ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

2012年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

断食と運動の関係

昨日から断食しているが、まだ2日目なので何も感じていない。
朝晩のトレーニングは欠かさないし、腕振り運動もやっている。
トレーニングは、腕立て伏せ、スクワット、腹筋運動だけだが、どれも、最も美しい形でやっていることもあり、1回1回の負荷が高いのが特徴だ。今のところ、調子は良く、むしろ、身体を軽く感じている。
腕振り運動は、運動と言いつつ、腕立て伏せのような筋肉運動とは全く異なるものであり、運動としては楽なもので、老人でも出来る。
単に自然体で立ち、両腕を平行に真っ直ぐに伸ばしたまま、前後に振るだけである。
ただ、楽な運動とはいえ、単調で飽きるし、実際、根気が無いと、なかなか続かない。
そして、まだ断食2日目であるが、この腕振り運動での充実感が特に増しており、宇宙エネルギーの流入を感じるように思う。もう数日経てば、さらにはっきりしてくるのではないかと思う。
断食は、初出勤前の3日までは続けたいと思う。

断食を始めたきっかけは、いまだ感情のコントロールが全く出来ないことに驚いたことであるが、おかげで、面白い体験が出来そうだし、その他にもいろいろ利点があるように思う。まあ、こうなったのも、単に運命であったからであろうし、なりゆきに任せるだけである。
お正月には来客もある。ご馳走は用意するが、自分が全く食べない言い訳を考えないといけないのが、ちょっと億劫だ。しかし、この程度のことはどうでも良いことだ。

世の中には、全く食事をしないブリザリアンと呼ばれる人もいるらしい。
ただ、私が本や雑誌、あるいは、ネットで見たブリザリアンというのは、あまり好ましいとは思えない人達ばかりだった。
よって、自分がそうなりたいとは思わない。
本当に優れた人達というのは、適切な食事をしているものだし、ほとんどが、少食で菜食だが、食事をちゃんと楽しんでいるように思う。
私も、食べている時は、食事は楽しいものだと思っていたが、美味しいものを食べようとは全く思っていなかった。
私には、こだわっている野菜や米、パンなんてものは全くない。スーパーで簡単に入手できれば、何でも良い。決して、食べ物に注文を付ける気はない。

世間が美食、飽食に耽るこの時期の断食は、私の運命に相応しいかもしれない。
しかし、実を言えば、断食しながら、家族と顔を合わせず、紅白も見ない年の暮れは初めてである。
普段、仕事柄、コンピュータのディスプレイ画面を、毎日長時間見ているので、正直、目が疲れるし、慢性の頭痛もある。また、耳鳴りも絶えないのだ。
幸い、年末、お正月に仕事をしなくて良い恵まれた状況にあるので、少し回復させたいと思っている。
そして、自分で選んだ訳ではなく、本当は嫌なのかもしれないが、年末やお正月も休めずに仕事をしなければならない人達を見ると、いつも得るものが大きいのである。
12月22日のアセンション(次元上昇)で、優れた人達はあっちの世界に行ってしまったのだろうかと思うこともある。
つまり、やはり我々はとり残されたのだろうか?
考えても仕方がないが、断食に至った過程を振り返ると、そんな感じがしないでもない。
しかし、仮にそうだとしても、それも運命である。









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悪人が長生きで儲かる原理

「善い人は早死にする」とよく言われるが、それは本当だ。
一方、悪人は病気にならないし、元気に長生きする。
もし、悪人が病気になるとしたら、それは、その者に仏心が芽生えた時だ。
極悪人が、牧師の教えにほだされて、宗教に興味を持ち始めると、途端に病気になるものだ。

また、悪人てのは商売が上手い。大儲けする。
本物の善人が商売で成功したりはしない。

そのカラクリはこうだ。
人間の中には、プラス生命体とマイナス生命体が同時に宿っている。
プラス生命体は、大方で善と言ってよく、マイナス生命体は悪の性質を持つ。
1人の人間の中で、それがせめぎ合っている。
それで、いずれかの生命体が極端に優勢であれば、エネルギーも最大だ。
プラス生命体のエネルギーとマイナス生命体のエネルギーは打ち消しあうからだ。
しかし、肉体を持っている限り、善が7割以上を占めることは難しい。
よって、人類においては、悪の勢力の方が強い。

黒住宗忠という、江戸末期の神道家がいた。
子供の頃から、親孝行で、誰にでも優しい、素晴らしい善人だった。
しかし、30歳くらいになり、両親が相次いで亡くなると、重病になり、起き上がることもできなくなり、死を待つばかりとなった。
私は、彼は超善人と伝えられているが、内面には悪を抱えていたのは間違いないと思う。
その悪と戦っていた彼のエネルギーは消耗しており、当時としては体力がかなり無くなる30歳ともなれば、身体も持たなくなったのだろう。
ところが、死を覚悟した時、マイナス生命体が消えてしまった。
伝わっている話では、宗忠の中に、天照大神の生命が入ってきたというが、天照大神は大きなプラス生命体である。
それで、宗忠は超人になってしまい、イエス並の奇跡もいくらでも起こせた。
さてさて、宗忠には何が起こったのだろう?
ちなみに、イエスや釈迦は、元々、マイナス生命体が無かった。

人間は、個人でも集団でも、マイナス生命体が優位になり、必ず悪が栄える。
「悪が栄えた試しはない」とも言うが、それは、悪同士が争うからというだけの理由だ。
一方、善同士は争わないので、一応は、正しい者が勝つように見える。
もし、善同士が争っているように見えても、それは、一部に善を現しているかもしれないが、内部は悪に支配されている者同士の争いだ。

中国という国家は、指導者達が悪に支配されているので、強くて賢い。
老子や荘子なんていう中国の英知は、別に善であることを指向はせず、むしろ、「是非好悪を捨てよ」と教えているのだ。
日本の指導者も悪であるが、善指向なので、弱くて馬鹿なのだ。これに関しては、民主党の方が自民党より善なので、やはり、より無能だった。自民党の方が、まだ、国家の利益を多少は確保するだろう。
つまり、国家の指導者なんて、みんな本質は悪なのだ。それを前提にしないといけないのだ。
だから、大悪人に「しっかりやれよ」と政治を任せ、金も自由にさせ、ただし、上手に管理すれば良いのである。
「よっしゃ、よっしゃ」と賄賂を取る田中角栄ほど優れた政治家はいなかった。
プーチンなんて絶対に悪人だが、実績は凄いのである。
有名な宗教家であった五井昌久さんが、「小善人になるくらいなら大悪人になれ」なんて言ったのは、やはり、彼には知恵があったからだ。

だが、大悪人になど、なれやしない。
悪いことはしても、やはり、善人でいたいという気持ちがあるのだ。それはどうにもならない。
それで、誰しも、年を取れば、エネルギーを失い、老いさらばえて死んでいくのだ。
では、どうすれば良いかというと、マイナス生命体の性質を利用するのだ。
難しい話は省略する。
マイナス生命体は、肉体に執着する。
それで、黒住宗忠が死を受け入れた時、マイナス生命体は、「こりゃ、たまらん」と言って逃げ出したのだ。
瞬間的にマイナス生命体が停止すれば、誰でも奇跡の力を発揮する。
昔、死を覚悟して、真剣を持った剣術の達人に向かっていった空手家がいたが、戦った記憶はないのだが、意識が戻れば、剣術家が伸びていたという。死を受け入れた時、マイナス生命体が消えたのだ。ただし、普通は、マイナス生命体は消えても、また戻る。
宗忠は、その後、荒行をして、マイナス生命体を抑えるコツを掴んだのだ。

食を慎むことは、マイナス生命体への最大の嫌がらせだ。
当然、マイナス生命体は反発し、どうしてでも食べさせようとする。大抵は、それに負けてしまう。
しかし、大きな怒りや絶望を持った時、そのエネルギーをマイナス生命体に対抗させるれば効果的だ。マイナス同士は戦って打ち消しあう。
私も昔、絶望的なことを感じた時、それまで、ごく普通に沢山食べていたのに、10日も断食したことがある。その時は、超能力も自在だった。

拒食症というのは、言っては悪いが、悪が根深いのだ。しかし、本人は善を求めている。しかも、悪が根深いのは、本人の責任ではないことが圧倒的だ。両親の歪んだ偏見のためであったり、あるいは、何か衝撃的なものを見たというのが原因だ。悲劇的なものである。
拒食症の治療には、その者をいったん悪に染めるしかない。
ただし、これも、詳しく語ると長いので、ここまでにしておく。

まあ、心配しなくても、あなたにも、嫌いな人や憎い人の1人や2人はいるだろう。
復讐したい相手がいるなんて最高だ。
その感情を食の慎みの力にすることだ。
食の慎みが高貴なことだなんて考える必要はない。
修羅の道、餓鬼の道で十分だ。
目には目、歯には歯、餓鬼には餓鬼だ。
ただし、悪のマイナス生命体を抑えたら、福音書を読み、プラス生命体を常に優勢にするのだ。
それで超人になった人もかなり多いのだ。

簡略を帰すために、多少、乱暴なことを書いたことを断っておく。
しかし、アセンション(次元上昇)後の闇の勢力の活動が激しい。このままでは、また世界は地獄に向かう。
参考にして欲しい。









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宇宙の歴史

歴史というものを、大半の人は学校の教科書で勉強したと思う。
ロクに解明されてもいないことを、真実であるかのように試験問題にし、後で学説がひっくり返されて教科書が改定されるのだから、学校教育とはひどいものである。
なぜそれで通用するのか?
学校で、「歴史は暗記もの」といった、馬鹿げた観念を持たされた人は多いと思う。せいぜいマシなものでも、「いや、歴史は連想ものなんですよ」だ。
こんな教育では、我々が知恵とかけ離れた愚か者になるのも仕方がない。
学校の勉強に、やる気が出ないというのは、子供にとって正常なことだ。
それを、賞罰やら、優越感やらといった、害にしかならないもので煽ってやらせるのであるから、恐ろしいものである。
世界を良いものに出来るのは、学校教育に意識的に背を向けた人たちであったし、これからますますそうなる。

宇宙はどのようにして生まれたのだろう?
地球は?そして人類は?
こういった問題に対し、現代科学はあまり役に立たない。
現代科学が普及しているところでは、これらのことは何も分からない。歪んだ空想が出来るだけだ。
いかに不自然でも、現代科学の教義体系に合っていれば、科学的と言われるだけのことである。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の3巻か4巻だったと思うが、宇宙の歴史を、英知を持つ聖者が語るところがあった。
太陽や惑星は、何らかの意志によって生み出され、それらに作用を与え続ける存在がいる。聖者が語るのは、生きた宇宙であった。
武内直子さんの『美少女戦士セーラームーン』の中で、土萠ほたるという名の幼い少女が、一種の遊びのように、宇宙創造の様子を再現していたのが、その様子が、ちょっと、この聖者の話に似ていたように思う。
ところで、ルドルフ・シュタイナーの『神秘学概論』に描かれた宇宙創成の様子が、この、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の聖者の話と、非常によく似たところがある。
仮に、どちらかが真似したとすれば、『ヒマラヤ聖者の生活探求』を著したベアード.T.スポールディングが、シュタイナーの説を基に聖者の話を創作したことになる。『ヒマラヤ聖者の生活探求』が1937年の著作であるが、『神秘学概論』は1909年であり、これはシュタイナーの代表的な著作の1つで、英訳されていた可能性もある。
しかし、それはないだろう。また、いずれも、象徴的に宇宙創造を描いているのであるが、真実を表しているなら、当然似てはいるだろう。
シュタイナーはそういったことをどうやって知ったかというと、霊的知覚である。これは、現代の人類は受け入れない者も多いだろう。また、偽者の霊覚者もいるだろう。
だが、本物の霊的知覚は、現代科学を小さな水溜りとすれば、大海にも喩えられるほどのものであるかもしれない。
武内直子さんがシュタイナー等を読んでいたことは十分に考えられるが、むしろ、武内さんは閃きや直感で描いたのだと思われる。それも霊的知覚から来るものであり、それをソクラテスはダイモーンと呼んだのだろう(『美少女戦士セーラームーン』の中で、悪者のダイモーンが登場するところが可笑しいが)。

また、ジョージ・アダムスキーが宇宙人から聞いた、地球や地球人類の歴史も、『エメラルド・タブレット』に描かれたことによく似ている。
『エメラルド・タブレット』が1948年出版で、アダムスキーの該当の書『Inside The Space Ships』(翻訳は『新アダムスキー全集1』等)は、1955年出版である。ただ、似ているとはいえ、『エメラルド・タブレット』はやや象徴的な表現であり、アダムスキーのものは具体的だ。いずれにしても、私には、アダムスキーが真似したとは考えられない。

そして、『神秘学概論』、『ヒマラヤ聖者の生活探求』と、『エメラルド・タブレット』、『Inside The Space Ships』の地球の歴史では、表面的にはかなり違っているが、直観力のある者なら、同じであることが分かるかもしれない。
実際、『ヒマラヤ聖者の生活探求』のヒマラヤの大師達と、アダムスキーが会った宇宙人達は、文化的、行動的な面でもよく似たところがあると感じる。また、ヒマラヤの大師達と宇宙人の関係もさりげなく示唆された部分もある。

いずれにしろ、これらのことは、ごく一部の人間にしか分からないことではなく、霊的感覚・・・こう言ってはあまりに馴染みがないと言うなら、直感を研ぎ澄ませば、あるいは、ソクラテスの言うダイモーンの力を借りれば、誰にでも分かることである。
『美少女戦士セーラームーン』が文化の壁を超えて世界中でヒットしたように、武内直子さんには優れた直覚(直感とほぼ同じ意味)があったのだと思う。
そして、今や、セーラームーンと同じ、長いツイテールの可愛い少女、初音ミクが世界中で受け入れられているのは、初音ミクによって想像力を高めた人達が増えているからだろう。霊的知覚も想像力の延長なのである。
そして、私は、『サイボーグ009』の完結編『サイボーグ009 完結編 2012 009 conclusion GOD'S WAR』を全て読んで、上に挙げた全てを統合するヒントを掴むことが出来たのである。言うまでもなく、石ノ森章太郎さんの直覚力も並ではなかった。













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今日から断食

私は、完全に食を断つ断食や、過激な荒行の類は、自分もやる気はないし、よって、人様に薦めることもない。
だが、私は、当分、断食することにした。

本日、精神を非常に乱し、喉が枯れるほどに怒号するほど激怒したのだが、普段の修行の甲斐もあり、一瞬で冷静に戻った。
だが、この出来事はチャンスである。
最近、食べ過ぎていたのだろう。
相変わらず、1日1食で、菜食主義であるが、元々、会食等の時は、肉は絶対に避けるが(本音は今でも食べたい)、魚介類は食べることもあった。それで、季節柄不可避として、カニ鍋を食べることもあり、今日は、自発的に鍋にしようと家族に薦めたりもした。そんな時は、満腹に近いまで食べることもある。
今日などは、仕事も既に休みに入っていて、1日中何もせず、しかも、暖房の効いた部屋にいて、それでいて、夕食の時間が来たら食事をするのを楽しみにしていた。
海外はおろか、日本、そして、身の回りでも、今日も、そして、年末やお正月でも仕事をする人もいるのである。
自分が恵まれているからといって、あまりに甘えていたように思う。

そして、挙句の、激しい精神の乱れは必然である。
アセンション(次元上昇)後、闇の勢力の反撃も強力になってきている。
それは、精神攻撃である。
私のような、ある程度の難敵には、日常が放埓(勝手きまま)になるよう巧妙に働きかけ、精神を弛(たる)ませてから負のエネルギーを送り込むのだろう。
なるほど、かなりの威力だ。
これが、普段、食や性の欲望を貪り、傲慢になっている者なら、地獄への道を真っ逆さまに落ちるか、あるいは、自殺をしたりするのだろう。
煙草を吸いながら歩いたり、スマートフォンを見ながら人ごみを歩いたり、電車の中で臭いを撒き散らしながら食事をする者は、全く減らず、むしろ増えているように感じるが、そんな者達は、急激に悪鬼の特徴を現し出し、醜悪で目を背けたくなるような姿に変化している。
無論、地球上では、万物の波動は精妙になり、その影響を受ける人間も多いのだが、それは、極めて慎ましく、暮れ、正月も働かねばならないような人たちである。

瞬間的とはいえ、精神を乱し、激怒したのは、闇の天使の攻撃ではあっても、それもまた運命である。
激怒したというより、させられたのであり、このこと自体は避けられなかったことであり、悔やんではならない。
だが、これを機会に精神を切り替えることは私の役割である。何でもかでも運命だなどと言うのではなく、精神の活動に制限を加えることだけは人間の仕事なのである。
激怒した相手にも、良いことだったのだろう。私も同様であるが、相手も、それで何かに気付かないなら、もう死んでも良いかもしれなと思うのだ。

食べ過ぎて余分にたまった荒れたエネルギーは解消しなければならない。
当面、食を断ち、食べるとしても、もっと粗食にしなければならないだろう。
他の人たちから見れば、私の現在の食事でも十分に質素と言われるかもしれないが、そんな世間の基準はどうでも良い。
もっと、食べ物の有難みをしっかり感じるように、本当に空腹な時のみ食事をするのでなければならない。
世間が美食にふける時こその断食である。愉快と言うべきかもしれない。無論、こう言う時は、空腹という意味ではなく、精神的には辛いものである。だが、これが自我を屈服させる良いチェンスなのだ。滅ぼす者は陽気である。









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パワハラに勝つ鏡の心

昔なら、暴力的な上司というのは珍しいものではなかったが、今は、パワハラ(パワーハラスメント:労働者に身体的・精神的苦痛を与えること)が起こると、企業にとって何かと不都合なことがあるので、形の上では、立場を利用した露骨ないじめは少なくなった。
ただ、あくまで、露骨にはやらないというだけのことである。
なるほど、以前のように、上司や先輩が部下を怒鳴りまくるということは少なくなったが、より精神的、陰湿になっているのだ。
例えば、
「お前のために言うのだ」
と、自分に正当性があることを強調しながら、指導という形を借りて、長時間に渡って、立場の弱い相手をいたぶるのである。
その中で、いたぶる相手の価値観や人間性を否定し、それを認めることを強要する(心から認めたという態度を示さない限りやめない)のであるが、それは、暴力的なものよりよほど酷い。
また、形の上では指導であり、正当性があるという誤魔化しが効く場合、そのようないじめは集団化することが多い。
そして、それは、過激化していく。
つまり、パワハラは、より精神的、そして、陰湿になって、明らかに増大増殖しているのである。

だが、私は、いかなるパワハラに遭っても、全く平気なのである。
嘘ではない。
今の陰湿な精神的パワハラの攻撃目標は、弱い立場の者の心だ。
だが、私には、攻撃すべき心が無いのだ。
仮に、初音ミクがいかに罵声を浴びせられようと、笑顔で歌い続けるようなものだ。
だが、我々は、決して物体になってはいけないのだ。
酒でも多量に飲めば、いかに精神的にいたぶられようが平気であるかもしれないが、それが物体になるということだ。
そうではなく、自分で精神活動に制限を加えるのである。
それが出来れば、あなたは無敵であり、一生安全であり、傷付くことは絶対に無い。
精神活動に制限を加えることが出来るようになるためには、自分には何の力もなく、全ては運命であることを知らねばならない。
制限を加えられた心とは、美しい鏡のようなものなのだ。
来るものはそのまま映すが、去ってしまえば、何の痕跡も残さない。そんな心を持てれば良いのである。
それには、訓練ということも必要だと思う。
例えば、無目的に淡々と腕振り運動をするのであるが、「今は300回が限度です」などと言う人は、精神をコントロールする力は弱く、パワハラに遭えば「イチコロ」だ。
腕振り運動なんて、肉体的には負荷はほとんど無い運動だ。これを根気強くやるには、精神に制限を課すことが必要なのである。
毎日、決まった時間に必ず2千回出来るようになれば、かなりの精神支配力を得ているのである。
また、「私は誰か?」と問い続けることも、公式化してはいけないが、訓練のために行うのであれば良い。
他のマントラを唱えることも同様である。
また、1年365日、1日も絶対に欠かさずにやる、なんらかの行があれば、精神を制御する力は飛躍的に高まるだろう。
だが、最も優れた効果的な訓練は、食の慎みである。そして、言葉と心の沈黙である。
まずは、早起きの習慣を身に付けて、基本的な心の力を得なければならない。遅寝遅起の人間は、それだけで、精神を制限をする力を全て失くしている。

先ほど、制限を加えた心は鏡のようなものだと述べたが、別の意味でもその通りなのである。
こちらの心が静かであれば、精神的攻撃(実際はいかなる攻撃も精神的攻撃なので、全ての攻撃)は反射してしまうのだ。
私がごく若い頃、パワハラを仕掛けてきた上司はかなりいたが、皆、病気になったり、消えて無くなったり、死んだ者もいた。
しかし、それもまた良くない。人間である限り、誰しも欠点はある。こちらもまた、相手の欠点を容認し、ある程度は、嫌われないような工夫もしなくてはならない。
それもまた、精神に制限を加える訓練である。









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