ただ、感傷的なものでもない。
感傷的な良心を持とうとする者は高慢だ。
一言で言えば、自らの正義を貫くのである。

老子は、私には3つの宝があり、それをいつも大切にしていると言った。
それは、慈愛と倹約と、天下の人の前に立たないことだ。
この中の、慈愛というものが全く分からなかった。
ただ、それが感傷的な良心でないことは確かだ。
それは、絶対に得をしない、必ずや損をするための良心である。
自らの正義とは、得をしようとは決して思わず、あえて損を受け入れることである。
その良心を守ることを慈愛と言うに違いない。









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素人がプログラミング言語に手を出すべきではない

日経BP社のIT Proサイトで見たが、ITの専門家ではないビジネスマンがコンピュータプログラミングを習得して自分でビジネスソフトを造ることで、ビジネス改革・業務改革が出来るといった記事を書いている人がいた。
とんでもない了見違いである。
ただ、昔からありがちな意見でもあるので、直接の引用はせずに、その間違いを正しておく。

上記の記事では、学ぶべきプログラミング言語は、Javascript、Python、Rubyといった、比較的習得が容易であるが、現代的なプログラミングが行える高機能なものだとされていた。
しかし、趣味ならともかく、素人が手を出しても何も良いことはない。
それらのプログラミング言語を学ぶべきという意見の根拠として、1980年代に、当時は絶対標準とも言えたプログラミング言語であるBASIC言語を小中学生がマスターし、ゲームを作っていたりしていたのだから、プログラミングは誰でも出来る。そして、BASICはホビー用途だったが、今は、上に挙げた高度なプログラミング言語をビジネスに活かすべきだというものだった。
全く的外れだ。
BASIC言語をそれなりにもマスターできた小中学生は、ほんの一部であり、また、彼らが作ったもののは、冷静に評価すれば、大したことのないものだった。
また、BASIC言語はホビー用にも使われたが、当時からビジネスで使われており、企業の中で、素人が優れた業務ソフトを作ったことこそがBASICの価値を高めていた。
だが、企業の中でも、BASICに取り組んで挫折した者が大半であり、業務に活かせるようにまでなったのはせいぜいが数パーセント(一説では1パーセント)だった。
そして、当時のBASICは、上に名前が出た、JavascriptやPython、Rubyよりはるかに簡単だったのだ。

確かに昔、「BASIC言語をマスターしよう」といった声がよくあり、数多くの入門書が出版された。
だが、既に述べた通り、BASICを使いこなせたのは、一部の適正のある者だけだった。
やがて、素人がBASICに取り組む愚かさが指摘され、表計算ソフトを使えば良いということになった。
現在のExcelの原型で、普段使う機能においては、今のExcelと大差のない表計算ソフトが当時は多数存在した(今はExcelが他を淘汰した)。
だが、今のExcelでも、データが大量になると、遅くなって使えないし、それほど細かいことも出来ない。ある意味、所詮、表計算ソフトだ。
そこで登場したのが、リレーショナル・データベースというものだった。
歴史的にも特筆すべきものは、アシュトンテイト社のdBASEシリーズで、雰囲気としては、現在のAccessと似たところがあり、特に難しいことを習得しなくても大量のデータをそれなりに処理でき、内臓されたプログラミング言語(dBASE言語)を使えば、ほとんど何でも出来た。
dBASEが人気が出ると、それとそっくりなクローンソフトが次々登場した。
サザンパシフィック社のdBXLはほとんどdBASEと同じで、しかも機能が拡張され、極めて安価だった。
また、FoxBase社のFoxBaseも、安価で高性能なdBASEクローンで、当時、データベース分野で遅れていたマイクロソフト社はFoxBase社を買収してFoxBaseを手に入れ、FoxProという製品を開発し、やがて、Windows用リレーショナルデータベースVisualFoxProを発表した。このVisualFoxProは素晴らしい製品だったと思うが、なぜか日本では発売されず、現在は開発を中止し、2007年版が最終製品となっているようだ。

また、本格的な業務システム構築用に、イスラエルのMAGICエンタープライズ社のMAGICが、国内ではdbMAGICとして発売され、一世を風靡する。
dbMAGICは、素人プログラマも活躍させたが、開発会社でも採用され、数多くの業務システムが開発された。
しかし、国内でdbMAGICを販売・サポートしていた某社が事情は分からないが、急にちゃんとサポートしなくなり、すっかり衰退してしまう。

dBASEやそのクローンはWindows時代には衰え、ボーランドのParadox、ロータスのApproach、マイクロソフトのAccessが一斉に登場したが、やがて、Accessが市場を独占する。
Accessは、上に挙げたdbMAGICのユーザーも吸収したが、ある時期までは、品質の点でdbMAGICに全く及ばなかった。

しかし、現在では、Accessは高品質化し、一般用途でも、プロ用途でも使えるようになった。
また、Accessより古くからある、ファイルメーカー社のFilemakerも、優れた製品に進歩したようだ。こちらも、プロの愛好者も多いが、素人にとっては、Accessより習得が容易であることでも人気がある。
ただ、SQL Server等と連携して大きなシステムを作るにはAccessが向いている。
つまり、今、専門家でない者がビジネスで本格活用するなら、プログラミング言語を学ぶという無駄なことをせず、FilemakerやAccess、あるいは、管理工学研究所の桐を使うべきである。

ところで、現在のカメラは、ほとんどがデジタルカメラで、露出もフォーカスも自動である。また、大抵の用途なら、携帯電話やスマートフォン内臓のもので十分だ。
しかし、プロのカメラマンには、露出、シャッター速度、フォーカスを自分でやってこそプロという者が、特に昔は多かった。
ところが、プロのカメラマンにも、「私はオートですよ」と言う人もいた。
プロには、「露出をコントロールしないと良い写真にならない」と主張する者がいたが、オートでも露出補正くらい自由に出来る。
絞りやシャッター速度に関しても、その一方を手動で決めれば、もう一方は自動で行うもので十分な場合が多い。
だが、もちろん、プロには、マニュアルでやらなければならない場合も少なくない。
しかし、プライドの高いプロや、いわゆる「本格派」ぶった素人に、オートマチックカメラ(俗にバカチョンカメラと呼ばれた)を使う者を馬鹿にする者が少なくなかった。
だが、一流のカメラマンにも、バカチョンカメラを堂々と使う人だっていたのだ。

素人に、難しいプログラミング言語を薦めるのも、そんな自己中心的な「本格派カメラマン」に似たところがある。
全面的に間違いではないが、実際的でないのだ。
何十万円、何百万円のビデオカメラを素人が使っても、使い方が難しくて混乱するし、プロが使ってすら、安価な一般用ビデオカメラを使った場合と差のない出来上がりになることも多い。

私も、バカチョンカメラを多用するプロ写真家のように、Accessで済むなら、これを多いに使って効率を上げている。
そして、ほとんどの場合、Accessで十分なのである。
尚、私は、社内の業務システムをWebシステムにする必要は、ほとんどの場合、全くないと思っているが、これに関してはまたにする。









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一言で語ると、『神』とは圧力なのだ

魔法使いを志す者のバイブルとされる、20世紀最大の神秘家の1人、ダイアン・フォーチュン女史の名著『神秘のカバラー』の中で、フォーチュンは、ある偉大な人物に言われた言葉によって、強烈なインスピレーションを得たことを明かしている。
その言葉とは、
「もし『神』とは何かを知りたいとすれば、一言で語ることができる。『神』とは圧力なのだ」
である。
私も、大きな感銘を受けたが、フォーチュンほどではなかった。そして、その意味を知りたいという気持ちがあった。
だが、フォーチュンは、この言葉の分析は無意味であると語っていたのだ。

ところが、しばらく経った頃のことだ。
私は2冊の本を同時に読んでいたのだが、その2つの本の同じページ(46ページ)に「気圧(けお)される」という言葉があるのを見つけ、すぐに、フォーチュンの本のことを思い出して、驚愕したものだった。その1冊がまさに、『涼宮ハルヒの驚愕(2冊セットの後巻)』だったが、私にとっての驚愕でもあったのだ。
これを共時性(シンクロニシティ)と言うのだろう。しかも、ここでは述べないが、同時に他の不思議なことも目まぐるしく私に起こっていた。
「気圧される」とは、「精神的に圧倒される」という意味である。
2つの本で、気圧されたのは、共に、高校2年生の男子だった。
両方とも、彼らが気圧されたのは、可憐でとても華奢な美少女(1人はクラスメイトで、もう一方は下級生)であり、彼らは、自分が、これほど怯んでいる現実が信じられず、驚いていたのだ。

その2人の少女達が、彼らを圧倒した力とは何だったのだろう?
それは、少女達の声の大きさや顔の表情といった、目に見えるものも、確かにあっただろうが、それだけでは、彼らが驚くほど気圧されたりはしない。
やはりそれは、目には見えない力だったに違いない。
「『神』とは圧力なのだ」
そんな力のほんの欠片に違いないとしても、そんなものが彼女達から放たれていたのだ。

ちょっと余計なことだが、参考になることとして、現代科学の簡単なお話を1つ取り上げよう。
それは、1660年にアイルランドの化学者、物理学者のロバート・ボイルが研究を行い、翌1661年に発表されたボイルの法則だ。
ボイルの法則とは、

一定量の気体の体積は、温度一定の下で圧力に逆比例して変化する
~『バーロー 物理化学(上)』より~

というもので、もっと簡単に言えば、圧力を2倍にすれば、体積は1/2になるというものだ。
数式で書けば、Pを圧力、Vを体積、kを定数として、

PV = k
もしくは、
V=k/P

となる。

圧力(P)は、目には見えない。しかし、体積(V)を見る方法はあるので、体積を調べれば圧力が分かる。
上の、少女に気圧された男子高校生の例で言えば、少女達の「力」は目には見えないが、彼らの怯み具合を見れば、それが分かるのである。
また、彼らにとっては、彼女達の「力」は、もっと直接的に精神に感じたはずなのだ。
そして、もし、我々がその様子を見ていたら、やはり彼女達から発せられた「圧力」を感じるはずなのである。
それが、霊的知覚への入り口であるかもしれない。
私は、大きな犬が、小さな子猫に気圧されるのを見て、非常に感銘を受けたことがある。
やはり、目には見えない力はあるのだと確信するのである。

ボイルは、ニュートンと同じく、錬金術師であり、神学の研究にも熱心だった。
また、ボイルは、毛細管現象による永久機関を考案したことでも知られている。その永久機関は、「Boyle's Self Flowing Flask」と呼ばれる。

以上の話から、何かを感じていただければ幸いである。









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再び、「なぜ殺してはいけないのか?」を問う

私が今、目標としているのは、道徳的な人間になることだ。
こう言うと、笑われるか、馬鹿にされるかもしれないが、それはまあ、どうでもいい。

目に見えるものしか存在しないという幻想に陥っている者は、真に道徳的な人間になれない。
だが、現代人の大半は、目に見えるものしか存在しないという幻想に陥っている。
よって、誰も、真に道徳的ではない。

なぜ痴漢をしてはならないかと問われれば、「逮捕されるから」「罰金を取られるから」というとんでもない答が、今や普通だろう。
自動車の制限速度を守るのはなぜかと聞かれたら、「罰金がもったいない」「免許停止になる」としか、実際には考えていないのだ。
では、痴漢を罰する法律がなければ、痴漢をやり放題となるのだろうか?
実を言うと、そんな法律がないところでは、痴漢はほとんど起こらないのだ。
「モーセの十戒」というのは、元々は、当然のことであるが、守らなくても罰則なんてなかった。
そんな頃は、人々は十戒を守った。
しかし、後に、罰則を作るようになると、見つからないように破ったり、罰に問われない破り方をするようになった。
我々も同じではないか?

殺人がなぜいけないか?
逮捕され、重罪に問われるからか?
この問題に関しては、一頃話題になり、いわゆる識者たちが、いろいろ(下らない)見解を述べた。
だが、今は誰もこのことを言わない。どの偉い人の見解も何の解決にもならず、誰も真の答を示せないことが分かったからだ。
作家先生だったかもしれないが、誰かが、「殺せ、そうしたら殺される」と、受けはするが、馬鹿なことを言っていたのを思い出す。
殺したって殺されないさ。
いじめで自殺に追い込んだ教師や生徒の誰が殺されたって言うのだ?
この問題も、目に見えるものしか存在しないという幻想に陥っている者には、何も分からないのだ。
そして、結局は、「逮捕されるから」殺してはならないという以外の結論は無いことになってしまったのだ。

禁止する法律が無くても、痴漢も詐欺も殺人もスピード違反もしない精神が道徳だ。
私は、そんなものを欲しいと思っている。
イエスが「求めよ、そうすれば、与えられる」と言ったことが希望だ。
イエスは、見えないものを求めれば得られるという意味で言ったのだからだ。

しかし、見えないものなんて存在するのだろうか?
見えないものとは何だろう?
それを示すのに一般的な言葉はない。
それで、一応それを、霊的世界と言おう。
しかし、普通の人達は、目に見えるものしか存在しないという固い幻想に絡め取られているのだから、霊的世界の存在を信じないだろう。
ヘレン・ケラーという人は、見ることも、聴くこともできなかったが、誰よりも知的で、理性的で、道徳的だった。
見えるものの理屈で考えれば、それはあり得ないことのはずだ。
しかし、彼女は、霊的世界の存在をリアルに感じていたのだ。
だから、彼女は言ったのだ。
「五感は幻想。イデア(純粋な観念)のみが真理」
だと。
彼女は、見える世界など比較にならない壮大な霊的世界を知っていたのだ。
彼女は、霊界の詳細を語った万能の科学者で政治家でもあった哲学者のエマニュエル・スウェーデンボルグを崇敬していた。
彼女だけでなく、ゲーテやカントもそうであった。だから彼らは、見えるものしか存在しないという幻想を打ち破ることが出来たのだ。
ゲーテ研究の権威でもあったルドルフ・シュタイナーは完全な霊覚者であったから、ゲーテが完璧でないことも知っていたが、やはりゲーテが偉大であったことを認め、ゲーテを理解するには、霊的知覚を得る必要があることを説いたのである。

では、我々はなぜ、見えるものしか存在しないという幻想を脱しないといけないのか?
言い換えれば、霊的知覚を得なければならないのか?
これについて語れば、少なくとも何冊もの本になってしまう。
そこで1つだけ言うなら、生きている間しか霊的知覚を得られないのであり、それを持たずに、死んで霊的世界に入ればどうなるかが、シュタイナーによって示されている。
霊的知覚を得ないまま死ぬと、霊界を知覚できないのだ。そんな者にとっては、この物質世界よりはるかに壮大で豊かな霊的世界が、まるで真っ暗な部屋のようなものになってしまうのである。そこに存在する精霊達や天使達、他の人の霊も全く認識出来ず、自分は孤独だと感じながら、次の転生までの長い長い期間を過ごすのである。

今はまだ日本では、歩きながら煙草を吸うことが禁じられていない場所もある。だからやってもいいのだとばかりに、煙草の煙を何十メートルも撒き散らしながら歩く者の死後はそのようなものである。そのような者達を嫌悪する以前に憐れんでやった方が良いのである。
スマートフォンの画面を見ながら人ごみを歩く者や、電車の中で悪臭を撒き散らしながらパン等を食べている者も同様である。
なぜなら、それらの行為は、目に見えるものしか存在しないという幻想に絶望的なまでに陥っていなければ出来ないことだからだ。
昔、「霊界の宣伝マン」と自称していた国際俳優の丹波哲郎さんは、「自動車の中からゴミを捨てる人がよくいるが、あれは殺人と同じなのだ」と言っていたことがあるが、歩き煙草なども、全くその通りなのである。
殺人がいけない理由が分かっただろうか?









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
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