以前なら、私も、自分が勤務している会社の重役や社長の前に出れば、かなり緊張していた。
あるいは、取引先の偉い人に対しては、蛇に睨まれたカエルのようなものであったかもしれない。
しかし、今は、相手が大会社の社長であろうが、スポーツや映画界のスーパースターであろうが、あるいは、我が国の総理大臣や、アメリカやロシアの大統領であろうが、その前に出ても、煩わしいとは思うだろうが、私は、緊張どころか何の感慨も無いと断言する。
無論、私は全く偉くないし、別に一目置かれるような立派なところがある訳でもない。
相手が人間である限り対等だ・・・などと思っている訳でも全くない。
彼らに比べれば、私は虫けらだと言われるなら、その通りだ。
しかし、私は、自分を自分以上のものに見せることに何の興味も無いのだし、誰にどう思われようと全く意に介しない。
「まあ、殺されたりはしないしね」と言う人がいるかもしれないが、殺されたって構わないような気がする。
そもそも、殺される運命であれば、それを避けることは私には出来ない。
こんな話があった。
ある王国に、1人の清らかで美しい乙女がいた。それを、もう老人の王様が見初め、乙女の両親に、娘を差し出すよう命令が下った。
乙女の両親は、他のどんなものでも差し上げるから、娘だけは取り上げないで欲しいと懇願したが、許されなかった。
乙女に想いを寄せる青年は大勢いたが、王が相手では敵う訳がないと、無念には思っても諦めた。
これは悲劇として伝えられているかもしれない。
しかし、何か問題があるだろうか?
もし乙女が、自分は別に大したものではなく、そんな運命であるなら、それに従うまでと受け入れれば、何も悪いことなど起こっていないのである。
悲劇が起こるとすれば、それは、乙女の愚かなプライドが引き起こすのだ。
また、必ずそうとは言わないが、乙女が高い受容性を持っているなら、彼女が王宮に上がる前に、王様は糖尿病あたりでひっくり返ることだろう。
だが、私は、偉い人を嫌う訳でもない。
愛想よく笑い、肩を組んで仲良くしようと思っている。
私の態度が悪ければ、誰かが殺されるのだとしても、馬鹿丁寧になったり、逆に諌めるような態度を取れば、無事では済まないだろう。
結局のところ、人間関係を築くしかないのである。
ビジネスや政治だって、英語が出来るだの、相手の文化や思想を理解するなんて、実はそれほど重要なことではないのだ。
人間としての本質で心が通じ合えば、そんなことはどうでも良いことなのである。そして、それは容易いのだ。
相手が私を犬と言うなら、私はそれを認め、相手の心も、そして、状況も支配しようなどとは全く思わない。
私がどう考えようが、結果は全く変わらない。
それを完全に受け入れることが出来るほどの者であるなら、全く安全なのである。
老子や荘子も、それを完全に保証しているはずである。
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あるいは、取引先の偉い人に対しては、蛇に睨まれたカエルのようなものであったかもしれない。
しかし、今は、相手が大会社の社長であろうが、スポーツや映画界のスーパースターであろうが、あるいは、我が国の総理大臣や、アメリカやロシアの大統領であろうが、その前に出ても、煩わしいとは思うだろうが、私は、緊張どころか何の感慨も無いと断言する。
無論、私は全く偉くないし、別に一目置かれるような立派なところがある訳でもない。
相手が人間である限り対等だ・・・などと思っている訳でも全くない。
彼らに比べれば、私は虫けらだと言われるなら、その通りだ。
しかし、私は、自分を自分以上のものに見せることに何の興味も無いのだし、誰にどう思われようと全く意に介しない。
「まあ、殺されたりはしないしね」と言う人がいるかもしれないが、殺されたって構わないような気がする。
そもそも、殺される運命であれば、それを避けることは私には出来ない。
こんな話があった。
ある王国に、1人の清らかで美しい乙女がいた。それを、もう老人の王様が見初め、乙女の両親に、娘を差し出すよう命令が下った。
乙女の両親は、他のどんなものでも差し上げるから、娘だけは取り上げないで欲しいと懇願したが、許されなかった。
乙女に想いを寄せる青年は大勢いたが、王が相手では敵う訳がないと、無念には思っても諦めた。
これは悲劇として伝えられているかもしれない。
しかし、何か問題があるだろうか?
もし乙女が、自分は別に大したものではなく、そんな運命であるなら、それに従うまでと受け入れれば、何も悪いことなど起こっていないのである。
悲劇が起こるとすれば、それは、乙女の愚かなプライドが引き起こすのだ。
また、必ずそうとは言わないが、乙女が高い受容性を持っているなら、彼女が王宮に上がる前に、王様は糖尿病あたりでひっくり返ることだろう。
だが、私は、偉い人を嫌う訳でもない。
愛想よく笑い、肩を組んで仲良くしようと思っている。
私の態度が悪ければ、誰かが殺されるのだとしても、馬鹿丁寧になったり、逆に諌めるような態度を取れば、無事では済まないだろう。
結局のところ、人間関係を築くしかないのである。
ビジネスや政治だって、英語が出来るだの、相手の文化や思想を理解するなんて、実はそれほど重要なことではないのだ。
人間としての本質で心が通じ合えば、そんなことはどうでも良いことなのである。そして、それは容易いのだ。
相手が私を犬と言うなら、私はそれを認め、相手の心も、そして、状況も支配しようなどとは全く思わない。
私がどう考えようが、結果は全く変わらない。
それを完全に受け入れることが出来るほどの者であるなら、全く安全なのである。
老子や荘子も、それを完全に保証しているはずである。
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